05.アキさんのこと
「あんた、どうしてマリエーヌさんを好きになったんだ?」
それと似た質問を、私はジーニアス君からされたことがある。
『あの人とあなたの間で、何があったの?』
質問の内容は違うけれど、二人が知りたい答えは同じだろう。
「マリエーヌの魅力についてならいくらでも語ってやろう」
そう得意げに言うアレクシア様の言葉を、ルディオス君は「そうじゃねぇよ」と一蹴する。
「俺が知りたいのは、あんたが、何をきっかけにしてマリエーヌさんを好きになったかってことだよ。あんた、最初はそんな感じじゃなかったんだろ? 結婚してしばらくは、マリエーヌさんを冷遇してたんだってな」
その瞬間、アレクシア様の顔から表情が消えた。
それを見て、ルディオス君は目を眇める。
「それがある日を境に、急に人が変わったようにマリエーヌさんを溺愛するようになったんだろ? さすがにそれはおかしいんじゃねぇか? っつうか、それまで散々無視し続けてきた相手を、よくもいけしゃあしゃあと口説けたもんだよな」
最後は嘲笑するような笑みを浮かべながら、ルディオス君は一気に捲し立てた。
――どうしてそれを……。
私は思わず拳を握りしめる。
心地良い温もりに満たされていた心に、冷たいすきま風が吹き込むような感覚がした。
恐らくは、侍女の誰かが話したのだろう。
過去の私たちの関係性を。
別に、それを悪いとは思わないし、話をした侍女を責めるつもりはない。
そういう過去があったというのは紛れもない事実なのだから。
けれど、過去の自分を突き付けられるたびに自責の念に苛まれるアレクシア様の姿を見ると、私までやるせない気持ちになる。
アレクシア様は、もう十分すぎるくらい苦しんだ。
だから、もう許して。
苦しまないで。
自分を責めないで、と。
「ルディオス君。その話はもう……」
私たちの間で解決したことだから――そう言いかけた私を制すように、手を差し出された。
アレクシア様だ。
「ああ。お前の言う通りだ」
そう潔く認めると、ルディオス君は意外そうに目を見張った。
「僕が、マリエーヌに対して愚行を重ねていたのは事実だ。本当なら、こんな僕がマリエーヌの傍にいていいはずがない。僕よりも、もっと彼女に相応しい人物だっているはずだ」
「⁉」
聞き捨てならない言葉に、私は思わず息を呑む。
そんな言葉を、アレクシア様の口から聞きたくないし、言わせたくもない。
反論しようと、私が口を開きかけた時、「だが……」と、アレクシア様は続けた。
「だとしても、僕以上にマリエーヌを愛せる男はいない」
空気を裂くように鋭く、芯の通った声で、アレクシア様ははっきりと言い切った。
じん……と、胸が震え、目頭が熱を帯びる。
冷たくなりかけていた心が優しく抱きしめられるような……言葉にならない多幸感で満たされていく。
嬉しい。
私もこの人が、この上なく愛おしい。
「そういうとこだよ……」
ぼそりと呟かれた声に、私はルディオス君へと視線を向ける。
ルディオス君は、忌々しげにアレクシア様を睨んでいた。
「あんた……わけ分かんねぇよ。あんなに他人に無関心だったくせに、急に一人の女性を異常なほど愛するようになったり……母さんを守るって約束したくせに、人質扱いしやがって……! そんなコロコロと態度を変えられたら、こっちだってあんたを信用できねぇんだよ!」
「……アキさんが、人質?」
脈略なく降ってきた言葉に、思わず首を傾げる。
「ああ。俺が皇帝にならなければ母さんの命はないって、この男が言ったんだ」
「ええ⁉」
驚きのあまり、大きな声が口をついて出て、咄嗟に口元を押さえた。
――それって、どういうこと……?
真意を問うように、私はアレクシア様へと視線を向ける。
アレクシア様は、やや不服そうにルディオス君を睨んでいるだけで、反論する様子はない。
つまり、ルディオス君の話はおおかた事実なのだろう。
――だからあれほど皇帝になるのを渋っていたルディオス君が、急に皇帝になると言い出したのね。
疑問に思っていたことが、ようやく腑に落ちた。
大事な母親を人質に取られて、ルディオス君が憤慨するのも当然だ。
だけど冷静に考えれば、アレクシア様がそういう行動に出た理由は想像できる。
頑なに皇帝になる事を拒んでいたルディオス君を説得するには、確実な方法だから。
そのやり方が正しいとは思えない。
けれど、私がアレクシア様を責めるのは筋違いだ。
だって私の下した選択が、アレクシア様をそのような強硬手段に走らせる一端を担ったのだから。
「そう……」
私が納得の声を漏らすと、ルディオス君は弾かれたように私を見た。
「そうって……それだけかよ? 母さんが人質に取られてるんだぜ? それを、あんたは黙って見過ごせるのか⁉ それくらい、あんたにとって母さんの命は軽いものなのかよ⁉」
「そんなことないわ。私だって、アキさんの命が危ぶまれるなんて、とても容認できないわ」
私はきっぱりと反論する。
アレクシア様が本当に、アキさんを危険に晒すような行動をするなら、私だって黙っていない。
「だけど、何があってもアレクシア様はアキさんを見放しはしない。そんな事をすれば、私が悲しむと知っているから。アレクシア様は、私が悲しむようなことを絶対にしないわ」
「じゃあ、あれはただの脅しだったって事かよ……? そんな確証、どこにあんだよ⁉」
「確証はないけれど、私はアレクシア様を信じているわ」
ただそれだけ。
でも、それだけでいい。
疑う隙もないほどに、私はアレクシア様を信頼している。
だけど、ルディオス君はアレクシア様を信頼していない。
だから、アレクシア様の脅しに応じてしまった。
恐らくはアレクシア様も、それを狙ってルディオス君に脅しをかけたのだろう。
「……なんで信じられるんだよ? あんただって、前までこの男に冷遇されてきたんだろ⁉ 急に好意的な態度に変わったんなら、その逆だってあるってことじゃねぇか! そしたらこの男は、あんたも母さんも切り捨てるに決まってる! また皇帝の言いなりになる可能性だってあるんだ! それでも、あんたはこの男を信じられるってのかよ⁉」
一層声を荒げるルディオス君から私を庇うように、アレクシア様がスッと前へ出る。
「いい加減にしろ。マリエーヌにあたるな」
「もとはといえば、あんたが――」
「話せばいいのだろう。僕がマリエーヌを好きになるきっかけとなった出来事を」
やれやれというように、アレクシア様が譲歩する。
ルディオス君は意表を突かれたように目を見張り、口にしかけていた言葉を呑み込んだ。
「だが、今日は話をする時間がない」
「別に、馬車の中で話せばいいじゃねぇか」
「駄目だ。この話をするならば、マリエーヌも一緒でなければならない。明日、僕とマリエーヌとお前の三人で話をしよう」
そう言うと、アレクシア様は私へと視線を向ける。
勝手に決めてしまったが、大丈夫だろうか? ――そう問いかけるような眼差しに、私は頷いて同意した。
ルディオス君の信頼を得るためには、それしかないと私も思う。
ただ、アレクシア様の前世での姿を、ルディオス君に知られてしまうけれど……。
ルディオス君は私を一瞥した後、怪訝な眼差しをアレクシア様へと向け、念を押す。
「……明日。絶対だな」
「ああ。約束しよう」
そうアレクシア様が頷いた時、廊下の窓から迎えの馬車が到着するのが見えた。




