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正月の新宿の寄席(前座さんの気持ち)

 待ち合わせは新宿の伊勢丹入り口にした。霧島さんは、町田から一緒に行かないかとLINEで返してくれたが、町田~新宿間の会話が保つか不安だったので『前に新宿あたりで用事がありますので』と返信して勘弁してもらった。実際、今日行く場所の下見もしたかった。デートに下見は必須だとサークルの先輩から伝授された……でもその先輩、彼女いないな……

 伊勢丹は元日は休業だけど、入り口付近で何人か待ち合わせをしている。振り袖姿の女性もいる。霧島さんもその中にいた。ライトグレーのファーコートに黒のショートパンツとストッキング姿。亜麻色の髪の美しさがひときわ目立つ。でもやっぱり……クリスマスに会った時より、さらに子供っぽく見える。少しは僕に打ち解けてくれたから、そう見えるのだろうか。

 僕を見つけると軽く手を振って微笑んでくれた。合流した僕たちは信号を渡り、向かって左の細い道に入る。寄席の名前がついたその通りは飲食店が建ち並び、正月の午後だというのにすでに多くの店が営業している。

 伝統をズシリと感じる佇まいの寄席に着き、木戸という入場料売り場でお金を払う。霧島さんは二人分払おうとするが、僕は懸命にお願いして割り勘にしてもらった。代わりに、寄席に入ってすぐの売店でお茶を買ってくれた。

 座席を見渡すと、舞台(高座)に向き合った普通の座席の両側に、靴を脱いで上がる席(桟敷席)があり、そこに座るのはちょっと勇気がいるなと思っていたら、霧島さんは『こっちの方が楽しそうね』と言って靴を脱ぎ、座布団を受け取っている。こういうとこ、大人でスマートでかっこいいなと憧れる。

 この寄席では正月に『初席』という催しが行われており、僕たちは一五時からの第二部に来ている。常連さんで顔見知り同士の方も多いようで、客席は何となくアットホームな雰囲気だ。

 開演間近。ドドドンと太鼓の音が響き、舞台に着物姿の男性が出てきて、縦長の札(めくりと言うそうだ)をめくって、出演者の名前を表示させた。

「あの人は、寄席のスタッフの方ですかね……」

 独り言のように僕がつぶやくと、

「『前座』さんと言って、落語家として修行している人みたい。寄席がある日は、師匠のお世話や、太鼓を叩いたり、あんなふうにめくりをめくったり、次の出演者のために舞台を整えたり、忙しいみたい。そして、『開口一番』で一席披露する……」

「へえ、開口一番の語源って落語から来てるんですかね……霧島さん、詳しいですね!」

 僕が驚いていると、

「ううん、実はね、高野君が寄席に連れて行ってくれるって言うから、ネットで大慌てで調べただけ。少しでも知っておいた方がおもしろいかなって」

「勉強不足ですみません……」

「あ、予備知識なしで体験するのも楽しみ方のひとつだと思うわ」

 何だか霧島さんにフォローされてしまったが、寄席に誘った身としては少しは下調べしておいた方がカッコよかったかなと反省する。

ちなみに、今まで出てきた(木戸)(高座)(桟敷席)(めくり)も霧島さんに教えてもらった用語だ。 

 前座さんの一席が始まる。若いお弟子さんが少し緊張気味に話すのが初々しい。客席からは暖かい激励のやじが飛ぶ。なんかいい雰囲気だなと感じた。自分の演目を終え、前座さんは深々とお辞儀をすると、高座から一旦下がり、再び出てきて座布団をひっくり返し(高座返しと言うそうだ)、めくりに向かった。

 その時。

 前座さんは、どうした弾みか足をすべらせ、こけた。客席からは笑い声とともに「緊張してんのかー?」「今のが一番ウケたぞ!」などやじが飛んだ。前座さんは大げさに頭を掻きながら笑顔でそれに応えていたが、多少口元が引きつっているようにも見えた。

 その後、落語を中心に講談やコントに曲芸など、多彩な演目が繰り広げられた。奥が深い……それぞれの演技から、勉強することは山ほどあるなあと感じた。

 演目の後半は、ベテランの方が揃っているらしく、客席とのやりとりもうまい。ウケどころをはずしても、それをしっかり拾ってネタにするし、お客さんとのやりとりで出てきた言葉から、次の話につなげたりする。僕がやっている『クラウン』は、ほとんど言葉を発しないがコミュニケーションの取り方がすごく参考になった。

 コントの演目の時。

「あんた、なにさっきからセリフ噛んだり忘れたりしてんの?」

 ツッコミの人が文字通り突っ込むと、

「いや、ついつい桟敷席のべっぴんさんが気になってしまってな……」

 ボケの人が、手でこちらを示す。客席の視線が一斉に集まる。霧島さんは恥ずかしそうにしながらも、笑顔で出演者に手を振った。

 休憩(お仲入り)を挟んでたっぷり三時間。笑いを研究している僕としてはすごく充実した時間だったが、霧島さんはどうだったろうか?

第二部が終わって外に出ると、すっかり暗くなっている。地下鉄の駅の方に歩いて行くと、香ばしい煙が暴力的に誘ってきた。

「いい匂いね、焼き鳥、食べていこうか?」

 霧島さんに提案され、煙の発生源に向かう。モモ、手羽先、皮、巨大なつくね、しいたけ、ピーマンなどの串焼きと、モツ煮込みをいただいた。ここは出すからと、またしても霧島さんに奢ってもらってしまった。

 帰りの小田急線は、二人並んで座れた。

 『木戸』でもらったパンフレットを広げ、今日の寄席の感想戦を行った。出演順に、それぞれ面白かった台詞や芸風などを語り合う。生き生きとコメントしてくれる霧島さんの表情を見て、寄席を選んでよかったと思った。 

 ふいに霧島さんがぽつりとこぼす。

「でもね。なんかすごく印象に残っているのが『前座さん』がこけたところかな」

「そうなんですか」

 実は僕もそう思っていた。

「ええ、多分あれはウケ狙いとかじゃなくて、本当にこけちゃって……内心、本人は失敗したなあと焦ったと思うんだけど、それを見ている人は笑えたり、楽しくなったりする」

 ……僕は、秋のショッピングモールでのパフォーマンスを思い出す。自分にとっては失敗の連続でしょげていたが、霧島さんやお客さんにはウケていたらしい。 

「なにかアクシデントが起きたとき、その受け止め方は、自分と周りの人だと随分違うんだなあって思ったの」

 そう言って、霧島さんは窓の外をぼーっと眺めた。前座さんに起こったことを何か、自分の身に重ねているんだろうか。

 町田駅に着き、駅の改札まで霧島さんを見送った。

「高野君。今日はどうもありがとう。寄席の雰囲気、すごく楽しかった」

「そう言ってもらえると、すごく嬉しいです……それから、焼き鳥、ご馳走様でした」

「いえいえ、じゃあ、また明日ね」

 そう、明日もあるのだ。

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