16.侵入者の狙い
「マリエーヌ様、お待ちください」
エマさんの部屋に到着し、扉をノックしようとした私の手は、ガイゼンさんが差し出した手の平によって受け止められた。
私は息を切らしながらガイゼンさんを見上げる。
走っていた時は平気だったけれど、止まった瞬間に呼吸が苦しくなった。
相変わらず、体力がない自分を情けなく思う。
ガイゼンさんは、閉じた扉の向こう側を見据えるような視線を向けたまま、静かに告げた。
「中に侵入者がいます」
「……!」
思わず息を呑み、咄嗟に扉から身を引いた。
扉の向こう側からは、今もまだシェリーちゃんの泣き声が聞こえてくる。
けれど、よく耳を澄ましてみると、ボソボソとした低い声が微かに聞こえた。
マグナス君とランディ君とはあきらかに違う、大人の男性の声。
「エマさんたちは無事なのでしょうか?」
扉が閉まった状態では、中の様子が分からない。
とにかく今は、エマさんたちの安全を確認したい。
「無事ではあるようですが……」
鋭い視線を扉に向けたまま、ガイゼンさんは言葉を濁す。
再び、男の人の声が聞こえた。
誰かに指示を出しているようにも聞こえるけれど、内容までは聞き取れない。
私が扉に耳を近付けようとした時、
「マリエーヌ様、こちらへ」
ガイゼンさんが私の肩に手を添え、扉から避けるようにして横へと誘導する。
リディアとレイモンド様も、私たちと同じように壁へ張り付く。
直後、ガチャリ……と、扉が開く音がした。
――え……誰か出てくるの⁉
私は声が漏れ出てしまわないよう、自分の口を両手でしっかりと塞ぐ。
このままでは見つかってしまう。
けれど、近くに私たちが身を隠せそうな物はない。
とりあえず壁にピタリと背中を合わせ、息を殺してジッとする。
ガイゼンさんが私を守るようにして前に立ち、レイモンド様もリディアの前で警戒するように剣の柄に手をかけた。
私はガイゼンさんの背中からそっと覗くようにして、様子を窺う。
開いた隙間から部屋の灯りが廊下へと差し込み、ゆっくりと開く扉の動きに合わせて灯りの範囲が広がっていく。
半開きになった扉。
そこから姿を現したのは――ランディ君だった。
「あ……」
私たちに気付くと、ランディ君は驚いたように目を見張り、声を零す。
途端、しまったと言うような顔となり、慌てて口を塞いだ。
「ん? そこに誰かいるのか?」
部屋の中から、野太い男性の声がはっきりと聞こえた。
ビクッとランディ君の肩が揺れ、怯えた様子で部屋の方へと振り返った。
そして再びこちらへ視線を向けたランディ君は、まるで助けを求めるような眼差しで、ジッとこちらを見つめている。
――中で何が起きているの……?
私が思わず身を乗り出した時、部屋の中から男が呼びかけた。
「おい。そこに隠れている奴。いるんだろ? さっさと出てこい」
すると、ガイゼンさんが私を制すようにして手をかざしながら「ここでお待ちください」と小声で言い残し、ランディ君の隣に立った。
ガイゼンさんの体が部屋の灯りに照らされる。
直後、何か嫌かものでも見たかのように、僅かに顔を顰めた。
「……あんた、騎士か? まあいい。そこを動くなよ? で、その腰にある物騒なもんはこっちに投げ捨てな。……この女の命が惜しければ、早くしろ」
――……それって、もしかしてエマさんのこと⁉
もう一度ランディ君を見ると、今にも泣きだしそうな顔でガイゼンさんを見上げている。
男の言う通りにしてほしい。
そう訴えるように。
もしもエマさんが人質として捕らえられているのなら、ランディ君が男の言いなりになるのも頷ける。
ガイゼンさんは無言のまま、腰に帯びていた剣を鞘ごと外し、部屋の中へと放り投げた。
「よし。男はそのまま動くなよ。で、そこのガキはさっき言ったように、マリエーヌって女をここへ連れてこい」
「‼」
ドクンッと心臓が大きく跳ねる。
――狙いは、私……?
ぎゅっと胸元を掴むと、早鐘を打つ心臓の鼓動が直に伝わってくる。
乱れそうになる息を、意識的に深い呼吸を繰り返すことによって、なんとかやり過ごす。
――落ち着いて。予想していたことよ……。
そう自分に言い聞かせ、どうにか気持ちを落ち着かせる。
アレクシア様が懸念していた通り、私を狙う人間が現れた。
しかも、相手は私の名前を知っている。
私たちがここにいることは、極一部の人間しか知らないはずなのに……。
――つまりは、その誰かが、私たちの情報を漏らした、ということ……?
仲間だと思っていた人たちを疑いたくはない。
だけど、この状況を考えると、その可能性は高い。
――まさか、皇帝にも私たちの居場所が知られたんじゃ……?
「おい! 早くしろ!」
けたたましい怒鳴り声により、私は意識を現実へと呼び戻す。
今はそれを考えるよりも、人質として捕らえられているであろうエマさんを救出する方が先だ。
ランディ君は、どうすればよいのか分からないという様子で私へと視線を向けている。
私を連れて行こうとしないのは、私を守ろうとしてくれているからだろう。
――それなら、自分で行くしかないわね。
これ以上、エマさんを危険に晒すことも、ランディ君に負担をかけさせることもしたくはない。
動き出そうとした時、リディアが一瞬、私の前に出た。
けれど、すぐにレイモンド様が彼女の手首を掴んで引き止めた。
「何で止めるんですか!」
「駄目に決まっているだろう! そもそも君は嘘がつけないじゃないか!」
小声でやり取りする二人の会話から、リディアが何をしようとしていたかを察する。
「ですが、マリエーヌ様の身を危険に晒すくらいなら、私が代わりに……」
「駄目よ、リディア。それは私が許さないわ」
リディアは、私の代わりに自分がマリエーヌだと名乗り出るつもりだったのだろう。
それがいかに危険な行為であるか、分かっているはずなのに。
それに、彼女にとって嘘をつくという行為は、命にもかかわること。
それなのにもかかわらず、彼女は命懸けで私を守ろうとしてくれたのだ。
「……マリエーヌ様」
リディアは今にも泣きそうな眼差しをこちらに向ける。
少し口調が強くなってしまったことを反省しながら、私は彼女に微笑みかけた。
「だけど、ありがとう。あなたの勇気と優しさに、私はいつも救われるわ」
そう言い残し、私はランディ君の傍へ駆け寄り、彼の前に立った。
部屋の眩しさに、少しだけ目を細める。
チカチカとする視界の中で、全身黒ずくめの男に捕らえられているエマさんの姿があった。
「エマさん!」
思わず呼び掛けると、エマさんは私へと視線を向け、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
エマさんの体は男の腕によって固定され、顔のすぐ近くには男が構える剣の刃がある。
男は私を見ると、軽く目を見張った。
「ん? ……まさか、あんたがマリエーヌって女か?」
すると、私を隠すようにしてガイゼンさんが前に立った。
「ははっ! どうやら間違いないようだな。あんただけ厳重に守られて、いいご身分だな」
男の言葉に心が騒めくのを感じながら、私はグッと拳を握りしめる。
エマさんが人質に取られている以上、下手な動きはできない。
男の目的が私だというのは分かっているけれど、私をどうするつもりなのだろう。
男はエマさんの顔の傍に刃を向けたまま、目元に笑みを浮かべた。
「じゃあ――」
直後、男の言葉をかき消すように、シェリーちゃんの泣き声が一層大きくなった。
泣き叫ぶシェリーちゃんの声が、張り詰めた部屋の空気を振動させる。
「ああ! もうさっきからうるせぇなぁ! おい! そのガキを黙らせろ!」
男は声を荒げながら、壁際に佇んでいたマグナス君に指示を出す。
マグナス君は、すぐにシェリーちゃんのところへ駆け寄り、小さく震えている体をそっと抱き上げた。
「シェリー、大丈夫だからな」
優しく笑いかけながら、マグナス君はシェリーちゃんの背中をポンポンと叩く。
この状況でも、シェリーちゃんを怖がらせないよう、平静を保とうとするマグナス君はさすがだと思う。
おかげで叫ぶような泣き声はおさまったものの、シェリーちゃんはまだ泣き続けている。
母親を恋しがるような切なげな泣き声に、胸がギュッと締め付けられる。
「おい。黙らせろって言っただろ」
苛立つ男の声が、ランディ君の背中に投げかけられる。
「そいつの首でも絞めれば泣き止むだろうが」
「……!」
――なんてことを言うの⁉
残忍な男の言葉に、カッと頭に血が上る。
マグナス君は、シェリーちゃんを守るように腕の中で抱きしめると、憎々しげに男を睨んだ。
「なんだ? その生意気な態度は。いいのか? お前の母親がどうなっても……」
男は構えている剣の刃をエマさんの首元へと寄せる。
その瞬間、マグナス君の顔色が血の気が引いたように青ざめた。
そしてエマさんと、腕の中にいるシェリーちゃんを見比べ、カタカタと体を震わせる。
「待って!」
これ以上は見ていられず、私はガイゼンさんの隣に立った。
ガイゼンさんが何か言いたげに私を見たけれど、構わず男に問いかける。
「あなたの目的は、私なのですよね?」
「ああ、そうだ。あんたを誘拐するのが俺の目的だ」
誘拐が目的……それなら、捕まってもすぐに殺されるということはないはず。
「では、私がそちらへ行くので、エマさんは解放してください」
「いいだろう。あんたと交換だ」
男との交渉はあっさりと成立した。
私は静かに深呼吸し、部屋の中へと足を踏み入れようとした時――。
「なりません」
私の護衛騎士が、それを許さなかった。




