01.兄の存在が消えた日
公爵様が回帰する前の世界での、レイモンド視点のお話です。
何の前触れもなく、その一報は僕の元へ飛び込んできた。
兄さんが乗っていた馬車が山岳で土石流に巻き込まれ、大破したと――。
それを聞いた瞬間、頭を過ったのは変わり果てた両親の姿だった。
六年前、僕の両親も旅行先で馬車の滑落事故に遭い、命を落とした。
あまりにも突然の出来事で、知らせを聞いてもすぐには信じられなかった。
その姿を目にするまでは――。
二人の遺体と対面した時の事は、今も鮮明に覚えている。
幸いな事に、二人とも顔は綺麗だった。
だが――血の気の引いた白い顔、貼り付いたように閉じられた瞼と真っ青な唇、ピクリともしない冷たい体。
それはまるで二人の姿を模っただけの人形にも思えた。
そして僕の両親はもう、この世には存在しないのだと悟った瞬間だった。
あの時の喪失感を思い出し、再び胸が締め付けられる。
だが、それもとうの昔に過ぎた事だ。
――今はまず、兄さんの生死を確認しなければ……。
報告された内容によると、馬車はまだ大量の土砂に圧し潰された状態で、中の状態を確認するまで至っていない。
二次災害に警戒しながら、慎重に土砂を取り除く作業が行われているらしい。
そのため兄さんや一緒に乗っていたジェイクの姿はまだ確認されていない。だが、状況からして絶望的だろうと……。
それでも……兄さんはこれまで、数多の戦地に降り立ち死線を潜り抜けてきた人間だ。
名立たる敵将を何人も討ち落としてきた男が、そんな簡単に死ぬとは思えない。
むしろ死んだと見せかけるために事故を偽装したとすら考えられる。
兄さんが死んだとなれば喜ぶ人間も多いだろう。
使える人間は散々利用し、危うくなればあっさりと切り捨てるような兄さんだからな。
自分に恨みを持つ人間をぬか喜びさせ、おびき出そうとでもしているのか……?
自分の死を偽装してまで、一体何を企んでいるのやら……。
考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなり、思わず失笑した。
――あの兄さんが、死ぬはずないだろう。
だがこうなった以上、僕も一度公爵邸へ向かう必要がある。
ここからだと、どんなに急いでも三日はかかるが……仕方がない。
どちらにしろ向こうからの便りが着くのも同じくらいの時差が生じてしまう。
ならば行って確認する方が早いだろう。
もしかしたら、僕が着く頃には兄さんは何食わぬ顔で仕事をしているかもしれないが。
やれやれ……と、重い腰を上げ、僕はすぐに公爵邸へ向かう準備に取り掛かった。
快晴だった空に、いつの間にか暗雲が生じ始めている事にも気付かずに――。
◇◇◇
公爵邸へと向かった僕は三日後、兄さんとの再会を果たした。
僕の予想どおり、兄さんは死んでいなかった。
ただ――あの状態を『生きている』と言えるのか、僕には分からなかった。
公爵邸に到着してすぐに向かった兄さんの部屋で目にしたのは、ベッドの上で力なく横たわる兄の姿だった。
最初は眠っているのかと思った。だが、その瞼はしっかりと見開いていた。
それなのに、体はピクリとも動かない。唯一動いた瞳孔が僕をジッと捉えた。
今までは兄さんと目を合わせるだけでも緊張感が高まった。
全てを見透かすかのように、射抜かれそうな眼光に捕えられ、何度尻込みしただろうか。
だが、それも今は何も感じない。
ただ……少々、気まずさを感じた。
まるで知らない人間に見つめられているような気分だった。
それを拭うように、声を掛けた。
「兄さん……なのか……?」
しかし兄の姿をした男は僕を見つめたまま、何の言葉も返そうとしない。
――まさか……話もできないのか……?
それを確証づけるように、いつまで経っても返答はなく、それ以上声を掛けるのはやめた。
息が詰まるような沈黙が流れ――やがて僕を見つめる瞳が微かに鋭くなった気がした。
何かを訴えかけるような……余裕のない眼差し。
まるで「早く何とかしろ」と責め立てられているような気にもなり、咄嗟に目を背けた。
兄の眼差しから……そしてその姿からも……。
分からなかった。
こんな姿の兄と、どう接すれば良いのか――。
僕の知る兄は、誰よりも威厳に満ち溢れ、気高く強靱な人間だ。
人にスキなんて見せた事がない、この帝国唯一の公爵として絶対的な存在感を放っていた。
それなのに――今、目の前にいる兄はまるで別人だ。
――この男は、本当に僕の兄なのだろうか……?
そんな疑問すら頭を過った。
しばらくして到着した医師が兄の診察を終えると、静かに首を振った。
「これ以上の回復は見込めないかと」
そう断言された瞬間、僕の兄はもう、この世には存在しないのだと――そう思った。
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