20.先程と様子が違うのですが? ※スザンナ視点
前回、スザンナと公爵様の間で何があったのか……スザンナ視点が続きます
『あの公爵様には近付かない方が良い』
『公爵様を敵に回したらまともな人生は送れない』
『あの人は冷血な殺人鬼だ』
そんな風に噂されている公爵様とお姉様が結婚した。
お姉様に「公爵夫人」という肩書きが出来るのは気に食わなかったけれど、公爵様に冷遇されて一生暮らしていくのなら、いい気味だと思っていた。
それなのに――。
最近の公爵様は優しくなったとか、貴族でもない庶民にも声をかけてくれる様になったとか、公爵様の世間でのイメージはガラリと変わった。
私は公爵様の機嫌を損ねたら大変だからと、結婚式には参加させてもらえなかったし、お会いする事も許されなかった。
だけど、最近の公爵様の様子を聞いたお父様が、一度会いに行ってみてはどうかと私に話を持ち掛けて来た。
かなり勝手な事を言う父親だと思ったけれど、私もそろそろ結婚相手を決めないといけないのよね。
だから世間の言う通り、公爵様が本当に変わったのであれば一度お会いしておこうと思っていたの。
なんでも、その容姿は誰もが目を奪われる程の美しさって言われているし。
そんな人がもし本当に優しくなったのであれば、お姉様は今どんな生活を送っているのかと気になった。
もしもお姉様が私よりも良い暮らしをしているのなら、いつもの様に奪ってしまえばいい――そんな思いを巡らせながら馬車に乗って公爵邸へと辿り着いた。
そこで実際に公爵様とお会いして、その容姿の素晴らしさに私は言葉を失った。
『容姿端麗』なんて言葉じゃ片付ける事なんて出来ない程の美しく整ったお顔。
艶があり優美な白銀色の髪にルビーの様な神秘的な輝きを放つ赤い瞳、細く筋の通った高い鼻、気品溢れる立ち姿。完璧。完璧すぎるわ。
今までにも恰好良いと言われる男性とはたくさん出会ってきたけれど、その人達が霞んで見える程、公爵様は見目麗しい。
恰好良いというよりも、とにかく美しかった。
それ程にまで美しいお方が、具合が悪そうな雰囲気を出していたお姉様の事を心配そうに見つめていた。
何あれ。
お姉様はきっと公爵様が来るのを見越して仮病を使ったに違いないわ!
しかもその後、お部屋を出ようとしたお姉様に公爵様が駆け寄ってドアの前でイチャイチャと……いやらしいわ!
それに何なのよあれ。
もしかして壁トン?
確か恋愛小説の中や舞台劇で流行っているとは聞いたけど、実際にやる人なんて初めて見たわ。
でもあの美しい公爵様がやると何でも様になるのね。
不覚にも羨ましいと思ってしまったわ……。
ねえ。お姉様。
あんたはここで一生冷遇されて過ごす筈だったでしょ?
公爵様に無視されて、誰からも相手にされずに一人寂しく生涯を終えるはずじゃなかったの?
それがなに?
あんなに美しい男性に優しく微笑まれて、やたら糖分高めの甘ったるい言葉をかけられて?
お姉様も何でそんなまんざらでもない反応をしちゃっているの?
そんなの許さないわよ。
あんたは私よりも劣っているのよ。
あんたにその人は似合わない。
だから、私が奪ってあげる。
だって、その人は私が持っていた方が、絶対その価値を発揮出来るんだもの。
私達なら、誰もが羨む様なお似合いの夫婦になれるわ。
お姉様が部屋から立ち去り、公爵様は私と向かい合わせになって置いてあるソファーへとやって来た。
私は吊り上げていた瞳を閉じて、いつもの様に愛され淑女の顔を作り上げて微笑を浮かべた。
その時、
ドカッッ!
と大きな音を立てて、公爵様が体を投げ出す様にソファーに腰を下ろした。
深く沈み込む程にソファーに体を預けた公爵様は、気だるそうに大きな溜息を吐き出している。
……え?
目の前で起きた一連の動作に、私の浮かべていた笑顔が勝手に引き攣った。
さっきまでお姉様に見せていた紳士的な態度とはうって変わり、あからさまに横柄な態度で長い足を組むと、私を突き刺す様に睨みつけてきた。
先程まで熱を帯びて見えた瞳が、今は氷の様に冷たくて背筋が凍った。
『あの人は冷血な殺人鬼だ』
その噂と今の公爵様の姿が合致して、私の喉がヒュッと音を立てて息が詰まった。
とても目を合わせていられなくて、その視線から逃げる様に俯いた。
何……?
さっきまでの公爵様は何だったの……?
これじゃあ噂通りの公爵様じゃない!
優しくなったんじゃなかったの!?
「おい。顔を上げろ。お前が僕に話があると言ったのだろうが」
あからさまに先程とは何トーンも下がった低く殺気立った声で公爵様が話しかけてきた。
嫌……あんな冷たい瞳と目を合わせるなんて嫌……。
恐怖で一層震えが止まらない。じわりと滲んだ涙で視界が歪みだす。
だけどその言葉に逆らうのはもっと怖い。
私はガクガクと震えながら精一杯顔を持ち上げた。
公爵様は変わらず冷ややかな視線をこちらに向けている。
その口がゆっくりと開いたので思わず身構えた。
「で? お前は僕とマリエーヌが過ごすはずだった貴重な時間を割く程、有意義な話が出来るのか?」
「へ……? あ……えっと」
「出来るのならさっさと話せ。お前に時間を割く程、僕は暇じゃない。一分一秒でも早くマリエーヌの所へ行かなければいけないんだ」
なんで……?
なんでお姉様の事がそんなに大事なの?
私にはこんなに冷たいくせに……なんであの女だけ!
悔しい……悔しい……!
あの女の事は名前で呼んでいるのに、私の事は「お前」だなんて!
「あのっ……公爵様! どうか私の事はスザンナとお呼びくださ――」
「お前に名前を呼ぶ程の価値があるかどうかは僕が決める。さっさとしろ」
公爵様の苛立つ声に、私の言葉は遮られた。
何よ……私には名前を呼ぶ程の価値が無くて、あの女にはあるって事?
じゃあその価値を私が潰してやるわよ!
「……分かりましたわ。じゃあ、お姉様のお話を少々……」
そう言葉を発した瞬間、公爵様の氷の様な瞳が一瞬で溶け、目を見開いて何か期待する様な眼差しへと変わった。
「ほう! 先程言っていた僕の知らないマリエーヌの話だな! それは興味深い。スザンヌ、そなたの話を是非聞かせてくれ」
声のトーンもガラリと変わり、少年の様に興味津々に目を輝かせ始めた。
私はその姿に呆気にとられながらも、今の言葉のある部分についてツッコまずにはいられなかった。
「はい……でもあの……私はスザンヌじゃなくてスザンナで――」
「いいからさっさと話せ。スザンーヌ」
「は……はい」
何なのこれは……?
なんであの人の話になると、公爵様はこんなに人が変わってしまうのよ!?
それにスザンーヌって誰なのよ!? 私をバカにしてるの!? 絶対わざとでしょ!?
私が内心怒りに震えているのとは対照的に、公爵様はキラキラと目を輝かせながら期待の眼差しをこちらに向けている。
その姿がなんだか眩しい。
何よ。そんなにお姉様の話が聞きたいの?
いいわよ……最初からそのつもりで来たんだから。
ここでお姉様がどれだけ酷い女なのかを叩き込んで、お姉様に向いている心を私に向けさせればいいんだわ。
簡単よ。
あの人がどうやって公爵様を落としたのかは分からないけれど、あの人に出来て私に出来ない事なんて何一つないんだから。