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婚約破棄の明と暗  作者:
第一王女サーラベル編
3/7

グレンダル邸にて

サーラベルの元婚約者、アトルシャンざまぁ編。

 嫡男の婚約が破棄された直後。グレンダル公爵邸内は、真冬よりも冷たい空気で満たされていた。


「それで?」


 たった一言だけだった。

 けれどその短い響きだけで、この上ない失望と怒りと軽蔑、そして哀れみを過不足なく周囲に伝えてくるのは、流石はグレンダル公爵夫人と言うべきかもしれない。……それを向けられた長男は、感心する余裕などどこにもなくただ青ざめるばかりだったが。


「……は、母上。『それで?』とはどういう……?」

「たくさんあってよ。分かりやすく言いましょうか。━━アトルシャン。あなたは嫡男でありながら、グレンダル公爵夫人の仕事をそんなにも軽いものだと考えているの?」

「そんな、軽いだなんて誤解です! 確かにシャルティナ殿下は、とても可憐でか弱くお優しいお方ですので、母上のように的確かつ厳格に家政を取り仕切ることはすぐには難しいでしょうが……ベテランの執事や侍女頭もおりますし、母上のご指導があれば殿下もきっと、立派な公爵夫人となってくださるはずです!」

「ふうん?」


 ティーカップをソーサーに戻した公爵夫人は、器用に片眉を上げた。

 一連のアトルシャンの言葉はつまり、母親のことは可憐でもか弱くも優しくもないと言っているも同然なのだが、それは別にどうでもいい。仮に息子から可憐だのか弱いだのと評価されたところで、母親としては気持ち悪いだけだし、問題はそこではないからだ。


「わたくしが指導をするのはいいとして、たいそうか弱くいらっしゃるシャルティナ殿下が、『的確かつ厳格』なわたくしの指導に付いてこられるものなのかしら? アクティに嫁がれる話が無くなった以上、殿下のご卒業までにはあと二年あるのだから、その間は我が家に住み込んでいただいて、ということも可能ではあるでしょうけれど……失礼ながらシャルティナ殿下の学園での成績は、レポート以外はどうにもはかばかしくないと聞いているわ。その状態で公爵夫人教育まで加わっては、どちらも目も当てられないものになってしまうのではなくて?」


 入学から卒業まで終始トップクラスの成績だったサーラベル殿下とは違って、とまでは口に出されなかったが、アトルシャンはそんなところだけは敏感に察した。


「シャル様、ではなくてシャルティナ殿下とサーラベル殿下を比べるのは酷です! 母方の後見だけでも、国内随一の宝石鉱山を有するツィルト侯爵家の支援を存分に受けられた姉君とは違い、シャルティナ殿下のお母上は既に亡くなられていて、そのご実家もさして裕福でもない男爵家なんですから!」

「あら。その差を補って余りあるほどの支援や愛情を、シャルティナ殿下は国王陛下よりいただける立場におありのはずだけれど? つまりアトルシャン、あなたは愛しのシャルティナ殿下の成績不振は、陛下の不手際のせいだと言いたいのかしら」

「そんなことは……!」

「言っても構わないでしょうに。どうせこの場には、あなたとわたくし以外には侍女しかいないのですもの。本当にそう思っているのなら、の話だけれどね」


 当然ながらそうは思っていない。アトルシャンに自覚はないが、彼はただシャルティナとサーラベルを比べて、前者に明確に同情すべき部分にしか目が行っていないだけの話であり、その理由や背景などを深く考えることはなかった。

 そんな愚息が悔しそうに自分を睨み付けてくるので、公爵夫人が肩をすくめつつ続きを待てば、案の定の話題になった。


「ですが母上! 陛下が本当にシャルティナ殿下を愛していらっしゃるのなら、アクティのような野蛮な国へ嫁がせようなどとなさるはずはないでしょう! しかも唯一の妻ならいざ知らず、()()()()ですよ!?」

「そうね。その『末席の妻』とやらに()()()()()()()()()()。元婚約者をその立場として差し出すことになったあなたが、ちっとも悔やんでも悲しんでもいないことの方が、母親のわたくしとしては衝撃だわ」


 顔色一つ変えずに紅茶を口にする母親の指摘に、またもアトルシャンは絶句した。

 そう言われてしまえば確かに、自分の態度は人の心がないと非難されても文句は言えないとようやく自覚して、さあっと蒼白になる。シャルティナが気に入るのももっともな、絵に描いたような美男であるアトルシャンだが、動揺している今はいつもの美形オーラがすっかり台無しになっていた。

 そんな息子を冷静に見ながら、公爵夫人は彼の評価を更に下降させる。アクティ王国の実情を知った上でなら、サーラベルが嫁ぐことを悲しむ()()()()()()はさほど多くない。だから欠片も元婚約者への悔恨の情を見せない以上は、もしや……とも思っていたのだけれど、やはり期待外れだったようだ。


「まあ、サーラベル殿下のことはこの際置いておくとしても……あなたの望むように、わたくしがシャルティナ殿下を指導した結果、殿下が公爵夫人に相応しくなられたとしましょう。でもその結果、殿下からはあなたの好む可憐さやか弱さが完全に消え去ってしまう可能性もあるのだけれど、あなたはそれでいいのかしら? アトルシャン」

「え」

「え、ではないわ。ただひたすら美しくてか弱い、殿方の助けを待つ()()の女性に、公爵夫人など務まるわけがないでしょう。時にはそれとなく、時にはあからさまに自身や家を貶めたり喧嘩を売ってくる相手には、にこやかに微笑んで余裕たっぷりにやり返したり撃退するのが、男女問わぬ貴族の社交というものよ。無論のこと、場を乱しすぎない匙加減でね」


 あくまでも基本の話なので、別に傷ついたふりや涙を使うこと自体は公爵夫人も否定しない。ただそういった弱さはここぞという時の切り札として見せるものであって、日常的と言えるレベルで何度も使ってしまうと、周囲に慣れられてしまい意味がなくなる。普段は気丈であるからこそ、不意の涙や傷ついたさまが倍以上のインパクトと威力で刺さるというものなのに。

 無論これは公爵夫人の持論でしかないけれど。


「……で、ですがそれは、貴族夫人としての在り方の一つに過ぎませんよね? シャルティナ殿下のような正直で心の綺麗なお方ならば、そういった厳しい振る舞いを無理にせずとも、容易く社交界の全てを魅了おできになるはずです!」


 最初は蒼白だったアトルシャンは、母への反論を紡ぐにつれ自分の想像に確信を持つようになったのか、最後に言い切った時にはすっかり興奮したように頬を紅潮させていた。

 公爵夫人の顔は変わらず冷ややかだったが。


「過大評価にもほどがあるわ。シャルティナ殿下がそんなにも皆に愛されるお方であるなら、何故王立学園の女生徒の間では、殿下のご評判が著しく悪化しているのかしらね? わざわざ言うまでもないけれど、男子生徒がシャルティナ殿下にのぼせ上がり長年の婚約を破談にした例は、この一年で既に二桁に達しているのよ━━無論あなたの件も含めて。これはむしろ魅了どころか、厄災を振り撒いていると言っても過言ではないのではなくて?」

「何てことを仰るのですか、母上! それはただ、シャルティナ殿下があまりにも魅力的すぎるがために、男たちが一方的に魅了されて暴走してしまっただけのことでしょう! 悪いのはあくまでも男たちの方であり、殿下に友人とその婚約者の仲を裂こうなどという意図があったわけでもないのですから、迂闊なご発言は慎んでください!」

「あら、よく分かっているようね。『悪いのはあくまでも殿下に魅了された男たち』、それには当然、()()()()()も含まれているのよね、アトルシャン?」

「うぐ……!」


 さっくりと鮮やかなカウンターを食らったアトルシャンは、何も言えずに口ごもるしかない。自分から有責だと申し出たのは事実だが、それはそれとして他者から改めて指摘されるのはなかなかに堪える。

 ふふふ、と微笑んだ公爵夫人は続ける。


「自覚があるのなら丁度いいわ。このたびの婚約破棄について、()()()()()()()にはあなたが直接説明しに行きなさいな」

「…………はい?」


 何故そこでツィルト侯爵家が出てくるのだろう。皆目見当がつかないアトルシャンは、この上なく間の抜けた声を上げるしかなかった。

 どこまでも凛々しく賢く秀麗なサーラベルのことは、昔からの婚約者なのにどうしても愛せず。ただひたすらに可憐で優しいシャルティナに、どうしようもないほど惹かれてしまったのがアトルシャン自身だ。

 国王の口添えもありサーラベルとは特に揉めることなく婚約を破棄できて、ほっとして。非公式ながら愛しいシャルティナとの婚約を国王より打診され、天にも昇る気持ちで報告のため帰宅したというのに父公爵は不在で、目の前の母は笑顔でいるが目は全く笑っていない。正直言って、怖くて仕方がなかった━━成人した男としては情けないことこの上ないけれども、母を怒らせると何より恐ろしいのは身にしみて分かっているから。

 それでも母には納得してほしくて話をしているのに、どうにも上手くいかない。それどころか、元婚約者の母方の親戚とは言え、()()()()()()()()ツィルト侯爵家にまで自分が出向かなくてはいけないのだろう。

 確かにツィルト家(あの家)とグレンダル家は昔からの長い付き合いがあり、親同士の仲もとても良い。現侯爵の姪でもあるサーラベルの降嫁が成れば、両家の繋がりが更に強固になることは理解できるが……数代に渡る結びつきを今以上に深める明確なメリットがあるようには、少なくともアトルシャンには思えなかった。

 それでなくともツィルト家の子息たちは、飛び抜けた優秀さと美貌を併せ持つところが従姉妹のサーラベルと非常によく似ていて、存在そのものがアトルシャンの癇に障るのである。……王女のサーラベルはまだしも、侯爵家子息たちは、次期グレンダル公爵たるアトルシャンから見れば()()()()()()()のに。


 ことの重要性を全く理解していない長男の姿に、公爵夫人は深々と溜め息をつく。


「『はい?』ではないでしょう。確かにあなたの言うように、サーラベル殿下との婚約そのものは円満に破棄されたのかもしれないけれど、それはあくまでも殿下とあなたの当人間だけの話よね? ツィルト家からの()()()は、婚約に伴っていた両家同士の()()に関する見直しを兼ねた場なの。そこに当事者のあなたが出席するのはごく当然のことだと思わなくて?」

「…………契約、と言いますと……」

「完全に忘れているのね。そうだろうとは思っていたけれど……ツィルト領で十年以上前に発見されたルビー鉱山が、グレンダル領と接する位置にあるのは知っているわね? その一帯は側妃様の所有地で、サーラベル殿下が嫁いでいらした際に()()、持参金代わりとして鉱山一帯がグレンダル領に組み込まれることになっているのよ。━━なって()()のよ、と言うべきかしら?」


 これはあくまでもツィルト家と側妃からの末永い友好の証であって、王家は一切関与していないのだが、実質的にはこの契約のおかげで王家からの持参金は不要となった。そのこともあり、かつての国王はサーラベルのグレンダル家への降嫁を快諾したのである。

 もっとも、かつてはかつてであって今ではないというのは、今回の事態でとてもよく分かることではあるが。


「さて、シャルティナ殿下が姉君に代わり我が家に降嫁なさるとして……高品質ルビーの潤沢な埋蔵量を誇る鉱山と同レベル以上の持参金を、王家は用意できるのかしら? それが叶わないのなら、あなたのお父様は到底納得してはくださらなくてよ、アトルシャン。ただでさえサーラベル殿下をお迎えできなくなったことで、たいそうご機嫌を損ねていらっしゃるのに」


 単純な実利面を抜きにしても、グレンダル公爵は妻同様にサーラベルを高く評価していたので、シャルティナの降嫁を強引に進められればさぞ激怒するに違いない。

 同じ王女でも、これ以上ないほど次期公爵夫人に相応しい姉姫に代わって、婚約クラッシャーの名を欲しいままにしている妹姫が未来の娘になるなど、冗談だとしても何も笑えはしないのだから。


「あなたと今こうして話している場に、旦那様がご不在でわたくしだけがいるというのが、とても分かりやすい答えではないかしら? ━━『陛下やあなたが望むように、シャルティナ殿下が我がグレンダル家に降嫁なさるというお話は、公爵家当主として断固反対する』という」

「そ、そんな……! では私はこれから、一体どうすれば……」

「知らないわ。ツィルト家への報告を終わらせてから存分に考えなさい。どうせ時間は山ほどあるのだから」


 突き放すように言われたアトルシャンは、叶うと思っていた恋の行方を見失い途方に暮れてしまうのだった。




アトルシャンは恋に浮かれたお馬鹿ではありますが、自分が有責なのはちゃんと自覚して認めてるのでお花畑としてはまだマシな方です。それはそれとして制裁はちゃんとされますけど。

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