ホス狂いの私が自殺青年と出会った結果、毎日が幸せです
『払えないならもう来ないで欲しい』
仕事の休憩時間に開いたメッセージアプリには、無情だが当然とも言えるメッセージが表示されていた。
『もう少しだけ待って! ちゃんと返済するから!』
反射的に指が動き、今では口癖のようになった「もう少しだけ」という言葉が相手に送信される。
ちょうど彼もスマートフォンを見ていたのかすぐに既読がついた。しかし、向こうから帰ってくるのは『それ何回目?』だけ。この前会った時にはキャバクラ等に転職を勧められた。
彼等ホストも限界なのだろう。注ぎ込んだお金が今の給料では到底払いきれない額なのは、私が一番分かっている。
「原田さん、すみません。相談したいことがあるんですが、今お時間大丈夫ですか?」
落ち込んでいたところに会社の同僚から話しかけられ、気持ちが仕事モードに切り替わる。
「全然大丈夫だよ。どうしたの?」
「実は……」と話し始めた同僚の相談を聞き、アドバイスをし終わったのは休憩が終わる5分前だった。
相談を受けている間に彼からまたメッセージがあった。気になってしまい、このまま仕事を再開する事はできないのでもう一度メッセージアプリを開く。
そこには「どうせ金は払われないだろう」と自棄になった彼が、最後に言いたいことを言った跡が残っていた。
名前が消えている。しかし、ブロックされた事よりも、私に向けたメッセージの内容の方が心を抉った。
『いっつも安い酒しか頼まないし、ツケは払わないし、たいして可愛くもないお前は別に居なくてもいいわけ。俺無しじゃ生きていけないとか前に言ってたけど、死ぬなら全額返済してから死ねよ』
こうもストレートに「死ね」なんて言われたことは無かった。
推していた担当はお金さえ貰えれば私の気持ちなんてどうでもいいんだと思うと、彼のために働くのがバカバカしくなる。
それからの事はあまり覚えていない。いつも通り仕事をして、いつも通り家に帰ったのだと思う。
両親は他界し兄弟は居らず一人っ子、ホストにお金を注ぎ込んだ為友達と遊ぶ余裕はなく、いつの間にか疎遠に。そんな私の生きる理由は今日無くなった。この世に未練は無い。
冷蔵庫に入っていた缶ビールを片手に、鍵を閉めず家を出る。そして近所にある割と大きめの川を渡るための橋に向かった。
橋のど真ん中に着く。持ってきたビールをほぼ衝動的に一気飲みし、泣きながら川に飛び込んだ。
原田理沙、齢二十五にして多額の借金を背負い自殺。
眩し……。
私はやけに明るい日光で目を覚ました。起き上がり、周りを見渡すと森。酔っ払って変なところに来てしまったかと思ったが、よくよく考えれば、昨日の夜川に飛び込んだはずだった。
ここはどこだろう。もしかして、死に損なったのだろうか。
知らない場所にいることよりも、死ねなかったことの恐怖が強い。
「あ、あら? えっと……?」
状況が飲み込めずにいると、同じく状況が飲み込めていなさそうな中世ヨーロッパ風の服を着た女性と目が合った。
頭が働かず無言で見つめていると、彼女は気まずそうに話しかけてきた。
「だ、大丈夫……? こんなところに一人でいたら、危ないわよ?」
こんなところ? 危ないとは、熊や野生動物のことだろうか。
「あの、ここってどこですか?」
彼女にそう聞くと驚いているようだったが、丁寧に教えてくれた。
結論から言うと、ここは異世界らしい。話を聞いているうちに、東京じゃないなー、日本じゃないなー、地球じゃないなー、となった。
ここは危険な森で、夜になると魔物が出るそうだ。彼女は冒険者ギルドというところで働いていて、行くあてがない私に冒険者ギルドの仕事を紹介してくれるらしい。
「実は今からギルドに戻るところなのよ。一緒に行きましょう。あたしはロシェル。えっと……」
「理沙です、原田理沙」
「ハラダ・リサ? 珍しいわね?」
もしかしたらこの世界も下の名前がファーストネームなのかもしれない。
「あ、すみません。名前が理沙です」
ロシェルさんは「リサね。よろしく」と笑いながら歩き出した。
「リサー! 今日は趣向を変えて飲みに行きましょう!」
ロシェルさんにあの森で拾ってもらってから、半年が経った。
冒険者ギルドでは主に事務仕事をしている。前世ではそれなりに仕事ができる方だったので、経験を生かすことができてよかった。ギルドの先輩達も優しく、冒険者の皆さんも悪い人は居ない。最高の職場だ。
「趣向ですか? ビールじゃなくてワインにするとか?」
この職場は毎週末、任意参加で飲み会を開いている。
予定がある時は気軽に休める。しかし、私にとってこの飲み会が一週間のご褒美になっているので、そう簡単には休まないが。
ロシェルさんは来てみてのお楽しみ、と言ってにやにやしながら帰る支度をし始めた。
なんだろう……少しお高いお店とかかな、などと考えているとギルドの、ロシェルさんと仲がいい先輩に話しかけられる。
「最近行きつけのお店があるらしいよ。どういう場所かは教えてもらってないんだけどね」
「そうなんですか」と返事をし、その場所に思いを馳せる。
ロシェルさんの行きつけのお店か。毎週の飲み会のお店を決めている彼女のセンスは信頼できる。楽しみだ。
仕事を終え、ロシェルさんに案内してもらいお店に着いた。
「ここって……」
目の前に聳え立つやけにキラキラした建物。何となく察することはできるが、この世界にもあるのだろうか。
「ホストじゃん!!」
確証が持てずにいると、ロシェルさんと仲のいい先輩がズバッと言ってくれた。
やっぱりホストクラブだったか……。
せっかく異世界に来て、ホスト離れできると思ったのにこれだ。呪いでもかけられているのだろうか。
いいからいいから、と背中を押され半強制的に私達は入店した。
「いらっしゃいませぇー!」
入口に入りると早速元気のいい挨拶が聞こえてきた。個性豊かな感じが懐かしい。
流されるまま席に案内され、ロシェルさんの担当ホストに挨拶される。
お酒やルールなど前世とは違うところはあるようだが、ホストがお客さんを楽しませるという点では何も変わらない。
異世界のホストクラブをキョロキョロ観察していると隣に座ったホストが「初めまして、ピーターです」と挨拶してきた。
「は、初めまして」
爽やかな笑顔で話しかけられて、少し緊張してしまう。
それにしても大変お顔が整っていらっしゃる。異世界の人の顔が整っているのは、お話の中だけではなく本当だったようだ。
それから一時間ほど私達はホストを楽しみ、全員が顔を紅潮させ解散した。
私の隣に座っていたピーターさんは「つやつやの黒髪が綺麗だね」や「リサちゃんみたいな良い子あんまり来ないから、今日会えて良かった」とか、こんなのハマらない方がおかしいと思う。
しかし、たまに思い出すのは前世の担当ホストのこと。
私は借金を返済せずに死んだ。お客さんが借金を払わないとホストが払う羽目になるらしい。
しかし罪悪感はそんなに無いので、さっさと気持ちを切り替えようと思う。
家へと帰りながら、今度は給料の範囲内でどハマリはしないようにと決意した。
その決意虚しく、私は見事再びハマってしまった。
一応借金はせずにできているがそれも時間の問題だろう。
ギルドで書類を整理しながら悩む。もういっその事、先輩に給料を預かってもらうか……?等と対策を考えていると、受付の方から受付嬢さんの焦った声が聞こえてきた。
「本当にこの討伐依頼でよろしいのですか……?」
いつも冷静な受付嬢さんの珍しい声音が気になり、受付の方を覗く。
そこには、痩せ細った生気のない目をした青年が立っていた。身長は高いので、特に最近食べられていないのだと予想する。
私は彼が妙に気になり、ロシェルさんに聞いてみることにした。
「今受付にいる彼、討伐依頼を受けるみたいですけど、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なのか」というのは、あんなに痩せた青年が魔物を倒せるのか、ということだ。
ロシェルさんは一瞬躊躇ったようだが、私に教えてくれた。
「彼は……死ぬつもりなのよ。この国には仕事が見つからず、身寄りも無い人が一定数いるの。そういう人が最後にこの冒険者ギルドに辿り着くことが多いわ。それで、彼みたいな戦う力が弱い人はここでもやっていけない」
だから「魔物に自分を殺してもらうのよ」と。
ロシェルさんは、可哀想だけど私達がしてあげられることは無いわ、と私を慰めてくれた。
しかし、前世日本人の私には見捨てることができなかった。
後日、急遽個人的に依頼を発行し、腕の立つ冒険者パーティーと共に青年の後を追った。
ロシェルさんが言った通り、青年は魔物を前にしても剣を抜かなかった。それどころか、目すら瞑らずに死のうとする姿は酷く痛々しい。
そんな彼を私が依頼したパーティーの方々が助けた。
私が自殺するとき、誰かに止められていたら怒っただろうか。それとも、冷静になって感謝しただろうか。
わからない。
この青年も死にたかったはずだ。私の自己満足で勝手に助けて怒ってはいないだろうか。
だが、たとえ怒っていたとしても助けると決めたのだ。ここで怯む訳にはいかない。
私は、地面に座り込んでぼーっとしている青年にゆっくりと近づき、目線を合わせ落ち着いて話しかける。
「大丈夫?」
すると彼はこぼれ落ちるのではないかと思うほどに目を見開き、そして大粒の涙をこぼした。
「えっ、あ、よしよし。辛かったね、よく頑張ったね」
目の前で急に泣かれ、どうすればいいのか分からなくなる。とりあえず言葉を掛け、頭を撫でたり背中を摩ったりしてみる。
私達に見守られた青年は声を上げて泣き続けた。
しばらくして落ち着いた青年に問いかける。
「何があなたを自殺まで追い込んだの……?」
こんな若い子が自分で命を絶つ選択をするなんて。
青年は緊張の糸がほぐれたようで、先程より顔色が良くなっていた。
「五日前、病気を患っていた母が死にました」
それからぽつりぽつりと青年自身のことを話してくれた。
「父は俺がまだ小さい頃に死にました。そのため母と二人暮しで、母が寝込んでからは俺だけしか働けませんでした。薬代に給料の大半が取られて、借金もしていたんです」
青年は拳を強く握りながら話す。
両親と死別するのはさぞ辛かっただろう。
「家賃も長いこと払えていなかったので、母の死をきっかけに追い出されました。貯金も無く、今の俺には払いきれない額の借金をただ返し続けるくらいなら、ひとりぼっちの俺は死んだ方がマシだと思いました」
「そっか……」
ひとりぼっち、か……。
私もひとりぼっちだった。だからこそ建前でも、私を求めてくれるホストにハマってしまった。
「ねぇ。名前、聞いてもいいかな」
「シリルです」
私は彼を助けた責任を取るべきだ。
「シリル。もし良かったら……私と一緒に暮らさない?」
え……?と、シリルは困惑しているようだった。
無理もない。今日初めて会ったばかりの他人と同棲なんて、考えられないだろう。
「シリルがこんな辛い思いする必要はないでしょう。死ぬ事を引き止めてしまった私に責任を取らせて。それに、私も一人なの。シリルとは家族のようになれたら、と思う」
真剣に目を見て訴える。
彼は「家族……」と呟いて考えているようだった。そして、決まったのかキリりとした表情のシリルと目が合った。
「俺も、あなたと家族のようになりたいです」
よろしくお願いします、と。
その日、私はシリルの手を握りながら家に帰った。
あれから三ヶ月ほど経った。
昼間はギルドで働いているためシリルと過ごせていないが、帰ってからや、休みの日などは常に一緒にいる。
シリルは健康的な体に戻りつつある。
そこで一つ気付いた事があるのだが、彼はとんでもなくイケメンだった。
肌は白く、しかし血色は良い。深い青色の髪の毛は日に日にトゥルントゥルンを増す。そして私より頭一つ分くらい身長が高い。お顔も勿論だが、他の要素でもイケメンすぎる。
それはさておき、私は今本屋に居る。
シリルは本を読む事が好きだと言うので、私がいない間の暇つぶしとしてたまに本を買って行ってあげている。
今日は「ミハイルの冒険譚」とやらを買ってみよう。
お店の方にお金を渡し、本と交換する。
外に出ると、ふわりと漂ってきたお肉のいい香りで露店がやっていることに気づいた。
これも買っていこう。
私はシリルの喜ぶ姿を想像して自然と笑みがこぼれた。
「ただいま」
先程買った本と肉の串焼きを土産に、シリルの待つ家に帰る。
玄関にあるコートハンガーに上着を掛けていると、奥からシリルが来て出迎えてくれた。
「おかえり、リサ」
私が帰ってきたことがそんなに嬉しいのか、笑顔が眩しい。面食いの私には刺激が強すぎて直視できない。
「ただいま。はいこれ、お土産」
顔が若干赤くなっているのを隠すために、本をサッと渡す。
シリルはそれを「ありがとう」と受け取り、ぱらぱらとその場でページをめくっていた。
「これもすごく面白そう。明日読むのが楽しみだ」
大事そうに本を抱え、にこ、と笑いかけてくれる。
本なんてあまり読まない私が勘で選んだ物なので面白いかどうか分からないのに。
前にどんなジャンルが好きか聞いた事がある。しかし「リサが俺のために選んでくれたものが好き」としか答えてくれなかった。
私もシリルからおすすめしてもらった本なら読みたいと思えるので、そういうものだと納得した。
そういえば、と買ってきた肉の串焼きを渡す。
買った時よりは冷めてしまったがまだ温かい。ソファに座り、二人で美味しいねと言い合いながら食べる。
シリルの美味しそうに食べる横顔を見て考える。
実は彼、頭が良い。聞いてみると、学校には行っておらず家庭教師も居なかったらしい。しかし、彼の亡父が読書家で家には大量の本があったそうだ。
その本すらも売らなければいけなくなった時内容を頭に叩き込んだ、と。
まだ少年だったシリルには難しい内容ばかりだったと思う。
「…………?」
顔を見つめすぎて不審に思っただろうシリルと目が合う。
「何か付いてる?」
シリルが自分の口の辺りを手でなぞる。
「あ、いや! 何もついてないよ!」
急に恥ずかしくなって、声が大きくなってしまう。
彼は、なら何故……?という顔をしていた。
「ただ、シリルは頭が良いから衛兵とか体を動かす仕事よりも、頭を使う仕事……例えば、教師とか文官とかが向いてそうだなーって」
「確かに、そうかも」
彼はそれから黙って考え込んでしまった。
「あっ、いや、違うよ!? 早く働いて欲しいとか、そういうことじゃないからね!? なんならずっとここに居て欲しいくらいなんだから!」
勘違いさせてしまったかな、と慌てて言い直す。
私だけ働いていても充分にお金は足りる。ギルドのお仕事は意外と給料が良いのだ。
彼は真剣な顔でこちらに体を向ける。
「ありがとう。でも、いつかは働かなきゃいけないし。ただ、リサの家を出て行くつもりはないから」
「それなら良かった」
シリルも私と同じ気持ちだったことがとても嬉しい。
そういえば先程お金は充分だと言ったが、最近は特にお金が貯まっている気がする。
考えてみると、シリルと暮らし始めてからはホストに一度も行っていなかった。
前は高いお金を払ってイケメンとお酒をただ飲んでいただけだった。しかしシリルのために、なんの本がいいかなとか、なんの食べ物が好きかなとか考えながらお金を使う方が余程楽しかった。
それに、私はひとりぼっちではないのだと心が満たされた。
「じゃあ、行ってきます」
そう言ってリサは、仕事場である冒険者ギルドに行くために家を出る。
俺は「行ってらっしゃい」と言い、リサの背中を寂しく見送った。
彼女と一緒に暮らし始めてからは、一日中本を読んでいる日々だった。
たまに文字を読むことに疲れた時はリサの事を考えた。
『大丈夫?』
死ぬために魔物の討伐依頼を受けた際、リサに掛けてもらった言葉だ。
俺はずっと、誰かに寄りかかりたかったのだ。依頼を受けた時はもう死ぬだけだと思った。でも、リサが助けてくれた。手を差し伸べてくれた。俺を思って心配してくれた。そんな人、家族以外に居なかった。
彼女も本当にひとりぼっちだったのだと知った。
両親は他界し、この街に一人で来たばかりで信頼出来る友人も居ないそうだ。
ただ、よくリサの話に出てくる「ロシェルさん」は大好きな様子だったが。
昼間はリサが何をしているのかを知ることはできない。リサがそのロシェルさんって人にお茶に誘われたって邪魔をしに行けないのだ。心配だ。
それはさておき、最近体力が戻ってきているのでよく散歩をしている。今日は広場のベンチで昨日貰った本を読もうと思う。
リサが選んで買ってくれた上着を羽織り外に出る。
家から広場へと向かう道では色々な発見がある。リサがいつも可愛いという猫が日向ぼっこしていたり、リサが好きそうな花が売られていたり、前にリサが買ってきてくれた団子を食べている親子が居たり。
前はこんなにゆっくりと落ち着いて歩くことは無かった。周りの楽しそうな声や音が体に染み込んで、自然と体が軽くなる。
中央に噴水がある広場に着いた。
その噴水が目に入る位置にあるベンチに腰を下ろす。
奥さん達が談笑していたり、子供たちが走り回っていたり賑やかだ。
それを眺めながら、リサに言われた昨日の言葉を思い出す。
『ただ、シリルは頭が良いから衛兵とか体を動かす仕事よりも、頭を使う仕事……例えば、教師とか文官とかが向いてそうだなーって』
学校に行ったことや誰かに勉強を教わったことがないので教師は無理な気がする。しかし、文官には興味がある。
俺はそんなことを考えながら本をゆっくり読み始めた。
これも面白かった。特に主人公がラスト、好きな女の子の為にドラゴンを倒したところに感動した。
後で感想と感謝をもう一度伝えよう。
本を閉じて広場から出て家へと向かう。
日が沈み初め、夕日のオレンジが綺麗だ。そろそろリサも帰ってくる頃だろう。
すると、どこからか声が聞こえてきた。
「リサちゃんってば。ねぇ、いいじゃん。ちょっとだけ、ね?」
俺は「リサ」という言葉に反応して、反射的にそちらを向く。
そこには人違いでも何でもなく、リサ本人が居た。しかも、無駄にチャラチャラした男が隣に居てリサに触れている。
困っているようなので助けに行こうとした瞬間リサはその男と歩き始めた。
何故?あの男は誰だ?何処に行く?
リサの秘密が一つ知れるかもしれないと思うと、後をついて行かない選択肢は無かった。
……は?え?
リサがその男と入っていった店はホストクラブだった。
俺はその店についてよく知らないのだが、男と女が酒を飲んでイチャイチャするところだということは分かる。なぜリサがそんな場所に……?
あの男……ホストは先程「リサちゃん」と馴れ馴れしく名前を呼んでいた。もしかして、前にも行ったことがあるのか?
俺にはリサの行動を制限する権利は無いのに、今すぐ店に乗り込んで彼女に問い詰めたい衝動に駆られる。
なんだか勝手に裏切られたような気持ちになってしまう。
ここにはこれ以上居ない方がいいな。リサがホストに通ってようとなんだろうと、俺には辞めろだなんて言えないのだから。
俺はそこから逃げるようにリサの家へと帰った。
「あれ〜?リサちゃんじゃん!」
シリルの待つ家へと帰る途中、今一番会いたくない人に見つかってしまった。ピーターさんだ。
この世界のホストにハマってしまってから私の担当はピーターさんだった。
しかし、シリルと暮らすことになってからは一度も会っていなかったし、そもそもホストには行かなかった。
「最近全然お店来てくれないじゃん! どうしたの〜?」
「えっと、お金が無くて……」
嘘では無い。(ホストに使う)お金は無いのだ。
早く帰りたい。
「すみません、本当に今日は無理なんです」
そう言って歩き出すと彼もついてくる。
「リサちゃんってば。ねぇ、いいじゃん。ちょっとだけ、ね?」
寂しいよ〜と言われ、確かに急に行くのを辞めるのは自分勝手かもしれないなと思う。
今日だけ、今日で最後にしよう。ホストの皆さんにはお別れを言おう。
「わかりました」
ただし今日で最後にします、と伝えホストクラブへと歩き出した。
三ヶ月ぶりのお店に入る。
前の私なら気分が上がっていただろう。しかし、シリルに遅くなることを伝えていないので心配になる。それに私だけお酒を飲むというのが気が引けるのだ。
そんな気持ちのまま乾杯をし、ピーターさんとお話をする。
「三ヶ月くらい会ってなかったよね〜! 今日来てくれて嬉しいよ! 俺、可愛いリサちゃんに何かあったんじゃないかって心配してたんだから」
あはは……と苦笑いしかできなかった。
彼はそれからも「あれ? 香水変えた? リサちゃんに合ってる」とか「仕事帰りだよね。制服姿すごく可愛い! いつもより大人の色気たっぷりだね」だとか沢山褒めてくれたが、前のように浮かれた気分にはなれなかった。
早く帰りたいので、お酒はほどほどにしてお会計を済ませた。
ホストの皆さんにお別れを伝えると「また来たくなったらおいで」と言われた。しかし、もう来ることはないだろう。
ピーターさんにも挨拶をし、家に帰る。
すっかり暗くなってしまった。シリルもお腹を空かせているだろう。
そんなことを考えながら家の鍵を開ける。
「ただいま。ごめんね、遅くなっちゃった」
玄関の扉を開けて中に入る。
いつものように上着をコートハンガーに掛けていると、シリルが「おかえり」と言ってくれた。
「ごめんね。お腹すいてるでしょ」
その言葉はシリルの言葉とかぶさった。
「どこに行ってたの?」
それには答えづらい。前世も今世も私がホス狂いだということを知っている人は居ないのだ。それに、今日でホストは卒業した。なるべくこの事は隠し通したい。
「ちょっと、先輩と飲み会に……」
シリルに嘘をつくのは初めてだ。心が痛む。
「ふーん。そうなんだ」
そう言うシリルはなぜだか怒っているような気がした。
次の日、朝起きてもシリルはどこか私を避けているようだった。
遅く帰ってきたから? しかし、シリルが私に対して怒ることは今までに一度も無かった。
もう仕事に行かなければならない。彼とは帰ってきてから話し合おうと決め、家を出た。
それがいけなかったのかもしれない。
家に帰ってくると私はシリルからある紙を渡された。
それは文官募集の広告だった。
「この試験を、受けようと思う」
「え……そんな、急に……? 文官に、向いてるかもとは言ったけど……」
もう少し後でもいいのではないか。
文官には誰にでもなれる訳ではなく、難しい試験に受からなければならない。
しかも、新人の文官は大量の仕事を覚える必要があったり、何かと先輩にこき使われる事がある。そう、家に帰る暇も無いほど忙しいのだ。
三年帰って来られなかった人も居ると聞いた事がある。
もしかして、シリルはここから出ていきたいのだろうか。
お金を稼いで自分だけで暮らせるようになりたいのだろうか。
なんで……どうして……
「シリルも私を置いていくの……?」
じわりと目に涙が溜まる。
シリルはずっと一緒に居てくれると思っていた。私はまた自惚れていたのか。
「違う! 俺はっ……リサと対等になりたいんだ!」
ショックを受けていた私は大きな声に驚いた。
そして、違うと強く否定された事がとても嬉しかった。
しかし私は彼と対等のつもりだった。
「黙ってたけど……この前ホストに行くのを見た。それを見てさ、リサにとって俺は弟みたいなものだって実感したんだ」
私が何も言えないでいると彼は続けて話し出した。
あの日、ホストに行くのを見られていたのだ。
だからシリルは怒っていたのだろう。ホストに行ったこともそうだが、私が嘘をついたことにも。
あの時のシリルの気持ちを考えると、ひどく申し訳なくなる。
だが私は今、シリルを弟だとは思っていない。
たしかに出会ってすぐの頃は私が守ってあげなきゃと思うことが多かった。
けれど最近は、私がシリルに支えてもらうことの方が多い。
それなのに。
「今みたいにおんぶに抱っこじゃ格好つかないだろ」
そう言ったシリルの顔は真っ赤だった。
「そんなことない」と言うべきだろうか。しかし、それは彼の求めている答えでは無いはずだ。
ここで言う「おんぶに抱っこ」とは金銭面のことで、おそらくピーターさんのように自立したいと思っているのだろう。
それが彼が私と対等だと言える条件。
もう一つ、気になることがある。
今までの会話の流れから、そしてシリルの態度からして、彼は……
「えっと、つまり……」
顔が熱い。きっと私も赤くなっているだろう。つまり、の続きを言うことはできなかった。
「つまり! リサが好きなんだ!」
勢いよく告白される。
一瞬、信じられなかった。
もしかしたらとは思っていた。しかし、異性とこんなにも親密になること自体が初めてなのだ。
緊張して、バクバクと音が聞こえるほど体が脈打つ。
「こんな俺を助けてくれる優しいところとか、一生懸命本を選んでくれるところとか、たまにドジなところとか。リサが俺だけを見てくれたらってずっと思ってる」
私の目をじっと見つめて、必死に私の好きなところを挙げてくれる。
そうだ。私も、彼のことが好きなんだ。だからホストに行くのを辞めたんだ。
涙がぼろぼろと溢れて目の前のシリルが歪む。
「絶対にリサを迎えに行く。だからそれまで、俺を信じて待っていて欲しい」
そう言ったシリルの顔はもう見えなかった。
「うんっ……待ってる、待ってるから……!」
優しく頭を撫でてくれるシリルの手が温かかった。
あれから、無事に文官試験を合格したシリルは中央都市に旅立って行った。
彼からは「イケメンが居てもついて行ったら駄目だから」と釘を刺されたが、言われなくてもついて行くつもりはない。もちろんホストにも行かない。
そんなことを考えながら書類をまとめる。
「もうそろそろ二年くらい経つわよね」
すると突然、隣に座って作業をしていたロシェルさんから話しかけられる。
彼女もちょうど思い出していたのだろう。
シリルが家を出てからもう二年になる。そんなに忙しいの?と、たまに思ってしまうが仕方がないと思う。
「はい……もう私の事なんて忘れてしまったのでは、と思う時があります……」
思わず弱音を吐いてしまうと「何バカなこと言ってるのよ」と笑われた。
「必ず帰って来てくれるって、そんなのリサが一番わかっているでしょうに」
「それは、そうですけど……」
いつ迎えに来てくれるのだろうと考えていると、ロシェルさんが「さ! 今日はこれで終わり! 帰りましょう!」とみんなに言って回っていた。
私も荷物をまとめ帰る準備をする。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。もう、外が暗くなり始めてるから気をつけて帰ってね」
そんなふうに全員に挨拶をし外に出る。
確かに外は薄暗かった。この町は治安が悪いわけではないが、良いわけでもない。
そのため女性が一人で暗い中歩くのは危険だ。無事に家に帰りたいので、なるべく速く歩いた。
しかし、絡まれてしまった…………ホストに。
「おねーさんおねーさん! 今時間あります?」
見た事ない人だ。顔も私の好みでは無い。
答えは一択。
無視だ。
あなたとは会話するつもりありませんオーラを出すことで、大体のキャッチは諦めて行く。
しかし、このホストは諦めなかった。
「あれー? ちょっとー! 無視しないでくださいよー!」
かなり早足で歩いているのに付きまとってくる。
しつこい。
もう走ってしまおうかと考えた瞬間、ホストに腕を掴まれた。
「なんで無視するんですか? 失礼だとは思わないんですか? 僕知ってます、時間あるんですよね? さ、こっちです。行きますよ」
「え、ちょ……ちょっと!」
急に強い力で引っ張られる。掴まれている腕が痛い。
連れていかれながら、一方的に話しかけられる。
「僕、何年か前……二年か三年かな、それくらいにおねーさんのこと知ったんですよ。そのときはピーターと一緒でした。でも、最近はここら辺で見かけなかったので今日会えてラッキーです」
「やめ、て……誰か……」
こんな人今まで居なかった。
声が震えて周りに「助けて」と言えない。
「どうしてホストに来るの辞めちゃったんですか? ピーターに飽きたら僕がおねーさんの担当になろうって決めてたのに」
でも、と続けてホストは言った。
「この前聞きました。『シリル』って奴と暮らしてたんですってね。でも、二年前働きに出たきり帰ってきてないって。捨てられたのでは?」
「そんなこと……」
そんなこと、絶対にない。
ロシェルさんもそれは私が一番わかっている事だ、と励ましてくれた。
「本当に? 本当に無いって言えますか? 現に二年も帰ってきていないんでしょう? 貴女は捨てられたんですよ」
「可哀想なリサ」ホストはそう言って不気味に笑った。
「見えてきましたよ。あそこが僕達の店です。今日はリサが店に来てくれた記念すべき一回目なので、お酒は僕の奢りです。たくさん飲んでくださいね!」
そこは錆びた看板のかなり怪しいお店だった。
ここに入ったら最後だと頭の中で警鐘が鳴る。
私は最後の力を振り絞って叫んだ。
「シリル!」
その瞬間、懐かしい声がした気がした。
それと同時に私の腕を引っ張っていたホストが吹っ飛んだ。
驚いてホストの方を見ると、なんと冒険者の方が既に拘束していた。
そして「リサ!」と懐かしい声で呼びかけられる。
まだ顔も見ていないのに、安堵と懐かしさで涙が溢れる。
彼は私をそっと抱きしめて言った。
「遅くなってごめん。迎えに来た」
とても感情のこもったその言葉を私は一生忘れないだろう。
「……おそすぎるよ」
泣きながら笑って、私はシリルを抱きしめ返した。