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11.幸せとは

 翌日の朝。

 僕はいつもの様に花束を持ってマリエーヌの部屋の前までやってきた。

 間もなくして、扉を開けて姿を現したマリエーヌは、今日も神々しい輝きを放っている。

 最初のうちは、僕を見るたびに驚いたり硬直したりといった反応を見せていたが、今はそれも落ち着いたようで、僕と目が合うと柔らかく笑ってくれる。そんな姿に、愛しさが込み上げる。


「おはよう、マリエーヌ。今日はガーベラの花を摘んできたんだ。君に似合う色を選ぼうとしたが、どんな色でも似合うと思って全部の色を摘んできてしまった……どうか受け取ってくれるだろうか」


 そう告げて、腕に抱える色彩豊かな花束を差し出すと、マリエーヌは口元に手を当て、可愛らしくクスッと笑った。


「おはようございます、公爵様。素敵な花束をいつもありがとうございます」


 そう告げて、マリエーヌはいつもの様に花束を大事そうに受け取ってくれた。


 火傷をした右手の甲には何も巻かれておらず、薄らと赤みを帯びてはいるが、たしかに酷くはなかったらしい。

 明日にはその痕も殆ど分からないものになっているだろう。

 大事に至らなくて本当に良かった。


 しばし笑顔を交わし合う僕達の間に、昨日の気まずさは微塵も残っていない。


 昨日、夕食を食べ終えてから、僕はマリエーヌの大切な侍女を勝手に解雇しようとした事について謝罪した。

 するとマリエーヌも、「心配して下さったのに、あのような発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」と頭を下げてきた。

 結局、「いや僕が――」「いえ私も――」とお互いが譲らず謝り合う形となってしまったので、この話はもう終わりにしようという事になった。

 

 それから、僕が侍女を解雇するのはやめにして、これからもマリエーヌの元で働いてもらうと伝えると、どことなく暗かった彼女の表情が一気に明るくなった。


 その笑顔は、どんなプレゼントを贈った時よりも嬉しそうだった――。



 

 

 僕に次いでマリエーヌの部屋へやってきたリディアが、いつもの様に花束を回収して廊下を駆け出した。それから僕は、いつもの様に彼女の右手をソッと手に取り持ち上げた。


「マリエーヌ」


 愛しくて仕方が無い名前を呼ぶと、彼女の頬は火が灯る様に赤く染まる。


「愛しているよ」


 その言葉を噛みしめて、僕はその手の甲にキスを落とす。

 

 いつもの様に――。


 今、この瞬間の幸せを、心に深く刻み込むように。


 



 マリエーヌとの朝食を終えた僕は、彼女に火傷を負わせた侍女の部屋を訪れた。


「こ……公爵様……!?」


 僕の顔を見るなり、侍女の顔は色を失い真っ白になる。

 次の瞬間、その体が折れ曲がったかと錯覚するくらい勢いよく頭を下げた。


「おはようございます! 昨日は誠に、申し訳ございませんでした!」


 声を張り上げ謝罪する姿に、廊下を歩いていた使用人が見て見ぬふりをして通り過ぎていく。

 

「反省しているのならもういい。僕も昨日は冷静では無かったからな……。早く顔を上げろ」


 僕の言葉を聞くなり、侍女は恐る恐る顔を持ち上げた。

 その瞼は腫れ上がっており、泣いた後が見て取れる。短く切り揃えられた深紫(こきむらさき)の髪には、遠目でも分かる程、白髪が入り混じっている。着ている質素な洋服には、布をあてがって補修した箇所がいくつか見られた。

 そんな姿から察するに、昨日の件については反省しているのが窺える。根は真面目な人間である事も。

 

 せっかくありつけた職を失う訳にもいかず、身体の不調を押し切って出勤した……というところだろうか。

 だが、それでミスをしてもらっては本末転倒だ。


 とりあえず、今日は自室で休むようにとリディアを通して伝えておいた。

 だが、部屋の中を覗くとベッドの上は綺麗に整えられ、休んでいた形跡は見られない。

 その変わり、部屋の真ん中にトランクが一つ置かれている。


 恐らく、解雇される事を想定して荷物の整理をしていたのだろう。

 

 それも仕方あるまい。

 昨日、僕があんな風に言ってしまったのだから。


 頭を抱え、ハァッ……と溜息とも言えるものを吐き出すと、侍女はビクッと肩を揺らした。


「そう怯えるな。お前をこの屋敷から追い出すつもりはない。体調が良くなったら今まで通り、ここで働いてもらう」

「!? ……え……? ……ど、どうして……」


 信じられないという表情で目を見張る侍女に、僕は不服の意味を込めて首を傾げた。


「なんだ? 嬉しくないのか? 別にお前が辞めたいと言うのなら、辞めてもらっても良いのだが」

「い……いえ! ここで働きたいです! どうか働かせて下さい!」

「待て。そこまでしなくとも、働いてもらうと言っているだろう……」

 

 両膝を床につけて、昨日と同じ様にひれ伏そうとした侍女を、咄嗟に制止した。


 そんな場面を他の者に見られてしまったら、また僕の印象が悪くなってしまう。それでは不味いのだ。

 僕はこれからマリエーヌだけでなく、この屋敷で働く全ての人間とも信頼関係を築かなければいけなくなったのだから。


 とりあえず侍女を立たせ、言わなければならない事を強い口調で伝えた。


「お前が犯したミスは、決してあってはならない事だ。主人に火傷を負わすなど言語道断。二度とあの様なミスをしてはならない。」

「はい……。おっしゃる通りでございます……」

「もし、もう一度同じミスを繰り返した場合、今度こそお前を解雇する。マリエーヌがどんなに庇おうともだ」

「はい」

「……それが嫌なら……体調が良くない時は休め。休んだからといって解雇もしない。マリエーヌがお前の入れるお茶を楽しみにしているからな」

「……!! あ……ありがとうございます! ありがとうございます!」


 瞳に大粒の涙を浮かべた侍女は、再び勢いよく頭を下げると、二度、三度、感謝を述べた。

 いつまでも顔を上げようとしないその後頭部に向けて、僕は声を掛けた。


「ところで……お前にとっての幸せとは何だ?」

「……え?」


 侍女はすぐに顔を上げると、呆気に取られた様にキョトンとした。


 ――少し唐突すぎる質問だったかもしれないな。


「お前にとっての幸せは何なのかと聞いている。金でも身分の良い男でも、何でもいい。正直に答えてみろ」

 

 分かり易く問うと、呆けていたその表情が、次第に柔らかい笑みへと変わった。


「私の幸せは、これからもマリエーヌ様にお仕えする事でございます」


 己の胸元に手を当て迷いなくそう告げた侍女は、幸せに浸るような笑みを浮かべている。


「お前……素晴らしい事を言うじゃないか」


 思わず称賛した。予想外の言葉だ。

 新しい洋服も買えない程に貧しい生活をしていたのだから、もっと贅沢な暮らしがしたいとでも言うのかと思っていたが……。


 ――だが……悪くない。素晴らしい心構えだ。


 今の言葉を、幸せは金だ男だと言い切った奴にも聞かせてやりたい。

 というか、この女をマリエーヌの専属侍女にするべきだったのではと、密かに後悔した。

 

「お前、名は何と言う?」

「え……あ……はい! アイシャと申します!」

「そうか……ではアイシャ。これからも己の幸せの為に、マリエーヌに誠心誠意付き従うように。お前の幸せは、マリエーヌの幸せでもあるのだから」

「あ……ありがとうございます! ありがたき幸せでございます!」


 体を震わせて感激する侍女の瞳からは、涙が次々と零れ落ちた。

 だが昨日とは違い、その瞳はキラキラと光り輝き喜びに満ちている。


 まずは一人、彼女の大切な人を幸せに出来た……と思ってよいのだろうか。

 

 だが、まだ一人。先に続く道はずっと長い。

 だとしても、これも全てはマリエーヌを幸せにする為には必要な事。

 一歩ずつ、確実に進んでいくんだ。僕達の未来の為にも。


 その為には――まだ必要な事がある。


「もう一つ、聞きたい事があるのだが――」


 僕の質問を聞いたアイシャは、一瞬目を見開き驚いたが、すぐに笑顔を浮かべて恥ずかしそうにしながらも、丁寧に答えてくれた。


読んでいただきありがとうございます!

予告より一日早いですが、夜にもう一話投稿して外伝完結とさせて頂きます。

ここまでお付き合い下さりありがとうございます。

本編へと繋がるラストも見届けて頂けると嬉しいです!

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