05.焼け落ちた公爵邸
焼け崩れ落ち、折り重なった真っ黒な瓦礫が辺り一帯に広がっている。
美しく鮮やかに彩られていた中庭も、一変して焼け野原となり果てた。
もはや見る影も無くなってしまった公爵邸を前にして、ただ呆然と立ち尽くしていた。
生まれ育った屋敷も、両親との思い出が詰まった中庭も……何もかも焼き尽くされてしまった。
つい数日前に、ここで兄さんとマリエーヌと会っていたのが嘘のように……今は何も残っていない。
二人の姿も、ここにはもう――。
「レイモンド様。やはり例の片腕の神父が依頼した暗殺ギルドの人間の仕業のようです。神父も含めてすでに拘束済みで、今も尋問中です」
背後から声を掛けてきたのは、僕の仕事の補佐を務めているトーマスだった。
「……そうか」
トーマスの報告を聞いても、心境は何も変わらない。
犯人を捕らえたところで、二人が生き返る訳でもない。
失ったものは、もう二度と元には戻らないのだから……。
ただ……無念さがより膨れ上がったのは確かだ。
速やかに犯人を拘束できたのには理由があった。
以前から兄さんに怨恨のある人間の特定を進めていたからだ。
今の兄さんの状態を知れば、当然その命を狙いに来るであろう事は想定していた。
しかしその人数は予想以上に膨れ上がり、全ての人間の動きを掌握できなかった。
今回の主犯でもある片腕の神父も、そのリストに名はあった。
神父を拘束したまでは良かったが、すでに暗殺依頼が成立しており、それを食い止める事ができなかった。
――僕が甘かった……。確かな証拠を掴んでからと……慎重になりすぎたから……。
もっと早く行動に移しておけば……いや……危険だと分かっていたなら、警備を強化するなり、一時的にでも兄さんを安全な場所へ移すなり、もっとやり方はあったはずだ……!
兄さんなら……絶対にこんなミスは犯さなかっただろう……。
僕の判断ミスのせいで多くの人間が亡くなってしまった。
退路を断つように放たれた火は瞬く間に燃え広がり、当時公爵邸に残っていた人間は誰一人として助からなかったらしい。
――兄さんも……マリエーヌも――僕のせいで死んでしまった……。
込み上げる悔しさと後悔ばかりが絶え間なく押し寄せ、頭の中を埋め尽くしていく。
どうしてあの時こうしなかったのか……もっとやり方があっただろう、と――今更それを考えたところでどうにもならないというのに……。
自分の非力さに呆れ果てるばかりで、涙すら出てこない。
ただただ、自分が情けなくて仕方がなかった。
それでも、ここで打ちひしがれている場合ではない。
これ以上、無様な姿を晒す前に……あの二人のためにも、残された僕にはやるべき事がある。
この世で二人を弔える人間は、僕しかいない。
だからせめて二人があの世で幸せになれるよう――できる限り丁寧に送り出してあげよう。
「亡くなった人たちの亡骸はできる限り遺族の元へ返すように。兄さんとマリエーヌは僕が引き受ける」
「……」
公爵邸の跡地に目を向けたまま端的に指示を出すも、トーマスがいるはずの背後からは何も聞こえない。
振り返ると、トーマスは神妙な面持ちでグッと口を噤んでいた。
「……なんだ? なにか問題でもあるのか?」
「……はい……それが……」
そこで一度言葉を詰まらせ、言い辛そうに続けた。
「無いのです……。公爵様と……マリエーヌ様のご遺体が……」
「……なに?」
――遺体がない……? それはつまり……。
「まさか二人は生きているのか?」
「いえ……残念ながらそれはないかと……。拘束した男の一人が、公爵様を庇った女性を殺害したと供述しています。……恐らくその女性というのが……」
再びトーマスは言葉を詰まらせるが、その先の言葉は聞くまでもない。
「……間違いなく、マリエーヌだろうな……」
――そうか。マリエーヌは……最後まで兄さんを守ってくれたんだな……。
あの日見た、兄さんを守ろうとして僕の前に立ちはだかった彼女の姿を思い出し、再び胸が熱くなった。
それは兄さんが羨ましいとすら思えるほどに……美しく、勇敢な姿だった。
だが、さすがに手練れの暗殺者を前にして、女性一人の力ではどうにもならなかっただろう。
目の前で愛する人を傷つけられても、助ける事すらできなかった兄さんの心境は……どれほど辛いものだっただろうか……。
それを想像すればするほど胸の痛みは増すばかりだが……今、考えるべきは二人の行方についてだ。
「もし、マリエーヌが生きていたとして……兄さんと共に屋敷を脱出した可能性は?」
「それはありえません。公爵様の部屋と思わしき場所に車椅子の残骸が残っていました。負傷した女性が大人の男性を抱えて火の手があがる屋敷から逃げるなんて不可能です」
「そうか……ならば誰かが手助けしたという事は……?」
「それもないかと……。そもそも……あの二人を助けようと思う人物がいたのでしょうか……?」
「……いないだろうな」
あの状態の兄さんを助けて得をする人物なんていないはずだ。
むしろ死んで喜ぶ人間の方が多いとすら思える。
それにマリエーヌを気に掛ける人物も……残念ながらいないだろう。
彼女の義父と義妹に関しても調べたが……あまり良い情報ではなかった。
二人の味方となれる存在は僕しかいなかった。
だから僕だけは、二人を守らなければならなかったんだ。
それなのに――。
「じゃあ……二人は一体、どこへ消えたというんだ……?」
僕の問いに、トーマスは眉をひそませ口を噤んだ。
そして僕も、それ以上は何も言葉が出なかった。
忽然と姿を消した兄さんとマリエーヌは……今、どこに居るのだろうか。
生きているのか……死んでいるのか……それすらも確かめる事ができない。
だからだろうか……。
二人の死をどうしても受け入れる事ができなかった。
僕の知らない何処かで、もしかしたら生きているのではないかと……そんな事まで考えてしまう。
ただ……二人とはもう二度と会う事は叶わないのだと……そんな気がした。
まるでこの世界にたった一人だけ取り残されてしまったような孤独感。
それは、二人はもうこの世界には存在しないという事実を、僕の心に刻み込ませているようだった。
その後も、行方の分からない二人の捜索はしばらく続いた。
だが、有力な情報は得られないまま、捜索は打ち切られた。
それから間もなくして、諸々の必要な手続きを終えた僕は、自分の帰る場所――伯爵領へと戻った。
結局、僕は公爵位を継がなかった――。




