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タクシー借金でボン・ジョビとある大物の男登場

 同僚は来客のことを説明してくれた。

「僕たちの仕事は、大まかにいうとマーケティングの世界にいる」と同僚は言った。


 私たちは小さな編集プロダクションに勤務している。昔は雑誌の企画をしたり、どこかの会社やプロジェクトのPR誌を作ったり、紙媒体を中心に仕事をしていたが、今はウェブが中心だ。時代と共に媒体は変わる。

 検索しやすい仕組みやウェブサイトを作ったり、ウェブのブログやPR、プレスリリース記事の作成、オンライン広告の請け負、SNSの運営などを生業としている。


「その大物は、メディアにはあまり出ないタイプの大物だ。というか僕の知る限り、ここ二十年前後は一切出ない。それより前に何度か雑誌の記事に出たことがあるらしい。僕は見たことがない。そういう業界では、知らない奴はモグリだ」

 私はモグリらしい。同僚は続けた。

「彼は元々は大手代理店にいた。入社したての頃から秀でてたんだろうね。若いときに数々のテレビCMをいくつかヒットさせた。それから彼は独立してしてテレビCMだけではなく、雑誌やラジオはもちろん、映画、電車の吊り広告、看板、今のウェブやSNSなどのオンラインももちろん、さまざまなメディアで成功を収めたんだ」

「その割にその人の名前は聞かないな」

「彼は表に立つことを好まなかったみたい。必ずナンバー2とか補佐的な位置にいる」

「そんなナンバー2であるとか補佐的な立場で、なんていうか無二の存在になれるものかな」

「そうだね。彼は頭が切れるんだ。誰よりも彼を参謀なり側近にした人は、その時期必ず成功してると言われている」

「マジで? なんだか嘘くさい奴だなぁ」

「嘘くさくても、本当の実力者でも、その人間がうちの事務所にいるんだよ。そして君を待っている」 


 同僚の話によると、本当に突然来社したらしい。

 狭いエレベーターから出るとオフィスに入り、アシスタントの子(受付のような仕事もしている)に、私を呼ぶように言ったらしい。

 その男の喋り方は、どちらかというと物静かだったが、人を萎縮させる何があった。

 私は不在だったので、とりあずアシスタントの子は、上長である同僚を呼んだ。アシスタントの子はとても緊張しているようだった。


「松田正太郎をお願いする」とその男は言った。

「あ、あの松田とはアポイントをとっているのでしょうか? 申し訳ないのですが、今朝は体調不良で出社が遅れています」

「知っている。待つよ」と断定的に言った。「今から電話して呼べば、あと一時間もあれば出社できるだろう」

 同僚は、訳もわからず、応接室にその男を誘導した。

 男はソファに座ると名刺を、テーブルに同僚に置いた。同僚はその名刺を見て、初めてその男が何者かを知った。


 同僚は少しナーバスになっているようだった。そんな大物を待たせてしまっているプレッシャーかもしれない。

「わかったよ。なるべく早く行くからさ」

 私は同僚の気持ちを少しでも軽くしようと試みた。

「なるべく早くって、運転してるのは君じゃない。今以上に急げるか急げないかは、運転手次第だろう。君は急げない。タクシーに乗って二日酔いでうなだれてるだけだろう」

「怒ってる?」

「怒ってないさ。ただ緊張してるだけだよ。とにかくなるべく早く来て欲しい」

 そう言って、同僚は電話を切った。

 私はもうひと眠りしようと思い後部座席にゴロンと横になった。

 小さな音でまだボン・ジョビが流れている。「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」だ。私はボン・ジョビを聴きながら眠りに落ちた。

 トラビスに起こされた。指定した場所に着いたようだった。私は礼を良いお金を払った。

「ひとつ聞いて良いかな?」私は聞いた。

「何ですか?」

「ボン・ジョビ好きなのかい? バラードばっかりかかってたみたいだけど」

「そうなんですよ。なんかね、アメリカのロックって感じじゃないですか。俺アメリカに一カ月間くらい旅行してあちこち回ったんですよ。どこにでもありそうなバーとかで流れてる客やラジオなんかは、いまだにボン・ジョビとかガンズ・アンド・ローゼスみたいなハードロックかけてるんですよ。80〜90年代なんかの。他のジャンルもかかりますけど、ハードロックってなんかアメリカっぽいなって思っちゃって、それで一番好きだなって思ったのがボン・ジョビなんですよ。ボン・ジョビってバラードすごい良いんで、バラードベストを自分で作って運転しながら聴いてるんです」

「なるほど。客がいるときも聴くのかい?」

「いや、聴きません。お客さんは、明らかに二日酔いだし、なんか普通じゃない感じがしたんで、ボン・ジョビ大丈夫かな、と」

 普通じゃない?

「どうも、ありがとうございました。これ俺の名刺です。なんかあれば呼んでください」

 そう言ってトラビスのタクシーは去って行った。


 少し寝たおかげで、気分はいくらかマシになっていた。私は雑居ビルに入り、狭いエレベーターに乗り二階を押した。

 オフィスに入り、同僚のデスクに行った。

「遅くなった。まだ待ってる?」

 同僚は、私が来るなりすぐ立ち上がった。我々は応接室(と言うほど立派な部屋でもなく、申し訳程度に揃えた簡素なソファとテーブルがあるだけだ)に向かった。

 相変わず短く整えているヘアスタイル。セットアップのスーツをカジュアルに着ている。ベージュ色のジャケットの下はノーネクタイでシャツを着ている。革靴ではなく真っ白なナイキのエアフォース。清潔感がある。

「うわ、酒くさッ。まぁ良い。まだいるよ」

 私はというと、中途半端に伸ばしっぱなしの髪と無精髭。クシャクシャのフードがついたコートの下は、ユニクロのフォルクスワーゲンのロゴのTシャツ。着古して色が抜け切ったリーバイスに、かかとがいびつにすり減っているコンバースのオールスター。おまけに酒臭い。


「なんで、そのナントカっていう大物が、俺に用があるんだよ?」

「知らないって。それは君が確認するんだよ」

 同僚は、私を応接室に入れた。

 その男は、ソファに座っていた。まるで『GQ』みたいなファッション雑誌の1ページのような、キチンとした座り方だった。

 スーツの着こなしも洗練されている。品良く光沢のある生地が、身体にバランスよくフィットしている。ネクタイのくぼみの作り方(私にはできない)であるとか、ジャケットの袖から見えるシャツの長さであるとか、金のかかった雑誌のように完璧に着こなしていた。髪型もヘアメイクが整えたかと思うほど、整っていた。

 私はフードのついたコートを脱ぎ、下座のソファの上に置いた。私は軽く会釈をして、その場に立ち尽くしていた。


 男は同僚に向かって言った。

「この場は、私と彼だけにしてもらいたい」

 同僚は頷いて、応接室を出ようとした。私は同僚に言った

「悪いけど、飲み物を持ってきてもらえないかな。二日酔いで咽喉が乾いてるんだ」

 同僚は一瞬驚いた顔をしたが、ペットボトルのエビアンを自販機で買ってきてくれた。男にはコーヒーを出していたが、ひと口も飲んでいなかった。私だけエビアンを渡すわけにもいかない、と思ったのだろう、同僚は男にもエビアンを渡した。

 同僚は我々にエビアンを配り終えると、応接室から出て行った。


 我々は二人きりになった。私はソファに座った。男の目が真っ直ぐ私を見た。

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