6 大観覧車の魔女
「たわけが。お前の動きで国が滅ぶやも知れんぞ、小僧」
屋敷の広間で、四肢の自由を枷に奪われた少年が御簾越しの声に俯いていた。
「赤煉瓦の魔女、そして夢舞台の魔女を葬ったのはよい。称賛に値する。だが」
「っぐ――!」
少年の足に、長大な釘が突き刺さる。その痛みに、服部結人は苦悶の声を漏らした。
「大観覧車の魔女と幾度も相まみえながら毎度に討ち逃し、あげくお前の言う切り札とやらが彼奴の手中に落ちたという」
結人はただうつむき、しゃがれた声を聞いていた。
「我欲が過ぎるぞ!小僧!」
張り上げられた怒号が、空気をびりびりと震撼させた。
「災厄の元凶たる魔女を葬らなければ、この国は百鬼夜行に蹂躙され、向こう千年焦土となろうぞ」
しゃがれた声は、その勢いを落とし、静かに危機を募らせていた。
「頭目」
「申せ」
虚空より声が響く。それを不思議がらず、御簾越しの声が反応した。
微かな風とともに現れた忍者の少年――鵜飼は跪き、頭を垂れたまま口を開いた。
「例の機兵の整備が間に合いそうです」
「おお、そうか――」
頭目と呼ばれた御簾越しの声の主は、わずかに身を乗り出したような影のゆらぎを見せた。
「ですが、魔力量が心もとなく、稼働時間にも限界があるかと。ちょうどあと、魔女一人分程度を調達できれば余裕は出るのですが」
「大事無い」
「ぐあっ――!」
四肢に繋がれた枷から、結人に電流が走った。人体を貫通するほどの電流は、少年の鼓動を停止させるのに十分だった。
「それを炉に入れろ。魔力として焼却すれば、魔女と大して変わらん」
「……御意」
鵜飼は息を呑み、歯を食いしばりながら命令を承諾すると、結人を担ぎ上げ、風とともにその場を去っていった。
「誘雷・掌打」
少年の左胸に、掌底の打撃が与えられた。本来は対象を気絶させる目的で使用する、非殺傷性の忍術。瞬間的な電気刺激が、停止していた少年の心臓を再び動作するに至らしめた。
「目覚めたな。どうだ?蘇りの気分は」
「……鵜飼」
目覚めた結人に、鵜飼は軽口を叩いた。二人が居たのは、ぐつぐつと煮えたぎる鉄釜を見下ろす整備通路だった。
「お前をこの中に放り込めってよ。あの頭目のジジイ」
「ああ、俺はそれに値する罪を犯した。なぜ俺を生き返らせた?」
「決まってんだろ、お前を逃がすためだ」
「一体何のために――」
「お前のその未練たっぷりの顔面が死にたくないって言ってるぜ」
「は――何を言って!俺はすでにこの身を影に捧げた隠密だぞ!」
「だーかーら!鏡でも見てみろ!……お前、本当に未練は無いのか?」
「……」
結人の表情が曇る。彼の脳裏に浮かんだ、一人の少女。護ると言って、魔女の手に落ちた少女。そして彼女が見せた、あの憂い表情。
「好きなんだろ、あの魔女ちゃんが。忍者のことは適当にやっとくから、お前は好きに動け」
「す――そんな、俺が、薬師寺を――?」
結人は耳を赤くしながら、大げさな身振りをしてみせた。それを見た鵜飼は手を叩いて笑った。
「だが、なぜ俺にここまで……」
本心より出た問いかけが、結人から鵜飼に投げかけられた。
「ああ、それか。俺はな、正直今のこの体制が気に食わねえだけだ。俺が戦いてえのは神話のデカブツどもで、魔女じゃない」
鵜飼が吐き捨てると、また大げさに息を吸った。
「魔女狩りなんていい気分でもねえし、そんな事やってたら神話生物の研究が出来なくなるだろ。だが俺達は組織だ。命令があれば、従うしかねえだろ?」
鵜飼の垂れた不満に、結人は思わず押し黙った。
「統制だってクソ食らえだ。近衛衆の意見がいくら食い違おうと頭目のジジイに結局全部決められる。頭目だってお前の一族が世襲してるせいで付け入る隙がねえ」
「それは……」
「だから変えたいんだ、組織を。そして、それが出来るのは結人、お前だけだ」
鵜飼は刹那の沈黙とともに俯き、それからまっすぐな瞳で、結人を見た。
「ちょっと照れくさいけどよ、早い話が憧れてるんだ、お前に」
「鵜飼……ッ!お前!何して――」
言葉に詰まる結人を満足気に見た鵜飼は、重力に身を任せるように煮えたぎる炉へ身を投げた。
「ラミアは俺が殺す。そんでこの機兵で百鬼夜行も止める。お前を炉に入れなかったことを隠すには、これしか無いんだ」
炎が激しく噴き上がる。肉体が炉へと溶ける寸前、鵜飼がもう一度、口を開いた。
「行けぇ!結人!」
憂う間もなく、結人は背を向けて駆け出した。
歯を食いしばり走る少年の瞳はまた、炎のように揺れていた。
駆動するゴンドラの天井から、雨粒が鈍い音を奏でていた。
港湾を見下ろすように、二人を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇してゆく。
大観覧車の魔女・ラミアと対峙するように座るえいるは、そわそわと落ち着かない様子だった。向かい合って座るラミアは、こちらを見つめてそっと微笑むばかりで、何も話さない。
「私が怖い?」
ラミアは微笑みながら、ゆっくりと口を開いた。
「あ、えと……怖い、かもしれない」
「そう……」
うつむきがちに目を泳がせたえいるの答えに、ラミアは少し満足げな表情を浮かべた。
上昇してゆくゴンドラは徐々にその形状を変質させてゆき、気付いた頃には宙に浮かぶ小さな小屋へと変化していた。
アンティークを貴重としたこぢんまりとした空間に据え付けてあったのは、小さなベッドと暖炉を挟むように置かれた小さなダイニングテーブルのみだった。
ゴンドラに乗っていたはずなのにいつの間にかダイニングチェアに腰掛けていたえいるの前に、ことりと一つのティーカップが置かれていた。
「あ、ありがとう……」
どうぞ、ともてなされたティーカップから立ち昇る紅茶の香りが、鼻腔を優しくくすぐった。
「美味しい……!」
その口当たり、味、そして香り高さは、えいるの想像を超えていた。
「そう、良かった」
ラミアはそう言ってまた微笑む。その笑顔を見ると、えいるもまたつられて頬が緩んだ。
物珍しげに部屋を見渡すえいるは、棚の上に何かが置かれているのを目にする。
そこに置かれていたのは数十、いや、それ以上の数量の位牌だった。
「悪趣味だと思う?」
ラミアは静かに問いかける。その質問に、えいるは答えられなかった。
「こうしておけば、忘れることはないわ」
ラミアは無数に置かれた位牌を、そっと撫でる。そこに刻まれていた名は、かつての魔女たちのそれだった。
「ラミアは、どうして忍者から狙われているの……?」
「さあ、どうしてかしら」
思い切ったえいるの問いかけは、ラミアにふわりとかわされた。
「少し待って頂戴、レードルが帰ってきた」
ラミアが指を鳴らすと、玄関に位置する小さな鉄扉をすり抜けるように、浮遊する杖がひとりでに進入してきた。かと思えば明確な攻撃の意思を持ったように超加速し、えいるの喉元へ先端を突きつけた。
「ひ……」
「レードル、私のお客さんよ」
レードルと呼ばれた鋼鉄製の杖はラミアになだめられ、ゆっくりと後ずさる。鋼鉄製の柄の先端に付いた鬼灯のような形状の鉄籠。その中空に浮かぶ赤々と煮えたぎった溶鉄は、依然としてえいるを敵視しているようだった。身の危険が遠のいたえいるは思わずため息を漏らした。
「この子――!れ、レードルさんは、ラミアの、杖?勝手に動いてるんだけど」
話している途中に一瞬睨みつけられるような感覚を得たえいるは、一瞬の怯みを経てラミアに問いかける。
「意思があるのよ。下級の神話生物くらいなら、この子だけでなんとかなるわ」
「神話生物……」
「あなたも知っているでしょう?胎動するだけで、災害となりうるほどの巨大な魔法生命体。彼らが人に危害を加える前に、鎮めてあげないといけないのよ」
「それは、知ってるけど……」
「もうすぐ百鬼夜行が起こる。文字通り、百顔百手の巨人が一晩のうちに国を喰らい尽くす、まさに災厄。正直、私一人の力でどうにかなるか分からないわ」
「そ、そんなに強いんだ……」
だから戦いの支度をしているのよ、と、驚くえいるにラミアは笑いかけた。
「一人で戦うの?そんな危ない神話生物と」
「そうよ。他の魔女はみんな忍者に殺されちゃったもの。今この街にいる魔女は、私とあなた、二人だけ」
「そんなに危ないのに、どうして戦うの……?」
えいるは当然の疑問をラミアに投げかけた。
「決まっているでしょう?私は魔女だもの」
きっぱりと、ラミアは答えた。
「神話生物は魔力の塊。当然、魔力が見えない人には神話生物の姿も見えないの。地震・洪水・隕石・落雷・山火事・磁気嵐・時空の歪み。いわゆる自然災害と呼ばれるものは、魔女が防ぎきれなかった神話生物の力によるものよ」
ラミアは淡々と告げる。それでは今まで魔女も忍者も、同じ神話生物へ対峙していたというのだろうか。学校の屋上で飛鳥と話したときの疑惑が確信に変わった。
「そのことで、ラミアに伝えたいことがあって!」
えいるは思い切って口火を切る。
「おんなじなんだよ!魔女も、忍者も。おんなじ、神話生物と戦っているの」
蛇のようなラミアの瞳孔が、微かに見開かれた。
「それで、忍者はラミアを災厄の元凶だと思って攻撃してるんだと、思う」
先程の勢いとは裏腹に、えいるは尻すぼみに告げた。結人の言葉はあれど、これは自分が立てた憶測に過ぎず、話す途中で自信を失ったからだ。
「そう……仮にそれが本当なら、相当なすれ違いを起こしてしまったようね、私も、彼らも」
ラミアは少しだけ肩を落としたようにも見える。その様子を「主を悲しませた」というふうに解釈した杖がまたえいるに襲いかかろうとしたが、ラミアの片手がそれを制した。
「どうにかして、忍者と話し合うことは出来ないかな」
えいるはラミアにすがるように問いかける。ラミアは考え込むような仕草を見せるが、
「――難しいでしょうね。私に対しての彼らの攻撃は、明確な正義の意志を持ったもののように感じられる。信じるものを変えることは、すごく怖いことなのよ」
「そっか……」
しゅんと俯くえいるに、今度はラミアが手を差し伸べた。
「一つ、方法があるわ」
「……え?」
「私とあなたで百鬼夜行を鎮めて、魔女が忍者の味方であることを主張するの。無論、それでもなお攻撃してくるのなら衝突は避けられないでしょうけど」
「で、でも、その百鬼夜行って、ものすごく強いんでしょ?私、治癒魔法しか使えなくて、全然攻撃とか出来なくて……」
えいるは申し訳無さそうに下を向いた。
「そのことで、私からも提案があるの」
「提案?」
えいるを見つめたラミアは一呼吸置くと、話を再開する。
「えいる、あなたの魔法は強力よ。瞬間的に傷を癒やしたりなんて、名のある魔女でもそうそう出来ないわ。その力を、私に貸してほしいの」
「私の……力」
自分の手を見つめたえいるはもう一度顔を上げる。立ち上がったラミアは、背後の棚に置かれている位牌をもう一度優しく撫でた。
「私の魔力で、あなたの魔法を増幅するの。極限まで増幅された治癒魔法は、魂の器さえあれば肉体の再生まで可能なはず。位牌に閉じ込められた魔女の魂に魔法をかけ、死んだ魔女たちを一斉に復活させる。さながら『死者蘇生の禁術』といったところかしら」
ラミアはえいるに語りかける。それは狂気と切望が入り混じったような、それでいて美しい瞳をしていた。
「死者……蘇生」
えいるはその言葉を反芻する。禁忌に手を伸ばすことを意識付けられた少女の心臓が、バクバクと不気味に加速した。
魔女と戦った後にえいるたちの前に現れていたラミア。彼女は肉体の拠り所となる魔女の魂が完全に消える前に、その器を位牌に封じ込めていたのだ。
「出来るの……?そんなことが」
「ええ、おそらく。魔女たちが復活すれば、百鬼夜行に対して戦闘を優位に進められるはず――ただ、彼女たちの意思までは操れない。忍者に殺された彼女たちが彼らに敵対することも予想がつく。もちろん、忍者側からの疑念が生まれることも間違いないわ」
「そう、だよね」
えいるはそういってまた俯く。少女の脳裏に、一人の少年の顔が浮かび上がった。
「私、守りたい。この街も、大切な人も。忍者と魔女にも、仲良くなってほしい。自分にしか出来ないことがあるんだったら、やらなくちゃ行けないと思う。だから――」
瞳に決意を灯した魔女が、再び顔を上げた。
「私、やってみるよ」
「――そう。なら、身支度もちゃんと整えないとね」
ふっと笑ったラミアに、少し前まで決意の表情だったえいるはきょとんとして、思わず首をかしげた。
真夜中の空に、一陣の風が吹いた。降っていた雨は止み、見上げる空には星々が煌めいた。
依然として時を刻み続ける大観覧車の前に浮かぶ、二人の魔女。
「似合っているわよ、えいる」
「そ、そう、かな?」
ラミアにかけられた言葉にえいるは頬を染め、そわそわと浮足立った。
まさに魔女といった様相のとんがり帽子に漆黒のローブ。ラミアのお下がりだという木製の杖を持たされた時にはじめて聞かされたのだが、魔女たるもの、杖を持っていなければ魔法の発動は容易ではないのだという。確かに、杖を握ると今までよりも鮮明に魔力という存在に知覚が及ぶ。
こんなことならもっと早く教えてもらいたかったとぼやくことも考えたが、その機会はそもそも無かったことに気づいて自己完結した。
「今すぐにでも始めたいところだけど、お客さんが来たみたい」
どうぞ行きなさい、といった口ぶりで、ラミアは余裕そうに振る舞った。
「服部くん……」
「薬師寺、少しだけ、話をさせてくれ」
地上へ降り立ったえいるに、結人は静かに口を開いた。敵意はなく、苛立った様子もない。今まで彼と付き合ってきて、こんなに穏やかなのは初めてだった。
「うん。私も、話がしたい。服部くんと」
呼応するえいるが、先に口を開いた。伝えたのは、魔女の目的と、百鬼夜行の前兆。ここのところ神話生物の胎動が盛んだったのは、百鬼夜行に触発されたものであり、魔女は関係ないということも。
「そんな……仮にそうだとしたら!俺は、何を……!」
結人は定まらない焦点のまま頭を抱える。
「お前が千年ぶりに目覚めた大蛇を鎮めたのか......?俺たちが総力を上げても仕留められなかったあの化け物を……」
「ええ、そうよ。もっとも、私が何を言おうと貴方は信じないでしょうけど」
えいるの側へ降り立ったラミアは、結人との会話に割り行った。
「いや、間違いない。あのとき、俺はお前を見た。大蛇から、魔力を吸い取って……恐れたんだ、俺達は」
「私も、あなた達が神話生物と対峙していたとは思わなかったわ。抑圧を恐れて心を閉ざす、魔女の悪い癖ね……」
「俺たち忍者にとって、魔女は敵だと教えられてきた。現に、厄災のあるところに魔女が居た。それが、俺たちと同じ、人々を守るためだったというのか……!」
狼狽する結人を、ラミアはただ静かに見つめていた。
「俺はもう、武器を取る資格は無い。薬師寺、俺はお前を守りたかった。だが実際はお前を不安にするばかりで、同胞を――本牧だって、俺がこの手で殺したんだ……そんな奴が、守るだとか、馬鹿馬鹿しいにも程があるな」
結人の震える手を、えいるの手がそっと包んだ。
「嬉しかったよ、わたしは」
「薬師寺……」
「服部くんが守ってくれたから、今度はわたしが服部くんを守るよ」
えいるは決意に満ちた表情で結人に微笑みかける。ぎゅっと包む手に、力がこもった。
「準備は整ったかしら」
「うん、一緒にやろう、ラミア」
二人の魔女が夜空に昇ってゆく。杖を構えたえいるは、目を閉じ、治癒のイメージを杖に送り込んだ。
ラミアは杖を構え、えいるから伝わった魔力の流れを汲み取る。細く流れる源流に、複数の河川が合流してやがて一つの大河となるように、その流れを速く、強く、太く。
「これは……」
魔女の協奏を見上げる結人は思わず息を呑む。二人の魔女より流れる魔力がオーロラのように何層も重なり、オーロラはやがて天の川のような巨大な奔流へと昇華した。
深夜、誰一人観客を乗せることなく駆動する大観覧車に、無数の図形が浮かび上がった。それは点と点を線で結び、ある部分では弧を描き、ある部分では交差する。大観覧車に描かれた巨大な魔法陣がその魔力を隅々まで充填すると、より激しく輝いた。
この魔法陣こそが、大観覧車の魔女・ラミアの最大の武器のひとつだった。魔女にとって、杖や魔法陣は言うなれば演算装置だ。歴史上、大魔法と呼ばれるものを発動するにあたっては、必ず神殿や聖堂・寺院という大きな施設において実施していた。
それは強大な演算装置として魔法陣の作図が比較的容易だからだ。都市開発が進んだ現代において、巨大な魔法陣を描画出来る空間は限られている。ラミアは地面から見て直立する真円である大観覧車を巨大な魔法陣に見立てることによって強大な魔法の発動や魔力の貯蓄が可能となっていた。
「……っく!」
「頑張って、えいる。もう少し」
「う、うん……!」
想定外の負荷に苦しむえいるに、さすがのラミアも余裕は残っていないような声色で励ましの声をかけた。
それに呼応するように、大観覧車に描かれた魔法陣が眩い輝きを放つ。それは、主からの命令を待ち望むのみと主張していた。
10月31日。その夜には死後の世界と現世の境界が弱まるとされ、現世には死者が迷い込み、現世の人は誤って異界に迷い込むこともあるという。その機を伺い、魔女の魂を一斉に呼び戻すのだ。
死者蘇生の禁術が発動される。大観覧車を包むまばゆい光が、空に向けて解き放たれようとした、その時。
大観覧車の魔法陣に、彼方から飛来した巨大な槍が突き刺さった。
破損した魔法陣は大魔法を発動するに至らず、溜め込まれた魔力は二人の魔女、ラミアとえいるに等しく逆流した。
「ああああああっっっ!!!」
許容量を超える魔力の逆流に、えいるは思わず苦悶の声を上げる。
「薬師寺!この攻撃、まさか――!」
結人が振り返る。突き刺さった槍の発射元を特定するためだ。そのあまりにも異質な形状は、一瞬目を疑うほどだった。
四脚に支えられた二対四本の腕を持つ半人型の機械兵。その大きさは観覧車には及ばないが、ざっと見繕って数十メートルはありそうな威圧感だった。
「えいる!大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃない、かも」
「休んでていいわ。あいつは私が片付ける」
機械兵は迫るラミアを迎撃すべく、四本の腕から砲弾のような火遁を打ち出した。結人が得意とする、溜めて放つ高威力の攻撃だ。それが数秒の間に何発も連射される。ラミアはその攻撃を躱し、マントで防ぎ、接近する。赤熱した砲口が打ち止めであることを主張すると、機械兵は背部のスリットから干からびた木片のようなものを吐き出した。
その正体を目にしたラミアは、明らかに怒りの色を増していた。魔女だ。この機械兵は、魔女の肉体を動力とするものだった。魔女の肉体に宿る魔力を吸い尽くしては「抜け殻」を投棄して新たな「燃料」をくべる。
ラミアの周囲に、自動車大の鉄塊が複数出現した。それは意思を持ったかのように加速し、機械兵へと迫る。
機械兵は回避運動を取りつつも頭部のアンテナから撃ち出した誘雷兵器で鉄塊の
軌道を逸らすが、回避しきれなかった一つの鉄塊が機械兵の腕を一つ、破壊した。
直後、千切れ飛んだはずの腕が、再生した。背部のスリットから、魔女の残骸が今度は二つ、排出された。
「なんてことを……」
失望したように、ラミアは結人を睨みつけた。彼自身も、このような兵器のために自分が魔女狩りをしていたとは思っていなかった。しかし弁明の余地もない歯がゆさが、結人をただ俯かせた。
機械兵の攻撃は止まらない。頭部アンテナより放たれた雷撃が、浮遊する避雷針の防御網をかいくぐってラミアを射抜いた。魔力の絶対量低下と精神的なダメージが、ラミアの処理能力を遅らせた。
墜落したラミアに向けて這うように迫る氷の触手を、灼熱の溶鉄が断ち切った。
辛うじて防いだとはいえ、肩で荒い呼吸をするラミアの状態は、決して良いと言えるものではなかった。
何人もの魔女の肉体を動力源とすることで比類なき魔力を蓄え、神話生物にも引けを取らない力を得た忍者の秘匿兵器。その火力は、大観覧車の魔女・ラミアをも追い詰める威力だった。四本の腕が変形する。その中より現れたのは、サーベルのような形状の巨大な刀だった。
四本の腕で縦横無尽に刀を振り回す機械兵。ラミアがその攻撃を避け、防御するたびに、機械兵の背部から干からびた魔女の肉体が棄てられてゆく。ラミアめがけて、二刀が同時に振り下ろされた。それをラミアは避けることが出来なかった。
衝撃音。ラミアにその刀は到達しなかった。えいるが展開した障壁が、ラミアへの攻撃を防いでいた。
「ラミア!」
「ええ!」
虚空より召喚された無数の鉄線が、機械兵の全身にまとわりついた。その鉄線は振りほどこうと藻掻けば藻掻くほど複雑に絡みつき、ついには機械兵の動きを止めるまでに至った。
「やった!」
「まだよ、とどめを刺す」
ラミアは空中より、巨大な鉄塊を召喚した。それは無骨な鉄球から地中不覚に打ち込まれる杭のような形状へと錬成され、機械兵の胸部に深く突き刺さった。
やがて沈黙した機械兵を確認すると、ラミアはほっと胸をなでおろした。
「ラミア!治療するね」
「ありがとう、えいる。あなたが居なければ倒すことが出来なかった」
えいるの治癒を受けるラミアは、ようやく頬を緩めた。
異変が起きたのは、その直後だった。
「まだだ!」
結人が叫ぶ。全身を燃やすようにして鉄線の拘束を溶かした機械兵は、びりびりとした魔力の波動を放つと、それを収束させてえいるめがけて撃ち出したのだ。
この機械兵はおそらく、ラミア単体との戦闘では勝利できる可能性があると計算したのだろう。そこで彼女に治癒をもたらす魔女・えいるを先に攻撃しようというロジックに至った。
「えいる!危ない!」
ラミアがマントを翻した。射出された魔力の波動はラミアに流入し、ラミアは思わず苦悶の声を上げた。
機械兵の腕が伸びる。硬い金属のように見えたそれは伸縮性のあるチューブのような形状で、ラミアを拘束するに至った。
独特の駆動音が響く。機械兵は、ラミアから魔力を吸い取っていた。
「ラミア!」
「えいる、ダメ!」
ラミアに治癒魔法をかけようとしたえいるは、彼女の言葉に強く制止された。
「治癒であなたとの魔力回路を開けば私を通じてあなたの魔力も吸われてしまうわ」
「そんな……」
えいるは立ち尽くす。
「レードル!えいるを守りなさい!」
ラミアが杖に命じると、ひとりでに動いた杖がえいるを守るように前方に浮かんだ。
機械兵がえいるを叩き潰そうと拳を振り下ろした。
レードルがそれを防御するより先に、えいるは障壁を繰り出した。
「私は大丈夫!ラミアを助けて!」
命令というより、お願いをラミアの杖――レードルに伝えるえいる。呼応するように機械兵へ突進するレードルは、虚空より召喚した鉄柱で、ラミアを拘束するチューブ状の腕を断ち切った。
「きゃっ――!」
拘束された腕ごと地面に叩きつけられたラミアは思わず声を上げた。しかしそれを待たずして、機械兵の拳が振り下ろされる。そこは、えいるの障壁が届く距離ではなかった。
激しい金属音が鳴り響いた。
ラミアを潰そうとする拳は、振り下ろされなかった、否、受け止められていた。
ひとりでに動いた、レードルによって。
みしみしと、鋼鉄の杖が悲鳴を上げる。えいるの障壁が間に合った頃には、強烈な金属音とともにレードルは粉砕されていた。
「レードル……!」
ラミアが力なく呟く。最後まで主を守るために戦い、そして自らの意思で破壊された。鬼灯のような鉄籠の中で元気に煮えたぎっていた溶鉄の球体が、白熱したままどろりと溶け出しはじめていた。
「ラミア!レードル……」
えいるも思わず叫ぶ。己の不甲斐なさを、改めて痛感した。
機械兵の攻撃は止まない。残された二つの腕がから変形した刀が、えいるを切り裂こうと振りかぶられていた。
カタカタと、金属音が響く。溶け出したレードルの核となっていた溶鉄が、少しずつ、えいるのほうへにじり寄っていた。
「レードル……?」
ほんの僅かだ。ほんの僅かだが、レードルはえいるの方へ向かっている。薬師寺えいるに、迷う時間も余裕も無かった。
手を伸ばす。近くにあるだけで火傷しそうだ。それでもえいるは、煮えたぎる溶鉄に手を伸ばした。
機械兵の二刀が振り下ろされる。その攻撃は、激しい金属音とともに防がれていた。そこに立っていた魔女が持つ、一振りの剣によって。
薬師寺えいるの両手には、その身の丈ほどの大剣が握られていた。レードルの核となる部分には、膨大な魔力が貯蔵されている。それも神話生物から吸い取った、純粋かつ強大な魔力が。身にまとうは魔力と演算効果を高める魔銀のローブ、頭上に戴くは戦乙女のティアラだ。薬師寺えいるから放たれた轟く魔力の波動が、機械兵をひるませた。
薬師寺えいるは知覚していた。己の内より湧きたち溢れ出る、無尽蔵とも言うべき神聖な魔力を。
機械兵が大きな腕を振り下ろす。瞬間、薬師寺えいるは凄まじい速度で跳躍し、攻撃を回避していた。
大ぶりで動きの遅い機械兵の挙動など、取るに足りない。大剣から繰り出される神速の連撃が、機械兵の四肢を、そして魔女の肉体で煮られた動力炉の回路を切断した。
苦悶の咆哮を上げる機械兵は、何度か再起動を試みようとあがいたが、ついに白煙を噴き出して沈黙した。
「倒した、の……?」
傷だらけのラミアは、力なく言葉を発する。その声に振り返ったえいるは、ラミアの無事に安堵し、そっと微笑んだ。
「ラミア、良かった……!でもどうしよう、なんか変身しちゃったんだけど……ごめんなさい!レードルに勝手な指示出しちゃって、それで、壊しちゃった……」
「大丈夫よ。ねえ、レードル」
えいるが握った剣にはめ込まれていた溶鉄の装飾が、ころりと笑った気がした。えいるもそれにつられて、思わず笑う。蓄えられた神話生物たちの魔力が、医神の記憶を呼び覚ましたのであろうか。まさに奇跡とでも呼ぶべき必然を、薬師寺えいるは偶然に纏っていた。
すべてが終わったかと思ったが、海より迫りくるそれを見て、もうひと仕事が残っていることに気がついた。
百鬼夜行。機械兵よりも遥かに強大な魔力をはなつその異形は、不気味な咆哮を上げていた。
「えいる、力を貸して。疲れたから、一撃で仕留めるわ」
「うん、わかったよ、ラミア」
ラミアに、えいるは快く答えた。
「薬師寺」
結人が呼びかける。
「俺にも手伝わせてくれ。魔女に比べちゃ大したことは出来ないが、奴の足止めで時間稼ぎくらいは出来るはずだ」
「わかった。……でも、絶対無茶しないでよね、言いたいこと、いっぱいあるんだから!」
「……ああ、善処する。それに――」
えいるの声に、結人はいつも通りふわっとした答えで返すと、
「俺も、言いたいことがある」
そう言い残し、海岸へ跳躍していった。
「ラミア、準備は良い?」
「ええ、いつでも」
えいるの握る大剣に、ラミアも手を添えた。
剣はたちまち杖へと姿を変え、黄金の杖に権威の翼が羽ばたく。二人の魔女を象徴するかのように螺旋を描いて這い上がる二匹の蛇が、互いを見つめ合うように相対した。
黄金杖を構えた二人は、再び大観覧車へ魔力を送り込む。二人の魔力が、大観覧車の魔法陣を輝かせた。
「――ダメ!」
「へ?」
「足りないの……魔力が」
「う、うそでしょ!?かなり本気出してるんだけど……」
「それでも、あいつを一撃で仕留めるには魔力の絶対量が不足している。何か――」
ラミアは思わず歯を食いしばる。その表情は、自責と焦燥を表していた。
百顔百手の巨人は不気味な方向とともに、大きく開いたそれぞれの口腔に魔力を集積させていた。一斉に撃ち出されたそれは濃密な魔力の奔流となり、二人の魔女めがけて放たれた。
「まずい――!」
ラミアが叫ぶ。
「させるか!」
結人が吼える。両の手を複雑に組み合わせ、術式を構築する。九字印。それもこんなに複雑に重ねるのは、赤煉瓦の魔女の魔女との戦い以来だった。
「親父、俺は次世代の忍者になる。そして、魔女と手を取り合える世界を作る。だから今、大切な人を守りたい。――力を貸してください!」
結人は深く息を吸い、眼前に迫る魔力の渦を見据え、口を開いた。
『奥義――氷瀑!!』
結人を中心にせり出した巨大な氷塊。膨大な魔力を受け止め、徐々にその表面を溶かしながらも攻撃を防いでいる。
「服部くん!」
えいるが叫ぶ。結人が作ってくれた隙だ。感覚を研ぎ澄まし、周囲の魔力を知覚する。
刹那、ふわりとした魔力がえいるにまとわりついた。
「これは……」
破壊した機械兵の動力炉に残っていた魔力。その魔力が意思を持って、えいるのもとへ集まった。
ラミアの方にも、魔力が集まる。パキンパキンと、位牌が割れる音が響いた。
「位牌が――!……そう。そういうことなのね」
ラミアが復活を目論んでいた魔女たちの魂が、魔力となって大観覧車の魔法陣に集まった。
過去を振り向かず、未来へ。死んだ魔女たちが、ラミアへそう告げているように感じられた。
怪物の足元で、爆発が起こる。異形の巨体が、バランスを崩して転倒した。
「服部くん!」
えいるが呼び掛ける。流血し、満身創痍となりながら吹き飛ばされた結人は、力を振り絞って声を張り上げた。
「今だ、薬師寺……!えいる!」
その声は、確かにえいるへ届いていた。
「ラミア!」
「ええ!」
大観覧車の魔法陣より召喚された。もう一つの大観覧車。その形状は専ら旅客は扱っていない様相で、その構成物すべてが刃となっている、恐ろしい形状だった。
『特大魔法・鏖殺の大観覧車!』
重厚な低周波とともにゆっくりと回転をはじめた刃物の観覧車は、やがて目で追えなくなるほど高速に回転を始めると、沖合で咆哮する百顔百手の巨人へと転がってゆく。持ちうるすべての腕でそれを防御しようとする怪物の体を少しづつ削り取り、悶え苦しむ巨体を粉々に切り刻みながら血飛沫に帰していた。
巨体を失い、拠り所が亡くなった膨大な魔力は、ついにその内圧に耐えきれず轟音とともに爆散した。
「すっごい……」
えいるは感心したように声を漏らす。その隣で杖を握るラミアは流石に堪えたのかぐったりとしていた。
「ラミア……?」
「ふふ、大丈夫よ。心配性なのね」
ぐったりとしながらもからかってくるラミアに、えいるは安堵する。
「えいる、また今度、話をしましょう。私はレードルを直しに行かないと。それから、あなたは行くところがあるでしょう?」
「うん。またね、ラミア」
破損した大観覧車の中に、ラミアは溶けるように消えてゆく。
「服部、くん」
かろうじて受け身を取っていた結人は、満身創痍となりながらも、かろうじて荒く微かな呼吸を行っていた。
結人の手を、えいるが握る。えいるから流れる魔力の波動が、結人の傷を癒やしてゆく。しかし、百鬼夜行を鎮めるために力を使い果たし、消耗したえいるの魔力では、たちまち傷を癒やすというわけにもいかなかった。
「名前、呼んでくれた」
えいるは、頬を染めながら呟いた。
「……ああ。」
少しだけ、結人は沈黙する。それから、また少しして口を開く。
「えいる。今はただ、名前を……俺の名前を、呼んでくれないか」
握る少年の手に、少しだけ力がこもる。えいるは、その体温を感じて少しだけ、頬を緩めた。
「うん。……結人」
海から朝日が昇っている。暖かい陽光と朝凪の中、世界を救った魔女と忍者はしばしそれらを独占すると、人々が知る由もなく、その行方をくらましていた。