表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

210/213

21.守ろうとしていたのは

 倒れている男の顔面を、ランディ君は繰り返し殴りつけている。


 黒く濡れた拳を大きく振り上げ、何度も、何度も……。

 まるで怨恨でも晴らすかのように、拳を振るい続けるその姿には鬼気迫るものがある。

 拳を叩きつける音が森の中に轟き、悍ましさすら感じる響きに耳を塞ぎたくなった。


「ルディオス兄ちゃん……」


 不安そうなランディ君の声に、私はハッと我に返った。


 ランディ君は、恐ろしいものでも目にするかのように、カタカタと体を震わせていた。

 大きく見開かれた瞳が見つめる先には、男を殴りつけるルディオス君の姿がある。


 私は咄嗟にランディ君の目を塞ぐと、ルディオス君の背中に呼び掛けた。


「ルディオス君! もうやめて! それ以上は――」


 死んでしまうわ――と、口にしかけた言葉をなんとか呑み込んだ。

 そんな言葉を、ランディ君の耳に入れたくはない。

 ルディオス君を、もう一人の兄のように慕っていたランディ君にだけは。


 私の呼び掛けも虚しく、ルディオス君の動きは止まらない。

 男の意識はすでに無いようで、地に投げ出された手はピクりとも動かない。


「ルディオス君!」


 もう一度、声を張り上げた。

 けれど、私の声はまるで届いていない。


 ――いったい、どうしたの……?


 少なくとも私の知っているルディオス君は、無抵抗な人間を必要以上に痛めつけるような人ではない。

 それに、いつものルディオス君なら、まずはランディ君とマグナス君の無事を確認するはず。

 それなのに、二人の存在も忘れてしまったかのように、こちらを見ようともしない。


 すると、私の横を通り過ぎ、アレクシア様がルディオス君の方へと歩いていく。


「アレクシア様……?」


 その後ろ姿を、私は啞然としたまま目で追った。

 その先で、ルディオス君は再び拳を振り上げる。

 頭上へ持ち上げられた拳からは、ポタポタと赤黒い液体が滴り落ちる。

 その拳が再び振り下ろされようとした瞬間、アレクシア様が手首を掴んだ。


 ルディオス君の顔のすぐ横で、拳が止まる。


「落ち着け。その男は、お前を殺した奴じゃない」


 アレクシア様の言葉に、ルディオス君が僅かに息を呑んだ。


 繰り返されていた衝撃音が消え、時が止まったかと錯覚するような静寂が森に満ちる。

 誰もが声を失ったかのような沈黙の時が流れ、しばらくしてルディオス君の体が大きく上下し始めた。

 呼吸をするのも忘れていたのか、少し苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。


 アレクシア様が掴んでいた手首を離すと、支えを失った腕はルディオス君の肩から垂れ落ちた。

 その手が再び拳を握り込むことも、頭上へ振り上げられることもなく、ルディオス君は茫然自失とした様子で動かなくなっている。


 とりあえず、殴るのをやめてくれたことに安堵し、私はランディ君の目を塞いでいた手を離した。

 ランディ君は、少し呆然とした様子で立ち尽くしたままルディオス君を見つめている。

 隣のマグナス君も同じような姿だ。

 二人に声を掛けようとしたけれど、私もまだ気持ちがざわついていて落ち着かない。

 気を取り直すように、大きく深呼吸をする。


 それから、私はアレクシア様の言葉を心の中で反芻した。


『その男は、お前を殺した奴じゃない』


 ふと、以前ルディオス君から聞いた話が脳裏に過った。


 ルディオス君がジーニアス君の中で目覚めた時、すぐ目の前には自分を殺した暗殺者がいたらしい。

 その暗殺者は、ルディオス君を殺めた手で、ジーニアス君のことも手にかけようとしていた。


『とにかく死に物狂いで戦ったのはなんとなく覚えてるけど、そん時の記憶がほとんどないんだよな。死んだはずの自分がなんでジーニアスの体を動かしてるかとか、そんなの考える余裕もなかった。んで、気付いた時には、俺の下でソイツはすでに死んでいたんだ。ま、俺が殺したのは間違いねぇけど』


 そう語るルディオス君は、まるで他人事のようにあっけらかんとした口ぶりだった。

 だから私は、その話を聞いて驚きはしたけれど、あまり重くは受け止めていなかった。

 というよりも、信じきれていなかったのだと思う。


 だって九歳の子供が、自分よりもずっと体格差のある大人相手に、力で敵うはずがない。

 ましてや殺してしまうだなんて……考えられなかった。


 もしかしたら、何かの拍子に相手が頭をぶつけて打ち所が悪かったのかもしれない、とか。

 もしくは持病の発作を起こしたのかも……。

 なんて、勝手に納得のいく落としどころを探していた。


 だけど現実は、そんな生半可な想像で片付けられるほど甘いものではなかったのだろう。

 さっきまでの彼の姿が、その時の壮絶さを物語っていたように……。


 もしかしたらルディオス君は、身を挺して弟を守ろうとするマグナス君を、過去の自分の姿と重ねたのかもしれない。

 その瞬間、ルディオス君の意識はその時の自分へと引き戻され――更には自分を殺し、弟をも殺そうとした暗殺者と、二人を傷つけようとする男の姿が重なった。


 そして、思ったのだろう。


 この男を殺さなければ、弟が殺される――と。


 かつての自分がそうだったように。


 だから、彼は必死に戦っていた。目の前の脅威が、再び弟の命を脅かさないよう。

 振り上げた拳を止めるわけにはいかなかった。


 弟を守る。

 ただそれだけのために。


 彼だけが、弟を守れる唯一の存在だったから――。


「わり……完全に意識飛んでたわ」


 ガシガシと頭を掻きむしりながら、ルディオス君は立ち上がった。

 その足元で倒れている男は、ぐったりとしていて微動だにしない。


 ――まさか……本当に死んでしまったの……?


 私が恐る恐る覗き込んでいると、


「息はあるので大丈夫です」


 と、男の傍でしゃがみ込んでいたガイゼンさんが教えてくれた。

 気付けば、周囲にはガイゼンさん以外の騎士たちも集まってきていて、男の仲間と思われる人たちを一ヵ所に集めていた。

 ガイゼンさんは、男の襟首を無造作に掴み取ると、ズルズルと引きずりながら回収していく。


 ――首が締まっているように見えるけれど、大丈夫かしら……?


 いずれにせよ、侵入者の男とその仲間たちの処遇に関しては、アレクシア様たちにお任せすれば大丈夫だろう。


「いってぇー。さすがにやりすぎたな」


 両手をブラブラと揺らしながら、ルディオス君がこちらへやってくる。

 痛みに顔をしかめつつも、どこか飄々としている彼は、いつも通りのルディオス君だ。


 そのことに安堵しながら、私は彼の両手を見る。

 べっとりと付着している赤黒い液体のほとんどは男の返り血なのだろう。

 けれど、あんなに何度も殴ったのだから、その手にだって傷ができているかもしれない。


「ルディオス君、大丈夫?」


 私の問いに、ルディオス君は両手を自分の目の前まで持ち上げ、握ったり開いたりして動きを確認する。


「手の感覚はあるし、指もちゃんと動くからな。ま、大丈夫だろ」

「馬鹿者。これから敵地へ乗り込むというのに、剣を握れなくなったらどうするつもりだ」


 隣から放たれたアレクシア様からの苦言に、ルディオス君はムッと唇を尖らせる。


「あーもーうっせぇなぁ。だから、大丈夫だっつってんだろーが」


 シッシと手で払い退けるようにしながら、ルディオス君はアレクシア様から顔を逸らす。

 それからランディ君とマグナス君に声を掛けた。


「よぉ、ランディ、マグナス。怪我はねぇか?」

「……」


 声を掛けられても、二人はまだ茫然としている。

 少しして、マグナス君がハッとしたように顔を上げ、素早く頭を下げた。


「はい。助けてくださってありがとうございます」


 その隣では、ランディ君が無言のままルディオス君を見上げている。

 いつものランディ君なら、ルディオス君を見れば喜んで飛びついていたはず。

 けれど、今の彼の表情に喜びの色はなく、それどころか、ルディオス君を見る眼差しが僅かに警戒しているようにも見える。


 ――ランディ君……もしかして……。


「? おい、ランディ。大丈夫か?」


 ルディオス君も、ランディ君の様子がおかしいことに気付いたのだろう。

 いつものように、ルディオス君がランディ君の頭に触れようとした瞬間、ビクッとランディ君の体が跳ね、伸ばされた手を避けるようにしてマグナス君の背中に身を隠した。

 マグナス君の背中に顔を埋め、ピタリと張り付くランディ君の体は小刻みに震えている。


 ――やっぱり……ルディオス君のことが怖いのかしら……。


 その理由は、先ほどのルディオス君の姿を目にしたからだろう。


 いつもと違う彼の姿を見て、ショックを受けたのかもしれない。


「……」


 ルディオス君は無言のまま、伸ばしかけていた手をゆっくりと降ろした。

 そっと俯いた彼の表情は、影に覆われていてよく見えない。


 重い沈黙が漂う中、マグナス君が慌てた様子でフォローを入れる。


「ランディも、怪我はないので大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」

「……ああ。なら良かった」


 軽い口調でそう言うと、ルディオス君はマグナス君に背を向け去っていく。

 その背中がひどく寂しそうに見えて、咄嗟に追いかけようとした時、小さな嗚咽が聞こえてきた。

 視線を向けると、マグナス君の背中にしがみついているランディ君が、声を押し殺すようにして泣いていた。


 彼もまた、傷ついているのかもしれない。

 あんなに慕っていたルディオス君を拒絶してしまったことに。


 再び視線を戻した時、ルディオス君の姿は、もうそこにはなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いつも楽しく読んでます! 仕方ないのかもだけど、いつもの明るく優しく慕ってたからこそ、たとえ自分達を守る為とはいえ鬼になった姿見たらね〜?! ふと、ルディオスくんは精神(魂)のみの存在だと余計に感情…
『恐怖』は本能だから、思うようにいかないのかもしれない。もどかしいです。 そして『世界』は優しいだけではないのだなと思いました。 きっとランディ君たちにとって優しいであろうジェイクさんも、戦士の顔は凄…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ