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22.お姉様はとても素晴らしい ※スザンナ視点

「あの……それはどういう――」

「ん……?」


 私の言葉を素通りして、何かに気付いた公爵様はテーブルの上に突き刺さったままの万年筆を手に取った。

 そのペン先をジッと見つめて、意味深に目を細めた。


「僕とした事が……うっかり間違えて仕込みの万年筆をマリエーヌの妹君に使わせてしまう所だったな」

「……仕込み?」


 万年筆に何かを仕込むなんて聞いた事が無い。

 公爵様が持っている万年筆は、先程のやり取りで少しだけ歪んではいるけれど、それ以外は特に変わり映えのしない普通の万年筆にしか見えない。


「ああ。この万年筆のインクには毒の成分が含まれているんだ。人を死に追いやる程の猛毒がな」

「は!?」


 その言葉に、私は思わず体をのけ反り出来る限りテーブルから引き離した。

 さっきまで万年筆が突き刺さっていた箇所には、ペン先から漏れ出たインクが溜まっている。


 これが……毒……ですって……?


「安心しろ。触れただけでは何も害はない。だが、それが少しでも体内に入ってしまったら無事では済まないだろう。僕の様に毒の耐性が無ければ命の保証は出来ない」

「そ……そんな物を一体どこでお使いになるのですか!?」

「知りたいか? ならば教えてやる」


 公爵様は口元に含みのある笑みを浮かべて、万年筆を手にゆっくりと立ち上がった。


「あ……や、やっぱり遠慮し――」

 

 私の言葉よりも早く、ガンッ! とテーブルの上に片足を掛け、身を乗り出した公爵様が私の左目のすぐ先に万年筆のペン先を突き付けていた。


 少しでも動けば私の瞳に……毒のインクが……!


「例えば、お前の目にこれを突き刺すとしよう。さすればその視力は完全に失われ、二度とマリエーヌを見下す様な目で見る事は出来なくなるだろう。更に毒の成分はすぐに脳まで到達し、体の自由は奪われ声も出せなくなる。言葉を失ったその口からは、マリエーヌを侮辱する言葉も出なくなる。動かなくなった手足ではマリエーヌに手も足も出す事は出来ない……これ以上の使い道があると思うか?」


 教えてくれると言っていただけなのに……無表情で淡々と語る公爵様の瞳は本気にしか見えない。

 まるで私をその言葉通りに実行したくて堪まらないのを我慢しているかの様に、万年筆を持つ手が震えている。

 

「存分にもがき苦しんだ後は、次第に呼吸をする事も難しくなり、ゆっくりと死が訪れるだろう」


 目の前の死神の様な男は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


 ギリッと万年筆を握る手に力が込められる音が耳に響いた。

 

 死……公爵様は……私を殺す気なの……?


 私の瞳に溜まっていた涙が頬を伝って零れ落ち出した。


「やだ……死にたくない……助けて……」


 ポロポロと涙を流し、命を乞う私を、公爵様は冷え切った眼差しで見つめている。


 なんで……?

 訳も分からないまま、私はここで殺されてしまうの……?


「お姉様……助けて……」


 その時、万年筆を握る公爵様の手が私の目の前からゆっくりと離れ、公爵様は再びソファーに腰かけた。

 クルクルと指先で万年筆を器用に回し、何事も無かったかの様に話し始めた。


「どうした? 使い道が知りたいと言ったから教えてやっただけだ。何をそんなに怯えているんだ?」


 テーブルの上に置かれていた万年筆のキャップを持ち上げ、それを手にしていた万年筆にパチンと嵌めた。

 私はさっきから少しも動く事が出来ず、ただ唖然としたままソファーにもたれかかっている。


「確かに、僕にとって貴様は生きていても何の価値も無い人間だ。貴様がマリエーヌにした蛮行を考えれば今この場で殺してやるのも悪くないと思っている」


 その言葉に、私の体が勝手にビクッと跳ねた。

 震える瞳を公爵様に向けると、その表情は予想に反して穏やかな笑みを浮かべていた。


「だがマリエーヌが、『この世に生きている価値の無い人間など存在しない』と教えてくれた。だから僕は貴様を殺しはしない。慈悲深いマリエーヌに感謝するんだな」


 公爵様は胸ポケットに万年筆を収め、乱れていた服を手でパンパンと手で払って整えた。

 いつからか息をする事も忘れていた私は、今になってようやくハァハァと肩で息をし始めた。

 

「そんな事よりも、せっかくだからマリエーヌの昔の話をしてくれないか?」


 その言葉に、再び私の体がビクンッ! と跳ね上がった。


 やっと……やっと解放されるかと思ったのに……まだ帰してくれないの……?


「貴様に価値があるのだとすれば、僕の知らないマリエーヌの姿を知っている事くらいだろう。どんな髪型をしていたとか、どんな物が好きだったとか、お前の性根が腐ったような個人的な主観は全くいらないから、真実だけを話せ。今必死にマリエーヌを口説いているんだが、なかなか好きになってもらえなくてな……。そのヒントにするから嘘でも言ったら今度こそ、この万年筆の使い方を実演してみせるからな。分かったな。スザンヌ」


 ニコニコと明るい口調で話す公爵様の言葉の端々(はしばし)には、その笑顔にそぐわない言葉が盛り込まれていて頭がクラクラしてくる。


 もう公爵夫人もお姉様もどうでもいい。

 とにかくこのお屋敷から一刻も早く帰りたい。


 だけどその為には、公爵様の要望に応えなければいけない。

 それだけがこのお屋敷から生きて出られる唯一の方法――。


 依然として公爵様は「早くしろ」と言いたげな表情でウズウズと体を動かしている。


 私がやるべき事はもう――決まったわ。


 私は自分という概念を殺し、感情の無い笑みを顔に貼り付けた。


「お姉様は昔からお花が好きでよく近くのお花畑に出かけていました。四葉のクローバーを探すのが得意で見つけた物は押し花にしてそれを使って栞を作っていました。出来上がった物を見たお姉様はとても嬉しそうに微笑んでいてまるで無邪気な天使の様にも見えました」


 一定の速度で淡々と語る私の言葉を公爵様は食い入るように聞き入り、なんともご機嫌な様子で感慨深く頷きながら、「さすが僕のマリエーヌ」と誇らしげに感嘆の言葉を漏らしていました。

 

 私が一通りお姉様の事を話し終えると、今度は公爵様のターンが始まり、お姉様の魅力を余す事なく隅々まで丁寧に説明してくださいました。


 そんな感じで私達は終始和やかなムードでお姉様を褒め称える会話に花を咲かせていました。


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