60.追憶
一週間前、不運な事故により公爵様の体は動かなくなってしまったらしい。
その公爵様の元で働く使用人達は、陰ながらほくそ笑む。
『ねえねえ、公爵様のあの姿見た? 悪い事ばかりしてるから、きっと天罰が下ったんだわ』
『ほんとよね。あの人の横暴な態度にはこっちもいい迷惑だったわ。ざまあみろって感じよね』
私が自室に一人で閉じこもっていても、大声で話すその声は筒抜けになって聞こえてくる。
本当にくだらない。
もしもあの事故が神様による天罰なのだとしたら、巻き込まれて亡くなってしまった人達の命はどうなるのだろうか。
亡くなった人もいると言うのに、それを面白おかしく話をするあなた達の方が天罰を受けるべきなのでは?
と、私の荒んだ心がぼやきだす。
私は、事故が起きてからの公爵様とは、まだ会った事が無い。
何の説明もされる事無く、聞こえてくる使用人達の話を聞いて、今の公爵様の状態を知った。
公爵様の妻なのに、私はいつも蚊帳の外。
それも、もう慣れてしまったけれど。
公爵様の事故から一カ月後――。
いつもなら、一ヶ月に一度、公爵様に夫婦共有の寝室へ呼ばれていたけれど、それももう必要ない事なのだと思うと、少しだけホッとした。
「お前の役割は世継ぎを産む事だけだ。余計な事はしなくていい」
以前の公爵様に言われた言葉が頭を過った。
その役割を果たせなくなった私は、これからどうすれば良いのだろう。
役立たずの私は、この屋敷から追い出される時を、静かに待つ事しか出来ない。
『ねえねえ、やっぱりレイモンド様が新しい公爵になるのかしら?』
『そうなるわよね。今の公爵様じゃ何の役にも立たないし、仕方ないわ』
『でもレイモンド様が公爵になったら、私達も身の振り方を考えないといけないわね』
相変わらず、お喋りの多い侍女達の声が聞こえてくる。
だけど、私と同じ様に、役立たずと言われている公爵様は今、どんな風に過ごしているのだろうか――。
そんな事を考える様になった。
ある時、公爵様の様子を一目見ようと、執務室の隣にある公爵様がいるお部屋へと足を運んだ。
扉が少し開いていたので、その隙間から部屋の中を覗き込んだ。
その先には、広い部屋の中で一人、車椅子に座る人物が居た。
遠目からしか見えなかったけれど、どこか虚ろ気な顔で、着崩れた寝間着姿。か細い体は力なく項垂れている。
その姿からは、以前までの様な、威厳に満ち溢れる公爵様の面影は全く見られない。
あまりにも変わり果てた姿に、車椅子に座る人物が公爵様なのだとは、とても信じられなかった。
部屋の中には公爵様の他に誰も居なくて、一人だけポツンと取り残されているよう。
その姿が、今の自分の姿と重なった。
誰にも相手される事無く、自室で一人、ただ時間が過ぎるのを待つだけの私と――。
「ちょっと。邪魔なんだけど」
突然、後ろから声を掛けられて、振り返ると不機嫌そうな顔をした侍女がこちらを睨みながら佇んでいた。
「あ……。ごめんなさい」
咄嗟に私が扉から離れると、侍女は早足で部屋の中へ入り、バタンッ! と乱暴に扉を閉めた。
公爵様の姿を見れたのは一瞬だったけれど、暫くの間、あの公爵様の姿が目に焼き付いて離れなかった。
――三日後、私は侍女に押し付けられる様な形で、公爵様のお世話をする事になった。
初めて公爵様のお世話をする日。
緊張しながら公爵様のお部屋を訪ねた私は、ベッド上で横たわる自分の夫と、しばらくぶりの対面を果たした。
私をジッと見つめる瞳は、今までの威圧感のある冷たい瞳とは違い、虚ろで光が失われた様だった。
まるでこの世の全てを諦めてしまっているかの様なその姿に、胸が締め付けられた。
体から放たれる鼻を突く異臭。着ている寝間着には、いつの物かも分からない汚れと、血や膿が滲んだ様なシミが出来ている。
食事よりも先に体を拭くべきだと判断し、すぐに取り掛かった。
こびりついた目ヤニを拭き取ると、公爵様のルビーの様な赤い瞳がはっきりと姿を現した。
その瞳が本当に宝石の様に綺麗で、思わず見とれていると素っ気なく視線を逸らされてしまった。
寝間着を脱ぐと、床ずれをいくつか発見した。出来たばかりの小さいものから、大きくえぐれる程に悪化したものまで。
少しでも誰かが気に掛けてくれていたなら、こんなに酷い状態にはならなかった筈なのに。
両腕には沢山の注射の痕。そのせいで真っ青に染まった腕。食事が取れずに、注射で栄養を補っているのだろうか。
食事は、ちゃんとした物を食べさせてもらっていたのか……。
両足には複数の青あざや傷。乱暴な移乗により出来てしまったものなのか。それとも誰かの悪意によってわざと作られたものなのか。
公爵様の体を拭きながら、その体に刻まれている痛々しい傷跡に心が痛んだ。
抵抗する術を持たない公爵様が、自分の世話をする使用人達から、どのような扱いをされていたのかを、この体が物語っている。
公爵様を苦しめているのは、体が動かなくなった事よりも、公爵様に関わる周りの人達に違いない。
もしも、あの使用人が言う様に、この状況が天罰だとでも言うのなら――。
この人はもう、すでに罰を受けている。
こんなに体も心もボロボロになり、生きる気力を失っている人に、これ以上の罰はもう必要ない。
今、この人に必要なのは、傷付いてしまった体と心を癒す事が出来る誰かだ。
……私なんかが、果たしてその役割を担えるのだろうか。
公爵様は――私を受け入れてくれるだろうか。
体を拭き終える頃には、冷たかった公爵様の体はポカポカと温かくなっていた。
生気を失った瞳が、少しだけ光を宿した様な気がした。
体は動かなくても、しっかりと心臓は動いている。
血が巡り、体が温もりを宿している。
光を灯す瞳は、私の姿を映し出している。
きっと耳だって、私の声が聞こえている筈。
生きている。
この人は、ちゃんと生きてくれている。
私はこの人を癒してあげたい。
この人の、心の支えになりたい。
出来る事なら、この人に幸せになってほしい。
読んで頂き、ありがとうございます!
感想沢山いただき、誠にありがとうございます!
現在、完結に向けて必死になって執筆している為、返信が完結後になりそうですm(__)m
話数も予定していた数より少し多くなり、あと5、6話程で完結を迎えられそうです。
最後まで、楽しんで読んで頂けると嬉しいです^^




