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42.生きる価値

「ふふふっ……お姉様。こうしていると昔を思い出しますわ。私達、よくごっこ遊びをしていましたわよね。こんな風に……」


 品の無い笑みを浮かべながらそう告げると、女はマリエーヌの手の甲に靴のヒール部分をグリグリと押し当て始めた。

 僕の額に浮かぶ血管がピキピキと音を立てる。女の言動の一つ一つが僕の怒りを増幅させていく。


「配役はお姉様が悲劇のヒロインで、私は悪役令嬢。こんな風にお姉様をよく虐めて差し上げましたわ。もちろん、子供同士のただのごっこ遊びだったけれど。やっぱりお姉様には悲劇のヒロインがよく似合うわ。せっかく公爵夫人になれたというのに、公爵様はこの有り様。公爵様の爵位が剥奪されたら、お姉様って本当に何の価値も無い人間になってしまうのね。この屋敷からも追い出されてしまうんじゃないのかしら?」


 なんだと……?

 マリエーヌがここから追い出されるだと!?

 そんな事、僕が許さない。

 絶対にさせるものか!

 

 それにマリエーヌは決して価値の無い人間では無い。

 彼女は誰よりも素晴らしい人間だ!

 それは僕が一番良く分かっている!

 お前みたいな下劣な奴がマリエーヌの事を軽々しく語るな!

 

 膨れ上がった怒りにより、僕の額からは汗が吹き出し呼吸も荒くなり始めた。


「あら? なんだか公爵様の様子がさっきと違うようだけど……この人大丈夫なの?」


 僕の異変に気付いた女はマリエーヌの手を踏み付けていた足を退けると、僕の方へと歩み寄り、嫌な物でも見る様に僕の顔を覗き込んできた。

 忌々しいその顔を、僕は出来うる限りの殺気を込めて睨みつけた。


 僕と目が合うなり、女は眉を(ひそ)めて不快さを(あらわ)にした。


「やだ……この人の目、ちょっと怖いわ。気持ち悪い。こっち見ないでよ」

「……」


 女は僕の視線から逃れようと動くが、僕はその動きを追う様に女を睨み続ける。


「何なの……? ねえ、お姉様。こんな人とよく一緒にいられるわね。会話も出来ないんでしょ? 私なら耐えられないわ」


 僕も貴様と一緒にいる時間は耐えられそうにない。体が動けば我慢できずに殺しているだろう


「スザンナ、それ以上失礼な事を言うのはやめなさい」

「お姉様ってさっきからそればっかりなのね。ねえ、よく見てお姉様。こんな状態の公爵様なんて、もう公爵でも何者でもないわ。なんで生きているのかも分からない、生きる価値を失った人間じゃない」

「生きる価値の無い人間なんていないわ!」


 床に両膝を付けたまま、マリエーヌが声を張り上げた。

 マリエーヌはゆっくりと立ち上がり、女を真っすぐ睨みつける。


 対する女はマリエーヌを見下す様な視線を向け、卑しい笑みを浮かべる口を開いた。 


「へえ……じゃあ教えてお姉様。この人が生きる価値って何なの?」

「それは他人が決める事じゃないわ。公爵様が生きたいと思っているのなら、それだけで生きる価値はあるわ」

「あはは! 何それ! じゃあこの人は本当に生きたいと思っているの!?」

「それは――」


 マリエーヌは声を詰まらせると、切なげに僕の顔をジッと見つめた。


 僕の生きる価値……生きる理由……。

 それは体が動かなくなってから僕が見出せなくなってしまったモノだ。 


 今はレイモンドが公爵になるまでの繋ぎとして生かされている。

 だがその先は――僕は何を目的として生きていけば良いのだろうか。


 生きたいのか、生きたくないのか……それすらもよく分からない。

 

 そんな僕の迷いを見透かす様に、マリエーヌは口を噤んでいる。 


「……」

「ほら! やっぱり分からないんじゃない!」

「……そうね。私は公爵様の本音までは分からない。だけど、私は――公爵様に生きてほしいと思ってるわ」


 ……生きてほしい?

 本当にそう思ってくれているのか?


 僕は君の良さに気付く事も出来ず、無視し続けてきた酷い男だ。

 本当はマリエーヌに優しくされる資格なんてない。

 それなのに、君はこんな僕でも生きてほしいと思ってくれるのか……?


 その時コンコンッと、扉をノックする音が部屋に響き、ガチャリと扉が開いた。


「スザンナ様。そろそろお時間らしいのですが……」

「まあ、もうそんな時間なのね。ほんとに楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますわね。お姉様。あまり無理をなさらないよう、お気を付けくださいませ」


 先程まで悪魔の様な形相をしていた女は、瞬時に表情を(ひるがえ)した。

 心配する様な顔でわざとらしくそう言うと、女はうっすらと笑みを浮かべながら侍女の背中について部屋から出て行った。

 その後ろ姿を「二度と来るな」と睨みつけた後、僕はマリエーヌへ視線を移した。


 マリエーヌ……大丈夫なのか?


 彼女の右手の甲には薄っすらと血が滲み、赤黒い痣が浮かび上がっている。


 あの女!

 絶対に許さん……!


 怒りに震えそうになっている僕の近くにマリエーヌがやってくると、

 

「公爵様、妹が大変失礼致しました」


 そう謝罪し、マリエーヌは深々と僕に頭を下げた。


 マリエーヌが謝る必要なんてない。

 むしろ僕の方が謝りたい。

 君を守る事が出来なくてすまないと……。


 マリエーヌは静かに顔を持ち上げると、右手を握りしめたまま僕のすぐ傍まで歩み寄り、両膝を床に付けて僕と目線を合わせた。


「公爵様」


 いつになく真剣な声で話しかけられ、心臓がドキリと反応した。


 最近、時々心臓の鼓動がおかしくなるのだが、何かの(やまい)か……?


 マリエーヌは握っていた右手を開き、その中に収められていた指輪を僕の右手の中指へとはめた。

 すっかりやせ細った僕の指にはサイズが全く合っていない。


 だが、指輪をはめた僕の手をマリエーヌは大事そうに握り、


「この指輪、公爵様にとてもお似合いですね」


 そう言ってマリエーヌは僕に優しく微笑んだ。


 その姿を前にして、僕はようやく察した。


 マリエーヌは、僕の誇りを守ってくれていたという事を。


 さっきまではこんな物不要だと思っていた右手の指輪が、今はずっしりと重たく感じる。


 この指輪を所持しているという事は、僕が公爵であるという証。

 それを手放すという事は、自分が公爵である事を自ら捨てるという事と等しい。


 幼い頃から、あらゆるものを犠牲にして手にしたその地位を、僕はあっさりと手放そうとしていた。


 マリエーヌはこんな姿になった僕でも、公爵としての僕を尊重し、誇りを守ってくれていたのだ。


 この指輪が似合うと言ってくれるのは、きっとそういう事なのだろう。


 胸がじわりと熱くなった。


 彼女の勇気に、優しさに、強さに。


 視界が歪んだ気がした。


 マリエーヌ。

 君が言うように、生きる価値がない人間などいないのならば――君が僕に生きてほしいと願うのなら。


 僕は生きたい。

 君と共に――。



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