第3話 初めての錬金術(怪しい雲行き)
錬金術。
それは賢者の石を作る魔法。
それは不老不死の霊薬を作る魔法。
とまあ、これは物語に出てくるような伝説の話だ。
実際に働いている錬金術師達は、傷を治すポーションや魔物よけのアーチなんかを作っている。
日常的に使われている、長距離移動移動に使う転移魔法陣のインクだって、錬金術師のアイテムだ。
ウィンも幼い頃は「将来は錬金術師と領主を掛け持ちするんだ」なんて夢を膨らませていた。
けれど現実に引き戻される時期は、思いのほか早くやってくる。
ウィンが8歳になった頃、キャンベル家の所有領地が拡大した。
その理由はとある貴族の没落に関係している。
キャンベル領の右隣、ミラージュ領の領主は、ウィンの父親であるサン・キャンベルの友人だった。
ミラージュ領の領主は、一言で言えば「能天気な貴族のお坊ちゃん」だった。
芸術に関する興味は人一倍あったが、領地経営にはまるで無頓着。最後には無名の芸術家のパトロンになって、破産寸前まで追い込まれた。
サン・キャンベルは彼を助けようとした。
もしミラージュ家領主に男児がいれば、結婚という形での領地売買、そして家名の継続も考えられただろう。
だがミラージュ家領主には1人娘しかおらず、サン・キャンベルにも娘が2人で、男児はいなかった。
そこでサン・キャンベルはミラージュ家の借金を肩代わりし、領地を買い取った。
ミラージュ家領主は、サン・キャンベルのおかげで借金から逃れたものの、貴族としての地位ははく奪され、家族と共にどこかへ旅立ったのだった。
買い取ったミラージュ領の経営は大変だった。
芸術家を囲うことに夢中になっていた元領主。その下でため込まれた領民の不満。
その矛先は、すべて新しい当主であるサン・キャンベルに向けられたのだ。
毎日領内の視察に向かい、怒りをつのらせる農民たちと話し合いを続けた。
さらにさらに、前領主に養われていた芸術家が、責任を取れとキャンベル家の屋敷に押し掛けてくる。
「責任をとれ」「税率を下げろ」「なんとかしろ」「お前は領主だろう」。
領民のためにと働いているのに、日々領民たちから言葉のサンドバックにされる日々。
日に日に目の下のクマが濃くなっていく父親を見て、ウィンは「こりゃいかん」と思ったのだ。
錬金術師になりたい、なんて夢見がちなことを言っている場合ではない。
キャンベル家長女として自分もこの家のために何かしなくては、と。
錬金術で生計を立てられる貴族は、何代にもわたって錬金術を続けているようなゆかりある家柄のみ。
キャンベル家は農業で生計を立てている普通の貴族だ。付け焼き刃の錬金術は役に立たない。
ウィンは自分の願望を封印した。
自分の領地について学び、社交場で立ち回る術を学んだ。
こうして「きちんと」した伯爵令嬢ウィン・キャンベルができあがった。
けれどこのたびの婚約破棄で、彼女を押さえつけていた理性はすぱんとはじけとんだ。
きちんとした伯爵令嬢のウィン・キャンベルはもう終わりだ。
独り身になったこの機会、思いきり趣味にいそしんでみよう。
そんな彼女が解放した願望が「錬金術を学びたい」だった。
(部屋で落ち込んでいても、家族を心配させるだけだもんね! こうなったら童心に返ってめちゃくちゃに楽しもう! おーっ!)
らんらんと鼻歌を歌いながら、ウィンはスキップで街を歩いていた。
ここはキャンベル領のとある広場。そこで本日開催されている市場を見にきたのだ。
本格的に錬金術を学ぶなら、どこかに弟子入りするのが普通だ。
だが、お遊び感覚で学んでみるだけなら、参考書と簡単な素材があればいい。
ここは隣接する他領の行商人も多くやってくる市場で、品揃えも多種多様だ。
きっと初心者でも楽しく作れる錬金術アイテムが見つかることだろう。
ちなみに今日の服装は、お忍びで外を飛び回るのが得意な妹に見立ててもらったシンプルなワンピースだ。
貴族の娘が1人でこんなところをほっつき歩いているというのは外聞的によくない。加えてウィンは今、巷で噂の悪役令嬢。顔を知っている人がいたら騒ぎになるかもしれない。
そのため徹底して街娘に扮装しているのだ。
「さあさ、見ていきな! 今日はクロム鉱石が安いよ」
「珍しい動物を揃えているよう」
「これはかの有名な錬金術師が作ったアイテムだ。早い者勝ちだよ」
元気な声が市場をぽんぽん飛び交っている。
お得な大安売りから、出所の怪しい品物までエトセトラ。
大賑わいする市場をウィンはわくわくと見回した。
(懐かしいなあ。昔は父さんにせがんで連れて行ってもらったっけ)
領地が広がる前は、わくわくするびっくり箱のような市場が楽しくて、何度も連れてきてもらっていた。
中でも1番印象に残っているのは、錬金術師の少年との出会いだった。
客引きのために見せてくれた錬金術。
魔法の粉をふりかけたとたん、鳥の形をした紙が空へと羽ばたいたのだ。
あの時の感動は今も忘れられない。
ここでウィンはひらめいた。
(たしか錬金術には、変身薬もあったはず。鳥になる変身薬を作るなんて、楽しそうじゃない?)
もし変身したら、ハトと一緒に飛び回ることもできるのだろうか。それはなんとも夢がある。
ウィンは「錬金術でハトに変身してみる」という目的を胸に、浮かれながら市場探索を始めたのだった。
□■□■□■
まずやってきたのは古本市場コーナー。
錬金術のレシピに関する本を手に入れるためだ。
地面に引いた敷物の上にずらりと並べられた本。
ウィンは「初心者用」「猿でも分かる」「何をしたらいいか分からない」「まだ諦めなくて大丈夫」そんなキャッチコピーのついた参考書を次々と抱え込んだ。
「おやおや。錬金術師の卵かな?」
声をかけられて後ろを振り向いた。
しわしわの小柄なおばあさんがウィンを見て微笑んでいる。
「はい! 何故分かったんですか?」
それだけ初心者を主張した本を抱え込んでいたら誰でも分かる。
「ちょうどよかった。あたしは錬金術師の端くれでねえ。今日は色々初心者用のアイテムを持ってきてたんだ。良かったら見に来ないかい?」
「えっ、行きます行きます!」
大量のレシピ本をお会計し、そのままおばあさんの後をついていく。
「どんなアイテムを作りたいんだい?」
「えっと、鳥に変身したいなって……」
「変身薬。初めてにしてはなかなか大変なものを選んだねえ」
「難しいですか?」
「いや、あたしのレシピがあれば大丈夫だよお、ひっひっひ」
おばあさんと話しながら進むことしばし。彼女のお店に到着した。
市場の端っこに、真っ黒い天幕の張られた屋台。
薄暗い紫の布を引いた木の箱の上には、干からびたとかげや毒々しい色の葉っぱ、黄ばんだ骨といった、おどろおどろしい素材がずらりと並んでいる。
道ゆく人はちらっと眺めては視線を逸らし、おばあさんのお店にあまり近づかないようにしていた。
一言で言えば、とてもとても怪しい店だった。
(さすが! 本場の錬金術師は雰囲気あるわ!)
だが浮かれぽんちになっていたウィンはまったく気がつかなった。
目深にフードをかぶった売り子が、おばあさんを見て顔を上げる。
「おや。新しいカモ……、じゃない。お客さんかい?」
「ああ。なんでも鳥になる変身薬を作りたいそうだよ」
「きひひひ。そりゃあちょうどいい。初心者向け『ハトの変身薬キット』があるよ」
売り子は古びた木箱を取り出した。ほこりをさらってフタを開ける。
茶色く変質した紙の説明書が2枚、乾燥してパリッパリになった薬草が1束、銀色の粉、放置し過ぎて油分が分離した瓶が入っていた。
消費期限があるなら10年くらい前に切れていそうな劣化品だ。
「初回購入のサービスだ。金貨1枚に負けとくよお」
ぼったくりだ。
誰もがそう思うだろう。
だが。
「えー、嬉しい! 買います!」
浮かれぽんちのウィンは以下略。
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怪しい商人にカモにされたウィンは、ほくほく顔で屋敷の裏口から帰還した。
馬車で行けば半日かかる距離も、転移魔法陣を使えばあっという間だ。
ちなみになぜ裏口から帰還するかといえば、今日は両親に客人が来ているからだ。
普段なら娘たちも顔を見せてあいさつをするところ。だが、ウィンは今「婚約破棄された傷心のご令嬢」なので、自室で休んでいることになっている。元気に市場を練り歩いていることはバレてはいけないのだ。
ウィンは足音を忍ばせて2階の自室へと飛び込んだ。
長椅子の上に、ハトの変身薬キットの木箱を置く。さらに機材が入った紙袋をその隣に。ちなみにこれは「錬金術に必要なものだから」と丸め込まれてさらに買わされた品物だ。
ドローリーフテーブルの天板を引き出して、テーブルの広さを倍にした。
その上に、長椅子に置いた材料を箱や紙袋から出して順に並べていく。
「うまくできるといいね、リリー」
彼女が話しかけたのは、金の鳥かごに入った白ハトだ。名前はリリー。
錬金術の道具と一緒に市場で買ってきたのだ。
ウィンは前々から鳥を飼ってみたいと思っていたのだ。それにハトに変身したら、一緒に空を飛べる。それはすごくロマンあふれる光景だった。
「ポッポー」
ウィンの声に答えるようにリリーが一声鳴いた。
それが「そうだね」なのか「やめとけ」なのかは天のみ知るところである。
「あ。ハトに変身したら、ハトの言葉が分かるかもしれないわね」
そのひらめきに、もうわくわくがとまらなかった。
「よおし、やるわよ!」
ウィンは張り切って拳を振り上げた。
数時間後の自分が、頭を抱えることになるとは思いもよらずに。