03.一時の夢
突然の公爵様の変貌。盛大すぎる愛の告白。
それらを現実として受け止めるには、私には身に余りすぎる出来事だった。
昨日まで名前すら呼んでもらえなかった私が、どうして公爵様の「愛してる」を素直に受け止める事が出来るのだろうか。
慌ただしい一日を終えた私は、自室のベッドに横になりながら今日の出来事を思い出していた。
あれから私は、熱に浮かされた公爵様に見つめられたまま、逃がさないとでも言うかの様に両肩を掴まれてその場から動けずにいた。
解雇を言い渡された使用人達は納得いかない様子ではあったが、誰からともなく無言で解散し始めた。
早い者は今日のうちに荷物をまとめて公爵邸から去って行った。
公爵様はというと、しばらく私の側を離れようとはせずキラキラと瞳を輝かせながら、
「マリエーヌの瞳はペリドットの様に美しくダイヤモンドの輝きにも勝る神々しい眩さを秘めた――」
「マリエーヌの上質の絹の様な亜麻色の髪はなんとも麗しく神の手によって作られた芸術品のよ――」
そんな感じでひっきりなしに私の容姿を褒めちぎっていたのだけど、公爵様の言葉の大半は意味が理解できなくて何を言っているのかよく分からなかった。
だけど、私に話しかけてくる公爵様があまりにも嬉しそうに話をしていたので、私は当たり障りの無い笑みを浮かべ、相槌を打つ事に専念した。
そのうち、公爵様がフラフラと頭を揺らし始めたので、とりあえず一旦、公爵様のお部屋に戻って休んでもらう事にした。
案の定、公爵様の熱は相当高くて、氷水で作った氷嚢があっという間に溶けてしまう程で。
新しい物を用意する為、公爵様が眠るベッドから離れようとした時、突然手首を強く掴まれた。
振り返ると、公爵様が目を見開いて必死な様子で私を見ていた。
「マリエーヌ。行かないでくれ……お願いだから。僕の傍から離れないでほしい」
まるで今にも捨てられそうな子犬の様な瞳で、公爵様に見つめられて、私はなんとも後ろめたい気持ちになった。
「でも……新しい氷嚢を作ったらすぐに戻って来ますので……」
そう伝えても、公爵様が手を放す様子は無くて、私は仕方無くその場に留まった。
ホッとした表情を見せた公爵様は、掴んでいた私の手首を解き、今度は私の手の平を握ってきた。
私がその手を握り返すと、公爵様は安心した様な笑みを浮かべてすぐに深い眠りに落ちていった。
公爵様の寝顔をしばらく見つめた後、握られていた手を慎重に解いて公爵様の部屋から出て行った。
それから公爵様は一日中起きる事無く眠り続けた。
解雇を言い渡されたシェフがいなくなった為、公爵邸に僅かに残っていた使用人達が、食材などを駆使して食事を切り盛りしてくれた。
彼らは自分よりも上位貴族の目が怖くて、私への無礼を見て見ぬふりをしていたらしい。
その事についても丁寧に謝罪されたので、私は彼らを咎める事はしなかった。
食堂に集まり、少し不格好な食事を囲んで、皆で食べる食事は温かくて美味しくて――久しぶりに食べた出来たての料理に、満足感でお腹も胸も一杯になった。
私は仰向けになると、目を瞑りながら公爵様の言葉を反復した。
『マリエーヌ。愛してる』
とても信じ難い言葉なのに、くすぐったい気持ちで顔がほころび、誰も見てないのにも関わらず私は恥ずかしくて両手で顔を覆った。
たとえ一日限りの愛情だとしても、今日という日はきっと忘れない。忘れられない。
あの情熱的な瞳に真っすぐ見つめられて、愛を囁かれて、手を握られて、抱きしめられて……一時でも幸せな気持ちになれた。
確かにあの瞬間だけは、私は愛されていると強く思えた。
眠ってしまえばきっとこの夢から覚めるだろう。
明日、目を覚ませばいつもと同じ、孤独に凍えそうになる日々が始まる。
ああ、眠りたくないな……。
まだこのまま夢を見ていたい。
だけど心が温かく満たされた満足感からか、心地良い眠気に包まれて、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
次の日。
気持ち良い目覚めを迎え、着替えを済ませて部屋を出た私を待ち受けていたのは、色鮮やかな花束を手に満面の笑みを浮かべている公爵様の姿だった。
「マリエーヌ、おはよう。昨日はありがとう。マリエーヌの献身的な介抱のおかげですっかり体調が良くなった」
うっとりとする様な表情で私に感謝の意を述べる公爵様の姿に、私は言葉を返せず固まってしまった。
公爵様が……ありがとう?
どんな恩を受けたとしても、感謝の言葉を口にしない事で有名な公爵様が、今『ありがとう』と言いました?
更に公爵様は、手にしていた花束を私に差し出した。
「たった今、中庭で君の様に可憐に咲き誇る花々を摘んできたんだが、受け取ってもらえるだろうか。もちろん、マリエーヌ以上に可憐な花なんてこの世に存在する筈が無いんだがな」
…………。
どうやら夢はまだ覚めていないらしい。
公爵様は昨日と同じ様に熱い眼差しで私を真っ直ぐ見つめている。
「あ……ありがとうございます」
とりあえず花束を受け取ってみれば、公爵様は眩いほどの笑みを顔に咲かせた。
公爵様。
一体、あなたに何があったのでしょうか?
どうしてそんなに愛しそうに私を見つめているのですか?
公爵様の眩しく輝く笑みを薄目で見つめたまま、思いを馳せてみるけれど何も答えは出なかった。
この日から、公爵様からとめどなく溺愛される日々が始まるのだった。