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50.目覚め





 ――目を覚ました僕は、二度瞬きした後に跳び起きた。


 グラッと視界が歪み、意識が朦朧(もうろう)とする中、ふらつく頭を手で支えた。


 !? なんだ!?

 僕は……死んだんじゃ……?

 助かったのか? あの状況で……?


 だが、目を凝らして辺りを見渡せば、見慣れた景色が広がっている。

 今、僕がいる場所はさっきまで炎に包まれていた自室のベッドの上だ。


 一体どうなって……? いや……それよりも……。


 両手をゆっくりと自分の目の前まで持ってくると、握ったり開いたりを繰り返した。


 体が……動く……?


 自分の思い通りに動く両手に、今は違和感しか感じない。


「マリ……エーヌ……」


 それは自然と零れた言葉だった。

 久しぶりに聞いた自分の声だ。

 そして自らの口から発せられたその名前に胸が苦しくなった。


「マリエーヌ……」


 声が出せる……マリエーヌの名前を……。

 ……!! マリエーヌは!?


 衝動的に僕はベッドから飛び出した。


 床に足を着けた瞬間、膝がガクンッと折れ曲がり倒れそうになったところを、テーブルに掴まりなんとか耐える。


 数ヶ月ぶりの体を動かす感覚が上手く掴めない。

 それに体も異様に重たく感じる。


 だが、手も足も確かに動く。

 車椅子が無くとも、自分で歩く事が出来る。


 再び立ち上がろうとした時、テーブルの上に置いてある新聞に気付いた。

 その日付が書いてある部分に目を走らせ――。


「マリエーヌ!!」


 泣きたくなる程愛しいその名を叫び、僕は自らの足で地を踏みしめて部屋から飛び出した。




「マリエーヌ! マリエーヌ! どこにいるんだ!?」


 扉を片っ端から開けまわって彼女の姿を探す。


「公爵様!? どうされましたか!?」


 呼んでもいない使用人達が次々と僕の元へとやってくる。

 今まで散々僕を無視してきた奴らの、心配する様な顔面に虫唾が走る。


「うるさい! 僕に近寄るな! 今すぐマリエーヌに会わないといけないんだ!」


 群がる使用人達を罵倒して先へ進んだ。


 体が熱い。呼吸も苦しい。頭も割れる様に痛む。

 少しでも気を抜けばこの場で倒れてしまいそうだ。


 だが、僕は足を止める事無く彼女の名前を呼び、探し続けた。


「マリエーヌ! いるんだろう!? マリエーヌ!」


 期待してはいけない。だが、期待せずにはいられない。

 もう一度、彼女に会えるかもしれないのだから。


 さっき見た新聞の日付は、僕が事故に遭った日の一週間前だった。

 とても考えられない事だが、もし今の僕があの事故に遭う前の姿なのだとしたら、この頭の痛みも覚えがある。

 公爵になってから一度も体調を崩した事が無かった僕だが、あの時は原因不明の高熱で倒れて寝込んでいた。


 その時に戻っているのだとしたら――彼女もここに居る筈だ。


 彼女もまだ……生きている筈なんだ!!


 足が絡まり、バランスを崩した僕は床に膝を突き、咄嗟に手で体を支えた。

 乱れた呼吸を整え、少しだけ頭が冷静さを取り戻す。


 そうだ。マリエーヌの部屋だ。

 そこにきっと……彼女がいる!


 再び立ち上がると、僕の足は導かれる様に彼女の部屋へと走り出した。




「マリエーヌ!!」


 部屋の前まで来た僕は、自制出来ずに勢いのまま扉を開け放った。


 その瞬間、どこか懐かしく暖かい風にあおられ、柑橘系の甘い香りがふわりと僕の鼻をかすめた。

 

 僕の視線の先には、見覚えのある亜麻色の髪が風に(なび)いて揺れている。

 僅かに震えている様にも見える華奢な後ろ姿。だが、僕がその姿を見間違える筈が無い。


 マリエーヌ……。


 息が詰まった。

 時間が止まったかの様に動く事も出来ず、懐かしくさえ思えるその後ろ姿に目を奪われていた。


 暫くして、恐る恐る振り返った彼女と目が合った瞬間、僕の中でせき止めていた彼女への想いが一気に溢れ出した。


「あ……あ……。マリ……エーヌ……ほんとに……君……なのか……?」


 彼女への湧き上がる想いは涙となり、僕の頬を流れ落ちる。


 やっとマリエーヌに話しかけられるというのに、言葉が詰まって上手く出てこない。


 その姿を求める様に僕は手を伸ばし、地を確かめながらゆっくりと彼女の元へと歩み寄る。

 一歩……また一歩と、彼女との距離が近付いていく。

 

 未だにこの状況が信じられない。

 僕は夢を見ているのだろうか。

 それとも、今までの出来事全てが夢だったのだろうか……?


 僕が今まで見ていたものは全て夢の中の幻想で、目の前のマリエーヌは僕の知っているマリエーヌとは別人なのかもしれない。

 

 そんな不安が頭を過った時、マリエーヌが動いた。


 僕の方へ緊張した面持ちで歩み寄ってくると、背筋を伸ばして深々と丁寧に頭を下げた。


「はい。正真正銘のマリエーヌでございます」


 顔を持ち上げた彼女は、新緑色の瞳を細めて僕に向かって優しく微笑んだ。


 僕が大好きな、あの笑顔だ――。


 その瞬間、何故か分からないがはっきりと確信した。


 目の前の彼女は間違いなく、僕と共にあの時間(とき)を過ごした彼女だという事を。



 彼女も、()()()()()()()()()()()()()()のだと――。



 口を噤んだままのマリエーヌは、不安そうに僕を見つめている。

 そんなマリエーヌの姿を前に、僕も言葉が出てこない。


 言いたい事は無数にあった筈なのに、何を言えばいいのか分からない。


 思えば、あれだけの時間を共に過ごしたというのに、彼女と会話をするのは初めてだ。

 ドキドキと心臓が音を立てて高鳴り出し、体の熱が更に上がっていく。


 しかし、マリエーヌの表情を見る限り、彼女は僕と過ごした時間の事は覚えていないのだろう。

 僕を見つめる瞳が怯える様に震えている。


 そうだ……。僕は今まで、沢山君を傷付けてきた。


 ならば、今はとにかく彼女を安心させてあげたい。

 まずは今までの自分の非を認めて誠意を持って謝るんだ。


「マリエーヌ……」


 その言葉を口にした瞬間、マリエーヌの瞳が大きく見開いた。

 

 ああ、そうか――。


 僕は今、初めて彼女を前にして、その名を呼ぶ事が出来たんだ。


 ずっと……呼びたくて仕方なかったその名前を――。


「君を愛してる」


 無意識のうちに口から飛び出していたのは、抑えきれなかった彼女への想いだった。





 それもその筈だ。

 僕はその言葉をずっと君に伝えたくて、堪らなかったのだから――。



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