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4 赤煉瓦の魔女


『今着いた。エントランスの所にいる』

『分かった。今から降りるね』

『了解』

 何気ないメッセージのやり取りが、寸刻の間に交わされた。

 中層階でエレベーターを乗り継ぎ、エントランスフロアへ降りると、そこには先日の学生服姿と違い私服に身を包んだ結人の姿があった。

「お、おまたせ……!」

 シンプルながらにまとまりを見せるモノトーンコーデで結人に呼びかけたえいるは、あることに気づく。

 完全なる偶然。結人とモノトーンコーデが被ってしまったのである。

 細身のスタイルを強調するように上下をダークグレーで統一した結人は抜け感のある七分丈のパンツと白のラインがワンポイントであしらわれたトレーナー、足元の真っ白なハイカットスニーカーがスポーティな印象を与えていた。

 スポーティにまとまった結人とは対照的に、薬師寺えいるはモノトーンながら華やかさを与えるフリルのワンピースにレザーブーツを合わせ、少し大人びながらも可愛らしい印象に仕上げている。

 シミラールックとも言える二人が並んで歩けば、周囲の視線は明らかに「それ」だった。無論、休日にこの港湾スポットを若い男女が並んで歩くことなど珍しいことではない。涼しい顔をして隣を歩く結人を見上げると、彼は「どうかしたか?」と言わんばかりにえいるの方を見つめ返すのみだった。

 この間はあんなに顔を赤くしていたのに、どうして今日は平然としているのだろうか。それに、この間は私服姿を見て照れ照れだったのに、今日に限ってそんな様子もなし。普段よりも明らかに鼓動が加速しているのを実感しているえいるは、怒りではないが怒りのような、むっとした感情を結人に対して抱いた。

 人混みの中、運河にかかる橋を渡る。空を覆うほどに大きく感じる頭上の観覧車に在りし日の魔女の姿はなく、悠然と佇んでは自身の仕事を遂行して観客を楽しませていた。

「ねえ、本当に、ラミアって魔女はここにいるの?」

「ああ。俺達も結界の入口を突き止めきれていないが、この場所を根城にしていることは確かだ」

「でも戦うんだよね?会えないんだったら、戦えないんじゃ……」

「そうだ。今のままではラミアと戦えない。だからおびき出す」

「おびき出すって、一体どうやって?」

「やつの習性を利用する。他の魔女を狩るんだ」

 結人はきっぱりと言いきった。

「それって……!」

 結人に追従していたえいるの足取りが止まる。

「どうした?」

「やっぱり服部くん、それが目的だったんだ」

「待て、何の話をしている」

 ぷるぷると震えるえいるに、結人は不思議そうに聞き返した。

「何って!私のことでしょ!」

「おい待て――!」

 叫んだえいるは、呼び止める結人を置き去りに走り去った。

「待てよ、薬師寺!」

 えいるに幾度と呼びかけた結人は、ようやく彼女の足を止めるに至った。

「なんで……」

「なんでついてくるの!」

 背を向けたまま、えいるが叫ぶ。

「説明がしたい。まず話を聞いてくれ」

「私を使ってラミアをおびき出すんでしょ!守ってくれるって言ったのに!こんなのあんまりだよ!」

 振り向いたえいるは、目尻に浮かべた涙をぽろぽろとこぼしながら結人に吐き捨てた。

「だから話を聞け!」

 強く言い放った結人に怯んだえいるは思わず息を詰まらせ、それでいてこぼす涙は止まらなかった。

 えいるの前に屈んだ結人は、ぷるぷると震わせる彼女の両手を包むように自身の手を重ねた。

「良いか?ラミアをおびき出すために狩る魔女は、お前じゃない」

「へ……?」

 想定外の答えに、えいるは思わず間の抜けた声を上げた。

「今から狩るのは『赤煉瓦の魔女』。この街で、ラミアに次ぐ脅威だ」

 結人が指さしたのは、少し先にある煉瓦造りの商業施設だった。

 彼が言うには、魔女はラミアとえいる以外にも存在し、世界を脅かしているのだという。

「なんだ……」

 えいるは拍子抜けしたようにへなへなと腰を抜かす。しかし、けろりと機嫌を直すわけにはいかなかった。

 先走った自分の勘違いが元とはいえ、その間接的原因たる結人にも少なからずの責任を負わせたいというのが本音だった。

「な、なあ、薬師寺……」

 むすーっ、という効果音が浮かび上がってきそうなほどに頬を膨らませたえいるは、結人からの気に掛ける言葉を受け、ここぞとばかりに自身の欲望を訴えた。

「ん~っ!」

 湯気が立ちのぼるチュロスを頬張ったえいるは、先程までの不機嫌を忘れ去ったかのように恍惚の表情を浮かべていた。もちろん結人のおごりだ。

 男子諸君は覚えておくと良い。女子の不機嫌を溶かすのは糖と脂質なのだと。

「それで、その魔女の結界?の入口は分かってるんだよね」

「それについてだが、おそらくその必要は無い」

「……どういうこと?」

「『赤煉瓦の魔女』は縄張り意識が非常に強くてな。『他の魔女』が縄張りにやってきたと分かれば、向こうから姿を表すだろう」

 えいるの問いかけに、結人は至って普通に返答する。しかし彼がその失言に気づくのはその言葉を口にした直後だった。

「やっぱり利用するんだ、私を」

 隣を歩く少女の、せっかく回復した機嫌が今一度曇り始める。

 ばりばりむしゃむしゃと、包み紙ごと飲み込む勢いでチュロスを食らう音が響く。

「おかわり!」

 トッピングの黒糖を口元につけたまま、少女はもう一度主張した。


「ぷはーっ!」

 甘い香りが漂う泡をひげのように鼻下にたくわえながら、薬師寺えいるはジョッキを模したプラスチック製カップに入った飲料を飲み干した。

 オクトーバーフェスト。九月の末から十月の半ばにかけて、この商業施設周辺で開催される異国の祭りだ。煉瓦造りの倉庫を改修して作られたこの商業施設は地元住民だけでなく各地から観光客が訪れるほど人気で、二棟の建物の間に位置する広場には数多くの屋台が所狭しと並べられ、行き交う人々はビールやソーセージなどを楽しんでいた。

 酒類の提供が主であることから未成年は楽しめないのではないかと思う人も多いが、そうではない。学生向けのSNS映えする新感覚スイーツや学割サービスで購入できる屋台料理などもいくつか存在しており、異国情緒溢れる音楽が鳴り響いているその空間に居るだけで、ふわりとした感覚に包まれる。

 極めつけはえいるも好きな海外小説原作の人気映画シリーズとコラボした『魔法学校フェア』だ。作中にも登場し人気も高い、ビールを模した温かいバタースコッチ飲料から漂う甘く芳醇な香りは、人々を引き付けていた。

 無論、えいるもその一人であり、これまた結人のおごりである。少し肌寒さを感じさせる海沿いの風が身体を冷やすが、温かい飲料と摂取された糖分が身体をぽかぽかと温めていた。

「現れないね、魔女」

「ああ」

 結人の目論見は外れていた。しばらく時間を潰したが、夜になっても目当ての魔女は現れない。野外で酒類を提供するという特性上、夜遅くまでの開催は出来ないとされたオクトーバーフェストは今日が最終日だったということもあり、日中に屋台や人で埋め尽くされていた広場はすっかり復元され、多量の廃棄物を飲み込んだ数台の収集車が走り去ると辺りに残る人影は二人を残して居なくなった。

「……来た!」

 結人が囁く。結人が指し示した上空を見上げると、月光に照らされるように一つの影が落ちてくる。

 その身を丸めながら高速で落下してきた影は音もなく広場に着地すると、その姿を顕にした。

 炎のように逆立つ紅蓮の短髪、目尻に描かれた燃えるようなアイラインが紫紺の瞳の禍々しさを強調し、身にまとった金色の旗袍(チーパオ)は彼女が背に構えるスコップのような形の杖で今にも連撃を繰り出してきそうな、武に長けているような印象すら与えてくる。

「よう、余所者。ここがツェン様の縄張りだと知って入り込んできて来たって言うのかい」

 ツェンと名乗った「赤煉瓦の魔女」は、荒々しい口調でえいるに問いかけた。

「用があるのは俺だ、魔女。お前は俺が、俺達が倒す」

「チッ、忍者の仕業かよ。雑魚魔女が、忍者に手懐けられやがって。まあいい、あたしも暴れたりなくてウズウズしてんだ。忍者を叩き潰した後に、魔女っ子は彼方にぶっ飛ばしてやるさ」

 ツェンは結人を視界に捉えると爆発的に加速し、スコップのような杖で槍のように薙ぎ払った。

「――ッ!」

 結人が飛び退く。

 少年の鼻先を、斬撃がかすめた。

 このツェンという魔女、どうやら初見の予想に違わず武の心得がある。

 それも達人の域といってよく、今この瞬間も繰り出され続ける斬撃と刺突は、少なくとも数十年以上の歳月をかけて磨き上げられた隙のない打ち込みだった。

「どうしたどうしたどうした!お得意の忍術を使ってごらんよ、ねえ!」

 魔女の連撃は止まらない。流れるように繰り出され続ける攻撃を結人は躱し、クナイで受け、反撃を試みるも次の瞬間にはまた防御を迫られる。

 結人は得意とする火遁や誘雷などの忍術を繰り出していない、否、繰り出せないのだ。

 忍術の発動にはそのトリガーとなる九字印による術式の起動が必要だ。だがこうも絶え間ない連撃を浴びせられ続けてはその手を組む余裕すら生まれないのだ。

 疲れ知らずの魔女の肉体から繰り出され続ける連撃に法則性を見出した結人は、半ば決め撃ちの要領で突きの軌道を逸らした。

 連撃の間に、微かな隙が生まれる。結人はそれを見逃さなかった。

 一瞬の指組み。最短で発動する術式でクナイに魔力を注ぎ込んだ結人は、その切っ先から展開された障壁で刹那に繰り出された一撃を弾き返した。

 魔力の障壁が破壊される。だがそれは想定内だった。

「喰らえ、火遁――」

 少年の手から、炎は発せられなかった。

 瞬間、少年の腹を、槍のように尖ったスコップの先端が貫いていたのだ。ほんの僅かだが、ツェンの追撃が先着した。

 血を吐いた少年は苦悶の声を上げながら、眼前の魔女を睨みつけた。

 にやりと笑ったツェンは、動けなくなった少年を前に杖から手を離す。彼女の魔力で重力に逆らうように浮遊した杖は、結人の血を滴らせながら依然彼を繋ぎ止めていた。

 魔女はその手を複雑に組み合わせる。そして杖に手を触れ、もう一度にやりと、その言葉を口にした。

「誘雷・紫電」

 轟音とともに、少年めがけて稲妻が落ちた。

「がああああっ!」

 寸前まで辛うじて意識を保っていた結人は雷に打たれ、ついに耐えきれず両の手をだらりと垂らした。

「服部くん!」

 えいるは思わず叫ぶ。それを横目で見たツェンは杖を結人から引き抜くと、どさりと倒れる忍者を気にもとめずえいるの方へ歩き出した。

 バクバクと心臓が加速する。間違いない、この魔女は私のことを殺そうとしているのだと、その気迫が伝わってくる。そして彼女から溢れ出る魔力も尋常じゃない。

「そんなにビビるなよ、同じ魔女だろ?あたしも、お前も」

 結人をまるで子供扱いするかのようにあしらったツェンは手遊びの要領で杖を振り回しながら歩いてくる。魔女は口角を吊り上げながらまた口を開いた。

「ああ、それか気になるのか?魔女のあたしが、忍術を使ったことを」

 えいるは無意識に後ずさる。しかしその直後、眼前に迫っていたのはツェンの恐ろしい瞳だった。いくらかはあった距離が、一瞬にして詰められた。呼吸すら忘れたえいるは、背筋を凍らせた。

「あたしに挑んできた忍者は山ほど居たさ。その昔の忍者は強かったよ。だが今の忍者はホネが無え。忍術の発動に精一杯で、武を疎かにしてやがる」

 杖を上段に構えたツェンの姿を最後に、えいるは思わずきゅっと目を瞑る。

「はじめは不可解な術だと思ったがなぁ。理屈が分かっちまえばあとは見様見真似でなんとかなる。忍術ってのはその程度なんだよ」

 えいるが想像していた痛みや苦しみは、彼女に訪れなかった。

「させるかよ」

 少女の耳に、聞き馴染んだ少年の声が響いた。

 えいるは目を開く。そこに映っていたのは、真っ赤に焼け爛れた肌を破けた服の隙間から晒しながら、振り下ろされた杖を肩に食い込ませつつも受け止める結人の姿だった。

 貫通した下腹と杖がめり込む少年の肩から赤々とした鮮血が流れ落ちる。ほんの一瞬、驚いたような表情を見せたツェンはすぐさまにやりと歯を剥いて嗤い、その身を旋回させて鋭い回し蹴りを放った。

 激しい金属音とともに、魔女が繰り出した回し蹴りが防がれた。少年を守護するように現れた、折り紙の甲冑騎士の大盾によって。

 甲冑騎士は魔女の首を断ち切らんと槍斧を振り下ろす。しかしその一撃は、ツェンが薙いだスコップ状の杖に切断された上腕ごと防がれた。

 それを計算済みと言うかのように騎士は残った大盾ごと大振りな体当たりを繰り出す。折り紙とは思えない重量が乗せられた一撃は魔女を大きく吹き飛ばした。

「薬師寺!」

 額からの流血も厭わず叫んだ結人が手を伸ばす。呼応するように伸ばされたえいるの手が、少年の手のひらを掴み取った。

 手と手を伝う、感触。

 えいるから結人へと流れ込んだ魔力が、彼の全身に巡る。赤熱した肉体が、温かな感触とともに再生された。

「傷を……治して――?」

 吹き飛ばされつつも受け身を取って立て直したツェンは、眼前の光景に驚きを隠せないといった様相だった。

「お前……!忍者に与するのかよ!」

 苛立ちに沸いた声が、眼前の魔女から発せられる。力任せに投擲されたように見えた杖は、えいるの

喉元を射抜かんと凄まじい速度で飛翔していた。

 スコップの切っ先が自身に迫る瞬間を、えいるは偶然にも目で捉えていた。無意識中の意識が、その身を防御すべく手を伸ばす。

 瞬間に現れた不可視の障壁が、凄まじい衝撃音とともに投擲された杖を弾き飛ばした。えいるが能動的に放った、治癒ではない初めての魔法だった。

「服部くん!」

「ああ!」

 身を沈め、瞬発的にツェンに迫った結人はえいるの呼びかけに呼応していた。魔女はそれを迎撃するべく地を蹴り込み、めくり上がった地面で即席の壁を作り出した。

結人の進路上に投擲されていたクナイが土壁に突き刺さる。本来は彼を守護する弾幕の役割を担っていたクナイ。結人が九字印を結ぶと、壁に突き刺さったクナイが瞬時に爆裂し、土壁を破壊した。

 不機嫌そうに舌を鳴らしたツェンの寸前に、握り込んだ結人の拳が迫った。

 一瞬焦りを見せたような素振りを見せたツェンの口角が再び吊り上がった。

 突如、地中より現れた石柱が結人の身体を貫いた。刹那、その身体が崩壊する。魔力による結束を失った無数の紙束として。

「誘雷」

 魔女の背後で、少年が口ずさむ。

「しまっ――!」

渦電(かでん)!」

 ツェンの背に突き立てられたクナイから、貫くように渦巻く雷撃が放たれた。

「確かに、お前が忍術を使ったことには驚いた」

 倒れる魔女を見下ろしながら口にすると、結人は両の手で九字印を結び虚空より直刀を召喚した。

「だが、この九字印は手の組み替えのみで動作するものではない。全身を巡る魔力の流れやその出力を綿密にコントロールすることで忍術の発動を可能にしている」

「武を極めようとしたお前が力に溺れ、眼前の敵の実力を見誤った。これは外でもない、お前自身の敗北だ」

 構えられた直刀が、魔女の首めがけて振り下ろされる。

 陥没した地面から無数の瓦礫が飛散したのは、その直後だった。

 あまりにも大雑把な攻撃。後方に飛び退き、構えた直刀で降りかかる瓦礫を切り払うのは結人にとって造作もない。だがそれは同時に、魔女への距離が離れてしまったことを意味する。攻撃を繰り出したツェンの狙いは、まさしくそこにあった。

 立ち上がったツェンが地面に転がっていた杖に向けて手を伸ばす。カタカタと震えながら浮き上がったスコップ状の杖は彼女の手中へと回帰した。

「最悪だ、最悪の気分だ!」

 ぼろぼろになった旗袍の所々から素肌をのぞかせながらも、顔を真赤にして激昂するツェンはそう吐き捨てる。

「うざってえほどの正論、クソガキが説教垂れやがって。ああ、馬の(くそ)ほど腹が立つ」

 魔女が杖を地面に突き立てた。

 瞬間、地響きが辺り一帯を襲った。砕けたツェンの足元から、放射状に地裂が伸びた。

「薬師寺!」

 えいるの足元まで迫る衝撃波。結人は名を呼んだ少女を抱きかかえて飛び退くと、赤煉瓦の屋根へ着地した。

「あたしはもう堕ちるところまで堕ちたんだ。だから、その力に押しつぶされて死ね!」

 びりびりと魔力の増幅が感じられる。ひび割れた大地は杖が突き立てられた箇所を中心として波打ったかとおもえば次々と盛り上がり、やがて建物の高さをゆうに超えるほど巨大な石像へと変化した。

「すごい……あんな力があるなんて」

「ああ。あれだけ危険な存在だ。今ここで討ち倒さなければ、街は壊滅するだろう」

 あまりの光景に圧倒されて拍子抜けした声のえいると対照的に、結人は深刻な表情で指を組んだ。

「火遁・金剛!」

 少年の手より発せられる煌々とした熱線が石像に命中し、爆発を引き起こす。辺りに一陣の爆風が吹き返すと、土煙の中から現れたのは表面に微かな煤を付けるのみで駆動する無傷の石像だった。

「効かない、か……」

 結人は伸ばした手をゆっくりと下ろすと、ぎりと歯を鳴らした。

『ハハハハハッ!忍者のクソガキが!裏切り者の魔女もろとも力の前に沈め!』

 石像よりツェンの高笑いが響く。巨大な石像が振りかぶった身の丈ほどの大槌が、赤煉瓦の建物を一撃のもとに破壊した。

 結人に抱えられ、間一髪でその一撃を躱したえいるはその威力を目の当たりにして唖然とした。

「薬師寺、さっきの防御魔法を使って、疲労感や脱力感は感じたか?」

「ううん、大丈夫、だけど」

「そうか。あの石像の攻撃を、一度だけ防いでほしい」

「うぇええええ?あれを!?出来るかなあ……」

「ああ、おそらく大丈夫だ。あいつの攻撃は強力な分、一撃が大ぶりで次の攻撃までに時間がかかる。その隙を突く」

「わ、わかった。やってみる」

 地面に降り立った結人は単騎、石像に肉薄する。石像の懐に取り付くと、気を引くようにサブマシンガンを連射した。

『効かねえよ、そんな豆鉄砲!』

 ツェンの声とともに、石像がその身を捻った。遠心力に吹き飛ばされた結人は、さらに懐から取り出した球状の物体を投げつける。

 閃光を伴う爆炎が、快音とともに石像の寸前で炸裂した。撒き散らされた白煙が、石像の視界を奪う。

 それをまるで構うことなく、石像は大槌を振り回して纏わりつく白煙を振り払った。

 えいるの寸前に着地した結人は「頼んだ」とばかりに目配せをすると、普段とは比較にならないほど長く、九字印の結びを行っていた。

『そこかァ!』

 石像が大槌を振り下ろす。迫りくる大槌へ、えいるは手を伸ばした。

 耳をつんざく轟音と爆風が、周囲を吹き荒らした。石像の大槌は、えいるの作り出した障壁に防がれていた。

『こいつ……!磚士(センシ)の一撃を受け止めただと!?』

 ツェンは驚きを隠せないと言った声を上げる。直後、巨大な石像(センシ)の足元で断続的な爆発が起こる。結人の仕込んだ術式だ。

 石像が大槌を振りかぶったタイミングでの爆破。攻撃の予備動作は、体のバランスが整っていない不安定な状態だ。結人はその瞬間を狙っていた。

 地響きとともに倒れた石像。しかしそれはすぐさま起き上がろうと、その巨体についた大きな腕で地を殴り返している。

「薬師寺」

 結人は、ゆっくりとえいるに語りかけた。

「また、手を握ってくれ」

「え?」

 結人の全身が、まばゆい炎に包まれた。近づくことも出来ないほど高温になった結人から、えいるは思わず後ずさった。

「火遁・奥義――」

 ゆらゆらと揺れる炎が、赤く、黒く染まってゆく。

獄刀(ごくとう)大焦熱(だいしょうねつ)!」

 罪を断ち切る煉獄の大太刀。使い手の少年すら飲み込む黒くたなびく炎の刃が、巨大な石像を一刀のもとに断ち切った。

 あまりの高温に沸騰した煉瓦は白く溶け出したかと思えば爆発とともに蒸発し、破壊された石像から姿を表した赤煉瓦の魔女。

 炎刀を振りかぶる結人を見上げるツェンはその顎から汗を滴らせた。

「おおおおおおおお!」

 杖を引き抜かれた石像はその形を留められず瓦解する。一撃を防御すべく構えられた杖は、もはや意味をなさなかった。

 すべてを燃やし尽くす炎刀が、魔女の肉体を両断した。

 加速度的に膨張した空気が爆風となって吹き荒れ、びゅうと耳障りな熱風がえいるの背後まで突きぬけた。

「倒した、の……?」

 問いかけるえいるに振り向いた結人は、焼けただれた顔で儚げに微笑んだのを最後に、その目を閉じていた。

「服部くん!」

 どさりと倒れる結人を見て、えいるは衝動的に駆け寄った。

「服部くん!服部くん!」

 結人は目を開かない。痛々しいほどに焼け焦げた全身が、あの炎の威力を物語っていた。

「やだ!やだやだやだ!服部くん!死なないで!」

 おそらく結人が放った火遁の奥義は、自身の肉体にすら強力な代償をもたらす決死の技だ。魔女を打ち倒すために選択した、命懸けの行動だろう。

 あちこちで炎が燃えている。パチリと火の粉が爆ぜる音がなる以外は、無頓着な風がそよそよと吹くばかりだった。

「どうして……」

 力なく投げ出された結人の手を、えいるはそっと握った。熱い。火傷してしまいそうだ。それでも彼の手を離せない。

 えいるの頬から伝った涙がぽろぽろ溢れ、少年の頬に落ちてはじゅっと蒸発した。

 直後、空気が震撼した。否、空気を震わせるほどの強大な魔力だ。

 この感覚を、えいるは知っていた。

 月の中に浮かぶ、一つの影。風にたなびく白銀の髪、真っ黒なとんがり帽子から覗いた禍々しく赤い双眸、鋼鉄製の杖を手にした少女が、二人を静かに見下ろしている。

「ラミア……」

 えいるは無意識にその名を口にした。

「薬師寺、えいる」

 大観覧車の魔女・ラミアは、えいるの前で初めて口を開いた。不思議と禍々しさを感じない、心地よい声に聞こえた。

 空に浮かんでいたラミアはふわりと地に降り立つと、二人の方には目もくれず赤煉瓦の魔女・ツェンの亡骸(なきがら)へと歩み寄った。

 両断された魔女の体を、ラミアは表情を変えずに見下ろした。

 彼女が腰に付けていたカンテラの扉を開くと、魔女の肉体から抜け出した光る粒子はそのカンテラの中に吸い込まれ、微かな明かりを灯す。

「なにを、しているの」

 震える唇で、えいるはその魔女に問いかけた。

(とむら)いよ。これで何人目かしら……」

 半ばに振り返りながら答えたラミアの横顔は、不思議と儚く見えた。

「薬師寺えいる、新たな魔女。どうかしら、私のもとに来て、少し話をしない?」

「話……?」

 魔女の目がわずかに見開かれる。彼女の寸前に迫ったクナイが、虚空より現れた無数の鉄線に絡め取られて停止した。

「薬師寺……!魔女の言葉に耳を傾けるな!」

 意識を回復した結人が、足をふらつかせながらも立ち上がっていた。

「服部くん!良かった、目が覚めて……」

「薬師寺が手を握ってくれたからな。死の淵ギリギリで治癒が間に合った」

 結人は魔女の毒牙から守るように、えいるの前に立ちはだかった。

「観念しろ魔女。これ以上お前の好きにはさせない」

「あら、今の貴方で私に勝てるのかしら。見たところ、立っているだけで精一杯に見えるけど」

 余裕の表情で告げるラミアに、結人は火遁を放つ。力ない軌道を描く炎は彼女に 到達することなくゆらゆらと霧散した。

「服部くん!」

 片膝をついた結人に思わず駆け寄るえいるが振り返ると、ラミアは依然、こちらを見つめていた。

「薬師寺えいる、私はいつでも待っているわ」

 音もなく浮き上がったラミアはそれだけを口にし、虚空の闇へと溶けていった。

「一体どういうこと……」

 空を見上げ呟くえいるは、背後の少年がまた倒れていることに気づき、慌てて駆け寄った。

「薬師寺……」

「服部くん!しっかりして!」

 えいるはまた、結人の手を握る。

「助かる……。少しだけ、良いか?」

「へ?……ッ!」

 がばりと、脱力した結人がえいるを抱きしめたのだ。その体は大きく、重く、そして温かい。

 えいるは自身にのしかかったその重量に耐えきれず、思わず尻餅をついた。

 顔が火照っているのが分かる。風が吹き抜ける中、結人の大きな背中から微かに汗の匂いが香る。だがそれは、えいるにとって嫌な匂いではなかった。

「すまない、薬師寺……」

 耳元で結人が力なく呟く。治癒の効果が発揮されているのか、その声は少しだけ生気を取り戻していた。

 その声に安堵したえいるは、全身の急速な脱力を知覚した。

「あ……れ……?」

 夜空に映った月を最後に、えいるの視界は重く垂れ下がった瞼に意識ごと遮られていた。



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