11.長い夜の幕開け
「なんだか嫌な天気ですね……。雨が降らないといいのですが……」
窓の外を眺めながら、リディアが眉を顰める。
「そうね。お昼はあんなに晴れていたのに……」
アレクシア様を送り出した時は、雲一つない快晴だった。
それが夕方からちらほらと雲が現れ、今は空を覆うほどの分厚い雲で覆われてしまった。
いつもは幻想的で美しい夜空が展開されているけれど、今夜は上から壁が迫ってくるような重々しさを感じる。
時刻は間もなく十一時を迎える。
早ければあと一時間ほどでアレクシア様たちが帰ってくる予定だけれど、もしかしたら遅くなるかもしれないとも言っていた。
私と同じ席でお茶を飲んでいたリディアが「ふわぁ……」と大きな欠伸をする。
「リディア。眠たかったら無理しないで、部屋に戻って寝ていいのよ」
「いえ! まだまだ! 夜はこれからです!」
ぱちくりと目を瞬かせると、リディアはティーカップのお茶を一気に飲み干した。
本来なら、この時間は彼女にとって業務時間外にあたる。
けれど今日は、私が眠るまで傍にいるようにとアレクシア様から指示があったらしい。
とはいえ、私はアレクシア様が帰って来るまで眠らないつもりなので、それにリディアを付き合わせるのはさすがに申し訳ないと思ったけれど、『残業分の手当ては出るので問題ありません!』と瞳を煌めかせながら言うものだから、結局二人でアレクシア様の帰りを待つことになった。
今はリディアが淹れてくれたお茶を飲みながら談笑している。
「そろそろお茶がぬるくなってきたので、淹れ直してきます」
そう言って、リディアがスッと立ち上がった。
私はふと思い立ち、テーブルワゴンに手を掛けたリディアに声を掛ける。
「あ……それなら茶器を一人分、追加で用意してもらえるかしら?」
「え?」
私が人差し指を立てながらお願いすると、リディアはキョトンとして目を瞬かせる。
直後、急にリディアの顔色がサーッと青ざめた。
「あの、マリエーヌ様……。もしかしてマリエーヌ様には、私には見えていない誰かが見えていらっしゃるのでしょうか……?」
「え?」
深刻そうな表情で問われて、今度は私が目を瞬かせる。
――見えていない誰かって……どういうこと……?
すると、まるで重大な何かを告白するように、リディアは少し間を置いてから口を開いた。
「実は昨日、寝る前にホラー小説を読んでしまったのです」
神妙な面持ちでそう切り出され、私は思わず硬直する。
すでに嫌な予感しかしない。
リディアは感情の抜け落ちたような眼差しを遠くに向けると、口早にそれを語り始めた。
「その小説は、とある家族の母親視点で語られる物語となっていて、家族構成は父、母、娘、息子の四人家族です。とても仲睦まじく、幸せを絵にしたような家族とでも言いましょうか……。物語は、一家がとある屋敷に引っ越してきた日から始まります。その日以来、まず娘の周りで様々な心霊現象が起きるようになるのです。夜になると誰かと会話する声が娘の部屋から聞こえてきたり、娘のいない部屋で誰かの足音が聞こえてきたりと、家族ではない誰かがいる気配がするのです。そんなある日、食事中に娘が母親に言ったのです。『ねえ。なんで私たちは五人家族なのに、いつも四人分の食事しか用意してくれないの? どうして〇〇ちゃんだけ除け者にするの?』と。どうやら娘には、もう一人の誰かが見えているらしくて、しかもその誰かを自分の家族だと信じ込み、五人家族だと言い張るのです。母親が『何を言っているの? 私たちは最初から四人家族だったでしょう? 〇〇ちゃんなんていないわよ』と言うと、急に娘の声色が変わり、『いるわよ……。だって私が――」
「ごめんなさい、リディア。もうその辺でいいわ」
粟立つ肌をさすりながら、私は勢いづくリディアの話をピシャリと制止する。
私はこの手の話があまり得意ではない。
暖炉が灯っているのにもかかわらず、部屋の中が急に寒くなったような気がする。
「違うの。そういう霊的なものじゃなくて……ガイゼンさんもお茶にお誘いしようかと思ったの」
私の言葉に、リディアは一瞬拍子抜けしたような顔となったものの、「あ……なるほど」と、ポンと手を鳴らす。
けれど、すぐに何かを思案するよう眉間に皺を刻んだ。
「ですが、護衛中なのにお茶のお誘いをしてよろしいのでしょうか?」
「……やっぱり難しいかしら? だけど、もうずっと立ちっぱなしだし、休んでいる様子もないから……。少しでも息抜きができればと思ったのだけど」
「お気持ちは分かります。ですが、今は試用期間中ですし……。言わばこれが、マリエーヌ様の護衛騎士になるための試験みたいなものですよね? その試験中に、護衛対象であるマリエーヌ様とお茶を飲んで一息つくというのは、さすがにどうかと思います」
リディアの鋭い指摘に、私は大いに納得する。
「確かに、そうよね……」
「旦那様が、マリエーヌ様の護衛騎士候補に指名するくらいの人ですから、相当な鍛錬をされている方なのだと思います。ですから、マリエーヌ様が気を遣う必要はないかと思います」
「そうね。私が心配する方が、ガイゼンさんには失礼よね」
自分の護衛騎士という存在がどういうものなのか、私は今一つ理解できていなかったらしい。
考え足らずな提案をしてしまった自分が恥ずかしい。
「では、私は新しいお茶を淹れに――」
と、テーブルワゴンを押して歩き出そうとしたリディアの足が、突然ピタリと止まった。
「……リディア?」
急に動かなくなってしまったリディアに、私は恐る恐る声を掛ける。
すると、彼女の肩がプルプルと震え出し、ギギッという音が聞こえてくるようなぎこちない動きでこちらへと顔を向けた。
「マリエーヌ様……申し訳ありません……。怖くて一人で厨房まで行けそうにありません……」
涙声を震わせながら、そう訴えるリディアに私は心から同意した。
「そうね……。私も、今は一人で部屋に残りたくはないわ」
リディアが語ったホラー小説の一片が、今も周囲の空気を凍り付かせている。
「じゃあ、二人で行きましょう。それなら大丈夫よね?」
「はい! 大丈夫です!」
パァァァッとリディアの表情が明るく灯り、互いにグッと拳を握り合った。
それから部屋の前で警備にあたっていたガイゼンさんに事の経緯を伝えたところ、「私もお供いたします」と、ガイゼンさんも厨房まで付き添ってくれることになった。
ガイゼンさんが明かりの灯ったランプを手にして先導し、私とリディアはその後ろから付いて歩く。
風が強いのか、時折ガタッと窓が揺れる音が鳴り響き、そのたびにビクッとリディアが大袈裟に反応し、私も釣られて同じ動きをしてしまう。
ガイゼンさんは、たびたび足を止める私たちの動きに合わせながら、離れすぎないよう歩く速度を調整してくれている。
「ガイゼン様がいてくださってよかったです……」
「ええ。本当にそう思うわ」
目の前を歩く大きな背中を頼もしく思いながら、私とリディアは頷き合う。
すると、突然廊下の向こうに小さな光が現れた。
「マリエーヌ様!」
「きゃ⁉」
急にリディアが勢いよく私の腕にしがみついてきたので、びっくりして声が出た。
「見てください! あれ、火の玉ですよ!」
宙に浮遊する光の玉を指差し、リディアは興奮気味に声を上げる。
私もドキドキとしながらそれを見つめ……コテンと首を傾げた。
「……火の玉って何なの?」
「火の玉は、人の魂とも呼ばれるものです! 諸説あるのですが、今確信しました! あれは人の魂で間違いありません! ほら……ぼんやりと人の顔が見えませんか⁉」
「えっと……よく見えないけれど、リディアには人の顔が見えるの?」
「はい! 私、目と耳の良さには自信があるので! きっと旦那様に殺された人間の魂ですよ! あれは!」
「いえ、あれはレイモンド様です」
「「……え?」」
ガイゼンさんの冷静な指摘に、私とリディアは揃って目を瞬かせた。
一旦冷静になり、よくよく目を凝らしてみると、確かに、私たちと同じようにランプを手にした人影がこちらへ近づいてきている。
その全貌がはっきりと視認できる場所までくると、怪訝そうな顔が煌々と照らされていた。
「そんなところで、いったい何を騒いでいるんだ?」
ガイゼンさんの言った通り、火の玉の正体はレイモンド様だった。
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