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44.心に潜む悪魔 ※マリエーヌ視点

 まだ窓の外が闇に染まる中、目を覚ました私はベッドの近くに置いてある時計を確認した。


 間もなく日が変わる……そろそろ行かないと。


 重い瞼を持ち上げ、まだ眠っていたい気持ちに鞭打って叩き起こした。


 公爵様の身の回りのお世話をするようになって三ヶ月。

 

 夜は二度起き、寝返りのうてない公爵様の寝ている体勢を変えに行く。

 ずっと同じ姿勢で眠っていたら、せっかく綺麗になった床ずれがまた直ぐに出来てしまうから。


 私はベッドから立ち上がり、椅子の背もたれにかけてあるショールを羽織って部屋を出た。


 まだハッキリとしない意識の中、薄暗い廊下を歩いて執務室の隣にある公爵様が眠る部屋へ向かう。



 公爵様のお世話をするようになってから、私は時々、昔の事を思い出すようになった――。





 お母様が再婚する前、一緒に暮らしていた私のおばあ様も、病気の後遺症により話す事も出来ずに寝たきりだった。


 おばあ様は、私の実のお父様の母親。

 お父様はというと、私が産まれて間もなく他所の女性と共に姿を消した。


 だけど、お母様は一人残されたおばあ様を見捨てる事はせず、いつも献身的にお世話をしていた。

 私もお母様が仕事で出ている時は、お母様の代わりにおばあ様のお世話をするようになっていた。


 ある日、自分の時間を犠牲にしてお世話をするお母様に、私は不満を漏らしてしまった。


「なんでお母様がおばあ様のお世話をしないといけないの? お父様のお母様でしょ? お父様がやるべきじゃないの?」


 そのお父様が行方不明なのだから仕方がない。そんな事は分かっていた。

 だけど、私もお母様との時間をおばあ様に取られているようで、寂しかった。


 お母様は少し困惑する様な笑みを浮かべて、


「マリエーヌ。確かに私はおばあ様と血は繋がっていないけど、マリエーヌのおばあ様である事に変わりはないでしょ? だから私にとっても大事な家族なの。それにマリエーヌはおばあ様にとっても血の繋がった唯一の孫なのだから、そういう悲しい事は言わないで」


 そう言って私の頭を撫でるお母様に、「分かった……」と告げたものの、頭の中では納得していなかった。


 おばあ様が家にいる限り、外を自由に出歩く事も出来ない。

 おばあ様さえいなければ、もっと自由に遊べていたのに……と、幼い私の不満はつのっていった。


 私が八歳の時、お母様が仕事で家を出た後、私はおばあ様を一人家に残したまま街へ遊びに出掛けてしまった。

 ついに不満が爆発してしまったのだ。


 いつも我慢しているんだから、少しくらい自由に出掛けても罰は当たらない、と自分に言い聞かせての事だった。


 賑わう街を駆け回り、港を出航する船を眺めたり、ショーウィンドウから見られるドレスを眺めたり、なけなしのお金で美味しそうな焼き菓子を食べてみたり。

 時間を忘れて街の中を満喫した私は、思っていたよりもずっと遅く家へ帰ってきた。


 おばあ様の様子を伺いに行った時、やけに蒸し暑い部屋の中でおばあ様は大量の汗をかいて意識を失っていた。


 すぐに近くのお医者様を呼び、命に別状は無かったものの、おばあ様は熱中症による脱水症状を起こしていた。


 もし私がおばあ様と一緒に居たのなら、お日様が部屋の中を照らし出すタイミングでカーテンを閉めていた。

 室温が上がれば、お祖母様の分厚い布団を薄手の布団に変えていたし、窓や扉を開けて部屋の熱を逃がす事も出来た。

 水分だって、しっかり飲ませてあげられていた筈だった。


 私の勝手な行動が原因で、おばあ様を死なせてしまう所だった……と、血の気が引いた。


 仕事から帰って来たお母様に私は泣きながら事の経緯を説明し、「ごめんなさい」と謝ると、お母様は私を叱ろうとはせずに苦笑いを浮かべて口を開いた。


「そう……。マリエーヌの中の悪魔が出てきちゃったのね」

「悪魔……? 私、悪魔なの?」


 急に出て来た恐ろしいフレーズを聞いて真っ青になる私に、お母様はフフッと笑うと朗らかな笑みを浮かべて語り出した。


「マリエーヌだけじゃないわ。人は誰もが心の中に悪魔を飼っているの。それはもう悪~い悪魔がね。いつもは心の片隅で眠っているんだけど、周りの監視の目が緩んだ時に、突然姿を現して暴れ出す事があるの。マリエーヌの中にはどうやら『遊びたい悪魔』が住み着いているみたいね」

「遊びたい悪魔? 私の中にそんな悪魔がいるの?」

「そうよ。いつもは私がマリエーヌの事を見ているから、その悪魔は顔を出す事は無いの。だけど今回は私の目が届かない所でついにその悪魔が暴れ出しちゃったみたいね。それでマリエーヌの遊びたい気持ちが我慢できなくなっちゃったの」


 母親の言葉を聞けば聞く程、自分の中の悪魔が恐ろしくなり、私は涙目になりながらお母様に縋りついた。


「そんな……じゃあ、どうやったら私の中の悪魔を追い出せるの!? また暴れ出しちゃったらどうすればいいの!?」

「残念だけど、悪魔を追い出す事は出来ないの。悪魔に負けない強い気持ちを持って、どうにか悪魔を抑え込むしかないのよ」

「悪魔に負けない強い気持ち……? ねえ、お母様の中にも悪魔がいるの?」

「もちろんよ! 私の悪魔は一杯いるわよぉ? 『遊びたい悪魔』『さぼりたい悪魔』『眠りたい悪魔』『美味しい物食べたい悪魔』……ああ、数えたらキリがないわ」

「そんなにいるの!? じゃあお母様はどうやってその悪魔達を抑え込んでるの!?」


 私の知る限り、お母様は常に完璧な人だった。

 仕事も出来て、おばあ様のお世話も手を抜かず、家事も滞りなくこなしていた。

 そんなお母様の中に沢山の悪魔が住んでいると聞いて、とても信じられなかった。

 

 必死な様子で答えを待つ私を、お母様は愛しそうな笑みを浮かべて見つめ返した。


「それはね……マリエーヌ、あなたが一緒にいてくれるからよ。娘の前ではお手本となる人間を見せないといけないっていう気持ちが、私の中の悪魔を抑え込んでくれているの。マリエーヌが私の傍にいてくれなかったら、きっと私の中の悪魔も暴れ出しているわ」


 お母様の言葉を聞いて、私の存在が役に立っていたと知れて嬉しかった。

 だけど、私の不安は消えなかった。


「どうしよう……。お母様が居ない時に、また私の『遊びたい悪魔』が暴れだしちゃったら……」


 不安げに話す私の両肩を、お母様が優しく手を乗せて私と目線を合わせる様に膝をつき、優しい口調で語り始めた。


「マリエーヌ。おばあ様は話す事は出来ないけど、ちゃんと耳は聞こえているの。目だって見えているわ。きっとおばあ様は、貴方が家から出て行ってしまった時、とても不安だった筈よ。「マリエーヌ、置いて行かないで」って、悲しんでいたと思うわ」

「そうなの? おばあ様、悲しかったの? うっ……ううっ……ぐすっ……私、そんなつもりじゃ……」

「大丈夫よ。おばあ様もきっとあなたの気持ちを分かってくれているわ。いつもあんなに一生懸命おばあ様を見てくれていたんだもの。だけどマリエーヌ。何か忘れている事があるでしょ?」

「……うん。私、おばあ様に謝ってくる」


 お母様にそう告げ、ベッドで寝ているおばあ様に涙ながらに「おばあ様ごめんなさい」と謝ると、おばあ様は優しい眼差しで私を見つめていた。


 それ以来、私はおばあ様と二人でいる時は片時もおばあ様の傍から離れなかった。





 あの時、お母様が話してくれた悪魔の意味が、今ならよく分かる。


 今の公爵邸の中は、沢山の悪魔が住みついている。使用人達が飼いならしている悪魔達が。


 私の前では度々顔を覗かせてはいたけれど、公爵様の体が動かなくなってからは公爵様の前でも好き勝手に暴れている。


 私がまだ公爵様のお世話に関わっていなかった時、公爵様の姿を一度だけみかけた事があった。


 虚ろな瞳をして汚れた服のまま、広い部屋の中で一人取り残されている公爵様の姿を。

 そんな公爵様の姿を、私は自分の姿に重ねて見ていた。


 広いお屋敷に住んでいても使用人達からは冷遇され、話す相手もいなく、外にも自由に出られない自分と一緒だと――。


 だから私は公爵様のお世話を任された時に、自分がしてほしいと思う事を公爵様にしてあげようと思った。


 沢山話しかけて欲しい。

 誰かと一緒に食事がしたい。

 あの綺麗な中庭の中を誰かと散歩したい。


 愛を持って、接して欲しい。


 全て私がしてほしいと思った事をしているだけで、その事に何の見返りも求めてはいない。


 だけど時々、不安になる事もある。


 私がしている事は本当に正しいのか。

 公爵様の気持ちを分かった気になっているだけなのではないか。

 全部自分の独りよがりなのではないかと。


 どうにもならない孤独が私に襲い掛かる。


 そんな時、「もうやめてもいいんじゃないの?」と、私の中の悪魔が囁き出す。

 

 それでも――公爵様はきっと私を待っている。

 私と目を合わせてくれるし、私の声も届いている。

 公爵様の心は、ちゃんとここにある。


 公爵様が私を見てくれているから、私の中の悪魔は姿を現す事は無い。





 公爵様の部屋の前まで来た私は、扉を控えめにノックした後、静かに部屋の中へ入っていく

 私が公爵様の顔を覗くと、公爵様はゆっくりと目を開いた。

 まるで私を待っていたかの様に、ジッと私を見つめてくる。


 あの氷の様に冷たかった瞳が、今は優しく温かくなった。

 私の勝手な思い込みでなければ、私と公爵様の心の距離は、以前と比べてずっと近くなったと思う。

 最初は少し緊張したけれど、今は公爵様と一緒にいると安心する。

 公爵様もそう思ってくれていると嬉しい。


 それに公爵様が嫌いな人参を食べてくれたのも、きっと落ち込む私を励まそうとしてくれたのだと思う。

 私が喜ぶ姿を見た公爵様が、少しだけ笑ってくれた様にも見えた。

 

 もしかしたら私の願望が見せた幻なのかもしれないけれど。


 だけどあの時、私達は確かに心が通じて笑い合えていたのだと、私は信じている――。

 


 

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