03.レイモンド様との出会い
「久しぶりだな。その姿を見る限り、元気そうで安心した」
レイモンド様は、公爵様と同じ声でそう告げると、私の方へと歩み寄ってきた。
近付くほどに、その容姿が公爵様とそっくりなのがよく分かる。
絹のように美しく艶のある白銀色の髪も、ルビーのような輝きを放つ真紅の瞳も……公爵様に劣らぬ美しさに、目を奪われそうになる。
あえて公爵様と違う箇所を挙げるならば、髪を長く伸ばして一つ結びにしているという事と、前髪の分け目が逆だというくらいだろうか。
「大変ご無沙汰しております。レイモンド様も――」
お元気そうで……と続けようとしたけれど、久方ぶりに見たその姿は少し疲弊しているようにも見えて、言葉を変えた。
「……少し、お痩せになられましたか?」
「ああ……。色々とゴタゴタしていたからな……。おかげでここに顔を出すのもずいぶんと遅くなってしまった。以前に会ったのは半年以上も前になるかな?」
言われてみれば、ここ数ヶ月……少なくとも、公爵様の態度が変わってからは、レイモンド様は一度もここを訪れてはいない。
それまでは、二ヶ月に一度は顔を出しに来ていたはずなのだけど。
とはいえ、こちらもここ数ヶ月は目まぐるしい日々が続いていたので、特に気に掛ける余裕もなかった。
そしてふと思う。
――レイモンド様は、公爵様がお変わりになられたのは知っているのかしら?
伯爵位を持つレイモンド様は、ここから東部に向けて遠く離れた場所にある伯爵領で暮らしている。
ここへ来るのにも、馬車と汽車を乗り継いで三日はかかると聞いたけれど、そんな遠方に住んでいながら、こちらの情報がどれだけ行き渡っているのかは分からない。
だけど、私が公爵様に愛されるようになり、今は幸せに暮らしている事を知れば、きっと喜んでくれるはず……。そう確信している。
なぜなら、レイモンド様はこの屋敷で冷遇されていた私をずっと気に掛けてくれていた、私にとって唯一の味方とも言える人物だったから――。
◇◇◇
私とレイモンド様が初めて会ったのは、公爵様と結婚して間もなくの事だった。
レイモンド様は、私たちの結婚式に参列はしなかったものの、式を挙げてから数日後に公爵邸を訪れ、挨拶をするためにわざわざ私の部屋まで訪ねにきてくれた。
当時、公爵様に弟がいる事すら知らされていなかった私は、突然目の前に現れた公爵様そっくりな人物を前に、どうすれば良いかも分からず言葉を失い立ち尽くしていた。
そんな私に、レイモンド様は柔らかく笑いかけ、
「お初にお目にかかります。アレクシア・ウィルフォード公爵の弟で、レイモンド・ウィルフォードと申します。この度は、ご結婚おめでとうございます」
そう告げると、レイモンド様は丁寧に頭を下げた。
氷のように冷たい公爵様とそっくりな姿で、物腰柔らかく話かけてくれたレイモンド様に、私はただ戸惑うばかりで。
だけどあの時の私は、誰かにそんな風に優しく声を掛けられる事なんてなかったから……ただ、単純に嬉しかった。
自分の存在を気に掛けてくれる人が居たという事実だけでも、心が救われた。
他愛のない会話を少しだけ交わしてお別れの挨拶となったけれど、それだけでも、ここで過ごした孤独な日々の心の支えとなっていた。
それからも、二ヶ月に一度という僅かな回数ではあったけれど、レイモンド様が公爵邸を訪れた時には、決まって私の部屋にも訪ねにきてくれた。
あらぬ噂にならないようにと、部屋の扉を開けた先での立ち話でしかなかったけれど、私にとっては心安らげる貴重なひとときだった。
一年間の冷遇生活に耐え続けられたのも、レイモンド様の存在が大きかったかもしれない。
◇◇◇
そんな思い出に浸っていた私の耳に、レイモンド様の声が聞こえてきた。
「それにしても……しばらく会わない間にずいぶんと雰囲気が変わったな……。髪型もドレスも……半年前はそんな風ではなかったと思うが……」
レイモンド様は訝しげに私の頭の上から足元まで観察するように視線を動かした。
その言葉はごもっともで、今の私と半年前の私の姿とではずいぶんと違いが生じている。
以前の私は自分の身なりについては気に掛けもせず、髪は櫛で梳かすくらいで、僅かにあった飾り気のない質素な洋服を着回すだけだった。
それに比べて、今は毎日リディアが髪飾りを使って可愛くヘアアレンジをしてくれているし、身に纏うドレスも、装飾は控えめながらも、レースが沢山施された可愛らしいデザインの物を着用している。
手首には、公爵様の瞳を連想させるルビーがはめ込まれたブレスレットがキラリと光っている。
これらは全て公爵様が贈ってくれた物で、この他にも一室に納まりきらないほどのドレスや装身具が贈られている……と言ったら、レイモンド様は信じてくれるだろうか。
どこから説明するべきかと思い悩んでいると、途端にレイモンド様の瞳が鋭く尖り、その視線は私の傍にいるリディアとアイシャへと向けられた。
「それに……見覚えのない侍女だな」
レイモンド様の口から小さく呟かれた声は、低く冷たいものだった。
威圧的な視線を向けられ、リディアはあからさまに不快さを顔に滲ませ、一方のアイシャは怯えるように項垂れ、震えている。
レイモンド様は、以前まで私が使用人たちからも冷遇されていたのを知っている。だからこそ、わざとそういう態度を見せて彼女たちを威嚇しているのだろう。
だけどそれも今は違う。私を慕ってくれている彼女たちにそんな目を向けられて、私も黙ってはいられない。
私はレイモンド様の視線遮るように間に立ち、その真紅の瞳と向き合った。
「レイモンド様。二人は私の大切な侍女です。そのような目で見られては、彼女たちが怖がって萎縮してしまいます」
そう訴えると、レイモンド様は大きく目を見張り、私を凝視した。
「……驚いたな。君がそんな風に言うなんて……」
「……あの時とは、色々と状況が違いますので」
私を心配しての行動を取ってくれたレイモンド様に、感じの悪い返しをしてしまったのは少し心苦しい。
だけど、どう説明すれば良いのだろう。
公爵様に愛されるようになったと告げても、多分すぐには信じてくれないだろうし。
――とりあえず、まずは今の公爵様に会ってもらった方が良いわよね……。
「レイモンド様は公爵様に会いに来られたのですよね? 公爵様は二階の書庫にいらっしゃるはずです」
「ああ。そうらしいな……だが、今日は兄さんに会う前にマリエーヌに会っておきたかったんだ」
「え……? 私に……ですか?」
今度は私の方が目を見張り、首を傾げる。そんな私に、レイモンド様はどことなく嬉しそうに微笑むと、羽織っているロングコートで隠れていた右手を差し出してきた。
その手には、真っ赤な薔薇の花束が握られている。
「マリエーヌ。これを君に渡したくて持ってきたんだ」
――これを……私に?
なぜか花束を贈られようとしている状況。レイモンド様の言葉の意味も分からず、差し出された花束を前に立ちすくむしかない。
その時だった。
「マリエーヌ‼」
突然、頭上から私の名前を叫ぶ声が聞こえ――次の瞬間、突風にあおられて私の髪が大きくなびいた。
反射的に瞼を閉じ、再び開いた私のすぐ目の前には、公爵様の後ろ姿があった。




