01.昨日まで名前も呼んでくれなかったのに
以前、短編で書かせて頂いたお話の長編版です。
短編版が気になる方は↓のリンクから読むことが出来ます(※ネタバレ注意です)
二人が惹かれ合うまでのお話を書く機会を頂き、ありがとうございますm(__)m
「マリエーヌ! マリエーヌ! どこにいるんだ!?」
公爵様が……私の名前を呼んでいる?
何日にも渡って打ち付ける様な雨が降り続けて、ようやく晴れた日の朝。
私の名前を呼ぶ声が屋敷の中に響き渡った。
その声の主は、この屋敷の主人であり私の夫――アレクシア・ウィルフォード公爵様。
公爵様の声は、いつもの様に自分の部屋で一人、身支度をしていた私の耳にも届いてきた。
三日前から原因不明の高熱を発症した公爵様は、ずっと自室で寝込んでいたのだけど、熱はもう大丈夫なのかしら?
私はその間、公爵様とは一度も会っていないので、詳しい容体は分かっていない。
けれど、仕事一筋の公爵様が仕事に手を付けられなくなる程と考えると、よほど体調が悪かったに違いない。
部屋の外からは、屋敷の使用人達がバタバタと慌ただしく走っていく足音が聞こえてくる。
「公爵様!? どうされましたか!?」
「うるさい! 僕に近寄るな! 今すぐマリエーヌに会わないといけないんだ! マリエーヌ! いるんだろう!? マリエーヌ!」
その声は段々と私がいるこの部屋へと近付いてくる。
やりとりを聞いている限り、なんだか切羽詰まった様子で只事じゃないみたい。
常に冷静沈着な公爵様が、あんなに取り乱しているなんて……。
でも、なんで?
なんでそんなに必死になって私を探しているの?
昨日まで、公爵様に名前を呼ばれた事なんて一度も無かったのに――。
私がこの公爵家に嫁いできたのは一年前の事。
当時の私の年齢は二十一歳。公爵様は二十七歳だった。
私の父は二年前、事業に失敗して多額の借金を背負った。
男爵の爵位が剥奪されるのも時間の問題と思われていた時、借金を肩代わりすると言い出し、救いの手を差し伸べてきたのがアレクシア公爵様だった。
その代わりにと、私との婚約話を持ち掛けて来た。
『冷血公爵』
『人の血が流れていない殺人鬼』
『返り血を浴びすぎて瞳の色が血の色に染まっている』
そんな身の毛のよだつ様な噂が後を絶たない公爵様と、結婚したがる貴族令嬢は見つからなかったらしく、借金に苦しむ私の家に目を付けたらしい。
話を聞いたお父様は、私の意思を確認する事なく、喜んでこの話を受け入れた。
今の私のお父様は、既にこの世を去った私のお母様の再婚相手で、私を愛してなどいなかったから。
お父様は多額の借金を清算するため、結納金を多く納めてくれそうな人を私の嫁ぎ先にしようと躍起になって探していた。
そこに舞い込んできた、公爵様からの婚約の申し出は願ってもいなかったに違いない。
そうして婚約した私達だったけれど、公爵様は結婚までの半年間、私に一度も会いに来る事は無かった。
結婚式も、ただ書類にサインをする形式だけの結婚式。
参列者は私のお父様と、屋敷に仕える数名の使用人だけだった。
結婚して一緒に暮らす様になってからも、会話をするどころか、顔を合わせる事も殆どなかった。
屋敷の中で偶然会っても、興味なさそうに顔を背けられ無視された。
食事は別々。私は食堂に案内された事は無く、無愛想な使用人が、冷め切った料理を部屋まで運んできた。
屋敷の使用人達も私とほとんど口を利く事は無く、公爵様に無視される私を見て密かにほくそ笑んでいた。
まるで私なんて存在しないかの様な振る舞いを見せる公爵様。
だけど、月に一度だけ私を夫婦共有の寝室に呼んだ。
そういう時の公爵様は、決まってお酒の香りを漂わせ、虚ろな様子で少し不機嫌。
そして私と目を合わせる事無く、まるで作業の様に、子供を成すための行為をした。
愛される事なんて、期待しても無駄なだけ。
公爵様にとって、私は世継ぎを産むためだけの道具にすぎないのだから――。
それなのに、公爵様が何であんなに必死になって私を探しているのか、全く見当が付かない。
私、何か怒らせる様な事をしたのかしら?
公爵様の仕事に関わる事なんて何もしていないし、私は一人で外出する事も認められていないから、この公爵邸で大人しく過ごしてきただけ。
公爵様の怒りを買う様な事をした覚えは全くないのだけど……なんだか少し怖い。
いや、やっぱり凄く怖いわね。
「マリエーヌ‼」
ダァンッ! と音を立てて、私の部屋の扉が物凄い勢いで開かれた。
私はビクッと肩を跳ねらせ、とっさに扉に背を向けた。
恐怖と緊張でドキドキと心臓がうるさく音を立てる。
とりあえず、まずは深呼吸して気持ちを少しでも落ち着かせる。
公爵様が何を思って私を探していたのかは分からない。
もしかして、この屋敷から出て行けって言われるのかしら?
……だけど、それでいいのかもしれない。
ここで公爵様や使用人達から冷遇された生活を死ぬまで続けるよりも、その方がより良い人生を歩めそうな気がする。
うん。大丈夫――覚悟は決まったわ。
「はい。お呼びでしょうか、公爵さ――」
私は開き直る様に笑顔を作って振り返り……その光景を見て声が詰まった。
白銀色の髪を乱し、ハァハァと息を切らした公爵様が、なんとも切なそうな表情で目を見開いて私を見つめていたからだ。
開いた口元はただ震えるだけで、何の言葉も発してこない。
初めて見る公爵様の表情に、私はどう声を掛ければ良いのかも分からず固まった。
だけどその切なげに何かを求める様な公爵様の瞳から、私は目を逸らす事が出来なかった。
次の瞬間、公爵様のルビーの様な深い赤色の瞳が大きく揺らぎ、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
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