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07.一番安全な場所は……

「では、先ほどの方がマリエーヌ様専属の護衛騎士様なのですね」


 トンプソン夫人ことジェイクさんの妻、エマさんはどこか楽しそうに顔を綻ばせながら、リディアが淹れたお茶のティーカップに手を伸ばす。


「まだ正式に決まったわけではありませんが、お試し期間として、今日一日護衛を務めてくださるそうです」


 私も自分のティーカップを手に取り、そっと口に含んだ。


 先ほど、エマさんを部屋に迎え入れて間もなく、二人分のお茶の用意をしたリディアがやってきた。

 どうやらエマさんが私の部屋へ行こうとしているのを知ったリディアが、優先してお茶の準備をしてくれたらしい。

 手際よく二人分のお茶を淹れると、リディアは再び仕事へと戻っていった。


 エマさんはティーカップをソーサーに戻すと、口もとに手を添えてフフッと上品に笑う。


「護衛騎士とはいえ、自分以外の男性がマリエーヌ様の傍にいるなんて、ウィルフォード卿も気が気ではないでしょうね」

「……ええ。そのようでしたね……」


 私はガイゼンさんを紹介された時のことを思い出しながら、苦々しく笑う。

 私はそれとなく話題を変えた。


「それよりも、シェリーちゃんはおやすみ中ですか?」

「ええ。つい先ほどまでランディが相手をしていたのですが、急に静かになったと思ったら二人とも眠ってしまったみたいで……。こっそり部屋から抜け出してきました」


 一ヶ月前、エマさんは無事女の子を出産した。


 名前については、事前にジェイクさんと相談していたらしく、すぐに〝シェリー〟と名付けられた。

 シェリーちゃんは、あっという間に侍女のあいだで人気者になり、皆がこぞってシェリーちゃんのお世話をしたがっている。

 そういう私も、すっかりシェリーちゃんに虜にされてしまった人間の一人。


 不思議そうにこちらを見つめるつぶらな青い瞳、ふわふわとした金色の髪、小さな手を握ったり開いたりする仕草も全て愛らしくて仕方がない。

 特に最近はよく笑うようになったのもあって、愛嬌たっぷりのシェリーちゃんを見るためにエマさんのお部屋を訪ねることが多くなった。


 それでアレクシア様が拗ねてしまったことも記憶に新しいけれど。


「エマさんは、休まれなくて大丈夫ですか?」

「はい。皆様がシェリーの相手をしてくださるので、休める時間は十分にありますから。おかげで体の調子はとてもいいですし、夜も授乳を終えるとすぐに寝てくれるので、上の子たちと比べると随分と楽をさせていただいています」


 三人目となると、気持ちにも余裕ができるそうで、穏やかな気持ちで育児を楽しんでいるという。

 お兄ちゃんになったランディ君も、それまで手を付けなかった野菜サラダを完食するようになり、シェリーちゃんのお世話も率先してやっているようで。

 勉強漬けだったマグナス君も、シェリーちゃんの様子を見るために部屋から出ることが多くなり、家族で過ごす時間が増えたという。

 シェリーちゃんを通じて、家族の絆が更に深まっているようで、とても微笑ましい。


 エマさんも、多幸感に満ちた笑顔を浮かべている。

 けれどその表情が、ふとした瞬間に哀愁が滲んでみえるのは、やっぱりジェイクさんがいないからだろうか。


 ――そうよね……。エマさんは、ジェイクさんと離れてから、もう半年ほどになるのだから……寂しいのも当然だわ。


「あの、マリエーヌ様」


 少し深刻そうな顔となったエマさんが、声色を変えた。

 その様子から、何か大事なことを伝えようとしているのが分かる。

 そういえば、エマさんが私の部屋へ来た理由をまだ聞いていない。


「はい」


 本題に入ろうとするエマさんを見つめながら、私は先の言葉を待つ。


 エマさんは、申し訳なさそうに眉尻を下げると、粛々と頭を下げた。


「先日は、ランディが申し訳ありませんでした」


 突然の謝罪に、私は慌ててエマさんに声を掛けた。


「エマさん、頭を上げてください。私は気にしていませんから」


 エマさんが謝罪しているのは、シェリーちゃんを出産した時のことだろう。


 あの時、出産に立ち会っていたランディ君が、陣痛に苦しむエマさんを前にして、急に泣き出したかと思えば、しきりに母親が死んでしまうと訴えだしたのだ。


 その理由は、ある手紙の存在にあった。


 しばらくして頭を上げたエマさんは、はぁ……と重い溜息を零す。


「まさか、ランディにあの手紙を読まれていたとは思わなくて……」


 エマさんは出産時の不測の事態を想定して、家族へ宛てた手紙を用意していた。

 そして出産前、エマさんは私にその手紙を託した。

 自分に何かあった時には、手紙を家族に渡してほしい、と。


 だけど、ランディ君はその手紙の存在をすでに知っていた。

 だから、出産中に苦しむ母親を見て、死んでしまうと強く思い込んでしまっていた。


「ランディ君が読んだ手紙って、やっぱりあの手紙だったのですか?」


 私がエマさんから預かった手紙は、自室のチェストの奥に納めている。

 鍵はかかっていないけれど、さすがに私の部屋に忍び込んで読んだとは考えづらい。

 となると、エマさんが私に手紙を預けるより先に、それを見つけてしまったのだろう。


 エマさんは「はい」と、重々しく頷いた。


「子供たちに見つからないよう、気を付けていたつもりなのですが……。私が何かを隠そうとする様子が余計に好奇心をくすぐったようで……私が居ない隙をみて、手紙を探して読んでしまったみたいです」

「そうだったのですね。ランディ君もびっくりしたでしょうね……」


 普通の手紙ならまだしも、ランディ君が読んだのは、エマさんが自分の死を想定して書いた手紙。

 言わば遺書のようなもの。

 それを読んだランディ君は、嫌でもエマさんの死を想像してしまったに違いない。


「私の不注意で、マリエーヌ様に大変なご迷惑をおかけしてしまって……本当に何とお詫びすればよいか……」

「いえ、お気にしないでください。私も、ランディ君が不安がっていた気持ちはよく分かりますから」


 大切な人の死を身近に感じて、不安にならないはずがない。

 私もあの時、アレクシア様が死んでしまうかもしれないという状況に、恐怖すら覚えていたから。

 部屋からランディ君を連れ出し、『大丈夫だから』と慰めの言葉を口にしたものの、『大丈夫なら、どうしてお母さんはあんな手紙を書いたの⁉』と反論されて、何も言えなくなった自分を思い出す。


 根拠のない『大丈夫』ほど、無責任な言葉はない。


 重い沈黙が流れる。

 部屋の室温が、少し低くなったように思えた。


 手に取ったティーカップが、中身は少なくなっているのに、やけに重たく感じる。


 すると、張り詰めていた空気を裂くように、エマさんが「ですが」と、明るい声で切り出した。


「あんなに泣いて不安がっていたのに、しばらくして戻ってきたランディの顔は、最初とは明らかに違っていました。たった僅かな時間で、まるで何年もの成長を遂げたかのように男らしい顔つきになっていて、一瞬痛みも忘れるほど見違えてしまいました。だから、マリエーヌ様とどのようなお話をされたのかと、ずっと気になっておりました」


 そう言って、期待に瞳を輝かせるエマさんを前にして、私は「あ……」と言葉に詰まる。

 シェリーちゃんを出産して以来、エマさんの傍にはいつもランディ君がいた。

 だから、エマさんはランディ君がいない場で、あの時の詳細について、私と話をする機会を窺っていたのだろう。


「それは……ですね……」


 少し口ごもりながらも、一連の流れについて、エマさんに話をした。


 あの時、不安に囚われていたランディ君を立ち直らせることができたのは、私ではなくルディオス君だった。

 彼は、母親が死んでしまうかもしれないと訴えるランディ君の言葉を否定することなく、ただありのままの現実を彼に伝えた。


 ――誰しも、いつかは必ず死ぬ。


 それがいつになるのかは、誰にも分からない。

 自分も明日、生きている保証はないのだ。

 だからこそ、後悔のないように生きろ。

 そして大切な人に伝えたいこと、してあげたいことがあれば、できる時にしろ――。


 そう語るルディオス君の言葉は、私の心にも重く響いた。

 ルディオス君自身、生と死の狭間にいるような存在。

 だからこそ、誰よりも〝死〟を近くに感じているのだろう。


 ルディオス君の話を聞いたランディ君は、一人で不安がっている場合ではないと気持ちを切り替えたようで、頼もしい顔つきとなってエマさんがいる部屋へと戻っていった。


 私が話し終えると、エマさんは驚きに目を見張った。


「そうですか……。皇子殿下がそのようなことを……」

「はい。ですから、私はあまりお役に立てませんでした」


 不甲斐ない自分を情けなく思いながら、私は苦々しく笑う。


「そんなことはありません。マリエーヌ様がいてくださって本当に助かりました」


 エマさんの温かい笑顔に励まされ、沈みかけていた気持ちが少し軽くなる。

 ふと、私はあることを思い出した。


「そういえば、あの時の手紙をまだお預かりしたままでしたね。すぐにお持ちします」

「あ……マリエーヌ様。そのことなのですが……」


 立ち上がろうとした私を呼び止めると、エマさんは恐縮するように身を竦め、申し訳なさそうに告げた。


「あの手紙なのですが、もう少しだけお預かりいただけますか?」

「え? ……私は構いませんが……」


 エマさんの言葉に、私は少しドキリとする。


 ――まだ何か、あの手紙が必要となるようなことが残っているの……?


 私が顔を強張らせたのに気付いたのか、エマさんは眉尻を下げつつも、明るい笑顔を見せた。


「重ね重ね申し訳ありません。近くに置いておくと、また何をきっかけにして子供たちの目に入るか分からなくて……」


 少し早口になりながらそう話すと、エマさんは一度間を置いて、再び口を開いた。


「先ほどの皇子殿下の言葉、私にも痛いほど分かります。私も、家族に遺す手紙を書きながら、何度も後悔に苛まれました。もっとこうしておけば良かった。あれもしてあげられたはずなのに……と。できていたはずなのに、やらなかったことが多すぎて……。『またいつか』と、先送りにするのが癖づいていたのです。人がいつ死ぬかなんて分からないのに……何年先も、自分は当然のように生きているのだと、思い込んでいました。当たり前の日常も、いつ覆るかなんて分からないのに」


 粛々と語るエマさんの言葉に、私は深く同意する。

 私も、エマさんたちも、当たり前に過ごしていた日常が、この計画によって突然変わってしまったのだから。


 ふいに、エマさんはテーブルに向けていた視線を上げ、私を真っすぐ見つめた。

 アメジストのような紫色の瞳が、窓からの明かりを反射して煌めきを放つ。


「だから、いつかまた自由の身になれた時には、自戒の意味も込めて、あの手紙をしばらく手元に残しておこうと思うのです。この気持ちを忘れないように……後悔しない生き方をするために。もちろん、子供たちの目に触れない場所に保管するつもりなのですが、ここでは隠す場所が限られているので……」


 再び申し訳なさそうに眉尻を下げるエマさんに、私は笑顔で快諾する。


「そういうことでしたら、レスティエール帝国へ戻るまでは、私が責任を持ってお預かりしておきますね」

「ありがとうございます、マリエーヌ様」


 エマさんは安堵したように顔を綻ばせ、頭を下げた。

 私も、エマさんの身に何かあるわけではないと分かって、ホッとした。

 互いに笑顔を交わし合うと、張り詰めていた空気も解けて和やかな雰囲気となる。


 すると、エマさんは何かを思い出すようにフフッと笑みを零した。


「そういえば、手紙を書きながら思ったのです。もっとウィルフォード卿を見習うべきだって」

「え?」


 降って沸いたアレクシア様の話題に、私は思わず目を瞬かせる。

 エマさんは、柔らかい口調で続けた。


「ウィルフォード卿ほど、今を大切にしながら生きている人はいないと思います。マリエーヌ様を喜ばせるためには常に全力ですし。……正直、最初はさすがにやりすぎなのではと思っておりました。ですが、自分がもうすぐ死ぬかもしれないと思った時、その生き方が少し羨ましくなりました。私が最後に夫へ愛を伝えたのはいつだっただろうかと、思い出そうとしてもできなかったのです。結婚してから十年以上も経つと、そういう愛情を言葉にして伝えるのが少々恥ずかしく思えて……決して夫への愛が薄れたわけではないのに、素直になれないといいますか……」


 そう語るエマさんは、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、視線をあちこちに彷徨わせる。

 いつも上品で余裕のあるエマさんにしては珍しい挙動に、私までドキドキとして顔が熱くなってきた。


「実は、そういうしがらみもあったからか、夫へ書いた手紙は自分でも恥ずかしくなるようなラブレターになりました」


 頬に手を当て、照れくさそうに笑うエマさんに、私は思わず身を乗り出した。


「それは渡さないのはもったいないです! ぜひジェイクさんにお渡ししましょう! アレクシア様がレスティエール帝国へ戻ったら、私もアレクシア様にお手紙を書く約束をしているので、その時に一緒にお送りしましょう!」

「あ……実は、夫とはすでに手紙のやり取りはさせていただいているのです。ですが、あの手紙は……やっぱり再会した時のために取っておこうと思います。伝えられる時に伝えることも大事ですが、こういう未練がある方が、生きる活力になることもありますので」


 さっき語っていた話とは矛盾してしまうのですが……と、エマさんは苦笑する。


 だけど、後悔を残さないように、今できることを実行することも。

 未来に目標を定め、その日に向けて生きようとすることも。

 どちらも本質は同じ。

 今を生きる力に繋がっている。


 私だって、今は未来に目標を定めて生きようとしているのだから。


「マリエーヌ様は、ここへ残られるのですか?」


 ふいに、エマさんが意外そうな様子で訊いてきたので、私は一瞬答えに詰まった。


「……はい」


 そう頷いたものの、なぜか胸の奥がざわりとした。

 その理由が自分でもよく分からない。何が引っかかっているのだろう。


 すると、エマさんは頬に手を添えながら小首を傾げる。


「ウィルフォード卿にとっては、マリエーヌ様をここへ残していく方が気掛かりな気もしますが」


 私は思わず「え?」と目を瞬かせる。

 ここへ残る以外、選択肢はないと思っていたから。


 ――アレクシア様と離れないとなると、私も一緒にレスティエール帝国へ向かうしかないわよね……。


 そう考えてみたものの、私は素早く首を横に振り、肩を竦める。


「そうだとしても、危険だと分かっている場所に、アレクシア様が私を連れて行きたがらないと思います。それに私が傍にいたら、アレクシア様が自由に動けなくなってしまいますし……」


 私がアレクシア様に付いてレスティエール帝国へ行ったところで、何の役にも立たない。

 むしろ足手まといになるだけ。


 エマさんは少しだけ思案し、控えめに頷く。


「確かに、今のレスティエール帝国がお二人にとって危険な場所なのは分かります。ですが、マリエーヌ様にとって、一番安全な場所はウィルフォード卿の傍だと私は思います。だから、もしかしたらウィルフォード卿は、本当はマリエーヌ様をお連れしたいと思っているのではないかと……。私の勝手な想像ではあるのですが」

「……」


 確かに、アレクシア様は何があっても私を守ってくれるとは思う。

 だけどその分、アレクシア様が危険に晒されるのは目に見えている。

 でも……。


 ――もしもアレクシア様から、一緒に来てほしいと言われたら、私は……。


 なんて返事をするだろうか……そう深く考え込んでいると、エマさんが遠慮がちに声を掛けてきた。


「申し訳ありません。また差し出がましいことを口にしてしまいました」

「あ……いえ」


 私は、巡らせていた考えを咄嗟に振り払う。


 ――あり得ないわ。手紙のやりとりだって約束したし、今更そんなことを考えるだけ無駄よね。


 そう冷静になり、私は自分に言い聞かせる意味も込めて、結論を述べた。


「確かに、アレクシア様のお傍が私にとっては一番安全な場所だと思います。ですが、私のせいでアレクシア様を危険に晒したくはありません。私はここで、アレクシア様が迎えにきてくださる時を待とうと思います」


 エマさんはニッコリと微笑み、頷いた。


「そうですね。では、ここで一緒に夫をお待ちしましょう」


 それから私たちは、明るい話題で和みながらお茶会を楽しんだ。


 やがて、お腹を空かせて泣いているシェリーちゃんを抱っこしたランディ君が訪れたことにより、エマさんとのお茶会はお開きとなった。



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残るべきか行くべきか、悩ましいですね。 マリエーヌはいろいろ考えて、悩んで、そして決断していく工程が、とても丁寧だと思いました。……なんかちょっとざわざわが潜んでますがww エマさんのラブレター、どん…
いつも楽しく読んでます! 公爵様はどこまでなら嫉妬の炎は燃やさないのだろう?! 赤ちゃんや子供にも容赦なさそうだけど、同性の女友達(ママ友)や動植物にまで嫉妬したりはないよね?(笑) リディアさん…
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