破られた約束
被害者その2、アレント子爵令嬢イリーシャ編。
イサーク第三王子コーデリアスの従姉です。
『おれ、イリーシャのために騎士になる! そしてものすごく強くなって、イリーシャのこと守ってやるから!』
幼かった彼は、つぶらな瞳をキラキラ輝かせてそう言ってくれた。
なお、その十年後━━
「すまない、イリーシャ! 俺はシャルティナ殿下に生涯の忠誠を捧げることに決めたんだ。殿下がアクティに嫁がれる際には、騎士として同行させていただくつもりでいる。……だから本当にすまないが、どうか婚約を破棄させてほしい! 勿論、俺の有責ということで、どうか!」
外はしんしんと雪が降り積もり、酷く静かなひとときであると言うのに。
イリーシャの実家アレント子爵家の応接間には、よく言えば酷く熱意のこもった、悪く言えば浸りすぎて痛々しい声が響いていた。
目の前で、東方における最上級の謝罪とされる土下座を今にもしそうな勢いの婚約者に、イリーシャはただ面食らいつつもこう言うしかない。
「……言いたいことは理解したわ、ホルト。あなたの決意はとても固いようだし、両親と兄には私から話しておくから、そちらのご両親へはあなたから説明しておいてほしいのだけど」
ウィロー子爵家次男のホルトは家を継ぐ立場ではなく、数ヶ月後に控えた学園の卒業式後には晴れて騎士になる予定であり、イリーシャも嫡男の兄がいるので、家の後継がどうのと言われる婚約ではもともとない。
なので本人同士が納得し、今後の両家の関係が拗れないように話を持っていきさえすれば、婚約破棄自体は難しいことではないとイリーシャは理解していた。あくまでも拗れて困るのは「家同士の関係」であって、個人同士の関係はノーコメントの一言に尽きるけれども。
彼女にとってのホルトは婚約者である前に幼馴染で、同い年の弟くらいにしか思っていないため特にショックはない。ない、はずだ。うん。
……何だか少し、本当にほんの少しだけ、胸の奥がずきりと痛みを訴えてくるけれど。ホルトが第三王女シャルティナに夢中になっているのは知っていても、あれだけの美少女ならば仕方がないと割りきれていたはずなのだから、痛みなんて気のせいだ。そうに決まっている。
「それはともかく……ホルトには別方向の不安があるのよね」
馬車に乗り込むホルトの姿を何となく窓から見送りながら、イリーシャはそう独りごちる。
別に第三王女に忠誠を捧げたいと思うことは好きにすればいいが、騎士が仕えるのはあくまでも国王であり王国であって、王女一人だけに剣を捧げるべきものではない。
いくら猪突猛進の傾向にあるホルトでも、それくらいは分かっていると思うのだが……思いたいのだが。
「普通、なりたての新人騎士が他国に嫁ぐ王女殿下についていくなんてできないでしょうに」
そもそも配属先は上が決めるものであって、騎士本人が希望できるわけではない。仮に希望を出せたとしても、王女の護衛騎士を新人から選ぶなんてことは有り得ないだろう。国王最愛の王女シャルティナが強く望めば話は別かもしれないけれど……彼女がそこまでホルトを気に入っているとは正直思えなかった。
確かにホルトの見た目はよろしい。ダークブラウンの短髪に碧眼が輝く精悍かつ整った顔立ちで、十八歳という年齢にしては少しやんちゃな風情があまり貴族らしくはないものの、そういうところがたまらないと評価する女生徒や年上女性は一定数いるのだ。
ただ、それに第三王女が該当するかというと━━
「ないない。シャルティナ姉様がホルト・ウィローをそれなりに気に入っているのは事実だとしても、嫁ぎ先にまで連れていくほどかは極めて怪しいと思うよ」
一週間後の王宮。
無事に婚約破棄が決まったので、卒業後の就職先のこともあり叔母カイラ━━父の妹である側妃兼女官のもとを訪ねたイリーシャは、その息子である第三王子コーデリアスにお茶に誘われホルトの件を打ち明けていた。婚約を破棄したとしてもホルトが幼馴染なのは変わらないので、従弟に確認できることはしてみる程度の情はある。
それにしても、思った以上にあっさりと否定されてしまったけれど。
「それ以前に、シャルティナ姉様がおとなしくアクティに嫁ぐつもりでいるかは、正直とても怪しいと思っているんだよね。何せ、アクティの国名を聞くだけで泣き出すくらいに嫌がっているから」
「ええ……」
流石にそれは王女としてどうなのだろう、と不敬ながらも引いてしまうイリーシャだった。
アクティ王国と言えば国土の大半を砂漠が占める特異な地域で、もともとそこに多数存在していた大小の部族を、最大勢力を誇っていた現王家がまとめて傘下に置く形で成立した国である。
建国から時を経て、五代目である現国王の時代になっても未だ他国からは「蛮族の国」と称される程度には悪名高いアクティだが、臣下の目から見ても如何なものかと思うほどシャルティナを溺愛するイサーク国王が受け入れた縁談なのだから、実際は噂ほど野蛮なところではないのではとイリーシャは思う。
そう口にすれば、コーデリアスは深々とうなずき同意を示す。
「だよね、そう考えるのが普通だよね? シルヴィ姉様も『本当にアクティが噂のように酷い国なら、お父様は私の婚約を白紙にしてあちらに嫁がせようとしたでしょうね。実際に可能かどうかはともかく』って仰っていたくらいだし」
「…………そんなに陛下は殿下方に信用されていらっしゃらないのですか?」
「うん」
即答で従弟にうなずかれ、イリーシャは頭を抱えたくなった。
「率直に言うと、シャルティナ姉様に惚れ込んだ貴族子息たちが婚約を破棄したのは、君の件を含めるともう八件目になるんだ。姉様から彼らを誘ったわけでも、将来を誓い合うようなことを言ったわけでもなく、子息たちが一方的に姉様に魅了されただけだから責任があるのは彼らだけってことにはなっているけど……そんなにあちこちに影響が出ているのに、愛娘に注意の一つもせず『シャルティナは可愛いから仕方があるまい』で片付けるような人は、国王としても父親としてもあまりにもどうかと思わない?」
「……仰るとおりですね」
まだ十四歳の息子にここまで容赦ない評価をされる国王というのも、何とも言えず情けない。
後継たる王太子が有能かつ冷徹という評判で本当によかったと、心の底から思うイリーシャであった。
「それでも一応、姉様が貴族子息を侍らせているのは理由があるらしいけどね。『次の春になればアクティに嫁ぐ身なのだから、その前にお友達とはできるだけたくさんの時間を過ごしたい』ってことで。……そのためにあちらこちらの家の体面を思いきり傷つけるのは、王女としては明らかに失格としか言えないんだけどさ」
非常に不満げなコーデリアスだったが……シャルティナの言い分は、被害のあった家が聞けば渋々ながらも引き下がらざるを得ない程度には理解できるものではあった。その「お友達」が全員男性でさえなければ。
「と、ごめん。愚痴になってしまったね。ともあれ、ウィロー家次男がアクティに行く可能性は極めて低いと思ってくれていいんじゃないかな。彼がうっかり周囲にアクティ行きを明言していたとしたら、実現しなかった場合にはさぞ肩身が狭くなるだろうね。ウィロー子爵夫妻としても、やらかした息子の顔を見ずに済むからこそ婚約破棄を了承した面もあっただろうから……慰謝料を一括で夫妻が払ったということは、息子との手切れ金代わりとでも考えたんだろう」
あの実直な夫妻ならばさもありなんとイリーシャも思う。
とにもかくにも、結果が出るのは三ヶ月ほど先の話だ。それまでにこちらは決めるべきことを決め、なるべく早く今後の生活を確立させたい。気まずいので、できるだけホルトからは遠ざかる形で。
コーデリアスとのお茶を終え自宅に戻ると、イリーシャは自室の机に座り考えを巡らせる。
叔母から推挙状とともに紹介されたいくつかの就職先は、侍女志望の子爵令嬢にはどこも文句などつけようのないところで、候補を絞るだけでも大変悩ましい。勿論いい意味で。
「うーん……」
勤務場所はどうあれ騎士となるだろうホルトに接触しない場所となると、後宮か貴族の屋敷か。勝手を知っているのは前者だとしても、その中のどなたに仕えるかもなかなかの難題である。叔母と従弟は除外としても、お妃様かそのお子様方かでも色々違う。
ちなみにシャルティナは選択肢に入っていない。そもそもイリーシャは彼女に仕えたいなどとは微塵も考えていないことに加え、侍女たちの間では「シャルティナ殿下の宮は後宮唯一のハズレ! お給料が格段にいいけどそれだけ!」と評判であるから。
「…………よし。決めた」
その言葉が紡がれたのは、夕食のために侍女が呼びに来る直前のことだった。
今後を考えると色々痛々しいことになった元婚約者ホルト。シャルティナに思いを受け入れてもらって(not両思い)有頂天になった結果でしょうが、ねえ……
ちなみにコーデリアスに限らず、きょうだいたちは基本的にお互いを愛称で呼び合っています(サーラベル→サーラ、シルヴァーナ→シルヴィ、コーデリアス→コーディ)が、シャルティナのことは全員そのまま呼んでいて「シャル」と呼ぶ者はいません。理由はお察し。
シャルティナがその理由に気づいてないのは、妹ソレイユもそのまま呼ばれている(こちらはもともと名前が短いせい)からです。




