24.別れの気配
「やっぱり、本物の兄弟には敵わねぇな……」
振り返ると、ルディオス君の視線は私たちを通り過ぎ、前方を歩くマグナス君たちへと向けられていた。
その眼差しに、羨望の色を滲ませながら。
「なんで俺、死んじまったんだろうな……」
ルディオス君の視線は、私とは交わらない。
私が見ている事にも気付いていないのだろう。
私は視線を前に戻し、ぽつりぽつりと零れてくる言葉を、ただ静かに聞いていた。
「もっと生きたかったな……ジーニアスと一緒に……」
潤みだした声に、胸が締め付けられる。
そんな言葉を、彼の口から聞いたのは初めてだった。
どんな時でも、明るくて自由で強気な彼しか見たことがなかったから……。
彼もまた、隠していたのだろう。
アキさんにそっくりな屈託のない笑顔の裏に、誰にも打ち明けることのできない深い悲しみを。
ジーニアス君と一緒に生きたかったという、願いにも似た彼の想い。
それはいったい、どうすれば昇華することができるのか。
考えを巡らせてみたけれど、当然、彼の願いを叶える方法も、無念を晴らす方法も、見つかるはずがない。
――だって、彼はもう……。
じわり……と、目頭が熱くなる。けれど、必死に涙腺を引き締めた。
私が泣いてはいけない。
私が、彼の気持ちを分かった気になってはいけない。
だって私は、やり直せたのだから。
一度は命を落としたものの、時を回帰したことにより、命も、後悔も、未練も、未来も、全てを取り戻した。
だから私だけは、彼に同情してはいけない。
ましてや哀れむなんて、もってのほかだ。
「結局、俺はアイツに何もしてやれてないのな……。守ってやるって誓ったのに……情けねぇ」
――そんなことは無い。
ルディオス君は、今までずっとジーニアス君を守ってきた。
常に周囲を警戒しながら、弟の身の安全に注力し、弟の身に危険が迫れば、彼が表に立って戦った。
生きるために、やむを得ず犯罪に手を染めようものなら、彼が代わりに手を汚した。
食欲がない時は、彼の代わりに食事を摂り、体調にも気遣っていた。
ジーニアス君が、ランディ君に強く当たってしまいそうになった時も、すぐに彼が表に出てきて場を取りなした。
当然、ランディ君を守るため、というのもあっただろうけれど、ジーニアス君の印象を悪くして、敵を増やさないためでもあったのだと思う。
死してなお、彼はジーニアス君の兄として、あらゆる方法を駆使して彼を守り続けた。
弟を守るという彼の誓いは、紛れもなく果たされていた。
「だけど、これでようやく踏ん切りがついた」
「え?」
私は思わず足を止め、振り返った。
泣いているのかもしれないと思った彼の顔は、思いのほか晴れやかな表情だった。
つい先ほどまで口にしていた悲痛な言葉が幻聴だったかと思えるほどに。
戸惑う私をよそに、ルディオス君は自分の胸に手を当て、
「この体をジーニアスに返す」
「⁉」
それが可能だという確証を得たかのように、はっきりと宣言した。
「でも、今まで何度も試して無理だったのよね?」
「まあな。でもそれは、俺の方にも問題があったからだろうな。だから、踏ん切りがついた今なら、この体をジーニアスに返せるはずだ。そもそもこの体はジーニアスのもんなんだから、アイツがいなくなるなんてことはねぇんだ。だから、ちょっくらアイツを叩き起こしにいってやるよ」
ニカッと歯を見せて笑うと、ジーニアス君は持ち上げた拳を握ってみせた。
清々しいほどに気持ちの良い笑顔は、本当にアキさんそっくりだと思う。
張り詰めていた空気が途端に緩み、私も釣られて笑ってしまった。
だけど、どうしてなのか……なんだか胸騒ぎがする。
ジーニアス君が戻ってくるのなら、喜ぶべきなのに……なんで嫌な予感がするのだろう。
それに……。
――踏ん切りがついたって……どういう意味……?
「マリエーヌさん」
その声に、ハッと我に返る。
ルディオス君は、真剣な顔で私を見つめていた。
その眼差しがスッと私から外れ、そこには居ない誰かを見やるような眼差しのまま、ルディオス君は口を開いた。
「ジーニアスは、無愛想だし頑固なところもあるから、また変に突っかかったりして迷惑かけちまうかもしれない。でも、本当はすげえ優しい奴なんだ。あと、冷めてるように見えるかもしんねぇけど、意外と涙もろかったりもするし……」
そこまで言うと、ルディオス君は言葉を詰まらせ、視線を彷徨わせる。
続く言葉を探しているようだけれど、ちょうど良い言葉が見つからなかったのだろう。
「とにかく、アイツがいい奴なのは確かなんだ」
その一言で、無理やり締めくくった。
けれど、彼が必死にジーニアス君の長所をアピールしようとしてくれているのは、十分すぎるほど伝わってきた。
私は思わず頬を緩める。
「ええ。分かっているわ」
私が理解を示すと、ルディス君は安堵したように肩を落とし、小さくはにかんだ。
「じゃ、大丈夫そうだな」
「……ルディオス君?」
一瞬だけ、今にも泣きだしてしまいそうな顔になったのを、私は見逃さなかった。
それに、ジーニアス君が戻ってくるというのに、どうしてそんな寂しそうな顔をしているのだろう。
ふと、胸のざわめきが一層大きくなった。
――まさか……ルディオス君は……。
「お前は消えるつもりか?」
私が口を開くよりも先に、アレクシア様が問いかけた。
アレクシア様も、私と同じ事を考えていたらしい。
「ま、そうするしかねぇだろ」
軽い口調で返すと、ルディオス君は再び歩き出し、私たちの横を通り過ぎていく。
数秒遅れて、私もルディオス君の背中を追いかけるようにして歩き出した。
だけど、ルディオス君の歩く速度は思いのほか早い。
歩いても、歩いても、少しずつ彼の背中が遠ざかっていく。
その姿を見失わないよう、必死に足を動かしながら、彼の背中に向かって声を張り上げた。
「ルディオス君は、本当にそれでいいの? 未練があるって、前に言っていたわよね?」
ルディオス君は歩みを止めることなく、声だけを返す。
「だな。でも、あんたたちのおかげで色々と堪能できたしな。それに、とっくの昔に死んでるくせに、いつまでも未練たらたらでこの世にしがみついてるってのも恰好悪いしな。本来あるべき姿に戻る。それだけだ」
微塵の迷いもない、あっさりとした返答だった。
――それは、そうなのかもしれないけれど……。
「でも、ルディオス君がいなくなったら、皆悲しむわ」
「どうだろな……。少しは悲しんでくれんのか……? でもよ、ランディにはマグナスがいるし、妹もできたんだ。俺がいなくなったところで……って、そんな心配もいらねぇか。怯えさせちまったし、もう俺には懐いてくんねぇだろな」
「そんなことないわ!」
思わず声が大きくなり、ルディオス君は驚いたように目を丸くして私を見る。
ランディ君たちはだいぶ先へ進んでいるため、私たちの声は聞こえていないはず。
「ランディ君だって、ちゃんと分かっているはずよ! ただ、今日は色々と怖い思いもしたから……混乱していたと思うの。だから、明日になればきっと……」
このまま二人の関係が拗れたまま、ルディオス君が消えてしまうなんて、絶対にランディ君は望んでいない。
けれど、ルディオス君は苦い笑みを浮かべ、首を横に振った。
「いや、これでよかったんだ。アイツに泣かれたら、せっかくの決意が鈍るかもしんねぇし」
そう言うと、ルディオス君は再び前を向いて歩き出した。
その後ろを歩きながら、私は次の言葉を探した。
彼をここへ繋ぎ止めることができる言葉を。
「じゃあ、ジーニアス君は……? 彼だって、今までずっとルディオス君の存在を支えにして生きてきたはずよ。それなのに、ルディオス君が居なくなってしまったと知ったら――」
「七年だ」
私の言葉を絶ち切るように、ルディオス君は言い放った。
「俺が死んで、七年が経った。本当なら、アイツが七年前に受け入れなきゃならなかったことだ。だが、俺がここにいる限り、アイツはそれを受け入れようとしない」
俺自身もな……と、ルディオス君は自嘲気味に付け足した。
「アイツだって、もう何もできないガキじゃねぇんだ。それに、一人でもねぇしな。俺がいなくてもなんとかなるだろ。っつうか、なんとかしねぇといけねぇんだよ、アイツが」
ルディオス君の意志は固い。
きっと何を言ったところで、もう彼の決意は揺るがないのだろう。
――本当に……お別れなのね……。
急にルディオス君が遠い存在のように思えて、別れの気配が色濃くなっていく。
私も、受け入れなければならないのだ。彼の死を――。
「ただ、最後にひとつだけ……二人にお願いしたい」
静かにそう言うと、ルディオス君は足を止め、私たちと向き合った。
いつになく真剣な瞳が真っすぐ私を見つめた後、その視線はアレクシア様へと向かう。
そのまましばらくアレクシア様を見つめると、ルディオス君はスッと背筋を伸ばし、粛々と頭を下げた。
「ジーニアスを……弟を、よろしくお願いします」
心に直接訴えかけるような、切実で、誠実な声。
弟の身を案じる兄としての真摯な想いに、強く胸を打たれた。
再び込み上げてくる熱を、震えそうになる唇をぐっと引き結びながら、自分の中でなんとか押し止める。
「ああ」
必死に涙を堪える私の隣から、軽く相槌を打つような声が聞こえた。
一拍ほどして頭を上げたルディオス君は、とても不服そうな顔をしていた。
「……返事軽くね?」
ものすごく不満そうに口を尖らせるルディオス君に、アレクシア様はすまし顔を決め込んでいる。
それをじっとりとした眼差しで睨んだ後、ルディオス君はクッと笑いをかみ殺し、私たちに背を向けた。
「あーあ。せっかく柄にもなく真面目にお願いしたってのに。ったく……あんたは本当にマリエーヌさん以外の人間はどうでもいいんだな」
やや大振りな動作で頭の後ろで手を組みながら、ルディオス君は歩き出した。
向かう先は同じはずなのに、どこか遠くへ行ってしまいそうな彼の背中。
踏ん切りがついたと、彼は言っていた。
けれど……本当は、全てを諦めてしまっただけなのではないだろうか。
弟のために、後悔も未練も生きることへの執着も、全てを呑み込んで。
「ルディオス」
「なんだよ」
アレクシア様の呼び掛けに、ルディオス君は前を向いたまま気だるげに応える。
真剣なお願いを軽い返事で済まされたことを気にしているのかもしれない。
すると、アレクシア様は歩く速度を上げ、ルディオス君のすぐ隣に移動した。
急に接近してきたアレクシア様を見て、ルディオス君はギョッとする。
「な、なんだよ⁉」
身構えながら後ずさろうとするルディオス君に向けてアレクシア様は手を伸ばし、その頭の上にぽんっと手の平を置いた。
ルディオス君は意表を突かれたかのように目を丸くし、
「お前はよくやった」
「……!」
アレクシア様から告げられた言葉に、大きく息を呑み動きが止まった。
アレクシア様はルディオス君の頭から手を離すと、何事もなかったかのように私の隣へと戻ってくる。
本当に、何もなかったような無表情な顔で。
だけど、今の言葉はきっと、アレクシア様の本心から出た言葉なのだと思う。
私も心から同意する。
ルディオス君は本当に、よくやってきた。
ジーニアス君の兄として、一人の人間として、立派に生きてきた。
そうはっきりと断言できる。
私たちは、そんな彼の姿をここでずっと見てきたのだから。
しばらく硬直していたルディオス君は、やがて信じられないという様子で、まるで大事な宝物に触れるかのように、アレクシア様が触れた箇所にそっと手を置いた。
「……ほんとに、なんなんだよ。アンタも……柄にもねぇことしてんじゃねぇよ……」
その手が、くしゃりと髪を掴んだ。
僅かに身を竦め、小さくなった体が小刻みに震え出す。
「おかげで未練が一個、無くなったじゃねぇか……」
喉の奥から絞り出すような声は、涙で濡れている。
だけどその口元は、隠しきれない喜びによって、綻んでいるように見えた。
次回更新は2/16(月)予定です




