02.多忙な日々に追われて
それからしばらくの間、多忙な日々が続いた。
補佐官のジェイクまでもが事故に巻き込まれて亡くなり、兄さんの仕事の引継ぎが上手く進まなかった。
とはいえ、あの状態の兄から詳細を聞き出せるはずもない。
なによりも僕には時間がなかった。
一刻も早く自分の領地へ戻らなければならなかったからだ。
僕がここへ向かった後、伯爵領では突然の大雨により川が氾濫し、農作物に多大な被害を及ぼしたという便りが届いた。
辺境の地に在する伯爵領は、発展途上ではあるが自然が豊かで多くの領民が農作物を育て、生計を立てている。
どれくらいの被害かは見てみないと分からないが、とにかく早く戻らなけらばならない。
ひとまず執務室、兄さんの部屋にある書類を全て伯爵領へ送るように指示を出し、慌ただしく公爵邸を去った。
滞在期間は五日ほどだったが、マリエーヌと会う余裕もなかった。
そして兄さんの事も……初日にその姿を見たきり……もう一度会おうとは思わなかった。
伯爵領へ戻る道中、兄の現状を報告すべく皇宮にも立ち寄った。
謁見の間で、僕の報告を聞いた皇帝陛下はがっくりと肩を落とすと、不服そうに僕を次期公爵候補として指名した。
「出来損ないのお前に公爵が務まるとは思えんが……やむをえまい。皇族の血を引く人間は今のところお前しか残っていないからな。レイ……? はて……何と言う名だったか……まあいい。期待はしていないから好きにしろ」
そんな屈辱的な言葉と共に。
それでも拳を震えるほど握りしめ、ただただ頭を下げるしかなかった。
――何を言われようとも、公爵位を奪われなかっただけマシだと思うべきだ。
曽祖父の代から守り続けてきた、レスティエール帝国唯一となった公爵位。
それを今、失う訳にはいかない。
ようやく手にした……僕にとって唯一の武器でもあるのだから。
かつてはウィルフォード家以外にも、皇族の血を引く公爵家は複数存在していた。
しかし、その血筋は年々追うごとに次々と絶たれていった。
公爵家で生まれた男子が受けなければならない英才教育――その中で最も過酷と言われる毒の耐性を付けるための訓練。
それに体が耐えられず、多くの後継者候補が命を落としたという。
当然、兄さんも同じ訓練を受けていた。
時折、兄さんの部屋から聞こえてきた呻き声や叫び声は……恐らく毒の苦しみによるものだったのだろう。
実際に微量の毒を摂取しながら耐性を付けていくというものらしいが、詳細はよく分からない。
だが、いくら耐性を付けるためとはいえ……命を脅かすほどの毒を取り込む必要があるのだろうか……?
それを疑問に思ったところで、方針は変えられないが……。
皇帝陛下の命令は絶対だ。
それを拒否すれば、反逆罪だとみなされ極刑になりかねない。
父さんが僕を後継者候補から外したいと皇帝陛下に申し出たのも、それを覚悟の上だったのだろう。
その申し出が承諾されたのは運が良かったとしか言えない。
もしも却下されていれば、僕も同じ訓練を受け――命を落としていたかもしれない。
それを考えると、兄さんが僕の盾になってくれたと……感謝する気持ちもある。
しかしその反面で、兄さんがいるせいで僕は何も手にする事ができないと……何度恨めしく思ったか。
僕にとって兄は、この世で最も尊敬する人間であり――最も憎むべき存在だった。
――あんなにも欲していた地位が、こんな形で手に入るなんてな……。
だが兄さんと違って、僕は公爵としての教育を受けていない。
戦場での経験も浅いし、剣の腕も兄さんの足元にも及ばない。
帝国の剣となり、盾となる存在に、自分がなれるのだろうか……?
『お前には何も期待していない』
悔しいが、皇帝陛下の言葉を覆す力が僕にはない。
それでも……兄さんと同じようにはできないが……僕なりのやり方で、この地位を守っていくしかないんだ。
◇◇◇
それからは、とにかく必死だった。
災害による被害の復旧も、公爵となるための下準備も。
結局、公爵領の大半は帝国に返上する事にした。
公爵としての力は半減するが、現実的に見てもとても僕の手には負えない規模だった。
それでも残る公爵領は伯爵領の何倍もの広さになる。
やらなければならない事は山積みだ。
僕の動きに気付いた上位貴族の反発もあり、頭を抱える日々が絶えなかった。
それでも周りの人間や、伯爵領の民たちに励まされながら、一進一退を繰り返し、少しずつ色んな事が上手く回り始めた。
気が狂いそうなほどの多忙な日々の中で。
僕の頭の中からは、マリエーヌの存在も……兄さんの事も……すっかり消えてしまっていた。
二人の事を考える余裕などなかった……というのは言い訳だろうか。
だが、心に余裕のない中で誰かを思いやれる人間なんて、そう多くはいないだろう。
たとえそれが、血の繋がった家族であろうとも――。




