07.その感情は…?
リディアと最後に会ってから一週間後の朝。
ようやく彼女が僕の部屋へとやってきた。
「失礼致します。この度は大変長いお休みを――」
「僕が嘘をついているってどういう事だ!?」
「はい?」
その姿を見た瞬間、勢いよく立ち上がった僕は、思いのままに言葉を放っていた。
そんな僕を前にして、リディアはキョトンとしたまま固まっている。
――しまった……さすがに今のは性急すぎた。
密かに反省するも、彼女がこちらをジッと見つめる姿に、なぜかドキドキと胸の鼓動が落ち着かない。
本当に……あの日から僕はどうしてしまったのだろうか……?
失ったと思っていた感情が、彼女の言葉と共に呼び起こされたようだ。
僕の言葉が嘘だと言われた時、自分でも知り得なかった胸の内を見透かされた気がした。
なぜ彼女はそう思ったのか……あれからずっと気になっていた。
それなのに会う事もできず、言葉の真意を確かめられないままで……もどかしくて仕方なかった。
それに熱が出ていると聞いた時には、体の具合も心配だった。
ここ数日は仕事が手につかないほど、気付けば彼女の事ばかりを考えていた。
そしていざ、一週間ぶりにその姿を前にして……心が震えた。
自分でもよく分からない衝動に駆られ、とにかくすぐに声を掛けなければと思った。
しかし言いたい事は山ほどあったはずなのに、よりによって一番最初に出た言葉がそれとは……。
――もう一度、最初からやり直せないだろうか……。
そう後悔するも、もはやどうする事もできないのは分かっている。
ひとまず「んんっ」と不自然な咳払いをして気持ちを切り替えた。
「取り乱してすまない。君が先日、僕に言った事がずっと気になっていたんだ。……あと……君が元気そうで安心した」
「……えっと……急に一週間も前の話を振られても、ちょっと何を言っているかよく分からないのですが……。……はい……おかげさまで元気になりました」
なんともぎこちない言葉を交わし、気まずく視線を逸らし合う。
それにしても僕がこんなに気にしていたというのに、その事について彼女は全く覚えていないらしい。
僕との会話は、彼女にとって記憶に残らないほど些細な事だったのか……と、少し切なくなった。
「僕が兄さんの事を悲しいと思わないと言ったら、君が嘘をついていると言ったんだ」
若干、拗ねるような言い方になった。
すると侍女は「ああ!」と何かを思い出したようで。
「そういえばそんな事もありましたね」
さすがに思い出してはくれたらしく、ひとまず安心した。
それから改めて問いかけた。
「君は、なぜ僕が嘘をついていると思ったんだ?」
リディアが本当に嘘のつけない人間ならば、あの言葉も本心から出たものになる。
つまりなんらかの確証があり、僕が嘘をついていると判断したはずだ。
それは一体何だったんだ……?
「えっと……詳しく説明するのは難しいのですが……私、人が嘘をついているとなんとなく分かってしまうんです」
――人の嘘が分かる……? そんな特技があるのか……?
それは嘘のつけない彼女だからこそ分かるものなのだろうか?
「さすがに全ての嘘を見分ける事はできないですし、上手く説明はできないのですが……勘みたいなものですかね」
「だが、あの時僕は嘘をついたつもりはなかった」
「はい。御自分ではお気づきでなかったのでしょうね。無自覚嘘ってやつです。そういう事もありますから」
「無自覚……」
「では、私は仕事に戻りますね」
「あ……ちょっと待て!」
踵を返した侍女を今度こそ逃がすまいと、慌てて駆け寄り手首を掴んで引き止めた。
刹那、夕日色の髪がフワッと揺れ動き、リディアがこちらへ振り返る。
その顔は――この上なく嫌そうな顔をしていた。
自分の主人に対してなんという顔をするのだろうか。
どうやら嘘をつけないのは口だけではなく、外面にも正直な気持ちが現れるらしい。
「まだ何かありますか?」
リディアは訝しげに口を尖らせているが、こちらは彼女と会うのを一週間も待っていたのだ。
まだ話し足りないに決まっている。
とりあえず掴んでいた手首をそぉっと放し、問いかけた。
「……無自覚嘘とは……どういうものなのだ……?」
「言葉どおりです。嘘を言ったつもりはなくても、それは本心からの言葉ではないという事です」
「……そんな事が……?」
「はい。私もまさにそれで親と喧嘩しましたから」
「……なに? 君は嘘をつけないんじゃなかったのか?」
「ええ、故意的な嘘は無理ですけど、無自覚嘘は例外です。自分では嘘を言ってるつもりはないですからね」
「……」
それでもまだ納得いかない僕を見て、リディアは小さく息を吐きだし語り出した。
「私の場合ですが……もう侍女なんてやってられるかー! って実家に戻ったんですけど、それを父親に伝えたら『嘘つくな』って一蹴されたんですよね……。私の父親も同じ体質なんで、私の無自覚嘘に気付いたみたいで……。つまり……自分でも気付いていない本音の部分では、まだ侍女を続けたい気持ちがあったのでしょうね」
「……そうだったのか」
「そこから壮絶な口喧嘩が始まりまして……私も父も嘘がつけないので、とにかく言葉の殴り合いが酷いんですけど……これも聞きます?」
「いや……それは遠慮しておこう……」
確かに、彼女と喧嘩をしたら大変そうだ。
さすがに今の関係で喧嘩をする事はまずないだろうが……。
いつか僕たちの関係が変われば…………って、何を考えているんだ……!
頭に描きかけた妄想を振り払い、顔の熱が上がった気がするが、平静を装って口を開いた。
「それで……君は家を飛び出してきたという訳か」
「はい。『嘘つきが家に居ると気持ち悪いから出て行け』って言われまして……」
するとリディアは少しだけ恥ずかしそうに視線を伏せ、
「すみません。余計な話をしてしまいました」
急にしおらしくなると、ほっぺを人差し指でポリポリとかいている。
その仕草がなぜかやたらと可愛く見えた。
「いや……話してくれてありがとう。そうか……自分でも気付かない本音か……」
もし、リディアの言う通り……悲しくないという言葉が無自覚の嘘だとしたならば……。
「僕は今、兄さんが居なくなって悲しいのだろうか……」
もちろん兄さんだけでなく、マリエーヌに関しても同じことだろう。
「そりゃあ家族が亡くなって悲しいのは当然だと思いますよ」
――亡くなって……か……。
やはり二人は本当に死んでしまったのだろうか……。
それが曖昧だからこそ、自分の気持ちがよく分からないのか……。
ただ……やはり少し寂しくはあるかもしれない。
僕にとっての家族は、もう誰一人として残っていない。
思い出も何もかも……全て失ってしまったのだから……。
「では、私は今度こそ仕事に戻りますね。一週間も休んでしまいましたが、しっかり働いて挽回致しますので、減給は最小限に留めて頂けると助かります!」
リディアはきびきびとした口調で宣言するが、特に休んだからといって減給するつもりはなかった。
だが、その言葉を聞いて閃いた。
「それなら……今夜少しだけ、話し相手になってくれないか?」
僕の提案に、リディアはあからさまに表情を歪めた。
「え……? 業務時間外はちょっと……」
「特別ボーナスは出そう」
「喜んで!」
特別ボーナスという言葉を聞いてコロッと表情が変わると、リディアはキラキラとした期待の眼差しをこちらに向けている。
正直、ここの財政状況はあまり良くないが……これに関しては個人的な資産でなんとかしよう。
そう思うほど、もっと彼女と話をしてみたいと思った。
「それにしても、私と話をしたいだなんて……レイモンド様……もしかして……」
急に神妙な面持ちになったリディアがそんな事を言い出し、思わずドキっと心臓が跳ねた。
――なっ……何を勘違いして……いや、僕が勘違いさせるような事を言ってしまったのか!?
確かに、夜に侍女と個人的に会うのは……よく考えてみたら変な噂が立ちかねない。
そんなつもりは全くなかったのだが……やはりこの話はなかった事にした方が――。
「御友人がいないのですか……?」
「……」
僕の懸念を全て吹き飛ばすほどの暴力的な問いに言葉を失った。
まさに今、言葉で殴られたような感覚だ……。
僕を心底憐れむような視線がまた刺さる。
非常に不本意ではあるが……何も言い返せない。
それを反論したところで、どうせ嘘だとバレるのだろう。
――本当に……この侍女は余計な一言が多いな……。
だが、それすらも憎めず許せてしまう。
そして彼女と再び話ができると思うと、心が浮き立つようだ。
なぜそんな気持ちになるのか……その答えは、今は深く考えない事にした。




