03.初めての贈り物
朝の日差しが窓から降り注ぎ、鳥のさえずりが廊下に響き渡る。
なんとも爽やかな朝ではあるが、僕の胸中はザワザワと落ち着かない。
手にする花束を胸元に抱え、ソワソワしながら愛する人の部屋の前を行ったり来たりを繰り返す。
ただ花束を贈るだけなのに、何故こんなにも緊張するのだろうか。
というのも、僕にとっては誰かに贈り物をするなど初めての事だ。(賄賂という形では何度かあるが)
今日が『初めて僕からマリエーヌへ花束を贈った日』という、記念すべき日になる事には違いない。
だが……初めての贈り物が花束とは、安易過ぎるだろうか。
だとしても、今すぐ彼女へ用意出来るものはこれしかない。
それにこの花束は、今まで彼女が僕へ贈ってくれた花を選んで摘んできたもの。きっと気に入ってくれるはずだ。
毎朝、僕に優しく微笑みながら花を差し出してくれた姿を思い出すだけで、胸の奥が温かくなる。
あの笑顔を見るたび、幸せな気持ちに包まれた。
だから……マリエーヌにも、そんな風に感じてもらえたら嬉しい。
喜ぶ彼女の笑顔を想像するだけで、口元がニヤけそうになるのを必死に堪えた。
その時、カタッ……と、部屋の中から物音がした。
恐らく、マリエーヌが起きたのだろう。
動かしていた足を止め、扉の前で直立してその時を待つ。
ドキドキと心臓の音がうるさい。
花束を持つ手が震え、汗でじわりと湿る。
なんと声をかけようかと、頭の中をめぐらせた。
ガチャリ……。
扉が開き――亜麻色の髪を少しだけ乱したマリエーヌが姿を現す。
新緑色の瞳が僕を認識した瞬間、大きく見開かれた。
信じられない物でも見るかの様に、その瞳はパチパチとしっかり瞬きしながら、僕をジッと見つめている。
そんな彼女の姿を前にして、僕の心は歓喜に震え上がった。
――マリエーヌだ……。
彼女がそこに存在するだけで、僕の心はこんなにも満たされていく。
まるでこの世界が変わったかの様に、彼女を中心に光り輝いて見える。
その喜びに浸っていると、自然と顔が綻んだ。
気付けば、思いのままに口を開いていた。
「マリエーヌ、おはよう。昨日はありがとう。マリエーヌの献身的な介抱のおかげですっかり体調が良くなった」
直前まで、何と声を掛けようかと悩んでいたのが嘘の様に、僕の口からはスラスラと言葉が放たれる。
「たった今、中庭で君の様に可憐に咲き誇る花々を摘んできたんだが、受け取ってもらえるだろうか。もちろん、マリエーヌ以上に可憐な花なんてこの世に存在する筈が無いんだがな」
その台詞と共に、彼女へ花束を差し出した。
マリエーヌは今も尚、目を見開いたまま固まっている。
やがて口を閉じたまま、僕と花束を交互に見つめ、
「あ……ありがとうございます」
しばらく間を置いた後、戸惑いながらもマリエーヌは大事そうに花束を受け取ってくれた。
その瞳が花束へ向けられると、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
その反応に、僕の体中が多幸感で満ち溢れ叫び出しそうな感覚になる。
初めての贈り物……受け取ってもらえた……。
「ありがとう」と言ってくれた……。
喜んでくれた……。
――嬉しくて堪らない。
「……あの……公爵様?」
「な……なんだ!?」
「……!」
「あ……す、すまない。んんっ……。なんだい? マリエーヌ」
唐突にマリエーヌから声を掛けられ、勢い余って大声を出して驚かせてしまった。
自分の余裕の無さに情けなくもなる。
そんな僕の顔色を伺う様に、マリエーヌは慎重に口を開いた。
「えっと……本当に、お体はもう大丈夫なのですか?」
「ああ。この通り、もうなんともない」
「……でも、病み上がりですし……今日も念の為、お休みになられた方がよろしいのではないでしょうか……?」
「マリエーヌ……そんなに僕の心配をしてくれるなんて……やはり君は優しいな。だが本当にもう熱は下がったんだ。……もし、そんなに気になるのなら……触れて……確かめてもらってもいい」
「……え?」
キョトン……と、目を丸くしてマリエーヌは固まってしまった。
……ここぞとばかりに、触れてもらおうと思った魂胆がバレバレだっただろうか。
むしろいっその事、触れて確かめてくれとはっきり言った方が潔かったかもしれない。
マリエーヌは僕に触れるどころか、こわばった視線を僕に向けたまま、胸元に置かれている自分の手をギュッと握りしめている。
そんな姿に、未練たらしくも僕の口からは言葉がついて出てくる。
「君が僕に触れて熱がない事を確かめれば、僕の言う事が偽りではないと分かってもらえるだろう。手でも……顔でも……どこでも好きな所を触れてもらって構わない」
「……いえ……公爵様が大丈夫とおっしゃるのなら……きっと大丈夫なのだと思います」
「……そうか。触れてはくれないのか……」
「……」
触れてくれないのは心底残念ではあるが、再びキョトンとするマリエーヌの姿すら、もはや可愛くて仕方がない。
こんなに目を真ん丸くして驚く姿は、あの時には見られなかったから新鮮でとても良い。
――だが……。
どうにかして、マリエーヌに触れられないだろうか……。
夜中起きた時から、結局その手に触れられなかった事を今も引きずっている。
この先もずっと、彼女に触れられる事もなく、触れる事もできないとなるとさすがに……なんとか打開策を講じたい。
ふいに、ある光景が頭の中を過ぎった。
それは男性が異性に対して行う社交辞令的なものだが、僕はそれを一度もした事がない。
相手に媚びを売るようなその行為を毛嫌いしていたのもあるが、人に触れる事自体が不快でしかなかった。
だが、相手がマリエーヌならば何の問題もない。
むしろ喜んでそれをしてみたいと強く思う。
「マリエーヌ」
名前を呼ぶと、固まっていた彼女の体がピクリと反応した。
頬を赤らめ、僕を見つめるその瞳からは僅かに喜びが滲み出ている。
僕に名前を呼ばれるのは、彼女にとっても悪い事ではないらしい。
愛しい気持ちが込み上げ、喜びで震えそうになる気持ちを制して彼女の左手を取り持ち上げる。
――マリエーヌの手だ……。
その手から伝わる温かさに……色んな感情が込み上げ、視界が歪む。
透き通る様に白く、細くてしなやかで美しい手。
それなのに、時には驚くほどの力強さを発揮する。
何度この手に救われただろうか……。
ただただ愛おしくて堪らない。
その思いを胸に抱き、ゆっくりと顔を近付け手の甲に優しく口付ける。
その瞬間、ビクッと手に力が入るのが分かった。
だがそれはほんの一瞬だけ。すぐに緊張は解れ、僕の口付けを受け入れてくれたらしい。
しばらくして、名残惜しく思いながらも、その手から唇を離した。
顔を持ち上げてマリエーヌに視線を移すと、その顔は真っ赤に染められ、動揺を隠せない様子で瞳が震えていた。
また新たな彼女の姿を見れた事に感激する。
「愛してるよ」
その言葉は、やはり勝手に僕の口から放たれていた。
「……公爵様……やっぱり……まだお熱があるみたいなのですが……?」
頬を紅潮させたままのマリエーヌが、心配そうに声をかけてくる。
恐らく、僕の触れた唇が熱かったのを気にしているのだろう。
「ああ。それはきっと……僕が君に恋い焦がれているからだ」
……どうやら僕は、マリエーヌを前にすると、思うがままに言葉を発してしまうらしい。
元々、言葉数が少なかった今までの僕からは考えられないが。
彼女に対して、ずっと言いたくても言えなかった言葉は、思った以上に僕の中に溜め込まれているのだろう。
だが、そんな僕の言葉を聞いてまんざらでもない様な彼女を見ると、それも悪くないと思えた。




