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53.君の手から

 私と公爵様が着席したテーブルの上に、リディアが手際良く料理を次々と並べていく。 


 パン、クリームシチュー、こんがり焼けたベーコンが添えられたサラダとスクランブルエッグ、果物の盛り合わせ。

 全てのお皿を並び終えると、「では後はお二人の時間をゆっくりとお楽しみください」と告げて、リディアは食堂から退室した。


 二人だけになった食堂の中はシン……と静まり返る。

 どんな反応を見せてくれるのかと、少しだけワクワクしながらさりげなく様子を伺っていたのだけど、公爵様は目の前の料理に視線を落とし、ジッと見つめたまま動かない。


 ……それは……。

 一体どういう反応だと解釈すれば良いのかしら?


「あの……公爵様? もしお気に召さなければ、今からでもシェフの方に朝食をお願いしましょうか?」


 私が声を掛けると、公爵様はハッとして、大きく目を見開き慌てながら私の方へ向き直った。


「いや、違う! そうじゃないんだ! ……すまない。マリエーヌが僕の為に作ってくれた料理に感激して言葉を失っていた。本当に嬉しいんだ。食べるのがもったいない程に」


 そう言うと、公爵様は切なげな笑みを浮かべて再び料理に視線を移した。


「……ふふっ。大袈裟ですよ。もし公爵様のお口に合う様でしたら、特別な日でなくてもまた作りますから」

「本当か!? 君の料理なら毎日毎食食べたいくらいだ。……だが、君の負担にはさせたくないしな。……だとしたら、どれくらいの頻度でお願いするべきか――」

「公爵様。その前に、味を見て頂いた方が良い気がします」

「あ……ああ、そうだったな。冷めないうちにいただこうか」

 

 コロコロと表情を変える公爵様の姿がなんだか可愛い。


 公爵様が嬉しそうに両手を合わせたので、私も同じ様に手を合わせた。


「「いただきます」」


 二人の声が重なり、顔を見合わせて微笑んだ。

 

 公爵様はスプーンでシチューを掬い上げると、暫くジッと見つめた後、それを大事そうに口に含めた。

 私は自分の料理に手をつける余裕も無く、その様子をドキドキとしながら食い入るように見つめている。

 次の瞬間、公爵様の顔はほころび、うっとりする様な笑みへと変化した。


「美味しい……。マリエーヌ。君の料理は誰が作る物よりも温かくて美味しいよ」


 公爵様の口から「美味しい」の言葉を聞けて、私はようやくホッと一息つく事が出来た。


「そう言って頂けて嬉しいです。でも、今日は少し失敗してしまって……野菜が殆ど溶けてしまったので、急遽シチューに変更しました。本当はもっと食べ応えのある料理にしたかったのですが」

「いや、何の問題も無い。僕はもともと小食だしな。それに、野菜が柔らかくてとても食べやすい」

「……もしかして、公爵様も虫歯ですか?」

「……? いや、虫歯は無い筈なんだが……何故だ?」

「いえ、なんでもありません」


 私ったら、公爵様になんて質問をしてしまったのかしら……。


 恥ずかしさから、私は顔を伏せたままもくもくと自分の料理を食べ始めた。

 確かに、久しぶりに作った割には美味しく出来たと思うけれど、いつも食べている料理とは雲泥の差を感じてしまう。


 ちらりと公爵様の様子を伺うと、本当に美味しそうに一口一口大事そうに食べている。

 嘘偽りの無いその姿が嬉しくて、少しだけ泣きそうになる。


 料理を半分程食べたところで、公爵様がシチューのお皿を覗き込みながら尋ねてきた。


「マリエーヌ。もしかして僕のシチューには人参を入れていないのか?」

「あ……そうです。嫌いだと思って……。そういえば、公爵様はもう人参は食べられるんでしたよね。入れた方がよろしかったですか?」


 私の問いに、公爵様は暫く考え込む様に黙った後、私の前に置かれている料理に視線を落とした。

 その視線の先を辿ると、私のシチューに入っている人参に辿り付いた。


 公爵様……そんなに人参が食べたかったのかしら。

 まだ厨房に余っているシチューがあるけど……。


 そんな事を考えていると、公爵様が含みのある笑みを浮かべて私に話しかけてきた。


「マリエーヌ。もう一つ、僕の願いを言っても良いだろうか」

「え? あ……もちろんです!」


 何と言っても、今日は公爵様の誕生日。

 公爵様の要望ならなんでも叶えてあげたい。


「ありがとう。じゃあ、君のシチューの人参を僕に食べさせてはくれないか?」

「え? これをですか?」


 私が自分のシチューのお皿を持ち上げて公爵様に差し出そうとすると、公爵様に手で制止された。


「いや、出来れば君の手から食べさせてほしいんだ」

「……え? 私の手から……」


 それは……えっと。よく恋人同士で行われる、自分の料理を相手の口へ直接与えるという行為で、つまり簡単に言うと、「あーんしてほしい」という事でしょうか。


 ……もしかして、また何かしらの恋愛小説の影響を受けているのかしら?


 私がぱちくりと瞬きしていると、公爵様はキラキラと期待に満ち溢れた表情でこちらを見つめてくる。

 そんな目で見られては、もう返事は一つしかない。

 

「分かりました……!」


 私が意気込んで返事をすると、公爵様は物凄いスピードで私のすぐ横に自分の椅子を移動させて座った。

 私の肩と公爵様の肩が触れるくらい急接近されて、ドキリと心臓が跳ねたけれど、公爵様が無邪気に笑うのだからすぐに緊張は(ほぐ)れた。


 なんだか、今日の公爵様は子供の様にはしゃいでいるみたいでやっぱり可愛い。


 笑いそうになる口元を我慢しながら、私はスプーンでシチューの人参を一つ掬い、公爵様の口元へと持っていくと、公爵様は口を開けパクリと人参を口に含んだ。

 モグモグと口を動かし、ゴクリと飲み込んだ公爵様が、少しだけ得意げな顔をしていたので思わず笑みが零れた。


 すると、公爵様の視線が再びテーブルの上にある私の料理をジッと見つめ始めた。

 その視線の先には、とろとろのスクランブルエッグ。

 私は手にしていたシチューを置いて、今度はスクランブルエッグをスプーンで掬い取り、再び公爵様の口元へ運んだ。

 それを待っていたかの様に公爵様が口を開けたので、私はその口の中へスプーンを滑り込ませた。

 公爵様の口がソッと閉じられ、スプーンを引き抜いた所で我に返った。


「……あれ?」


 それは無意識のうちに体が動いた一連の流れだった。

 公爵様は何も言っていないのに、なんで私……?


「ごめんなさい。何故か公爵様にスクランブルエッグもあげないとって思って……勝手な事を」

「謝る必要は無い。きっと僕がスクランブルエッグを食べたいと思ったのが君に通じたんだ。僕の心の声を聞いてくれてありがとう」


 ああ、そうなのね……ってなる訳ないわ……!


 私の不可解な行動を気にする様子もなく、公爵様は続けざまに口を開いた。

 

「だが、君の食べる分が少なくなってしまったな。今度は僕の分を君にあげよう」


 そう言うと、公爵様は立ち上がって自分のスクランブルエッグが乗ったお皿を手に取り着席した。

 公爵様は反対の手でスプーンを持ち、スクランブルエッグを掬うと、私の口元へと運んだ。


「はい。マリエーヌ」

「……」


 目の前にはニコニコと嬉しそうな公爵様。


 これは……つまり、私にも食べさせてあげるって事よね?

 これも公爵様のお願いの一つなのかしら……。


 それならばと、観念した私は少し緊張しながら口をゆっくりと開いた。


 なぜかしら。

 自分が食べさせる時はそれ程でもなかったけど、食べさせてもらう側ってなんだか恥ずかしい。

 どれくらい口を開ければ良いのかしら? あまり大口開けるのもはしたないし……。


 そんな事を思っていると、口の中にスプーンが入ってきたので、パクリと口を閉じた。

 だけど上手く食べられなくて、口の端からはみ出したスクランブルエッグが零れ落ちる。


「あ……すまない。口元を汚してしまった。やはり素人がやると難しいな」

「いえ、私も慣れてなくて」


 私が備え付けてあるナプキンで口を拭おうとするよりも早く、公爵様が自らの手の指先で私の汚れた口の端を拭った。


「あ……ありがとうございま――」


 次の瞬間、目を見開いた公爵様の顔が私の顔にグッと近付いてきた。


 ……え? 何!? ……ええ!? 今!? このタイミングで!?


 突然すぎる急接近に、私は咄嗟に目を瞑りその時を待った。


 ――が。

 

 コツンッと冷たい何かが私のおでこに触れた。

 鼻先にも何かが触れているけれど、肝心の口元には何も触れていない。


 恐る恐る目を開けると、すぐ目の先にいる公爵様の真っ赤な瞳と目が合った。

 私のおでこにくっついているのは公爵様のおでこ。私の鼻には公爵様の筋の通った鼻先が触れている。

 何も触れていない私の唇には公爵様の吐息が僅かに触れた。

 

 いや……この状況って……どういう事……?

 また恋愛小説!? 今度は何が始まるの!?


 ドキドキと胸が高鳴り、呼吸が苦しい。

 急激に上昇した体温で頭がクラクラとする。


「マリエーヌ」

 

 名前を呼ばれて、更に体の熱が上昇していくのを感じる。

 次の言葉を聞いたら、私は倒れてしまうんじゃないのかしら……!?


「熱がある」

「……へ?」


 真剣な顔でそう告げた公爵様はすぐに立ち上がると、放心状態の私の体を抱きかかえて出口の扉へと歩き出した。


 …………これって、一番恥ずかしいヤツじゃないですか?


 体の奥から込み上げてくる熱は、本当に体調不良によるものなのか、公爵様の急接近によるものなのか、口づけと勘違いして勝手に期待した恥ずかしさからなのか。


 とりあえず涙目になりながら、真っ赤になっているであろう顔を両手で覆い隠して公爵様に身を委ねるしかなかった。

 

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