表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

98/188

06.新しい侍女

 伯爵領に戻り……どれだけの月日が経ったのだろうか――。


 あんなにも慌ただしかった日々が嘘のように、僕の日常は落ち着きを取り戻していた。


 ただ、今もまだ胸にぽっかりと穴があいてしまったような空虚感が残っている。

 まるでそこから感情が抜け落ちてしまったかのように――二人を失った悲しみも、今は何も感じなくなった。


 淡々と日々の業務をこなし、当たり障りのない会話を交わし、一日の業務を終え夜が更けたら床に臥せる。

 同じような事を繰り返す毎日。それでも気は楽だ。

 感情のままに振り回されるのはもう疲れた。

 今はただ、この地に住む領民たちの事だけを考え、僕の役割を果たすだけだ。


 他の事に関しては、もうどうでもいい。

 自分の事さえも……考える気にすらならない。


 机の上に置かれている書類にペンを走らせ、それを積み重なった書類の上へと置いた。


 ――今日の分はこれで終わりか……。


 椅子の背もたれに寄りかかり、窓越しに外を仰ぎ見る。


 灰色に染まったその景色は、雲なのか空なのか……それすらもよく分からない。

 瞼を閉じると、真っ暗で無音な世界がどこまでも広がっている。

 まるで、色も時間も失ったような世界に、僕一人しか存在していないようだ。


 ――ここはなんて味気ない場所だろうか。


 コンコンコンッ。


 扉をノックする音が微かに聞こえて、瞼を開いた。


「失礼致します」


 開いた扉の先から現れたのは、三日前に新しく雇った侍女――リディアだった。


「レイモンド様。昼食の準備ができておりますが、いかがなされますか?」


 ――ああ、そんな時間だったのか。


「すぐに行く」


 椅子から立ち上がり、部屋から出ようとした時、リディアが「あ……」と口を開いた。


「レイモンド様、御髪が乱れておりますが……」

「……ああ、そうか」


 言われて後頭部を触ると、不自然な手触りの箇所があった。

 さっき椅子にもたれた時に乱れたのかもしれない。

 髪を結んでいた紐を解き、軽く指で梳かした後、再び結び直した。


「これでいいか?」

「はい。綺麗になりました……が」


 ――……が?


「なんだ? 他に何かあるのか?」 

「あ……えっと……ふと思った事がありまして……」


 リディアは不自然に視線を泳がせながら言い淀む。

 言いたいのか言いたくないのか……どっちなのだろうか……。


「言ってみろ」


 そう後押しすると、リディアは泳がせていた視線をこちらへ向けてキリっと表情を引き締めた。


「はい。それでは……レイモンド様はなぜ髪を伸ばされているのでしょうか? やはり伸ばした方がカッコイイと御自分で思われているのでしょうか?」

「……」


 最初の質問はまだいいとして、その次は余計じゃないだろうか。

 それではまるで僕がナルシストでもあるかのような言い方だ……。

 まさかこの侍女は髪を伸ばしている男は皆そうだとでも思っているのだろうか。

 他の男がどうかは知らないが……少なくとも僕は違う。


「いや、そんな風には思っていない。ただ……」


 頭に思い浮かべた人物――その姿を思い出すのはいつぶりだろうか。

 ふいに物寂しさを感じたが、それは一瞬の事で。

 

 途切れていた言葉を続けた。


「兄さんの面影を消したかっただけだ」

「……あっ! なるほど……確かに、短かったら公爵様と瓜二つで……」

 

 そこまで言うと、侍女の顔色がサーッと青く染まった。


「申し訳ありません……まさか公爵様の話が出てくるとは思わなくて……」


 先ほどまでの遠慮のない態度から転じて、リディアは急にしおらしくなると、頭を下げて謝罪した。

 どうやら兄さんの事を話題に出してしまったのを気にしているらしい。

 別に気にする必要もないのだが……。


 素直に反省する姿を前にして、逆にこちらが申し訳なく思えた。


 リディアは、以前まで都心部にある貴族の屋敷で侍女として働いていたらしい。

 しかし彼女は嘘をつけない体質で、その口が災いとなり仕事先を転々としていたのだとか。

 結局、都会を離れて故郷へ戻ったものの、そこで父親と大喧嘩をした挙句、家を追い出され……。

 それから故郷からさほど離れていないこの伯爵領へとやって来ると、住み込みで働けると聞いた伯爵邸の侍女を志願した……と、本人自らが語ってくれた。


 執事長は嘘のつけない侍女の噂を聞いた事があるらしく、彼女を雇う事に反対していた。

 だが、僕は悪くないと思った。

 むしろ少しだけ興味が湧いた。

 誰かの本音を聞ける機会など、そう多くはない。

 どんな本音が飛び出すのか、この際存分に聞いてみようではないかと思い、彼女を採用した。

 だから彼女の発言に関しては、寛大な心で受け止めようと決めている。

 

「いや、構わない。そう気を遣う必要もない」


 それはリディアだけではなく、皆にも言いたい事だった。


 兄を失い、公爵位も継がなかった僕に対し、皆がその件に触れないよう気を遣ってくれているのはよく分かる。

 だが……だからこそ、息が詰まりそうだ。

 皆に心配をかけまいと、こちらも常に気丈に振舞わなければならない。

 あんなにも安らげていた自分の居場所が、こんなに居心地悪くなるとは……。


 ふぅ……と、溜息を一つ吐き出し、呟いた。

 

「兄さんの事も……今はもう悲しいとも思わないからな」

「…………え?」


 途端、リディアは瞳を大きく見開き、キョトンとする。

 パチパチと瞬きを繰り返すと、ジィッと僕を凝視した。


「……なんだ? その反応は……」

「……いえ……レイモンド様も嘘をつくのだなと思いまして」

「何……?」


 ――嘘……だと……?

 

 そんなものを言った覚えはない。

 だが、よく分からない……胸騒ぎのようなものを感じた。

 今はとにかくその言葉を、否定したくて堪らない。


「僕は嘘なんてついていない」

「……あ、なるほど。気付いていないのですね!」

「なんだと?」


 ――気付いていない? どういう意味だ?


 それを問おうとした時、リディアは何かに気付いたように「ああ!」と声を上げた。


「そういえば中庭に水やりするのを忘れてました! ちょっと今すぐ行ってきますね!」 

「あっ……おい待て! まだ話は――」


 僕が呼び止める声を完全に無視し、リディアは勢い良く部屋から飛び出した。


 白いリボンで結ばれた長い髪が、走る彼女の動きに合わせてふわふわと揺れ動く。

 それは目が覚めるような、鮮やかな夕日色で……思わず見惚れてしまった。

 この世界にそんな色が存在したのかと思うほど……とても綺麗だと思った。


 一人残された部屋の中で、カチッ……カチッ……と振り子時計の音が規則的に鳴り響く。

 それからカタカタッと風で窓が動く音、廊下を歩く使用人の足音まで。

 まるで止まっていた時が動き出したかのように……いろんな音が聞こえてくる。


 そしてトクントクンと頭の中に響いてきたのは、自らの胸の鼓動だった。 


 ――僕が嘘をついている……? なぜ彼女はそう思ったんだ……?


 リディアの発言の真意が気になって仕方がない。

 今すぐにでも中庭に向かって彼女を捕まえたいが……それはさすがに気が引けた。

 

 ――同じ屋敷にいるんだ。どうせすぐに会えるだろう。 


 そう気持ちを納得させて、昼食を済ませるべく食堂へと向かった。

 その後、すぐに出掛けなければならない用事ができたため、結局その日はリディアと会えなかった。


 ――急ぐ必要はない。また明日、聞いてみよう。


 そう思っていたのだが……次の日、その次の日も、リディアは僕の前に姿を現わさなかった。


 さすがにおかしいと思い執事長に事情を聞くと、彼女はずっと放置していた虫歯が悪化したため休みを取っている、との事だった。

 すでに虫歯の処置は終えているが、いつまで経っても腫れが引かず、熱も出て働ける状態ではないらしい。

 自業自得だと言いたくもなるが、さすがに病人の元へ押しかける訳にもいかず、大人しく回復するのを待つ事にした。


 毎朝、目が覚めて部屋を出ると、自然と彼女の姿を探していた。

 日中も、ふと思い立って無意味に廊下を歩いていた。


 早くあの言葉の真相を知りたいからなのか……単純に、あの鮮やかな夕日色の髪をもう一度見たいからなのか……自分でもよく分からなくなっていた。


 彼女と再会するまでの間、一日一日がとても長く感じる日々だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 悲壮感が充満した世界に差し込む鮮やかな夕日 ……というか、どんな世界でもリディアはやっぱりリディアなんですねwww 真っ直ぐで一言多い レイモンドでなくても、リディアが口を開いた途端モノクロ…
[良い点] いつも楽しく読んでます! あ!ここで雇われてた〜 世界が違っても縁があるのね(笑) できたら、色のなかった世界に色を戻せる救世主になってほしいね~ (元の世界?)あちらも楽しそうだっ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ