04.マリエーヌ専属護衛騎士候補
アレクシア様が紹介したいというお相手は、廊下の向こう側に佇んだまま動かない。
この距離からだと顔はよく見えないけれど、ウィルフォード騎士団の制服を着ていることから、男性が騎士様であるのは分かる。
「彼はウィルフォード騎士団第五部隊の人間で、名は――」
「あ、あの、アレクシア様」
唐突に騎士様の紹介を始めたアレクシア様に、私は慌てて声を上げた。
「紹介していただけるのはとても嬉しいのですが、少し距離が遠すぎませんか……?」
どう考えても、紹介する相手と私たちの距離間がおかしい。
相手の姿が小さすぎて、アレクシア様が差し出す手の平に乗っているような錯覚すらしてしまう。
それくらい私たちの距離は遠い。
アレクシア様は眉間に皺を寄せ、むずかしそうな顔となる。
「専属の護衛とはいえ、君の周りを常にむさ苦しい男がまとわりついているのも不快だろうからな。緊急時以外は近付かないよう釘を刺している」
――……護衛騎士なのに……?
「本当は女性騎士を君に付けたかったんだが、君の護衛を任せられるほどの人材がいなくてな」
心底悔しそうな様子でアレクシア様は言う。
確かに、男性よりも女性の方が安心だったかもしれない。
いろいろな意味で。
なんとなく雲行きが怪しくなってきたのを感じつつも、私は騎士様との距離を詰めるための言葉を探す。
「護衛の方なら、もっと近くにいてくださっても構いません。もしも席を外していただきたい時があれば、こちらからお伝えしますので」
「マリエーヌ……。しかし、護衛騎士である前に一人の男である事には変わりない。あまり信用しすぎない方がいい」
「護衛騎士なのに警戒しないといけないのですか?」
間髪入れず、リディアが口を挟んだ。
「当然だ。マリエーヌに近付く男は誰であろうと警戒対象だ」
「護衛騎士なのに?」
リディアの疑問には深く同意する。
けれど、アレクシア様はそれを無視して、遠くに控えている騎士様を憎々しげに睨んでいる。
――アレクシア様……。護衛騎士を警戒対象として見るのは、本末転倒なのでは……?
そう思いながら、これがアレクシア様が渋っていた理由なのだろうと、密かに納得する。
私は率直にお伝えした。
「ですが、こんなに遠く離れていたら、お顔がよく見えません。誰かも分からない人にずっと見られている方が不安になります。それに、近寄ろうとしても遠ざかられてしまうのでは、声を掛けることもできません。すぐ傍に控えてくださっていた方が安心できます」
うぐっ……と、アレクシア様の口から呻きのような声が漏れる。
アレクシア様は眉間を摘まんで俯くと、考え込むようにしばらく押し黙った。
「マリエーヌ様のお傍に自分以外の男性が居る事に相当葛藤しているようですね」
と、リディアが小声で推測を述べる。
やがて観念したような深い溜息と共に、アレクシア様の肩がガクリと落ちた。
「マリエーヌの言う通りだ」
そう言うと、アレクシア様はムスッとした表情で顔を上げ、遠くに控えている騎士様に向けて顎をしゃくる。
すると、騎士様が前へ一歩足を踏み出したかと思えば、瞬く間に私たちのすぐ傍まで来ていた。
やや遅れて吹き込んだ風が、私の髪をなびかせる。
「はやっ!」
あまりの機敏さに、リディアが驚きの声を上げる。
私もびっくりして思わず息を呑んだ。
すると、騎士様は流れるような動きでその場に跪き、
「マリエーヌ様。ご挨拶が遅くなり大変申し訳ございません。私はウィルフォード騎士団第五部隊に属しております、ガイゼン・ルーサーと申します。以後お見知りおきを」
恭しく挨拶を述べられて、私は呆気に取られていた表情を瞬時に引き締め直す。
姿勢を正し、私も深くなり過ぎない程度に頭を下げた。
「こちらこそ、ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません。マリエーヌ・ウィルフォードでございます。これからよろしくお願いいたします」
「は! マリエーヌ様の護衛騎士というこの上ない栄誉を授かり、光栄の極みにございます。これから誠心誠意、命の限りお守りいたします」
「馬鹿者。まだ貴様がマリエーヌの護衛騎士と決まったわけではない。あくまでも候補というまでだ。それから、命の限りではない。命が尽きたとしてもマリエーヌを必ず守れ」
「は! この命が尽きようとも全身全霊でお守りいたします」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず無事に挨拶を終えて、アレクシア様の合図でガイゼンさんは立ち上がる。
改めてその姿と向き合うと、ガイゼンさんの体つきはとてもガッシリとしていて、騎士服が少しきつそうに見えた。
年齢は、アレクシア様と同じくらいだろうか。
短く刈り上げられた髪は黒色に見えたけれど、光が当たった部分が微かに青みがかっている。
キリッとした黒目、彫りが深く端正な顔立ちで、その左頬から首にかけて火傷のような痕跡がある。
すると、ガイゼンさんと私の間に入るようにしてアレクシア様が私の前に出た。
「ウィルフォード騎士団の第五部隊は、主に要人を警護する任務を担う部隊なんだ。戦闘に特化した第一部隊の人間よりも、護衛のエキスパートである彼が適任だと判断した。だが、君が少しでも気に入らないと思ったなら、すぐに替えを用意する。だから正直に教えてほしい。彼の印象を……」
「はい。とても誠実で頼もしい方とお見受けしました。ぜひガイゼンさんにお願いしたいです」
率直な感想をそのままお伝えしたけれど、なぜかアレクシア様の表情に影が落ちた。
「……そうか……気に入ったのか……この男を……」
ぼそぼそと呟くアレクシア様の語気にも、なにやら不穏な気配が滲み出ている。
リディアが私の方に身を寄せると、内緒話でもするように口元に手を添えた。
「マリエーヌ様が気に入った男性という事実が、旦那様は気に入らないのでしょうね。かといって、マリエーヌ様が気に入らない人間を護衛騎士にはしないでしょうし……。これ着地点あるんですかね?」
「そうね……困ったわ……。リディアは、ガイゼンさんが護衛騎士になるのはどう思う?」
私も口元に手を添えて声を潜める。リディアはすぐに頷いた。
「はい。ガイゼン様の言葉に嘘はなかったと思います。マリエーヌ様を全力でお守りしてくださる方なら、私は賛成です」
リディアは自分が嘘を吐けないからなのか、相手の嘘を敏感に察知する。
そんなリディアがそう言うのなら、ガイゼンさんは信頼できる人だと思う。
私は、鋭い眼光をガイゼンさんへ向けているアレクシア様に声を掛けた。
「アレクシア様。他にも候補の騎士様がいらっしゃるのですか?」
「いや。今の段階で候補となっているのは彼だけだ」
「でしたら、私がガイゼンさんに護衛をお願いしたいと言えば、ガイゼンさんで決定ですか?」
「……いや、まだだ。まずは試用期間を設ける」
どうやら、これで決まりというわけにはいかないらしい。
「今日、僕が留守にしている間、彼をマリエーヌの護衛につける。その様子を、君とリディアから聞いた後、正式な判断を下そうと思う」
つまり、今日一日がお互いにとってのお試し期間ということなのだろう。
すると、アレクシア様はリディアへと視線を移す。
「リディア。この男が不埒な目でマリエーヌを見ていないか、よく観察しておくように」
「はい! お任せください! 必要以上にマリエーヌ様を見ていないか、その視線の向かう先までしっかりと見定めます!」
――二人とも……それはご本人を前にして言うことではないのでは……?
せっかく全身全霊でお守りしますとまで言ってくださったのに、こちらが全く信用していないようで申し訳ない。
頷き合う二人を横目に、私はさりげなくガイゼンさんの様子を窺う。
ガイゼンさんは少しも表情を崩すことなく、ただ静かに佇んでいた。
どういう感情なのか、その様子からはちょっと分からない。
傷ついていなければいいのだけど……。
「なあ、そろそろ出発する時間じゃねぇの? さっきからずっと待ってんだけど」
突然、背後から呆れるような声が聞こえ、私は振り返る。
そこにはルディオス君が佇んでいたけれど、その姿を目にした瞬間、「まあ……」と、感嘆の声が零れた。
明るめのグレーを基調とした煌びやかでシックな正装。
主張しすぎずも、身に付ける人物の魅力を引き立てる装飾品の数々。
それらが全て調和され完璧に整えられているのだけれど、ルディオス君自身も服装に負けていないくらい見目麗しい。
白銀色に煌めく髪は、念入りに手入れをされたのか、いつにも増して艶があり、ルビーのように美しい真紅の瞳が煌々と輝いて見える。
先日、ルディオス君は唐突に自分が皇帝になる事を決意した。
そして、それまで深緑色に染めていた髪の染料を全て落とし、前髪も短く切り揃えた。
彼の中でどのような心境の変化があったのかは分からないけれど、おかげでそれまで停滞していた計画が一気に動き始めたという。
「ルディオス君、その髪も服装もとても素敵ね! よく似合っているわ」
ルディオス君は、照れくさそうに私から視線を逸らし、忙しなく首筋をさする。
「まあ、さすがに国王に会うってのに、適当な恰好で行くわけにはいかねぇからな。つっても、あんまりこういう服好きじゃねぇんだよな。窮屈だし、なんかもうあちこち鬱陶しい」
そう言いながら、ルディオス君は閉まっていた襟元を指先でぐいぐいと引っ張る。
話す仕草や口調はルディオス君のままで、高貴な姿とのギャップに思わず笑ってしまった。
「おい。服装を乱すな」
「んなの王城へ入る前にまた整えりゃいいだろ。っていうか、あんたなんてまだ着替えてもねぇじゃん」
「これから着替える。まだ迎えの馬車も来ていないからな」
馬車と聞いて、思わず「え?」と反応してしまう。
「……馬車で向かわれるのですか?」
口をついて出た問いに、アレクシア様は何でもないように微笑む。
「ああ。そのように言われている」
「なんだ? 何か問題あるのか?」
ルディオス君が怪訝そうに眉を顰めたのを見て、私は咄嗟に首を横に振る。
「いえ……。てっきり馬に乗って行かれるのだと思ったから……」
そう言いながらも、それこそあり得ないと自分で思い直した。
馬に乗ればせっかく整えた身なりが乱れてしまうだろうし、何よりも目立ってしまう。
異国の人間である私たちがここに滞在している事は、極一部の人たちにしか知らされていない。
そんな人間が、王城へ入る姿を見られるわけにはいかないのだ。
「今回は正式に招待された会食だからな。この国では、招待した側が送迎の馬車を手配することになっているんだ」
「……そうなのですね」
――でも、アレクシア様は馬車に乗れないはずじゃ……。
前世で馬車の滑落事故に遭い、体の自由を失った経験から、アレクシア様は箱馬車に乗れなくなってしまった。
荷馬車のように屋根のない馬車なら平気だと言っていたけれど、王城からの迎えとなると、恐らくは箱馬車が使われるはず。
――大丈夫なのかしら……?
心配する気持ちを内に秘めたまま、私はちらりとアレクシア様を見る。
そんな私の気持ちに気付いたのか、アレクシア様は穏やかな笑みでそれに応えた。
すると、アレクシア様の手が私の腰に回され、優しく引き寄せられる。
突然のことに、私が驚きに目を見開いた時には、すでに私の体はアレクシア様の腕の中だった。
「マリエーヌ。大丈夫だ」
目を瞬かせる私の耳元で、私にしか聞こえないような声量でアレクシア様が囁く。
「箱馬車に対する恐怖心は、少し前に克服済だ」
「え?」
私は思わず聞き返す。
アレクシア様は声を潜めたまま続けた。
「この先、馬車に乗れないと何かと困るからな。以前から克服を試みてはいたんだ。それが最近になって、ようやく乗れるようになった」
「……そうだったのですね」
アレクシア様は何でもないように言ってみせたけれど、それは決して簡単なことではなかったはず。
以前からがいつからなのかは分からないけれど、新婚旅行の時には、馬車を前にして動けなくなるほどだった。
それほどの恐怖を、自身の力で克服してみせたのだ。
――やっぱり、アレクシア様はすごい。
「君のおかげだ」
「え?」
さらりと告げられて、私は目を瞬かせる。
そんな私の反応を面白がるように、アレクシア様はクスッと笑った。
「君と馬車に乗って旅行する日を想像すると、次第に恐怖心が薄れていった。さすがに荷馬車で大陸を周るわけにはいかないからな」
「あ……」
『いっそ大陸をぐるっと横断なんてどうでしょう?』と、私が口にした突拍子もない夢物語。
それを実現するために、アレクシア様は馬車のトラウマを克服したのだという。
――本当に、私の願いを全て叶えようとしてくれているのね……。
その真摯さが嬉しくて、胸が熱くなる。
けれどそこに、ほんの少しだけ苦い罪悪感が滲んだ。
自分の選択を後悔するつもりはない。
だけど、ふとした瞬間に考えてしまう。
あの時、アレクシア様は私に選択を託してくれたけれど、アレクシア様の本心はどうだったのだろうか……。
私の願いを叶えたいというアレクシア様の気持ちを利用して、自分勝手な想いをただアレクシア様に押し付けてしまっただけではないか。
――もしかしたら、アレクシア様は……。
「マリエーヌ」
その声に、ハッと我に返る。
もしかして、暗い表情になっていたかもしれない。何かを気取られてしまうかも……。
私が咄嗟に笑みを繕おうとした時、
「楽しみだな」
優しく微笑みながら、アレクシア様が告げた。
その声があまりにも悠然としていて、忙しなく波打っていた感情の荒波が、一瞬で凪いだように鎮まり返る。
「今度は二人だけで、心ゆくまで旅を楽しもう」
そう感慨深く囁くと、「新婚旅行のやり直しだな」と、アレクシア様は嬉しそうに顔を綻ばせた。
アレクシア様は、その日が来るのだと信じている。
それでいて、心の底から楽しみにしてくれているのだ。
そう悟った瞬間、私は自然に笑えていた。
「はい。私も楽しみです」
あの願いを口にした時、私はその日を楽しみだと思えるほど心の余裕はなかった。
どうにかしてアレクシア様に納得してもらわないと……と、そればかりを考えていたから。
だけど今は、純粋にその日が来るのが待ち遠しい。
「なあ」
ふいに降ってきた声が誰へ向けたものなのか、すぐには分からなかった。
声の主であるルディオス君を見ると、その赤い瞳はアレクシア様の姿を捕えていた。
「あんた、どうしてマリエーヌさんを好きになったんだ?」
問われているのはアレクシア様なのに、私の方がドキッと心臓が跳ねた。




