19.二人を追って
二人が駆けていった方向へしばらく進んでみたものの、二人の姿は一向に見当たらない。
上空は分厚い雲で覆い尽くされ、月明りの届かない地上はどんよりと沈んでいる。
流星群を見た夜は、遥か遠くまで見渡せていた景色が、今は混沌とした闇と同化している。
このまま闇雲に探してたところで、二人を見つけるのは難しいだろう。
「ガイゼンさん、二人がどこにいるのか分かりますか?」
人の気配を敏感に察知するガイゼンさんなら、二人の向かった先が分かるかもしれない。
ガイゼンさんは、ジッと遠くを見据えるようにして目を細めると、ゆっくりと視線を横へと滑らせていく。
やがて、スッと右手を上げ、
「こちらから声が聞こえます」
ガイゼンさんが指し示した先は、馬車が往来する道路から逸れた位置にある木々が生い茂る森。
鬱蒼としたその森は、人の手が入っておらず、足場が悪くて危険だからとアレクシア様が避けていた場所。
もしかしたら、男の仲間が身を潜めている可能性もあるかもしれない
そこへ踏み込むのは勇気がいるけれど、こちらにだって信頼できる護衛騎士が付いている。
私は意を決し、ガイゼンさんに呼び掛けた。
「行きましょう!」
私が駆け出すと、ガイゼンさんは私のすぐ横を並走する。
森の中に足を踏み入れると、ガサガサッと落ち葉を踏む音が周囲に鳴り響いた。
何層にも重なった落ち葉で足元が不安定なのに加え、ここは少し傾斜になっている。
一刻も早く二人を見つけなければならないのに、これでは走ることもままならない。
乱雑に生えた木を避けながら、足を取られないよう慎重に前へ進んでいく。
視線を上げると、なんとも薄気味悪い景色が目に飛び込んできた。
夜風に煽られ、大きくうごめく葉の影。
ぶわりと舞い上がった落ち葉が意志でもあるかのように右へ左へと不規則に揺れ動く。
ザワザワと葉が擦れ合い、ギシィッと木が軋む音。時折聞こえる梟の鳴き声。
それら全てが不穏な雰囲気を演出しているようで、ゾッと全身に悪寒が走る。
更にはリディアの話まで思い出してしまい、今にも見えるはずのない何かを見てしまいそうな気がした。
「マリエーヌ様、こちらです」
ガイゼンさんの落ち着き払った声が、恐怖で冷え固まりそうな気持ちをどうにか解してくれる。
差し伸べられた手を握ると、皮の手袋越しでも確かな人の温もりが伝わってきてホッとした。
その手に導かれながら、更に森の奥へと入り込む。
ガイゼンさんは、まるで二人の居場所が分かっているかのように、迷いのない足取りだ。
周囲を見渡せば、前も後ろも木々に囲まれており、自分がどの方向から来たのかも分からない。
私一人だったら、たとえ二人を見つけたとしても、別荘へ戻ることもできずに遭難していただろう。
――レイモンド様がリディアを止めてくれて本当に良かった。
果敢に飛び出そうとした専属侍女と、それをいち早く止めてくれたレイモンド様の姿を思い出すと、少しだけ心細さが和らいだ。
次いで、アレクシア様の姿が脳裏に過った。
途端、せっかく和らいだと思った心細さが急速に存在感を増していく。
アレクシア様と離れてまだ一日と経っていないのに、その姿がひどく恋しい。
――アレクシア様……早く、帰ってきて……。
目の奥が熱を帯び、じわりと視界が滲む。
瞬間的に込み上げてきた熱は大粒の塊となり、目尻に溜まる。
今にも零れ落ちてしまいそうなそれを、私は服の袖でゴシゴシと拭った。
隙あらば顔を覗かせる、弱い自分。
だけど、それを表に出す時は、アレクシア様の前でのみ。
今は違う。
――まだ、泣くな。
そう自分に強く言い聞かせ、しかと涙腺を引き締める。
真っすぐ顔を上げ、しっかりと目を見開いた。
もう、視界は揺らいでいない。
ピィーーー‼
突然、耳をつんざくような笛の音が聞こえ、思わず身構えた。
笛の音の発生源であるガイゼンさんを見ると、彼は親指と人差し指で作った輪を口に咥えていた。
その口がすぅっと息を吸い込み、ピィーーー‼ ともう一度音を鳴らした。
「指笛……?」
私はキョトンとしたまま目を瞬かせる。
ガイゼンさんの視線は、私たちが進む方向とはまた別の方角へと向けられており、遠くを見据えるような眼差しで一点を見つめていた。
――何を見ているの……?
ガイゼンさんの視線を辿ってみたけれど、これといって何かがあるようには見えない。
遠くまで見渡そうとしても、黒く塗りつぶされたような暗闇があるだけ。
ふいに、前方から声が聞こえた。それも一人だけじゃない。
誰かが言い争っているような声が。
「ガイゼンさん!」
咄嗟に呼び掛けると、ガイゼンさんは止めていた足を前へと進ませる。
次第に傾斜がきつくなり、足に力を入れて踏ん張りをきかせた。
ガイゼンさんの手に支えられているのに、一歩進むごとに体力がごっそりと削り取られていく。
「このクソガキが!」
再び声が聞こえた。
今度ははっきりとした、男の声が。
――まさか、ランディ君とさっきの人が一緒にいるの⁉
嫌な予感が過り、冷たい汗が頬を伝う。
別荘に侵入した男は、シェリーちゃんのような赤子にさえ慈悲の欠片も見せなかった。
そんな相手が、ランディ君に対しても容赦するはずがない。
――お願い……酷いことをしないで……!
祈るような気持ちで声のする場所へと突き進む。
次第に傾斜が緩くなり、平地へと出た。
けれど周囲は相変わらず木々が生い茂り、視界は悪い。
直後、ガササッと落ち葉が擦れ合う音、次いで、何かを叩きつけるような音が辺りにこだました。
ドカッドカッと、繰り返し聞こえてくる音が、私の中でひしめく焦燥を更に掻き立てる。
ふと、木々の隙間から人影が動くのが見えた。
屋敷に侵入した黒ずくめの男だ。
その足元には――。
「マグナス君!」
悲鳴に近い声が口をついて出た。
男が何度も踏みつけている足の下には、うつ伏せになったマグナス君が倒れている。
けれど、よく見ると、彼は倒れているというよりも、何かに覆いかぶさっているような体勢だ。
――あの下にいるのは……ランディ君⁉
マグナス君が覆い被さっているのは、ランディ君の体だった。
マグナス君は、男の攻撃から身を挺してランディ君を守っているのだ。
――早く二人を助けないと!
咄嗟に握っていたガイゼンさんの手を放し、一目散に二人のもとへと駆け出した。
けれど、相変わらず足場が悪い。
必死に足を動かしているのに、落ち葉の層に足を取られて思うように進まない。
すると、男はマグナス君の背中から足を下ろし、地面に落ちていた棒状の物を拾い上げた。
太い木の枝……そう思ったけれど違った。
男が手にしているそれは――ランディ君の木剣。
男はそれを真っ二つにへし折ると、片割れを地面に投げ捨て、もう片割れを握りしめて頭上へと振りかぶった。
割れた先、尖った先端がマグナス君の背中を狙っている。
――やめて‼
叫ぼうとしたのに、かすれて声にはならなかった。
私が伸ばした手の先で、凶器と化した木剣を構える男の手が、更に後ろへと振り上がる。
父親から贈られたのだと、ランディ君が大事にしていた木剣が、彼の大切な兄を傷つけようとしている。
そんな悲惨な光景を前にして、私が思わず目を瞑りそうになった時――ザザザザザッと地を滑るような音が背後から迫り、物凄いスピードで私の横を通り過ぎた。
「……え?」
直後に吹き込んできた風に煽られながらも、目を見開いて先を追う。
男が振り下ろした木剣がマグナス君の背中に触れる直前、男の体にそれが衝突した。
「うがっ!」
男の体は激しく吹き飛ばされ、奥にある木の茂みへと消えていった。
無数の落ち葉が宙へと舞い上がり、ひらりひらりと揺れ落ちる。
その光景の奥で、男の上に乗っていた塊がゆらりと起き上がった。
大きく肩を上下させながら、男の体に跨るようにして佇む人物を見て、ランディ君が嬉々とした声を上げる。
「ルディオス兄ちゃん!」
ここからでは後ろ姿しか見えない。
けれど、肩まで伸びた白銀色の髪と、見慣れた佇まいは、ルディオス君で間違いない。
倒れていたランディ君とマグナス君が、互いに支え合うようにして起き上がる。
その様子から、二人に大きな怪我はなさそう。
――良かった……二人とも無事で……。
そう安堵し、すっかり気が緩んだのだろう。
二人のもとへ向かおうと踏み出した私の足が、ズルッと地を滑った。
「あ……」
視界が後ろに反転する。
ランディ君たちの姿が消え、代わりに夜空が映し出された。
いつの間にか、夜空を覆っていた分厚い雲が割れ、月が姿を覗かせていた。
寸分の歪みもない美しい曲線を描く三日月。
その鮮麗さに一瞬目を奪われるも、私の体は後ろへと引っ張られ、足が宙を蹴る。
ぎゅっと目を瞑り、迫る衝撃に備えて身を縮める。
けれど、私の体は地に叩きつけられる直前、誰かの手によって抱き留められた。
――ガイゼンさん……?
そう思ったけれど、すぐに違うと気付いた。
私の体をしかと支える手の温もりは、今、私が何よりも欲していたものだから。
体の中心に灯った歓喜の熱が、全身を駆け巡る。
――来てくれた……。
そう確証を得て、私はゆっくりと目を見開いた。
淡い月光に照らされて、煌めく白銀色の髪がゆるやかに靡く。
ルビーのように美しい真紅の瞳が私だけを見つめている。
温かみを感じるその眼差しが私と目が合った瞬間、柔らかな弧を描いた。
「マリエーヌ。待たせたな」




