25.再会 sideジーニアス
気付けば、僕の視界は闇一色に染まっていた。
見渡す限り暗闇で、何も見えない。
何も聞こえない。
――ここは……どこだ……?
手を伸ばして辺りを探ってみるも、僕の手は何に触れることもなく空回りするだけ。
今まで何をしていたのかも、よく分からない。
それでも、なぜか気持ちは落ち着いていて、頭もぼんやりとしていて……まるで夢の中にでもいるような感覚。
――夢……そうだ。これはきっと、夢なんだ。
そう結論付け、思考を丸ごと放棄する。
――どうせなら、もっといい夢を見せてくれればいいのに……。
夢の中なら、現実では不可能なことも可能になる。
といっても、必ずしも自分に都合の良い夢を見せてくれるとは限らないけど。
それに、どんな夢を見ようとも、目が覚めればそこでおしまい。
夢の中での出来事が、現実に直接的な影響を及ぼすことはない。
それなのに、どうして人は夢を見るのだろうか……。
そんなどうでもいいことまで考えてしまうほど、退屈な夢。
――そういえば、兄さんと会うまでは毎日が退屈で、今みたいにどうでもいいことばかり考えていたな……。
兄さんが来るようになってからは、そんな退屈な日々は一変した。
兄さんは僕に、いろんな話をしてくれた。
といっても、ほとんどが日々の愚痴だったけど、それでも兄さんの話は楽しくてずっと聞いていられた。
時には美味しいお菓子を持ってきてくれたし、文字を教えてもらえたおかげで本を読めるようにもなった。
自分の未来になんて、微塵も希望を持っていなかったけど、兄さんが来てくれるようになってからは、明日が来るのが楽しみになった。
明日も兄さんが来てくれるかもしれない。
もし来てくれなくても、借りている本の続きを読もう。
そんな期待に胸を膨らませるうちに、夜もよく眠れるようになっていた。
僕から見た兄さんの姿は、僕と背丈はほとんど変わらなかったのに、とても大きく見えた。
自信に満ちた顔、子供ながらに引き締まった腕、マメが潰れてあちこち硬くなった手、逞しくて安心感のある広い背中。
言葉遣いは荒いけど、自分の意見をはっきりと口にする声も。
兄さんの全てが、僕にとって憧れだった。
心の底から兄さんを尊敬していた。
兄さんさえ傍にいてくれれば、それだけでよかったんだ。
瞼を閉じ、頭の中で兄さんの姿を思い描く。
僕が知っている兄さんの姿は、九歳の頃のまま。
大人になった目線で兄さんの姿を見ると、こんなに幼かったのだなと思う。
あどけない顔で、手も足も体も小さくて、腕だって全然細い。背もずいぶんと低く見える。
――こんなに小さな体で、僕を守ってくれてたんだ……。
堂々とした振る舞いも、不敵に笑う姿も、もしかしたらただの強がりだったのかもしれない。
でも、兄さんが皇子として並々ならない努力をしていたのは知っている。
特に第三皇子が亡くなってからは、次期皇帝に相応しい皇太子になるため、日々邁進していた。
それまでは勉強よりも遊ぶことばかりに夢中になっていたのに、まるで人が変わったかのように、熱意のある眼差しを教科書へ向け、真剣に取り組んでいた。
そんな兄さんの姿を知っているからこそ、僕ではなく、兄さんこそが皇帝になるべきだと思った。
そのためなら、僕は消えても構わない。
そう思っていた。
『また兄を盾に逃げるつもりか?』
ふと、耳障りな声が頭に過った。
そんな言葉を、あの男に言われた気がする。
別に、逃げているつもりなんてない。
そうなるべきだと思ったから、僕は身を引いただけで……。
だけど、そう思われても仕方がないと思った。
どちらにしろ、共通して言えるのは、この世界に僕は必要ないという事だけだ。
――消えてしまいたい。
そう本気で思った。
――あ……そうか……。僕はきっと……消えかけているんだ……。
少しずつ繋がっていく記憶を辿りながら、そう納得した。
今はきっと、兄さんが僕の体を動かしているのだろう。
――これでいい。これで全て上手く回るはずなんだ。
最初から、僕は存在しなかったものとして……いや、兄さんを生かすために存在していたと思えば、僕がこの世に生まれた意味はあったのかもしれない。
生まれてきた意味なんて無いと思っていたけど、悪くない理由ができた。
思い描いていた兄さんの姿が、闇に溶け込むように消えていく。
ふいに目の奥が熱くなり、涙が込み上げた。
「最後に一度だけでも、兄さんに会いたかったな……」
その願いは、僕の口から勝手に零れ落ちた。
口にすれば、胸の内側にひしめく寂しさが一層膨れ上がる。
――会いたい……。兄さんに、会いたい……!
ずっと納得がいかなかった。
誰よりも兄さんとの再会を望んでいるのは僕なのに、僕だけが兄さんに会えないことが。
他人から兄さんの話を聞くたびに、ドロドロとした不快感でいっぱいになった。
小さい頃から、ずっと一緒に過ごしてきた。
誰よりも長く、兄さんと共に生きてきた。
だから僕が、誰よりも兄さんの事を知っているはずだ。
それなのに、皆の中で、僕の知らない兄さんが増えていく。
激しい嫉妬と羨望で掻き混ぜられた心は、自分でもひどく醜いと思えるほどすさんでいった。
何かされたわけじゃないのに、自分がひどい事をしてしまいそうで、皆から距離を取るようになった。
誰かに無視されて辛いのは身をもって知っているのに、周りを無視してしまった。
そんな自分がどんどん嫌になって、それでもどうにもできなくて……辛かった。
生き苦しかった。
兄さんに、助けてほしかった。
ふいに、ふわっと温かい風が起きた。
瞼を開けると、淡い光を放つ塊が目の前に浮いていた。
――なに……これ……。
得体の知れないものなのに、不思議と怖くはない。
僕の目の前で光はゆっくりと上下に伸び、その面積を広げていく。
光が大きくなるたびに眩さも増し、手で目を覆いながら様子を窺っていると、急に光が消えた。
手を降ろすと、目の前には一人の人間が佇んでいた。
その姿を目にした瞬間、僕は息ができなくなるほど驚愕した。
僕と同じ背丈で、肩まで伸びた白銀色の髪。
だけど、瞳の色だけは違う。
赤々と燃えるような熱を宿したその瞳は――。
「にい……さん……?」
掠れた声で呼びかけると、僕にそっくりな人物は不敵に笑んだ。
「よお、ジーニアス。久しぶりだな」
ひょいと片手を挙げ、軽快な声で応える。
記憶にある兄さんの声よりも、少し低い声。
その姿も、僕が知っている兄さんの姿とは違う。
それでも、くったくなく笑う笑顔は、あの時の面影を残している。
口調だって、昔のままだ。
――兄さんだ……。
ずっと、会いたくて堪らなかった兄さんが、目の前にいる。
「兄さん!」
叫ぶと同時に、僕は地を蹴り兄さんの体に抱きついた。
「おっと……」と、兄さんは後ろへよろめきながら、僕の体を受け止める。
「おいおい、大袈裟だなぁ。俺はずっとお前と一緒にいたってのに」
僕の頭をポンポンと叩きながら、兄さんは呆れ気味にそう言った。
小さい頃も、僕が卑屈な発言をするたび、「だから、そういう事言うなって」と、こうして頭を軽く叩きながら諭してくれていた。
――ああ、兄さんだ……。
懐かしいやり取りに、思わず口元が緩む。
「うん……知ってた……。だけど、会う事はできなかったし、直接話をする事もできなかったから……嬉しくて……」
ぎゅっと兄さんの体を力いっぱいに抱きしめる。
温かい、血の通った兄さんの体。
聞こえてくる鼓動は、僕のものなのか、兄さんのものなのかも分からない。
それでも、こうして会えた。
兄さんともう一度、会う事ができた。
たとえこれが夢なのだとしても、その夢でさえ、今まで一度も会えたことがなかったのだから。
「そうだな。俺もずっとお前と直接話がしたいって思ってたから、会えて嬉しいぜ」
「え?」
その言葉に、僕はパッと顔を上げた。
僕も、兄さんと話がしたかった。
兄さんと話すのが大好きだったから。
ワクワクと期待に胸を膨らませながら、兄さんに訊ねる。
「どんな話?」
「聞きたいか?」
「うん!」
まるで幼い子供に戻ったかのように、大きく頷いた。
すると、兄さんは立てた人差し指を自分に向けて、クイクイッと二回動かした。
それは『耳を寄こせ』という兄さんの合図。
大きな声では言えない内緒話をする時、兄さんがよくしていた動作だ。
そんなやり取りも懐かしくて、くすぐったい気持ちになりながら兄さんの口元へと耳を寄せる。
直後、兄さんはすぅっと息を大きく吸い込み――。
「てめぇルディオス‼ 勝手に内側に引き籠りやがって! さっさと出てこいっつーんだこの馬鹿野郎‼」
耳元で放たれた大声量の衝撃に、耳の鼓膜が揺さぶれ目の前がチカチカと暗転する。
キーンと耳鳴りがする耳を押さえながら、よろよろと後ずさるようにして兄さんから離れた。
「兄さん……?」
訳が分からず目を瞬かせる僕に、口をへの字に曲げた兄さんが顎をしゃくり上げる。
「ったく……お前は。こっちの気も知らねぇで、勝手にいなくなりやがって」
「……僕が、いなくなった?」
「その様子じゃ、何も知らねぇみてぇだな」
大きな溜息と共に肩を落とし、兄さんはガシガシと頭を掻きむしる。
兄さんの話によると、グレイソンとの会談中に僕の意識が突然消え、強制的に兄さんとの入れ替わりが発生したらしい。
兄さんは、体を僕に返そうと何度も試みてみたらしいけど、結局返せないまま、二ヶ月程が経過したという。
いつの間にか、二ヶ月という歳月が経っている事には率直に驚いた。
だけど、僕の想像はおおよそ当たっていた。
「そうだったんだ。じゃあ、やっぱり僕は消えかけてたんだ」
しみじみと告げると、兄さんがジロリと僕を睨んだ。
「お前なぁ……」
「別に、僕は構わないよ。僕の体で兄さんが生きていた方が、ずっと世の為になるだろうし」
僕は兄さんから視線を逸らし、口早に言う。
「だって、僕が生きているよりも、兄さんが生きていた方が喜ぶ人が多いでしょ。皇族の証を持っているだけじゃない。兄さんは強いし、優しいし、人を惹き付ける魅力があるから。兄さんが皇帝になれば、レスティエール帝国の人たちだって納得するだろうし。それに、母さんや、母さんが大切にしている人たちや居場所も、守ることができる。だから――」
「ジーニアス」
もう少しだったのに、兄さんが僕の言葉を遮るようにして口を挟んだ。
「どうしてもお前に、聞きたいと思っていたことがある」
「……何?」
場の空気が変わるのを肌で感じ、思わず身構える。
兄さんの声色から不穏な気配を察知して、再会の喜びもどこかへ消えてしまった。
「お前。なんであの時、母さんを助けに行かなかったんだよ」
「……え?」
何の脈略もなく母さんの話が出てきて、何を言われているのかすぐには分からなかった。
目を瞬かせる僕に、兄さんは冷ややかな視線と口調で続ける。
「山火事が起きた時、お前は宿に残ろうとする母さんに何も言わなかったよな……。なんで母さんを説得しようとしなかったんだよ」
「……それは……」
まさかそれについて、兄さんに言及されるとは思わなかった。
――僕だって……できる事なら、母さんを助けたかった……。
あの時に味わった悔しさを思い出し、胃の辺りが焼けつくような痛みを覚えた。
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