20.再会
「マリエーヌ。待たせたな」
優しく撫でられるような声に、じわりと涙が込み上げる。
「アレクシア様……」
その存在を確かめるように、白く浮き上がる頬の輪郭にそっと触れた。
よほど急いで駆けつけてくれたのだろう。
しっとりと汗に濡れた頬は、指先が痺れるほど熱い。
「遅くなってすまない」
アレクシア様は私の体を引き寄せると、ぎゅぅっときつく抱きしめた。
少し息苦しいくらいの圧迫感に包まれて、身動きができない。
けれど、隙間なく密着する体から伝わるアレクシア様の熱が、今は心地良い。
私もアレクシア様の背中に手を伸ばし、力いっぱいに抱きしめた。
互いの熱が混ざり合い、どちらの熱かも分からないほど境界が曖昧になっていく。
ただ一心に、その体をひしと掻き抱きながら、泣き叫びたくなる衝動を必死に耐えた。
怖かった。
目の前で大切な人が傷付けられようとしているのが。
正解が分からないまま、自分の下した判断が、取り返しのつかない結果に繋がってしまうんじゃないかと……。
重くのしかかる重責に何度も絡め取られそうになりながら、それでも立ち止まるわけにはいかなかった。
でなければ、大切な人たちを守れないから――。
私の耳元で、アレクシア様がそっと囁く。
「よく頑張ってくれた。もう大丈夫だ」
大丈夫――その言葉を聞いた瞬間、堰を切ったようにポロポロと涙が零れ落ちた。
恐怖と不安に支配されかけていた心が安堵感で満たされ、体から力が抜け落ちていく。
本当に、もう大丈夫なのだと思った。
アレクシア様が来てくれたから……もう、大丈夫。
アレクシア様の言葉だからこそ、信じられる。
「はい。来てくれてありがとうございます、アレクシア様」
指先で涙を払い、アレクシア様に微笑む。
虚勢でもなんでもなく、自然に笑えた。
そんな私に、アレクシア様も優しく微笑み返す。
この笑顔が、心底恋しかった。
三日月と星空を背負うアレクシア様の姿が、ほんのりと光って見える。
黒々としていた木々が月明りに照らされて、輪郭を縁取るような光の線が浮かび上がる。
辺りに漂う夜霧が月光を反射し、淡い煌めきを放った。
夜風にそよぐ葉の動きはしなやかで、ザアアッと聞こえてくる音は、かつて船上で耳にした柔らかなさざ波の音を連想させた。
さっきまで不穏にしか思えなかった景色が、今はまるで違う。
森全体を包み込む神秘的な雰囲気、温かみさえ感じられる月明りも。
全てが私たちの味方をしてくれているように思えた。
アレクシア様がいてくれるだけで、私の目に映る景色はこんなにも変わるのだと、胸が熱くなる。
気持ちに余裕ができたからか、今になって疑問が過った。
「そういえば、アレクシア様たちはどうしてここに?」
私たちが森へ入る前、まだアレクシア様たちの乗る馬車は見えていなかった。
だから、戻って来るのはまだ先だったはず。
それなのに、どうしてこんなに早く駆け付けることができたのだろう。
別荘へ戻り、事情を聞いて駆け付けたのだとしても、あまりにも早すぎる。
「ガイゼンの合図があったからな」
「合図?」
首を傾げつつも、すぐに「あ!」と答えが閃いた。
「もしかして、あの指笛ですか⁉」
身を乗り出すようにして答えると、アレクシア様は小さく笑みを零し、正解とばかりに頷いた。
あの時、唐突にガイゼンさんが鳴らした指笛。
やっぱりあれにはちゃんとした意味があったのだ。
「ガイゼンが発信した合図は『緊急事態につき招集せよ』というものだった。だから別荘へ戻るよりも先にここへ駆け付けることができたんだ」
「あの指笛に、そんな意味があったのですね……」
つまり、あの指笛を吹いた時、ガイゼンさんが遠くを見つめていたのは、その先にアレクシア様の乗る馬車が見えていたからなのだろう。
当然、私には全く見えなかったけれど……。
「他の騎士たちも、もう間もなく集まってくるだろう」
「ここにですか?」
それはガイゼンさんの『招集せよ』という合図に応じて、なのだろうけれど。
――アレクシア様が来てくれたのだから、わざわざ招集する必要はないのでは……?
すると、アレクシア様は私の体を抱きかかえて立ち上がり、
「ガイゼン」
と、先ほどとは打って変わり、数段声のトーンを低くして呼び掛けた。
いつの間にか、ガイゼンさんはアレクシア様の足元で跪いていた。
その頭上に、底冷えするような声が放たれた。
「やれ」
「はっ!」
次の瞬間、ガイゼンさんの姿が消えた。
「え⁉」
突然、いなくなってしまった護衛騎士を探して辺りを見渡していると、少し離れた場所でガササッと何かが動いた。
そちらに視線を向けると、また別の方向から音が聞こえ、更にまた違う場所で何かが動く。
地を駆けるような足音、ぶつかり合うような衝撃音、微かに聞こえる人の呻き声……と、急に周囲が騒がしくなった。
私がキョロキョロと辺りを見回していると、アレクシア様が浅い溜息を漏らした。
「あの男の仲間と思わしき人間が、周囲に数名潜んでいたんだ」
「え?」
私は思わず目を瞬かせる。
それと同時に、ドサッと何かが倒れる音がして、そちらを振り返った。
木々の隙間から誰かが倒れている。
別荘に侵入した男と同じように、全身を黒で統一している人物が。
私は軽く身じろぎながら、アレクシア様に訊ねた。
「……それは、私を誘拐するために……ですか?」
「そうだろうな。ガイゼンと君が離れる隙を狙っていたのだろう」
やんわりとした口調ではあるけれど、アレクシア様は冷ややかな眼差しで倒れた男を眺めている。
平然としているように見えるけれど、心中は穏やかではなさそう。
次の瞬間、アレクシア様のお顔に黒い影が落ちた。
「あとで念入りに拷……情報を聞き出さないとな……」
低い声でぼそりと呟かれた言葉は、私の耳にもしっかり聞こえた。
――……アレクシア様。今、なにか恐ろしい言葉を口にしかけませんでしたか……?
不吉な予感を覚えつつ、それについては深く言及しないことにする。
とりあえず、他の騎士たちに招集をかけたのは、男の仲間たちを回収するためなのだろうと納得し、すぐに頭を切り替えた。
「アレクシア様。マグナス君とランディ君の所へ行きましょう」
「ああ」
私の体を抱きかかえたまま、アレクシア様は二人がいる場所へと向かう。
二人はこちらに背を向け、奥の方へと視線を向けている。
私はアレクシア様の腕から降ろしてもらい、二人の背中に声を掛けた。
「マグナス君、ランディ君、怪我は――」
その先の言葉を続けようとして、私は思わず息を呑んだ。
二人の視線が向かう先。
その光景を目の当たりにして、言葉を失ってしまった。
仰向けで倒れている黒ずくめの男。
その体に馬乗りになったルディオス君が、何度も男の顔面を殴り付けていたのだ。




