06.誰かと一緒に食べる食事
リディアに手伝ってもらいながら、公爵様から贈られた淡い緑色の上質なドレスに袖を通すと、肌触りも良くて着心地が良かった。
こういうドレスを着るのはまだ慣れていなくて、まるで自分がお姫様にでもなったかの様で、なんだかくすぐったい気持ちになる。
お父様に「結婚相手を探してこい」と言われて、夜会に出席する為に用意されたドレスやアクセサリーは全て義妹に奪われてしまった。
公爵邸に持ってきた自分の所有物も最低限必要になる下着やお父様が見栄で買い揃えたわずかな洋服だけ。
今思えば荷解きが楽で良かったとは思うけど。
身支度を終えて部屋から出ると、
「ああ、マリエーヌ。僕が贈ったドレスを着てくれたんだな……良く似合っている。そのドレスも素敵だが、やはり君が一番綺麗だ」
待ち構えていたかの様に現れた公爵様がとろける様な笑みを浮かべて私を称えた。
リディア曰く、公爵様は毎朝花束を持って、私が起きて水を飲むために部屋を出る時間に合わせて扉の前で待ち伏せているらしい。
そして花束を私に渡すと、一度自室に戻るのだけど、私が支度を終えて出てくる時間に合わせて再び扉の前までやってくるのだとか。
「あの人のマリエーヌ様に関する察知能力の高さは異常ですよね。大丈夫ですか? なんか変な監視付けられてません?」
そう言ってリディアは怪訝そうな顔をしていたけれど、今のところは大丈夫だと思う。多分。
確かに、公爵様の私へ向ける好意には執着の様なものを感じる。
でも不思議と私はそれが嫌じゃなくて、むしろ嬉しく思えてしまう。
「素敵なドレスをありがとうございます。公爵様」
そう伝えて、ドレスを両手で摘んで淑女らしくお辞儀をすると、公爵様は嬉しそうに顔を赤らめて私を見つめていた。
「気に入ってくれて良かったよ。君が喜んでくれる事が僕の何よりの喜びだからな……さあ、一緒に行こうか」
そう言って公爵様が私に手を差し伸べてきたので、私はその手に自分の手を重ねた。
屋敷の中を一緒に歩く時、私達は手を繋いで歩くようになった。
例えそれがどんなに短い距離だとしても、公爵様は必ず手を差し伸べてくる。
公爵様の手の平はいつもとても温かくて、その体温が指先から伝わり私の体までポカポカと温かくなる。
本当に別人になったみたい。
前の公爵様はどこまでも冷たい人だった。
冷たい視線、冷たい態度、冷たい言葉。
公爵様の周りにはいつも冷たい空気が漂っていた。
自分以外全てを敵視する様な姿は、決して触れる事なんて許さない孤高の猛獣の様にも思えた。
公爵様を診察した医師の説明では、今の公爵様は以前とは違う人格が現れているのではないか。との事だった。
いわゆる二重人格というもので、人は大きなショックを受けたり、積み重なったストレスから身を守る為、全く別の人格が現れる事があるらしい。
公爵様がまるで別人の様に変わった事も、それと同じではないかと。
もしかしたら、いつか元の人格に戻るかもしれない。
だけどそれが今日なのか、数年後になるのかは分からないのだとか。
もちろん、この話は公爵様には内緒にしている。
だけど人格が変わるだけならともかく、なぜ今の公爵様は急に私を愛すようになったのかしら。
私が妻だから?
家庭をとても大事にする人格という事なのかしら?
何度考えても答えは分からない。
だけど、今は――。
今だけは、公爵様が真っすぐ向けてくれている愛を素直に受け止めたい。
だってお母様が亡くなって以来、誰にも愛される事の無かった私は、ずっと誰かの愛を欲していたのだから。
食堂に着くと、細長いテーブルの片側の端に料理が並べられていた。
公爵様に手を引かれて席の近くまで来ると、公爵様が自ら私が座る椅子を引いてくれる。
その椅子に私が腰かけると、公爵様も私のすぐ斜め前に置かれている椅子に座った。
目の前には、新しく来たシェフが作ってくれた美味しそうな料理が並べられている。
牛肉のマリネ、焼き立てのパン、新鮮なサラダ、温かそうなコーンスープ、切り分けられたフルーツが数種類。
その光景には自然と感嘆の溜息が出てしまう。
お腹も『ぐぅぅ』と鳴って料理を催促してくる。
公爵様はそんな私の様子をニコニコと楽しそうに見ていた。
「マリエーヌ。食べようか」
「はい。いただきます」
両手を合わせて目の前の料理に敬意を払い、私は添えられているスプーンに手を伸ばした。
まずはうっすらと湯気の立つコーンスープを、スプーンで掬って口に含んだ。
口の中に広がるコーンの香り。だけどしつこくなくてあっさりしている。
そして何よりもこの温かさが嬉しい。
前までは料理は冷め切ったものしか用意されずに、パンもカチカチに硬くなっていた。
冷えたスープはザラザラとしていて口当たりが悪かったから。
自然と顔がほころび、その味と温かさをしっかりと堪能した後、もう一口と思ってスプーンでそれを掬った時、公爵様と目が合った。
公爵様は、料理に手を付けるどころか、スプーンもフォークも持たずに優しい笑みを浮かべてジッと私を見つめている。
とにかく私の動きを少しでも逃すまいと言うかの様に、公爵様はいつもこうして私の動作一つ一つを観察する様に見ている。
そして私がもう少しで食べ終わるという時になって、ようやく料理に手を付け始めたかと思うと、すぐに食事を終えてしまう。
今までは気にしないふりをしていたけど、今日は少しだけ勇気を出してみようかしら。
私は恐る恐る顔を持ち上げた。
「あの……公爵様は召し上がらないのですか?」
「ん? ああ、マリエーヌが美味しそうに食べる姿を見るだけで、僕の胸もお腹も満たされるからな。君が食べれば食べる程、僕のお腹も一杯になるからどんどん食べてほしい」
公爵様は相変わらず素敵な笑顔を浮かべながら、さも当たり前の事を言うかの様に私に告げた。
公爵様。
それは流石に無理があると思います。
食堂の扉の前に立っている使用人が無表情のまま、首の辺りをポリポリとやたらと搔きむしっているのが見えるけど、気にしないでおこう。
私はスプーンを置いて、公爵様を真っすぐに見据えた。
「公爵様。やっぱり一緒に食べませんか? 食事は誰かと一緒に食べるからこそ、より一層美味しく頂けるのだと思います」
そう伝えた直後に、もしかしたら私は余計な事を言ってしまったかなと、少し後悔した。
だけど公爵様は少し驚いた様に目を見開いたかと思うと、その真っ赤な瞳が少し揺らいだ。
一瞬、涙が滲んだ様にも見えたのだけど、すぐに公爵様はその両目を閉じた。
「ああ。そういえばそうだったな」
そう呟くと、公爵様はゆっくりと目を開き、穏やかな笑みを浮かべて目の前に置かれていたフォークとナイフを手に取った。
「すまなかった。マリエーヌの言う通りだ。食事は誰かと一緒に食べるから美味しいと思える……君が教えてくれた事だったな」
「え?」
ぼそりと小さく呟いた言葉が引っ掛かった。
今のはどういう意味かしら?
「いや……さあ、一緒に食べよう。料理が冷めてしまう前に」
公爵様はお皿のお肉を一口分に切り分けて口に含むと、味わう様にゆっくりと噛みしめている。
そんな姿を見ながら、私もコーンスープをもう一口頂いた。
うん。やっぱり誰かと一緒に食べる料理は、より一層美味しく思える。
「マリエーヌ、美味しいか?」
「ええ、とても。このマリネのソースも私の好きな味です」
「そうか。君に好きと言って貰えるなんて、少し嫉妬してしまうな」
……それは、ソースにでしょうか?
それとも、料理を作ったシェフの方にでしょうか?
公爵様は皿の上のお肉を空にすると、ナフキンで口を拭い、惚ける様な笑みを私に向けた。
「美味しいな、マリエーヌ。君が側に居てくれるおかげだ。ありがとう」
その言葉に、私は出来る限りの笑顔で応えた。
でも公爵様。
その言葉はぜひ、料理を作ってくださったシェフの方々にお伝えしてあげて下さいね。