砂漠の国へ
プロローグとはうって変わって固有名詞がたくさん出てきます。
トップバッターは第一王女サーラベル。第三王女シャルティナの異母姉です。
はあああああ……
「姫様。溜め息をつかれるお気持ちはとてもよく分かりますけれども、流石に大きすぎると存じます」
「分かってるわ。でも少しくらいは見逃してくれてもいいでしょう? 馬車の外までは聞こえないでしょうし、同乗しているのはあなただけだもの」
砂漠の国アクティへと向かう馬車の中。
腹心の侍女マナから注意という名のツッコミを入れられ、イサーク王国第一王女サーラベルは、再び深々と嘆息する。
別に嫁ぐこと自体に文句があるわけではない。遡ること二年前、イサークで疫病が大流行し、国家そのものが揺らぎかける事態にストップをかけたのが、国内で発明された特効薬とその原料となる砂漠の花だった。緊急の要請に応じてくれたアクティ国により、砂漠の花は大量に供給され、疫病の収束と終息へと繋がる。
そうして感謝の意を伝えたイサークへ、アクティが要求してきたのが王女のアクティ国王への嫁入りであり、その役目は第三王女シャルティナへと課せられた━━のだが。
思い出さずとも頭に浮かぶのは愚妹シャルティナと、彼女に惚れ込んだグレンダル公爵家嫡男アトルシャン━━他でもないサーラベルの元婚約者が寄り添う姿。ほんの半月前、アトルシャンとサーラベルが王立学園を卒業した数日後に、形ばかりとは言えすまなそうなそぶりをしながらも、アトルシャンが彼の有責による婚約破棄を言い渡してきた時の光景だった。
それだけなら「何を戯れ言を」の一言で片付けることもできた。別にアトルシャンへの恋情などはないけれど、未来の夫婦としてグレンダル家を支えるための同志として、長年絆を育んでいたのだから。何よりもグレンダル家と、その領地を一端とするイサーク王国のための婚約であり婚姻であると、お互いが理解していたはずだったのに……
「まさかよりにもよって、シャルティナに鞍替えされるだなんて……確かにあの娘は天使を思わせる程度には美しいけれど。公爵夫人というものは、ただ綺麗に着飾って美しく微笑んでいれば済むほど簡単な役目ではないと、アトルシャンだって分かっているでしょうに」
「元婚約者様は、そこまで深くは考えていないのではありませんか? きっと、悲劇の王女を救う騎士を気取っていらっしゃるのでしょう。第三王女殿下は、ことあるごとに『王女とは名ばかりの生まれの上に、この国を離れ遠国に嫁がねばならぬ悲しい立場の私』という、悲劇的な現実をそれはもう切々と殿方に語り聞かせているとのことですし」
「辛気臭いにもほどがあるわ」
即座に切って捨てるサーラベル。
当代のイサーク王国において、四人いる王女は全て側妃の腹から生まれている。同じ側妃でも生家の家格差は当然あるけれども、「側妃腹の王女」という立場は皆同じなのだ。サーラベルの母は侯爵令嬢で側妃筆頭と言える立場なので、男爵令嬢を母とする第三王女シャルティナが長姉にコンプレックスを抱いているのは知っていた。
けれどそれはそれとして、である。
「シルヴィ━━第二王女シルヴァーナの母は貴族ですらない商家出身で、身分だけならシャルティナの母よりもよほど低いのにねえ? 多少フットワークが軽すぎるきらいはあるけれど、真っ当に王女らしくやっているシルヴィの姿を見ていないのかしら、あの娘は」
「都合の悪いものは目に入らないか、意識から外しているのでは?」
「つまりシャルティナにとっては、『遠国の王の末席の妻になるはずだった自分の立場』は、利用価値のある都合のいいものだったということね。まあ実際にこうして、わたくしにその立場をまんまと押しつけることができたわけだし、シャルティナ本人はわたくしと入れ替わりで次期公爵夫人となり父王の側を離れずに済む、といいことずくめではあるのでしょう」
目論見通りに行けば、の話だが。
姉妹の婚約の入れ替わりが成ったのは、他でもない父王が認めたがゆえであり、無論それは愛娘シャルティナの懇願によるところが大きい。父王の言葉があったからこそサーラベルも、このたびの婚約破棄と、ろくな準備もなしに遠国アクティへ嫁ぐことをおとなしく了承せざるを得なかったのだ。
あくまでも非はアトルシャンのみにあり、サーラベルには勿論のこと愛娘シャルティナにも一切の傷はつかない。国王が婚約破棄を快諾したのはその一点が何より大きかったはずだ。……自分の父親ながらあまりにも親馬鹿が過ぎるので、そろそろ本気で王太子に譲位してくれないかと真剣に願うサーラベルであった。
と言うか、むしろ王太子の方が率先して色々と動き出す気がしてならない。
「きっと今頃、グレンダル公爵ご夫妻は怒り狂っているでしょうにね。特に夫人の方は」
サーラベルの母側妃とグレンダル公爵夫人は、昔からの幼馴染みであり親友でもある。側妃の実家ツィルト侯爵家も、グレンダル家とは領地が隣接しているということもあり、長きに渡る浅からぬ縁がある。その繋がりゆえにサーラベルのグレンダル家への降嫁の話が持ち上がり、アトルシャンとの婚約が成立したのだ。
そう。あくまでもグレンダル家が望んだのは「第一王女サーラベル」であり、「王女であれば誰でもいい」というわけではなかった。遠国の王家とは違って。
「とは言え、シャルティナも望まぬ婚約をただ嘆くだけでなく、少しくらいは前向きになって嫁ぎ先のことを調べてみても良かったと思うのよ。曲がりなりにも自分を溺愛するお父様が決めた縁談なのだし……『砂漠の蛮族が治める野蛮な国』なんていう単なる思い込みだけで裏を取らずに判断を下すなんて、王族としては如何なものなのかしらね」
「仰る通りです。アクティ国の後宮がいささか特殊であるということは、少し調べれば分かるはずですのに。……まあ本音を申しますと、シャルティナ殿下がご自身で地道に調べものをなさる光景は全く想像できませんけれども」
「ぷっ」
正直すぎるマナの意見に思わず吹き出してしまう。
レポート作成が必要になった場合でも、シャルティナは自分付きの侍女に作業自体を丸投げするか、取り巻きの男性陣に調べてもらいながら仲良くレポートを書き上げるかの二択だそうなので無理もない。出来そのものは悪くないらしいけれど、肝心の作業はほぼ他者任せの上に、「男性陣と仲良くするついでにレポートを書く」という状態であれば、シャルティナに勉強に役立つ何かが身についているかは甚だ疑問でしかなかった。
無論サーラベルも、姉として先輩として何度か注意したことがある。けれどそのたびにシャルティナは、美しい淡色の瞳を潤ませながらこう言うのだ。
『誰よりも優秀でお美しいサーラベルお姉様に、私の気持ちなど分かりませんわ! 未来の公爵夫人となられるお姉様と違って、私は国王に嫁ぐとは言え、たかが末席の妻ですもの! いくら学んでもそれが欠片の役にも立たぬ場所へ嫁ぐと分かっているのに、どうして真面目に取り組む気になれましょうか!?』
これまた非常に都合のいい言い訳である。
アクティ国に限らず後宮に入るのであれば、あらゆる知識は武器となり得るのに。中でも嫁ぎ先のみならず、後宮に集う他の女性たちの出身地に関する知識はとても重要だ。彼女たちと仲良くなるためにも、独自の毒等から自分の身を守るためにも。
「ただ、元からそんな風に考えていたのなら、シャルティナはわかりやすく最初から、アトルシャンやエリックを狙っていたのかもしれないわね。イサークを出ずに済む結婚をするために。勿論、単なる勉強嫌いということもあるのでしょうけれど」
「後者が八割くらいではないかと」
「……流石に辛辣すぎではない? せめて七割程度だとわたくしは思っているわ」
「大差ないではございませんか」
「そうね」
無情にうなずきつつ、今頃シャルティナはくしゃみをしているかしらとのんびり思うサーラベルであった。
定番中の定番、「異母妹に婚約者を盗られて代わりに嫁ぐ姉」サーラベル。
本人は悲しむ理由がないのでひたすらマイペースですが。




