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婚約破棄の明と暗  作者:
子爵令嬢イリーシャ編
9/13

婚約破棄の余波

サーラベル編では足りなかった国王ざまぁも兼ねた2話目。

そのせいで肝心のイリーシャより別キャラが幅を利かせております。書いててとっても楽しかったですが。

 無事に学園を卒業したイリーシャは、予定通りに側妃付きの侍女となったが、働き出してすぐにとんでもない修羅場に出くわすことになった。


「まああああ、そうですの。わたくしの大切な大切なサーラベルを、よりにもよってあの泥棒猫(シャルティナ)殿下に替えて、アクティへ送るおつもりだなんて……陛下ったら、トチ狂われやがるにもほどがございましてよ。ふふふふふふふ」


 ━━怖い!! 背後に地獄門が見えますリリアベル側妃様!!


 サーラベルの母にして現ツィルト侯爵の妹姫がそれはそれは美しく微笑む姿に、自分たちも憤っていたはずのイリーシャたち若い侍女は、理不尽にも死にそうな恐怖を味わう羽目になった。『この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ』━━その言葉が刻まれた門を揃って幻視してしまうほど。艶やかな銀髪がぶわりと音を立て、炎のごとく舞い踊るようにも見える。

 誰よりも引きつっているのは、リリアベルの目の前にいる国王とその護衛騎士だけれど。


「と、トチ狂うとは何だ、リリアベル。怒る気持ちは理解しているし申し訳ないと思っているが、夫と言えど国王()に向かってその言いぐさは━━」

「でしたら即刻、わたくしを離縁なさいませ。既に尽きていた愛想が、このたびの暴挙で回復不能なラインを大幅に割り込みましたわ」

「はっ!? いやいやいや待て待て待て! お前なら理解しているだろう、リリアベル! これは二年前のアクティとの約束を果たすための、何より重要な役割であってだな!」

「それが何ですの。その重要な役割()()()を、姉の婚約者を誑かすなどという最悪の手段をもって回避しようとした当の第三王女には、何のお咎めもなさらぬおつもりのくせに。何故その皺寄せを、婚約破棄された被害者であるサーラベルが、全面的に受けなくてはならないのです? 寝言はいっそ死んでから仰ってくださいな。陛下はサーラベルやわたくし、ひいてはツィルト侯爵家を一体何だとお思いですの?」


 リリアベルの瞳は、国王の胸を飾る豪奢なルビーのブローチをじっと見ていた。それは他でもない、ツィルト侯爵領内でリリアベルが所有する鉱山から採れた最高品質のルビー。

 ━━ブローチを貫通して心臓を串刺しにされる錯覚に陥った国王は、知らず一歩後退り側妃から離れた。


 ふんっ、と不敬にも鼻を鳴らしたリリアベルは、顔を見るのも不快な夫から目を背け、扇で口元を隠しつつ最後通告をする。


「ともかく、わたくしは断固反対ですわ。無論兄ほかツィルト家全員と、その派閥の皆も含めて。どうあっても強行なさると仰るならば、相応のお覚悟をなさいますよう」

「リリアベル━━」

「お帰りくださいませ。わたくしは今、この上なく不機嫌ですのよ。まあ陛下のことですから、この後はサーラベルを直接説得なさるおつもりなのでしょうけれど……」


 じろり、と。菫色の瞳に宿る絶対零度の冷気が、国王とその護衛騎士を容赦なくその場に釘付けにした。


「仮にサーラベルが承諾したところで、我々ツィルト派閥の姿勢は今後、()()()()()()()は一切軟化することはないと宣言しておきますわね」


 ━━それはつまり、「早急に退位しやがれ」というあまりにも露骨な催促で。

 如何に重度の親馬鹿という病にやられていようとも、そこまで言われて怒らぬ国王ではない。


「リリアベル! お前は、()()()()()()()()で━━!!」

「ええ、わたくしは確かに『たかが側妃』でしてよ。実家のツィルト家も、陛下や王族の皆様の御身を飾る宝石の産地という()()()()()しかない、取るに足りぬ侯爵家ですわねえ。ですので早速、陛下と第三王女殿下の衣装やアクセサリーに関しては、我が家では取り扱いをお断りすることにいたしますわ」


 国内における一流の宝石商は全て、ツィルト家の息がかかっていると言っても過言ではない。そして国王や王女が最高品質の装飾品を身につけられないなどという事態は、わざわざ想像するまでもなく沽券に関わる。

 だがそれはあくまでも国内の宝石商だけの話であり、他国に目を向けるなら抜け道はいくらでもあるはず。そう考えた国王は、「勝手にするがいい」と言い置いて騎士とともに立ち去っていった。


「ええ、勝手にいたしますわよ。ふふふふふふふ」


 サーラベルの私室に向かう国王の背に悪寒を誘うリリアベルの声が突き刺さるが、長女の説得が最優先だからと気にせず歩みを進める。

 何も心配することはない。サーラベルは優秀で聞き分けのいい娘だから、アクティとの関係を悪化させては困るとすぐ理解してくれるはずだ。

 アクセサリーについても、隣国の公爵令嬢たる王妃という身近で強力なコネがある。だから何も問題はないのだ。そう考える国王には、王妃にその望みをすげなくばっさり断られる未来は微塵も見えていなかった。




 その数日後、予想に反してサーラベルはアクティへ嫁ぐことをあっさり受け入れた。曰く、「アトルシャンとシャルティナと、ついでにお父様の顔はしばらく見たくないので丁度いいですわ」とのことだが。


「つまりサーラベル殿下は、いずれお戻りになるおつもりなのかしら」


 首を傾げるイリーシャである。

 確かにアクティのお妃選び(集団お見合い)のルールからすると、妃候補が望みさえすれば帰国させてもらえるそうだけれども━━それを教えられた時に、悲劇のヒロインを気取っていたシャルティナのあまりの滑稽さに呆れたことはさておき。

 サーラベルとイリーシャは同学年で、クラスこそ違えど側妃同士の仲が良好ということもあり、サーラベルはケイラの姪であるイリーシャに入学当初から何かと目をかけてくれていた。当然、贔屓にはならない範囲ではあるが。

 なので正直、彼女が国を出てアクティに行ったままになるのはとてつもなく残念で寂しい━━ホルトとの婚約が駄目になったことなどどうでもよくなる程度には━━が、本人の希望であれサーラベルが短期間で帰国してきた場合、誰かさんがろくでもない言いがかりをつけてくるに違いないのがまた腹が立つ。最近のあれこれが積み重なり、すっかりサーラベル贔屓のシャルティナアンチと化したイリーシャだった。リリアベル付きのみならず後宮の侍女の大半はそうなので、朱に交わって赤くなったとも言えるが、仕事上では態度に出さないのが大前提かつ暗黙の了解である。


 何にしても、サーラベルが帰国しようとしまいと、イリーシャにとってはどちらも気がかりがあって悩ましい。

 直接仕える立場でもないのに━━と自嘲していたところに、急転直下の事態が生じた。


「━━え? わ、私がサーラベル殿下付きとしてアクティに……!?」

「ええ。勿論、イリーシャさんさえよろしければ、なのだけれど。わたくしとしては是非お願いしたくて」


 リリアベル経由でイリーシャを呼び出したサーラベルは、驚かせたことを詫びるように言う。


「ご存知のように、わたくしは本来グレンダル家に嫁ぐ予定だったわ。でもわたくしの侍女には、まだ新婚だったり幼い子供のいる既婚者がそれなりにいて……王家(こちら)の急な事情変更のせいで、家庭を放って遠いアクティまでついてきてもらうのはいくら何でも申し訳ないでしょう。短期間ならまだしも、それで済まない可能性も考えなくてはいけないし……だから、失礼だとは思うのだけれど、そういったしがらみが少なくて有能で、顔馴染みでもあるイリーシャさんのような人が同行してもらえるなら、わたくしはとても嬉しいの。お母様の侍女からの配置転換という形で、如何かしら?」

「こ、光栄でございます……! 謹んで、いえ喜んで承りますわ!」


 嬉しさのあまり、随分と勢い込んだ答えになってしまった。

 流石のサーラベルも驚いたらしく、軽く目を見開いていたが……やがてそれは柔らかくほころび、優しい声でこう告げられる。


「そう。ありがとう。━━では、これからよろしくお願いするわね。イリーシャ」

「はい……!」


 これまでの人生で感じたことがないほどの満足感を覚え、イリーシャは心の底から多方面に感謝した。特に元婚約者へは念入りに。


(ありがとう、ホルト! あなたが婚約破棄してくれたおかげよ!!)




「ぶえっくしっ!」


 ホルトは盛大なくしゃみをして、周囲の同僚に軽く引かれていた。


「……何だ? 誰か俺の噂でもしてるのか?」

「そりゃあしてるんじゃねーか? 良くも悪くも。『アクティに嫁がれる第三王女殿下をお守りするため、騎士として同行する!』とか言って婚約破棄までしたくせに、蓋を開ければアクティに嫁ぐのは姉君の第一王女殿下だ。おまけにそうなった原因は、問題の第三王女殿下が姉君の婚約者(グレンダル公爵子息)と相思相愛になったからってんだからなー」


 愛しいシャルティナを貶された気がして、ホルトは言った同僚をじろりと睨むものの、むしろ彼らはホルトを気遣っているらしい。言葉はきつめだが。

 実際、他の連中のように、アクティに行くなどという過去の妄言を笑うこともなく、距離を取ろうともしないあたりは間違いなく優しいだろう。実の両親でさえ、ホルトには随分と冷ややかな態度だというのに。


「ま、女の趣味なんてのは人それぞれだから、あえてどうとは言わんけどよ。俺なら第三王女殿下は観賞用に留めとくぜ? 単純に好みじゃねーのもあるけど、陛下最愛の箱入り娘なんて明らかに取り扱い注意な物件だし、俺ら下っぱが迂闊に近づくもんじゃねーだろ」

「だよなあ。高嶺の花に本気になって長年そばにいてくれた婚約者を振るってのは、正直勇み足でしかなかったろ。イリーシャちゃん、目立たない素朴なタイプだけど可愛かったのに勿体ない。磨けば絶対光るよな、あの子」

「確かカイラ側妃様の姪っ子だっけ? そんで今はリリアベル側妃様の侍女だから、後宮関係の人脈凄いことになってると見た」

「そうそう。ホルトと別れてフリーになったから、地味に狙い目っつーか大穴になってる感じ。場合によっちゃ、伯爵家の嫡男あたりに見初められてもおかしくないレベルではある」

「へ?」


 幼馴染への思わぬ客観的評価に、間の抜けた声を上げるしかないホルトだった。

 ……伯爵夫人? イリーシャが?

 いや、そうと決まったわけじゃないけど。まさか……だって俺の幼馴染で、婚約者だったのに。イリーシャのことは、俺が一番よく知ってるはずで……


「『へ?』じゃねーよ元婚約者。幼馴染にありがちだよなー、近くにいすぎたせいで相手のスペックの正確な評価できてないってやつ」

「あるある。でもそれに気づいたら気づいたで、自分がどうやっても敵わないからって引け目感じて破局ってことにもなり得るから、その辺は何とも言えないんだけどさ」

「実は俺、その引け目感じてってやつ、グレンダル公爵子息にも当てはまるんじゃないかと思ってるんだわ。第一王女殿下は昔から優秀って評判だったけど、公爵子息の方はそうでもなかったと言うか、優秀ではあるけど……みたいな微妙な評価されがちだったし」

「うわ、ありそう……だからって浮気するってのは論外だけどな! それも婚約者の妹に!」

「あれってさあ、『妹と婚約者が許されぬ恋に苦しんでいるのを知った第一王女殿下が、二人を思い身を引いて……』みたいな綺麗な流れにしようとしてるけど、正直無理あるよね」

「むしろ無理しかねえよあんなの」


 話はシャルティナとアトルシャンの酷評へと流れていくが、呆然としているホルトの耳には入らない。


 ━━俺の知ってるイリーシャは、本当のイリーシャじゃなかった?

 確かに婚約破棄後は何となく気まずくて、元婚約者との接触は控えるようになったし、卒業してからは新しい環境に慣れるのに手一杯で、彼女を気にする余裕はホルトにはなかった。

 将来は侍女として働くということは聞いていても、実際に今どこに勤めているかなんて知らなかった。リリアベル側妃の宮どころか、後宮で働いていることすら聞いていない。両親ならば知っているだろうから、息子の耳に入れてくれてもよかったのに……婚約者ではなくなったとしても、幼馴染なのは変わらないんだし。


「……そう、だよな。もう婚約破棄(あれ)から三ヶ月以上経ってるし、イリーシャの顔見に行くくらいいいよな。別れたのも円満だったんだし、幼馴染なんだから」


 つぶやくホルトの頭を占めるのは、あれほど恋しく思っていたシャルティナではなくイリーシャのこと。

 シャルティナはもう、グレンダル公爵家嫡男と恋仲になったことが知れ渡っている。つまり彼女はいずれ公爵夫人となるのだろう。学園で涙を見せていた原因は既に排除された。異国に嫁ぐ寄る辺ない身ではなくなったのだ。

 一方のイリーシャには、新しく婚約したという話はまだない。それならば……


(改めてイリーシャと婚約すれば、また全部が元に戻るだろ)


 色々と上手くいかなくなったのは婚約を破棄してからなのだから、よりを戻しさえすれば両親を始めとした家族の機嫌も直せるはずだ。婚約破棄をあれほど簡単に受け入れてくれたイリーシャなら、再婚約の申し込みも快く受け入れてくれるに違いない。

 そんなどこまでも都合のいい未来を思い描きながら、ホルトは鍛練に戻ることにした。彼自身が掘った墓穴を元婚約者(イリーシャ)が喜んで埋め戻してくれるのだと、疑うことなく信じる姿がどれほど愚かなのか、自覚することは欠片もないままに。




サブタイトルを「災い転じて福と成す」にしようかとも思いましたが、リリアベルお母様無双でそれどころではなくなり断念。

王太子いわく「父上が阿呆なせいで何もしてないのに味方が増えた」とのことです。もともと彼はエリックたちとは仲良しですがね。

サーラベルも本気でキレたらこんな風になるんだろうなとも思いつつ、彼女は沸点がとにかく高いのでよっぽどでない限りここまでにはならないはず。アリフもそこまで酷いことをするほどお馬鹿じゃないですし。


そして地味にホルト<<<サーラベルになったイリーシャです。他の女に惚れて婚約破棄してきた男よりも、ちゃんと尊重してくれる上司の方が大事になるのはまあ当然ではあるかと。

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うわぁ…ホルト君ひょっとして恥という概念をお母様の子宮の中かなにかに忘れて生まれていらっしゃったの?
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