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35.価値の無い人間

 体が動かせない僕の世話は、屋敷に仕える使用人達がする事になった。

 僕の現状を外部の人間に見せる訳にはいかないという、レイモンドの指示があっての事だ。


 若い彼らには、体が不自由な人間の世話をする知識なんて持っているはずが無かったが、分からないなりにも丁寧に接してくれていた。


 だが、それも長くは続かなかった。

 

 日が経つにつれて、何の反応も示さない僕に声を掛ける事は無くなり、笑顔も無表情へと変わっていった。

 

 僕の仕事を引き継いだレイモンドが自分の屋敷へ帰ってからは、使用人達の態度は更に激変した。

 緊張感から解き放たれたかの様に私語をまき散らし、自由奔放に振る舞いだした。

 中には僕の部屋から金目の物を物色して、僕の目の前で堂々と持っていく奴もいた。


 使用人としての仕事も手を抜くようになり、適当に終わらせる始末。


 それは僕の世話に関しても同じだった。

 




 朝、ノックも無く僕の部屋の扉が開き、男の使用人が部屋の中へ入ってきた。

 僕が眠るベッドの前までやってくると、無言で僕の体にかけられている布団を剥ぎ取った。

 手荒く僕の体を引き起こして抱えると、ベッドの隣に置いてある車椅子へと乱暴に移乗させた。


「あーもー重たいな! クソがっ!」


 男は苛立つ様にそう吐き出すと、僕が座っている車椅子を蹴飛ばした。

 その衝撃で僕の体が椅子からずり落ちそうになるが、それを気にする様子は無い。

 いきなり体を起こされたせいで、僕の頭もグラグラと回る感覚に襲われ気持ちが悪くなった。


 男が持ってきたテーブルワゴンの上には皿がいくつか乗っている。

 男は僕と向かい合わせになる様に椅子に座ると、テーブルワゴンの上にあるスプーンを持ち、皿の中身を掬って僕の口元へと運んだ。

 スプーンの上に視線を落とすと、そこにはオレンジ色のペースト状の何かがたっぷりと乗せられている。

 見覚えのある独特の色から、それが忌まわしい人参なのだとすぐに分かった。


 僕は人参が昔から嫌いだ。

 公爵となる人間に弱点などあってはならないのだが、どうしてもこの人参だけはどうやっても食べる事が出来なかった。

 独特の風味は吐き気を催し、体はそれを飲み込む事を拒絶する。

 

 僕の人参嫌いはこの屋敷に住む人間なら誰でも知っている。

 シェフにも人参を仕入れる事は禁じていた。

 それなのに、わざわざこうして人参を僕に食べさせようとするのは、露骨な嫌がらせに他ならない。

 この男のニヤついた顔がそれを物語っている。


 こんな下等な嫌がらせをしてくるのはこの男だけではない。人参が出てきたのはこれが三度目。

 こいつらにとっては、自分達より上に立つ権力者が落ちぶれる姿を見るのが楽しいのだろう。


 最初は怒りの感情も沸いた。

 だが今はもう何の感情も沸き起こらない。

 そんな感情すらも全て無意味なのだと理解した。


「ほら、早く食えよ」

 

 男は僕の口元へ人参の乗ったスプーンを押し付けてくるが、僕は口を開く気はない。

 だが、スプーンの先で無理やり口をこじ開けられ、その隙間から液状の人参が入り込んでくる。


 うぐっ……まずい……!


 独特の風味が口の中に広がり、吐き出したくて堪らない。

 スプーンの人参を全て口の中に押し込まれると、二口目の人参が口元へと運ばれた。

 再び口の中にねじ込まれそうになった時、僕は耐えきれずに口の中の物を吐き出した。


「うわぁ! あーもーきったねぇなぁ! 食べる気がないならさっさと言えよ!」


 そう吠えると、男は舌打ちしながら食事がまだ乗ったままのテーブルワゴンを持って部屋からさっさと出て行った。


 僕の服は吐き出した食べ物でドロドロになっている。

 口元もベトベトで気持ち悪い。

 喉もカラカラだ。

 

 着替えたい……。口を拭きたい……。何か飲みたい……。

 

 だが、今の僕にはそんな些細な事も一人ではどうする事も出来ない。


 僕の体が椅子からずり落ち、そのまま床に横たわった。


 冷たい……。硬い……。痛い……。


 起き上がる事も出来ない。

 助けを呼ぶ声も出せない。


 部屋のすぐ外から、使用人達の笑い声が聞こえてくる。


 誰も僕に気付かない。


 今の僕には何も出来ない。


 惨めだ……。情けない……。

 

 僕の雇っている使用人達は皆、選りすぐりの貴族令息と令嬢だ。

 彼らには相応の報酬を与えているし、仕事量も多くは無い。

 それなりに手厚く待遇していたはずだった。

 僕がこんな体になる前は、確かに誠意を持って僕に仕えていたはずだ。

 

 それなのに――声が出せない、体が動かせないというだけで、人はこんなにも態度が変わってしまうのか。


 何の見返りもよこさない人間には、何をする価値も無いという事か。


 そうだな。

 その考えはよく理解できる。

 僕も同じだった。


 僕は自分に有益をもたらす人間以外、人とも思っていなかった。

 生きている価値のない、無能な奴らだと蔑んでいた。

 利用出来る人間ならば利用する。だが、どんな相手でも決して弱みを見せてはいけない。

 僕をこの地位から引きずり落とそうとする者達は何万といるのだから。

 

 誰かに優しくした事はない。

 する必要も無いと思っていた。

 金があればヘラヘラと媚びを売って来る奴ばかりだから。

 例え周りが敵ばかりになろうとも、それを押し返す程の力と財力はあったはずだ。

 

 それなのに。

 今は自分に仕えている使用人にすら好き放題にされ、抵抗する事も出来ない。

 

 人を駒の様に扱っていた人間が、最後は自分自身が捨て駒になったという事か。


 ならば今の僕のこの状況は、今までの自分の行いが招いた報いなのかもしれない――。


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