65.この命が続く限り
繁華街の大通りを抜けると、レンガ積みの建物がズラッと並んでいた。
まだ出来たばかりの建物なのか、ピカピカとしていてお洒落で、デザイン豊富な建築物は、見ているだけでも楽しい。
公爵様が手綱を引く馬の上で、背中から伝わる公爵様の体温と鼓動が、心地良い安心感を私に与えてくれる。
公爵様の体に身を預ける様にして、私は暫くその飽きる事の無い風景を満喫していた。
そして、暫く進んだ先には――。
思わず感嘆の溜息が出る程、立派にそびえ立つ大聖堂が待ち受けていた。
鋭く尖った塔が、いくつも連なる様に並び、外壁には人型をした彫刻が幾つも刻まれている。
あまりにも圧倒的で神々しい存在感に、何か言葉を発する事すら、罰当たりな気がして躊躇してしまう。
大聖堂の前に着くと、公爵様は馬を停止させて、前に座っている私に声を掛けた。
「マリエーヌ。ここが今日の目的地だ」
「ここ……ですか?」
ここで神様に、私達が再び出会えた奇跡の感謝を伝えるのだろうか……と考えながら、先に馬から降りた公爵様に、私は抱き留めてもらう様にして馬から降りた。
そして改めて、目の前の大聖堂と向き合った。頭上を見上げてみると、塔の尖る先は空に突き刺さっているかと思う程高かった。
視線を下へと降ろしていくと、正面に大きく開かれている開口部に、一人の女性が佇んでいる。
…………え? なんで!?
その女性は――屋敷で私達を見送っていた筈のリディアだった。
私の姿に気付いたリディアは、駆け足気味に私の元へとやって来るなり、素早く口を開いた。
「お疲れ様です! ではマリエーヌ様。早速準備に取り掛かりましょう!」
やけに張り切った様子のリディアに手をガシッと掴まれ、そのまま開口部の中へと引きずられる様に連れて行かれる。
「……!? え……え……!?」
「マリエーヌ、また後で会おう」
全く状況が掴めず戸惑う私とは裏腹に、落ち着いた様子の公爵様は、嬉しそうに目を細めて私を見送っている。
公爵様と離れ離れにされた私は、立ち並ぶ塔の一室に押し込まれた。
何が始まるのか分からないまま、そこで待ち受けていた数名の侍女達の素晴らしいチームワークにより、揉みくちゃにされながら、あれよあれよと私の身支度が整えられていったのだった――。
純白のドレスに身を包んだ私は、ドレスが皺にならない様に椅子に座り、ドキドキと緊張しながらその時を待っていた。
ふわふわのボリュームのあるスカート部分にはフリルが何層にも渡って折り重なっている。
装飾が多い訳では無いのに、華やかさも優美さも持ち合わせる素敵なドレスだけど、私が着る事で、その品位が失われていないか不安になる。
額から流れる冷や汗が、いつもよりも少しだけ念入りに施されたお化粧を落としてしまわないかと心配でもある。
長い髪は編み込まれる様にして一括りにされ、頭部には小さめで可愛いらしいけれど、お高そうなティアラがちょこんと乗っている。それを歩いている時に落として踏んづけてしまわないかと、さっきから嫌な想像ばかり膨らんでしまう。
「マリエーヌ様。大丈夫ですか?」
目を白黒させている私の顔を、リディアが覗き込む様にして問いかけてきた。
「え……ええ! だだだだだだ大丈夫よ!」
「え、全然大丈夫そうじゃないですけど」
リディアの言う通り、本当は全然大丈夫そうではない。
「それにしても……公爵様が今更、もう一度二人の結婚式を挙げようだなんて、よく決意しましたよね。しかもサプライズで」
そう……私は今から、公爵様と二度目の結婚式を挙げるらしい。
どうやら公爵様は、前に形式だけで適当に済ませてしまった私との結婚式をずっとやり直したいと思っていて、私とリディアには内緒にしたまま、内密に計画を進めていたらしい。
リディアも私を見送った後に、その話を聞いて慌てて準備に取り掛かったとかで……若干不満そうに口を尖らしている。
「だとしても、私にも内緒にしてるなんて酷いですよね! 確かに嘘は苦手だけど、秘密くらい守れますよ! あの人、私を何だと思ってるんですかね!」
「……」
ごめんなさい、リディア。私も、あなたが秘密を隠し通せるとはとても思えないわ。
胸の内でそんな事を思いながら、愚痴を吐露するリディアを、私は無言のまま口元に笑みを浮かべて見つめていた。
コンコンコンッ。
扉がノックされ、ガチャッと扉が開き、そこに現れたのは――。
「マリエーヌ。準備が出来たと聞いて――」
純白のタキシードに身を包んだ公爵様が、部屋の中に入りながら声を掛けてきたが、私を見るなり、突然その動きがピタリと止まった。
大きく目を見開き、私に視線を向けたまま、公爵様だけ時が止まったかの様に瞬きすらしていない。
公爵様のタキシード姿の美しさに目を奪われていた私だったけれど、公爵様のその反応を見て我に返った。
「あの……公爵様? 大丈夫ですか?」
「…………何という事だ……天使かと思ったら女神だったようだ……いや、女神かと思ったら天使だったのだろうか……いや……やはり君は神だったんだ」
前髪を後ろに纏めてセットしたお顔を真っ赤に染め、公爵様はしどろもどろになりながら口を走らせている。
「ちょっとあの人何を言ってるのかよく分からないですけど、お邪魔みたいなんで私は先に行ってますねー」
呆れた様子のリディアが私にそう告げると、逃げる様に部屋から退室していった。
パタンッと扉が閉じられる音を合図に、硬直していた公爵様が急に動き出した。
「んんっ……。すまない。あまりにも君が綺麗すぎて……言葉を失っていた」
失っていた割に、とてもよくお話しされていた気がするけれど、あれは無意識に出た言葉だったのかしら……?
「公爵様も、そのお姿とても素敵です。惚れ直してしまいました」
「本当か!? そうか……マリエーヌがそう言ってくれるのならば、これを僕の仕事着として毎日着よう」
「いえ、こういう服は毎日着るのではなく、特別な日に着るからこそ一番映えるのです」
予想通りの公爵様の反応に、私はニッコリと笑みを浮かべて、やんわりとその考えを取り下げさせて頂く。
「なるほどな……。そうか、ならば毎日はやめておこう」
納得する様にウンウンと頷いた公爵様は、再び柔らかい笑顔を浮かべて私に手を差し伸べた。
「マリエーヌ。行こうか」
その手を取り、公爵様に導かれる様に私達はその部屋を後にした。
私達が居た塔から出ると、雲一つない晴天が何処までも広がっていた。
石畳が敷き詰められ、繊細な彫刻が施された柱が並ぶ通路を、公爵様に手を引かれてゆっくり歩いた。
ザァッと強い風が吹き込み、ドレスのスカートがふわふわと波打った。
頭上のティアラが落ちてしまわないかと、咄嗟に手でそれを押さえる。
公爵様の綺麗にセットされた髪も、風で乱れてしまうのではと、隣を歩く公爵様の顔を見上げれば、自分の身なりの事を気にする様子は全く見せず、私を愛おしそうに見つめていた。
この人が……私の夫なんだ。
今更、そんな当たり前の事を実感し、感動で胸が一杯になった。
熱く込み上げてくる涙を、必死に押止め、前を見据えた。
暫く歩くと、礼拝堂の中へと繋がっているのであろう、大きく高らかで立派な扉が私達を出迎えた。
その扉の前で、公爵様の足がピタリと止まり、私と顔を見合わせる様に向き直った。
「マリエーヌ」
甘い声で名前を呼ばれて、顔も胸も熱を帯び始める。
愛しげに私を見つめて微笑む公爵様の、その先の言葉を待っていると、公爵様は私の手を取ったまま、その場で跪いた。
そして私の手の甲に、大事そうに口付けすると、そっと唇を離し、顔を持ち上げた。
ルビーの様に真紅に染まり、煌めきを放つその瞳は、少しだけ細められ、愛しそうに私を見つめて離そうとしない。
「こうして僕達が出会い、一つ一つ言葉を交わし、笑い合い、互いの手を握り合う事が出来る事……それら全てが、奇跡の様な出来事なのだと、僕は知っている。だが、いつの日か……再びそれが叶わなくなったとしても――僕は生涯、君を愛し続ける事をここに誓う」
ひっそりと静まり返った空間の中で、公爵様の声だけがはっきりと響いた。
公爵様の言葉の意味――それは私が誰よりも理解出来る。
ある日突然、体が不自由になった公爵様。
だけどそれは、いつでも誰にでも起こりえる事――私だって、例外ではない。
公爵様の愛の言葉は嬉しいけれど、その事を考えると少しだけ切なくもあり……必死に笑顔を取り繕おうとしても、上手く笑えている自信が無い。
「マリエーヌ」
公爵様は私を安心させる様に、優しく微笑みかけてくれている。
私の名前を呼ぶその口が、再び言葉を紡ぎ始めた。
「もしも、君の手が動かなくなり、僕の手を握り返す事が出来なくなっても……僕は何度でも君の手を取り、口付けをするだろう。君が涙を流した時は、僕が君の涙を拭おう。……もしも、君の足が動かなくなった時には、僕が君の足となり、何処へでも君を連れて行ってみせよう。……もしも、君が僕の事を忘れてしまっても、二人で過ごした思い出の日々を、何度でも君に語り続けるだろう。……いつか、君が僕の声に反応しなくなったとしても、何度でも……この声が続く限り、君への変わらぬ愛を囁き続けよう」
公爵様は私の手を握ったままゆっくりと立ち上がり、一歩前へ進み、私の両肩に手を添えた。
「たとえ君がこの先、どんな姿になろうとも……僕はこの命が続く限りは、君に寄り添い、まだ見ぬ未来を共に歩んでいきたい」
迷いの無い公爵様の言葉、穏やかな笑みを浮かべ、熱を灯す赤い瞳が私を真っすぐ見据える――その姿が、まるで神様の様にも思えた。
公爵様の言葉によって、私の胸の内に秘めていた不安なんてすぐに吹き飛んだ。
なんで、公爵様はいつも、私の欲しい言葉をくれるのだろう……。
――ああ、そうか。
私は公爵様の瞳から、ずっとその内に秘めた真意を探って来た。
それは、公爵様も一緒だったんだ。
私達は言葉を交わさずとも、誰よりも互いの瞳を見つめ合い、会話してきたのだから……。
だからこそ、公爵様は、私の揺れ動く瞳から、胸の内に秘めた不安を見抜く事が出来たのだろう――。
公爵様の想いが込められた言葉が私の心を震わせ、せっかく押止めていた涙が再び込み上げてくる。
「マリエーヌ。どうか僕と、結婚してください」
その言葉を聞き終えると同時に、私の瞳から溢れた涙が頬を伝った。
公爵様は、懐から白いハンカチを取り出し、化粧が乱れてしまわない様に優しく涙を拭き取ると、私の目尻を啄む様に口付けをした。
――なんて盛大なプロポーズなのだろう。
すぐにでも返事をしたいのに……嬉しくて……感動して……言葉が詰まって声が出なくて……それでも、必死に声を絞り出した。
「……はい……! 私も、公爵様が……どのようなお姿になったとしても……ずっと貴方のお傍に居ます……! 生涯……貴方を愛する事を誓います……」
「ああ、それは僕が一番よく知っている」
そう言うと、公爵様は本当に嬉しそうに――幸せそうに笑った。
あ……今、公爵様は心の底から笑ってくれている気がする。
あの日、私の願った事は――ようやく叶えられようとしているのかもしれない。
公爵様は私を愛し――私は公爵様を愛している。
ようやく手にしたこの幸せは、きっとこの先の未来へと繋がっている――そんな気がする。
その時、目の前の大きな扉がガチャリと音を立てて開かれた。
その先には、リディア、ジェイクさんをはじめとする、屋敷の使用人達、全員が参列している。
皆、私達を祝福する様に、優しい微笑みを浮かべて、こちらへ視線を送っている。
――私の大好きな人達だ。
「さあ、行こう。マリエーヌ」
「……はい。アレクシア様」
公爵様に右腕を差し出されて、私はその腕に絡める様に手を回す。
そして、ゆっくりと……地に足を踏みしめて、公爵様と共に前へと進み始めた。
私達を見守る使用人達は、笑顔を浮かべ……涙を流し……温かい眼差しで見届けてくれている。
リディアは声を押し殺して号泣している様で、ハンカチで鼻と口を覆い隠して瞳からは大粒の涙を流している。そんな状態なのに、しっかりと私を見てくれる姿に、私ももらい泣きしそうになった。
ジェイクさんは、私よりも公爵様の方へ視線を向け、まるで息子を見送る父親の様な表情を浮かべていた。
誰にも愛されなかった私達は今、こんなにも多くの人達からの愛を受け取っている。
ずっと誰かに愛されたいと望んでいた私は――公爵様に名前を呼ばれたあの日から……こんなにも多くの愛に包まれて過ごしてきたのだ。
祭壇の前で立ち止まり、私達は再び向き合った。
壁の上層部に敷き詰められているステンドグラスから、色彩豊かな光が降り注ぎ、私達を照らしている。
「マリエーヌ、愛しているよ」
愛しい声が耳に響く。
目の前には、頬を赤く染めた公爵様が、幸せそうに目を細めて私を見つめている。
「私も……アレクシア様。心より、愛しております」
愛を確かめ合い、私達は互いが引き寄せられる様に唇を重ねた。
ずっと孤独だった私に、貴方は救いの手を差し伸べてくれた。
――――ずっと孤独だった僕に、君は救いの手を差し伸べてくれた。
貴方が、私を孤独という闇から救い出してくれた。
――――君が、僕を絶望という闇から救い出してくれたんだ。
貴方に愛されて、私は幸せだ。
――――君に愛され、僕は幸せだ。
貴方が……。
――――君が……。
幸せで良かった――。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
最後、エピローグももし宜しければ読んで頂けると嬉しいです^^




