32.君と共に過ごしたあの時間
二章は公爵視点がメインとなります。
「マリエーヌ……君を愛してる」
その名を呼ぶ事。
その言葉を伝える事を、僕がどれほど切望していたか、君は知る由もないだろう――。
僕の腕の中には、安心した様な笑みを浮かべたマリエーヌが眠っている。
すやすやと寝息を立てる寝顔を見つめては、愛しさが込み上げて堪らない気持ちになり天を仰いだ。
目を閉じて、マリエーヌの口から紡がれた、今もまだ信じ難い言葉を思い出す。
『アレクシア様。愛しています』
まさかその言葉をマリエーヌの口から聞ける日が来るとは……。
自分の名前を呼ばれる事、自分が思いを寄せる相手から愛の告白をされる事は、こんなにも心が満たされるものなのか……。
かつてない程の高揚感で胸が一杯になる。
マリエーヌと一緒に居られるだけでも十分すぎる幸せだと言うのに、それ以上の幸福が待ち受けていようとは……。
再びじわりと目頭が熱くなり、涙が込み上げてくる。
指先で滲み出た涙を拭い、その手を目の前にかざして涙で濡れた指を見つめた。
やはりマリエーヌと居ると涙腺が緩くなってしまう。
彼女と出会うまでは、自分が涙を流す事なんて無いと思っていたのに。
自分がこれほど、感情を強く揺さぶられる人間だとはな。
グッと目を閉じてまだ瞳に残る涙を押し込み、再び愛する女神の寝顔を見つめた。
僅かに開いた艶のある唇が、寝息に合わせて小さく上下している。
先程交わした口付けを思い出し、込み上げてくる欲情にゴクリと喉が鳴った。
もう一度キスをしたい。
彼女の甘い香りに吸い寄せられる様に、マリエーヌの口元へと顔を近寄せる。
いや、これ以上は駄目だ。
ギリギリの所でなんとか自分を押し留め、マリエーヌから無理やり視線を逸らす。
もう一度その甘い唇に触れてしまえば、きっと今度こそタガが外れてしまうだろう。
こんなにも僕を信頼し、身を委ねて眠る彼女を裏切る様な行為はしたくない。
今もまだ胸の奥で燃える情炎を払拭しようと、マリエーヌの額にかかる前髪を優しく掻き分け、露になった愛らしいおでこにそっと口付けた。
それでもマリエーヌは少しも起きる事無く、幸せそうに眠り続けている。
無防備な彼女の姿に、ハァッと僕の口から熱の籠った溜息が漏れ出る。
僕はこんなにも眠れないでいるんだが。
やはり彼女と僕とでは、まだ気持ちの大きさに違いがある事を思い知らされる。
それも当然の事だ。
マリエーヌが僕を意識し始めた時間よりも、僕が彼女を想い続けた時間の方がずっと長いのだから。
再びベッドに体を預け、腕の中のマリエーヌを自分の胸元へと抱き寄せた。
僕の人格が変わった事を不思議がるマリエーヌに、とっさに夢の話などと言ってしまったが、恐らくあれは夢では無い。
山岳地帯で起きた土砂崩れの場所、日付もあの時と一緒だった。
予定通りに馬車で出掛けていれば、あの時と同じ様に僕とジェイクは土砂崩れに巻き込まれていただろう。
そして僕の体はきっと――。
ゾッとする感覚を思い出し、僕はマリエーヌを抱く手とは反対の手を自分の目の前に持ってきた。
その手の平の感触を確かめる様に、握ったり開いたりを繰り返す。
自分の意思通りに体が動かせる事を確認し、ホッと息を漏らした。
今も鮮明に覚えている。
自分の体を自由に動かせない恐怖を。
何も言葉を発する事が出来ない絶望を。
どうすることも出来ない自分の無力さに自暴自棄になっていた日々を。
だが、そんな有り様だったからこそ、知り得た事もある。
初めて触れた人の優しさ……温かさ……愛……全て君が教えてくれた。
マリエーヌは夢の中の自分と比べて複雑そうにしていたが、僕にとってはどちらも同じマリエーヌである事に違いない。
僕の心が覚えている。
あの時、僕と共に過ごした彼女と、今腕の中で眠るマリエーヌは同じ人物なのだという事を。
僕にとっては辛く悲しい出来事でもあったが、君と共に過ごしたあの時間は今も僕にとって何物にも代え難い大切な記憶だ。
例え君が覚えていなくても、僕は一生忘れない。
マリエーヌだけが、僕の唯一の救いだったんだ。
マリエーヌ。
もしもさっき、僕が本当に経験した事を話していたら、君は信じてくれただろうか。
僕が一度死んで、今は二度目の人生を歩んでいる事を――。
読んで頂きありがとうございます!
次回から公爵様の過去編となります。
これまでの公爵様の行動を紐解いていくお話になります。
少し内容が重くなりますが、一章での公爵様の気持ちをより深く理解して頂ければと思います!




