04.違和感
次の日、その次の日も。朝、目覚めるとすぐに中庭へと向かった。
中庭で一緒に過ごしたマリエーヌとの思い出に浸りながら、贈る花を選ぶのはなんとも言い難い至福な時間だった。
その花を自らの手で彼女に贈れるのだと思うと、舞い上がる気持ちを抑えきれず、気付いた時には両手一杯に抱える程になっていた。
何束にもなってしまった花束を抱える僕を見て、彼女は口をポカンと開けたまま固まってしまったが、そんな姿もまた可愛らしく思えた。
だが、一度に受け取りきれずに困らせてしまったので、次からは気を付けようと深く反省した。
何も無かった彼女の部屋が、僕の贈った花で少しずつ彩られていく。
喜ばしい変化だ。
変わった事は他にもある。
マリエーヌの身の周りを世話する侍女の存在だ。
新しく雇った侍女達は、言わば労働階級の人間。
今までの僕なら、そんな身分の人間をこの屋敷に呼ぶ事など、まずありえなかった。
だが、人間性を推し量る上でそんな階級など関係ないというのは、前の人生でよく思い知った。
ましてや階級を気にする貴族達にとって、男爵令嬢から公爵夫人に成り上がったマリエーヌの存在は面白くないのだろう。
それがマリエーヌを辛い境遇にさせてしまった要因の一つだと思うと尚更、そんな人間を雇う気にはなれなかった。
とりあえず臨時で三日間という契約の元、身なりの良いとは言えない彼女達を公爵邸に招き入れた。
彼女達と初めて対面したマリエーヌは、その身分を気にする事なく腰を低くして挨拶を交わした。
彼女達はというと、新しい主人が自分に頭を下げる姿に驚きを隠せず立ちすくんでいた。
だが、挨拶を終えた後には誰もが目を輝かせ、マリエーヌの元で働ける事に喜びを感じ始めていた。ほんの僅かな時間だったが、早々にマリエーヌの優しさに心惹かれた様だ。
なかなか人を見る目がある、と正直感心した。
まあ、女神でもある彼女を前にして、そうならない方がおかしい事ではあるが。
マリエーヌも、誠心誠意働く侍女達の事をすぐに気に入ってくれたらしい。
侍女と話をするマリエーヌはとても朗らかでよく笑っている。……その姿には少々、嫉妬してしまうが。
先程も仲睦まじく話す姿を見かけて、つい相手の侍女を睨んでしまったが、一緒に居たマリエーヌまでも怖がらせてしまった。
なんとも大人げない事をした。
もっと広い心を持って、余裕のある男を見せなくてはならないというのに……。
――何はともあれ、侍女達に関しては契約期間を延長しても問題ないだろう。
それに彼女達の中から、マリエーヌの専属侍女に相応しい人材を選ぶ事も出来た。
当初はマリエーヌ自身に気に入った侍女を一人選んでもらい、専属侍女を決める予定だった。
だが、それを伝えるとマリエーヌは「皆さん、本当にとても良くしてくださいましたので、一人だけ選ぶというのはちょっと……」と口を濁らせた。
それならばと、代わりに僕が専属侍女を指名した。リディアという一風変わった侍女を。
リディアはどうやら嘘がつけない性質らしく、そのせいで職場を転々としていた経歴がある。
それは僕に対しても例外なく発揮された。
マリエーヌの事を紹介する前、「お前達が今から目にする人物は神だ」と伝えた僕に対して、「それはもしかして死神ですか?」と聞いてきた時にはさすがに殺意が湧いたが。
だが……考えようによっては、彼女は利用価値があると言える。
その性質を利用すれば、マリエーヌの正直な気持ちを知る事が出来るかもしれない。
他の奴らみたいに建前だけで適当に見繕い、僕の機嫌を取る事もないだろう。
数少ない、信頼出来る人物になるかもしれない。
それに侍女の中でも、特にマリエーヌを慕っていたのは他でもない、彼女自身だった。
もしも何か問題を起こすようであれば……今まで通り、すぐに解雇してこの屋敷から追い出せばよい。それだけの事だ。
これで僕が仕事で傍に居られない時でも、マリエーヌの周りには常に誰かがいる。
もう、寂しい思いをさせる事もないだろう。
――と、そこまでは良かった。
全て順調にも思える……が、上手くいかない事がある。
それは、僕とマリエーヌの関係だ。
あれから僕は、毎日の様に彼女の名前を呼び、愛を囁き、言葉を沢山交わす様になった。
手を繋いで一緒に中庭も散歩した。最初は彼女も少し緊張していたが、庭に咲く花を見て柔らかく笑うその姿は、やはりどんな花よりも美しかった。
他にも、ドレスやアクセサリーなど、女性が好みそうなプレゼントも集められるだけ集めて贈った。
山積みになったプレゼント箱を前にして、目を丸くさせながらも、「ありがとうございます。大切にします」と言って受け取ってくれた。
食事の時間も常に一緒に居るし、仕事の合間を縫って会いにも行っている。
今までと比べて、マリエーヌと一緒に居る時間は格段に増えた。
僕達の関係もずっと良くなっているし、仲も深まっている筈だ。
それなのに……なぜか、彼女との距離が縮まった気がしない。
上手く説明し難いが……僕と彼女の間には、何か見えない壁がある様にも思える。
何よりも彼女は――僕と目を合わせようとしない。
たとえ目が合ったとしても、どこか気まずそうにしながら逸らされてしまう。
――僕の体が動かなかった時、マリエーヌはよく僕の目を見てくれた。
僕の気持ちを読み取ろうと……伝える事の出来ない本心を探る様に。
それ程に、彼女は僕の事を知ろうとしてくれた。
だが、今は違う。
マリエーヌは……僕の事を知ろうとしていない。
僕がどれだけ心を開こうと、彼女は決して足を踏み入れようとしない。
まるで自分にはそんな資格がないと、諦めるかのように。
僕が伝える愛の言葉もきっと、本心では信じられていないのだろう。
「私が愛される筈がない」
彼女を見ていると、そんな言葉が聞こえてきそうだ。
――その姿に、違和感を感じずにはいられない。
僕が知っている彼女は……もっと強い人間だった。
僕を苦しめようとする人間達に対して、強固な姿勢で臆する事無く立ち向かう姿を幾度か見た。
その勇敢な姿に、どれだけ感動し心が震えただろうか。
僕の前で弱音を吐く事もなかった。
常に女神の様な微笑みを僕に向けて、疑う余地のない優しさで接してくれた。
一人では何も出来ない僕だったが、彼女が傍に居てくれるだけで安心出来た。
それなのに……今の彼女は、あの時と比べるとまるで別人の様だ。
たしかに、以前のマリエーヌも控えめで大人しいと思う事はあった。だが……。
今の彼女は何故あんなにも、自信なさげに下を向いているのだろうか。
――だからと言って、僕がマリエーヌを思う気持ちには何ら変わりはない。
今の彼女の事も、僕はこの先もずっと愛し続けるし、幸せにしたいと思っている。
だが――。
なぜだろうか。
今の彼女を見ていると……体が動かなかった僕と一緒に居た時の方が――。
――いや、そんな筈はない。
だって今の彼女の周りは、沢山の物や人で満たされているじゃないか。
僕だって……こうして彼女への愛を伝えているし、彼女の為になるようにと出来る限り行動している。
あの時よりも彼女を取り巻く環境はずっと良くなっている筈だ。
それだけは間違いない。そうでなければおかしい。
――だから……きっと気のせいだ。
あの時の彼女の方が……今よりも幸せそうにしていただなんて――。




