19.覚悟が決まる時まで
「マリエーヌ様、お顔が真っ赤ですよ」
突然、声をかけられてビクッと体が跳ねた。
顔を上げると、リディアがニコニコ……いや、ニヤニヤしながら私の顔を見つめている。
私は頬に手を当てたまま、誤魔化す様に笑顔を繕った。
「リディア、どうしよう。熱があるのかもしれないわ。風邪かしら」
「またまたぁ。マリエーヌ様、また公爵様に口説かれたんじゃないですかぁ? それもやけに扉の近くでボソボソと……もしかして壁トンでもされました?」
「壁トン……?」
「ええ、こんな風に」
そう言うと、リディアは手を伸ばして私の顔のすぐ横の壁に手を当て、私は壁とリディアに挟まれる状況になった。
「……ええ……これだわ! なんで分かったの!?」
「ふふ……最近の私は恋愛小説にやたらと詳しいのですよ。なぜか。仕事で培った知識と言いますかね……とにかく、これは恋愛小説でよくある、男性ヒーローがヒロインを口説くときの技の一つなのですよ」
リディアは誇らしげに説明してくれているけれど、一体どういう仕事をしたのかしら?
「じゃ……じゃあ、その後に髪の毛にキスするのも何かの技なの?」
「もちろんです! 若い女性から絶大な人気を誇る“君にキスの雨を降らしたい”の作中でヒーローがヒロインの髪の毛にキスを落として『次は君の唇にするから覚悟しとけよ』と囁くシーンは悶絶ものですよ!」
「それだわ……! セリフは微妙に違うけれど……!じゃ……じゃあ、前にされた顎を持たれてクイッてされるのは!?」
「それも一部のマニアに支持されている“しゃくれた君も愛してる”の作中でヒーローがヒロインにする『顎ックイ』ですよ! キスするのかと思いきやせんのかーい! ていうあの焦らし方! それがキュンキュンするんですよね! ああもう羨ましいなあああぁぁぁ!」
リディアはなんだか凄く楽しそうにしているけど、若干涙目になっているのは何故かしら。
「そうだったのね……公爵様は恋愛小説事情にも詳しいのね」
すると、リディアは急にむずむずと何か言いたげな表情になると、私に近寄り内緒話でもするかの様に私の耳に手を添えた。
「ここだけの話にしてくださいよ? 実は公爵様、マリエーヌ様をどうにかして口説き落としたくて、流行りの恋愛小説を読み漁っているんです。まあ、それを用意したのは私なんですけどね。最低300冊って馬鹿ですよね。人をなんだと思ってるんですかね。まあそれは置いといて、私が用意した物をあっという間に読み終えると、今度は自ら収集しだして領地内にある物を読み終えたら他の国の物にも手を伸ばし始めて……本当に怖っ…………いえ、本当にとても勉強熱心なお方ですよね。」
「そうだったのね……」
最近やけに告白のバリエーションが増えてると思ったけれど、原因はそれだったのね……。
それに付き合わされたリディアもお疲れ様だったわね。
でも私を口説く為にそこまでしてくれるなんて……ちょっと……いや、かなり嬉しいかも。
「公爵様もやりますね……たった一ヶ月でこれ程の成果を出すとは……いや、マリエーヌ様がチョロいだけなのかも……」
そうね……私はきっとチョロいのね……。チョロいってどういう意味かしら。
「それで、マリエーヌ様は公爵様の事をお好きではないのですか?」
核心を突いてきた問いに、ドキリと心臓が跳ねた。
リディアはキラキラと瞳を光らせて期待の眼差しで私の答えを待っている。
「えっと……考えた事無かったわ……。だって私達、もう夫婦だし」
「いや、夫婦だからこそ考えません? マリエーヌ様って、少し抜け……うっかり屋さんですよね!」
私はちょっと抜けてるという事で、とりあえずリディアは納得してくれたみたい。
「どうしましょう? 先に食堂の方へ向かわれますか?」
「ええ。でも公爵様は遅くなるみたいだし、一人じゃ寂しいからリディアも一緒に食べてくれるかしら?」
「いいんですか!? もちろんです! マリエーヌ様と一緒ならいつも以上に美味しく頂けそうな気がします!」
弾ける様な笑顔で応えてくれるリディアに、思わずクスっと笑みがこぼれた。
スキップしだしそうな程、軽やかな足取りで食堂へ向かうリディアの背中を追いかける様に私も歩き出した。
公爵様はスザンナとどんなお話をしているのかしら……?
私の話をすると言っていたけれど、スザンナの事だからきっと私に虐げられたとか、被害者ぶって公爵様の同情を買う様な話をするに違いないわ。
今までもそれで沢山の人達を騙してきたのだから。
だけどきっと公爵様はその言葉を信じない。
何もかもスザンナに奪われてきたけれど、公爵様は大丈夫。それだけは自信が持てた。
だけど、私が食事を終えても公爵様は食堂へ来ることは無かった。
少し不安な気持ちを抱えながら、食事を食べ終えた私は直ぐに応接室へ向かった。
開けっ放しになっている扉を覗くと、その先には予想に反して楽しそうに話をする二人の姿があった。
うそ……なんであんなに楽しそうに……?
「マリエーヌ!」
私に気付いた公爵様は、喜びの笑顔を弾かせて私の元へ駆けつけた。
「すまない、話に夢中になって君との食事時間に間に合わなかった。君の妹は本当に姉思いな妹だな」
「え……?」
どういう事……?
「ええ! 私のお姉様は本っ当に優しくて素晴らしくて女神の様なお方ですの!」
………………はい?
スザンナが私をそんな風に褒め称えるのは初めて聞いた。
しかも今、女神って言った?
スザンナの顔は確かに笑顔は浮かべているのだけど、水でも被ったかの様に汗をかいているし、目元はずっとピクピク痙攣しているし、体も尋常じゃなく震えている。
よく見ればバッチリ決まっていたお化粧も崩れ落ちているし、せっかく綺麗に巻かれていた縦ロールも萎れて垂れ下がっている。
……一体何があったのかしら?
「じゃあ、邪魔者の私はこれで失礼致します! お姉様、末永くお幸せになってくださいね! 私は二人の仲をずーっと応援していますので!」
やたらとテンション高く声を張り上げ、大きく手を振りながらスザンナは逃げる様に去って行ったかと思えばあっという間に姿が見えなくなった。
「あの……公爵様。一体スザンナと何のお話をしていたのでしょうか?」
「ん? ああ、昔のマリエーヌの話をずっと聞いていたんだよ。昔の君もとても可愛くて愛らしかったんだな」
……スザンナがそんな話を……?
「途中で彼女のネタが尽きたようだったから、今度は僕の方からマリエーヌの魅力について存分に語らせて貰ったよ」
ああ。それについてはなんとなく想像出来てしまうわ。
「だがつい話しすぎて君との食事時間を犠牲にしてしまったのは失敗した……。マリエーヌ、デザートはもう済んだか? 良かったら今から一緒に食べに行かないか?」
反省する様にチラチラと私の顔色を窺う公爵様の姿が可愛くて、思わず笑みが零れた。
「そうですね。では私はデザートを頂くので、公爵様は食事もしっかり取られてくださいね」
私の言葉に、公爵様の表情に明るさが戻った。
「ああ! もちろんだ。じゃあ一緒に行こうか」
差し出された手の平に私の手を重ね、手のひらをギュッと握られたと同時に体を引き寄せられ、公爵様が私の耳元で、
「ヤキモチを焼く君も、なんとも可愛いな」
そう囁き、公爵様は意地悪そうな笑みを浮かべた。
多分、私が去り際に嫌な言い方をしてしまった事を言っているのだろう。
せっかく落ち着いたと思った心臓がまたうるさくなる。
熱を帯びた耳元から脳内が沸騰しそうな程熱くなっていく。
最近の公爵様は本当にずるい。
色んな言葉で、表情で、行動で私を一喜一憂させる。
でもそれが嫌じゃない自分がいる。
公爵様はいつも私の不安な気持ちを拭ってくれる。
公爵様の温かい手、温かい言葉の数々が、孤独に支配されそうになる私をいつも救い出してくれる。
もしも、私が公爵様にこの秘めている想いを打ち明ける事が出来たら、この人はどんな表情を見せてくれるのだろうか。
そんな日が早く来ればいい。
早く、あなたにこの気持ちを伝えたい。
だからもう少しだけ……私の覚悟が決まる時を、待っていてほしい。
私を愛しそうに見つめて微笑む公爵様に向けて、私はそう願った。




