33.動かない体
前の人生、僕はある大きな不運に見舞われた。
原因不明の高熱が治まってから、一週間後の出来事だった。
僕はジェイクと共に馬車に乗り、その日予定していた隣町の視察へと向かっていた。
通り道になる山岳地帯へと差し掛かった時、地元の住人から「連日の雨で地盤が緩んでいるからこの先は通らない方が良い」と話があった。
だが後ろの予定も詰まっていた為、住人の反対を押し切って馬車を走らせた。
山道を馬車で渡り始めて暫くした時だった。
土が腐った様な異臭が立ち込め、ピキッピキッという不気味な音が耳に響いた。
何かがおかしいと思った時、突如激しい地鳴りにより馬車が大きく揺れ始め、轟音と共に馬車がひっくり返された。
車体から投げ出された僕は頭に強い衝撃を受け、そこで意識は途切れた――。
目が覚めた時、僕は薄暗い自室のベッドの上に寝かされていた。
体のあちこちが痛み、石の様に体が重たい。
まだはっきりとしない頭の中で、僅かに残っている記憶を辿った。
本当に土砂崩れが起きたのか?
僕とした事が……判断を誤ったか。
今がどういう状況なのか、詳しく話を聞く必要があるな。
起き上がろうとして、自分の体の異変に気付いた。
体が全く動かないのだ。起き上がろうにも、頭も、腕も、足もピクリとも反応しない。
誰か人を呼ぼうと、やたらと重たい口を開いたが声を出す事も出来なかった。
駄目だ。全く体が動かない。
とりあえず、今は少しでも眠って回復を待つしかないようだな。
体を動かす事は諦め、再び目を閉じた。
瞼裏に浮かんだのは両親の姿。
僕の両親も六年前、夫婦で旅行中に馬車の滑落事故により命を落とした。
まさか僕まであの二人と同じ様に馬車の事故に合うとは……命が助かった事を幸運だったと思うべきか。
間もなくして、僕の意識は闇の中へと沈んでいった。
だが、何日経っても僕が体を動かせる日は一向に訪れなかった――。
ベッド上の僕を診察し終えた医師は、大きく溜息を吐いた後に首を横に振った。
「恐らく脊髄と脳を損傷した影響で体が麻痺しているのだと思われます。残念ですが、今の医療ではこれ以上の回復は見込めないかと」
「そうですか」
診察している間、僕に付き添っていた弟のレイモンドは、医師の言葉に眉をひそめて相槌を打った。
二人の会話から、僕はようやく事の経緯を知る事が出来た。
一週間前、僕が乗っていた馬車はやはり土砂崩れに巻き込まれてしまったようだ。
土石流と共に山下へと落下した馬車は大破し、僕以外の人間は皆、命を落とした。
僕は車体の外へ体が投げ出され、その先にあった大岩に頭と体を強打したものの、その存在が僕の体を土石流から守り奇跡的に助かる事が出来た。
だが、頭や体への強い衝撃は体の内部の神経を損傷させ、体を動かす機能が消失してしまった。
僕の命を守った大岩の存在が、体の自由を奪うとは……なんと皮肉な話だろうか。
もう一度、体を動かそうと試みてみるが、やはりピクりともしない。
まるで体が自分の物では無くなった様だ。
唯一動かす事が出来たのは瞼と目、そして口を少しだけ開閉出来るくらいだった。
これ以上の回復は見込めない……つまり、僕の体はもう動かないという事か?
にわかには信じ難い話だ。
つい数日前までは何不自由なく動いていたではないか。
それがたった一度の事故で?
何かの間違いじゃないのか?
レイモンド、今すぐ別の医師を呼べ!
そう叫ぼうにも、僕の口からは何の言葉も発する事が出来ない。
くそっ! 体が動かないうえに、何も話す事が出来ないというのか……!?
あまりにも無力な自分に激しく苛立ちながらも、どうする事も出来なかった。
自分で動く事も出来ないのに、誰にも自分の意志を伝える事も出来ない。
これからもずっと、この状態が続いていくというのか?
じゃあ、これから僕は一体、どうやって生きていけばいいんだ……?
どうする事も出来ない絶望感が頭の中を埋め尽くしていく。
今まで感じた事の無い恐怖が背後から迫ってくる様だ。
それらを振り払う術を僕は持たない。
まるで目隠しをされ、先が見えない道の真ん中に体を縛られたまま、一人置き去りにされたようだった。




