12.今度こそ
「ジェイク。お前にとって幸せとは何だ?」
そう問いかけると、僕の目の前にいる男は「待ってました」と言わんばかりに、ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべた。だが、僕の向ける視線に気付くと、コホンッ…とわざとらしく咳をして、何食わぬ顔に戻った。
――コイツ……さては僕の質問を待っていたな……?
そう確信した。
あれから僕は、屋敷で働く侍女や他の使用人達に同じ質問を聞いて回った。僕から話しかけられた者はみな、目を丸くして驚いていたが、戸惑いながらも僕の質問に答えた。
そんなやり取りは、使用人達の間で話題となったのだろう。それをジェイクが耳にした可能性はある。執務室に来た時から、何やらソワソワと落ち着かないとは思っていたが……。
今の反応は完全にそういう事だろう。
そのあからさまな態度に、「やはり今のは聞かなかった事にしてくれ」と言いたくなったが、こんなヤツの幸せすらもマリエーヌが望んでいるのだから致し方ない。その言葉をグッと飲み込み、ジェイクの答えを待った。
ジェイクは白々しく「そうですねぇ……」と言って、笑みをこらえる口元をプルプルと震わせる。やがて晴れやかな笑顔を僕に向け、
「私の幸せは、公爵様が真面目に仕事をして下さる事です!」
歯切れよく言い放った答えは、あまりにもつまらないものだった。
「そうか。お前の幸せとはその程度のものなのか。器の小さいヤツだな」
「いや……そもそも、公爵様が仕事をしてくれないのが悪いのですよ……? そのしわ寄せを死ぬ気で対応している僕に対して、その言い方酷くないですか……?」
何かブツブツと言っているが、それを無視して、僕は目の前に積み重なっている書類に手を伸ばした。
文字の羅列に目を通し、スラスラとサインを書いては次の書類に手を伸ばす。
そんな僕の姿を見て、ジェイクもいそいそと自分の仕事に取り掛かった。
暫くの間、書類処理に集中する。
流れ作業の様に処理済みの書類を机の端に置き、次の書類を手に取り――。
ある文字に目が止まった。
『養老院建設許可の要請』
今まで、何度も目にしてきた一文だった。
僕が不要だと判断し、細かい内容には目もくれずにずっと蹴り続けた案件だ。
『役に立たない人間を都心部に居座らせる必要は無い』
そんな理由で、建設を拒否し続けた。
だが、何度拒否しても、それを求める要求が後を絶たなかった。時には署名活動まで集って建設を訴えてきた事もあった。
つまり――それだけ必要としている人間がいる。という事だ。
単純に、養老院だけを求めるのなら、辺境の地にいくつかある。
自分で看れないのなら、そこへ預けてしまえばいいだろう。
だが、こんな都心部に必要だと声を上げる理由は……その人と離れたくない。一人にしたくない。そんな思いもあるのだろう。
……その気持ちはよく分かる。僕も、マリエーヌと離れたくなかったから。
そんな自分の思考に、思わずフッと笑いが込み上げた。
――僕でも、分かるようになったんだな……人の気持ちというものが。
今まで、自分以外の人間の感情など、気にした事もなかったというのに。
後悔を積み重ね続けたあの日々は、少しずつ……だが、確実に僕を変えていったらしい。
その書類の詳細に目を通し、迷う事なく許可証明のサインをした。
「ジェイク、これは急ぎで頼む」
次の書類に目を通しながら片手でそれを差し出すと、ジェイクがすぐさま受け取った。
「公爵様……よろしいのですか?」
ジェイクの戸惑う声が聞こえるが、顔を上げる事なく言葉だけを返す。
「ああ。それも誰かの幸せに繋がっているのだろう」
ガタンッッ!
突如聞こえた物音に、仕方なく顔を上げて様子を窺うと、ジェイクが床に尻をつき唖然とした顔で僕を見ていた。
「すいません。驚きすぎて腰が抜けました」
「さっさとしろ」
ギリッと睨み付けると、ジェイクは書類を手にして素早く立ち上がり作業に取り掛かった。
前から知ってはいたが、やはり僕に対する周りのイメージは非道極まりない人間なのだろう。
この根底にある僕のイメージも、これから変えていかなければならないのか……。
ハァ……と小さく溜息を吐き出すと、椅子に背を預けて天を仰いだ。
そしてこれからの事をしばし考える。
『お前にとっての幸せはなんだ?』という僕の問いに、家族の幸せを願う者も多かった。
それはつまり……僕は使用人だけでなく、その家族の幸せまでも考えなければならなくなったという事だ。
それは一体、どれだけ途方の無い数だろうか。
結局のところ、この屋敷に居る者だけでは事足りず。
この領地……いや、この国で暮らす人々の為になる様に、僕はこれから働きかけていかなければならない。
たった一人の女性を幸せにする事が、こんなにも膨大な規模に渡るものだったとは……。
果たして、公爵という爵位一つでどこまで出来るかは分からない。
だが、マリエーヌが守ってくれたこの誇りがあれば、多くの人間を幸せに導く事が出来るだろう。
それが全て、マリエーヌの幸せの為なのだと思えば……僕は一つも諦める訳にはいかない。
その燃え滾る様な熱い決意を胸に、グッと拳を強く握った。
そして僕の目の先に居るジェイクの後ろ姿に向けて声を掛ける。
「ジェイク、幸せか?」
「え……? あ……はい! 公爵様が仕事をして下さるので、幸せの限りです!」
振り返ったジェイクは満面の笑みを浮かべている。たしかに、幸せそうだ。
また一人、僕は幸せに出来たという事か……。
「そうか。それは良かった」
期待通りの答えに満足し、僕は椅子から立ち上がり廊下へ繋がる扉へと向かった。
「――って、公爵様、どちらへ!? まだ仕事は全て終わってないのですが!?」
「お前の幸せはこれで終わりだ」
「は……? えっと……それはどういう――」
「僕は忙しいんだ。これから何千、何万人もの人間を幸せにしなければならないからな」
「…………はい?」
「ああ、そうだった」
首を傾げて硬直したジェイクに、例の質問をぶつけた。
「ジェイク。想いを寄せる相手に愛を伝えるとしたら、どんな方法が良いだろうか?」
その問いに、ジェイクは硬直を解いて目を丸くした。
「え……? ……それって……マリエーヌ様の事ですよね?」
「当たり前だ。お前なら、想いを寄せる相手にどんな事をする?」
「ちょっと待ってください。色々と頭が追い付かなくて……えっと……そうですね……。私なら……自分の瞳と同じ色をした宝石のアクセサリーを贈ります。私ならサファイアですね」
ジェイクは自らの瞳を指さし、自慢げに告げるが、どう見てもそれはサファイアには見えない。せいぜい濁った川だろう。
「……公爵様。今、物凄い失礼な事を考えていません?」
――察しだけはいい奴だな。
「気のせいだ」
「なら良いのですが……。女性達の間では、意中の男性の瞳と同じ色をした宝石のアクセサリーを身に付けるのが流行っているのです。つまり、男性がそれを贈るという事は、自分に想いを寄せてほしいという意味があるのです」
「……なるほどな」
瞳と同じ色の宝石……僕なら、やはりルビーだろうか。
今日は夕方に宝石商の人間が来る予定だ。ちょうどいい。ありったけのルビーを仕入れておくとしよう。
「やはりお前は頼りになる。昨日は殺めようとして悪かったな」
「……へ……? 公爵様が……ほ、褒め……あやま……え……?」
「その調子で、これからも僕の右腕として仕事に励んでほしい」
「……え? ええっと……改めて言われると照れますね……ですがそれはもちろん、言われるまでもなく私はこれからも公爵様の元で……っていない!? やりやがりましたね公爵様ぁぁぁぁぁ!?」
とっくに執務室を後にしていた僕は、廊下を鳴り響かせた声を聞き流して歩む速度を速めた。
それからは一日中、残りの使用人達に同様の質問を聞いて回った。
『美味しい物が沢山食べれる事』
『子供が健やかに成長してくれる事』
『争いのない平穏な日常が続く事』
答えを聞くたび、人それぞれ違う幸せの形があるのだなと感心する。
そして、愛の伝え方も……みな違うのだな……。
『恋愛に正解は無い。相手を思いやり、愛する事こそが大事なのだから』
いつぞやの誰かが書き綴ったその言葉が、やっと腑に落ちた。
マリエーヌは皆の幸せを願う優しい女性。
だが、やはり皆の幸せは皆の幸せであり、マリエーヌ自身の幸せは、マリエーヌの中に存在する筈だ。
それでは、彼女の幸せとは一体何なのか……それを僕なりに考えてみた。
そして僕が導き出した結論――それはやはり『愛』だと思った。
自分が愛される筈がない、と自信を持てない彼女に。
僕がどれほど君の事を愛しているのか……自分がどれだけの人々に愛される価値のある人間なのか。それを知ってほしい。
その為には、外の世界へ駆け出し多くの人々と出会う事も必要かもしれない。
そうすればきっと、マリエーヌは多くの人々に愛されるだろう。
出会いの数が多ければ多い程、誰もが彼女に惹かれる筈だ。
だが、マリエーヌの一番だけは譲れない。
僕がマリエーヌを誰よりも愛し……そしていつの日か……マリエーヌに愛されたい。
愛し合う夫婦の形。
それが僕達の幸せに繋がっているのだと思う。
その為にも、これからも僕は彼女への愛を伝え続ける。
この揺るぎない愛を証明し続ける。
それに今の僕には、彼女の幸せを願う、多くの心強い同士達がいる。
今度こそ、彼女を幸せにしてみせる。
いや――必ず幸せにするんだ。
翌日――。
僕はいつもの様に花束を持ってマリエーヌの部屋の前に待機している。
今日は日が昇るよりもずっと前に起きて花を摘んでいた。
というのも昨日、使用人から聞いた『フラワーアレンジメント』とやらをさっそく試してみたからだ。
色んな装飾を施すとは言っていたが、実物を見た事がないのでよく分からなかったが。
とりあえず、昨日仕入れたばかりのルビーを思いのままに散りばめてみた。
僕の瞳の色をした薔薇と宝石。なかなか良い物が出来上がった。
これこそ、僕の愛を証明する最高の組み合わせだろう。
むしろこれらを見るたびに、僕の顔を思い浮べたり……なんてな。
そんな事を考え、フフ……と思わず笑いが零れた。
――さあ、そろそろマリエーヌが起きる時間だ。
果たして彼女は、僕の愛が沢山詰まったこの花束を前にして、どんな反応を見せてくれるだろうか――。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
外伝はこれで完結となります。
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今後は時々、番外編を更新したいと思っております。
番外編のリクエストがあれば、感想や活動報告のコメントで教えていただけると嬉しいです!
本当にありがとうございました!
三月叶姫




