03.紹介したい人物
秋晴れの昼下がり。
いつものように食堂で昼食を終えた私は、アレクシア様にエスコートされながら廊下を歩いていた。
食堂から自室までの距離はそれほど遠くない。
けれど、アレクシア様の足取りはどことなく重たい。
自室へ近づくにつれて、薄く開いた唇から漏れ落ちる溜息も増していく。
見るからに暗鬱とした様子のアレクシア様だけれど、その理由はこの後の予定にある。
「アレクシア様、今日は天候に恵まれてよかったですね。雨の日の移動は大変ですし」
できるだけ明るく声を掛けたつもりだったけれど、アレクシア様は覇気のない笑みを見せ、やはり覇気のない声で告げた。
「……いや。むしろ荒れるくらいがちょうど良かった。外出を断念せざるを得なくなるくらいの大嵐になれば、君と離れることもなかったのに」
アレクシア様の虚ろげな眼差しは窓の外を見つめている。
燦燦と降り注ぐ日差し。
その上空は雲一つない晴天が広がっている。
こんなにも晴れやかな空とは対照的に、アレクシア様からは薄暗く淀んだ空気が漂い出した。
「それはそれで大変だと思いますが……」
私は苦笑いを浮かべながら、アレクシア様の今の状態をなんとか打開する方法を探す。
さすがにこのままアレクシア様を送り出すのはよろしくない。
なぜなら、アレクシア様はこれから、このハレイヤ国の国王様に会いに行くのだから。
私たちがこの別荘で過ごすようになってから、アレクシア様は伝書鳩を通じて国王様と連絡を取り合っていた。
それが先日、アレクシア様がレスティエール帝国へ戻ることを伝えると、国を発つ前に一度、直接会って話がしたいとのことで、国王様から夕餉の席に招待されたらしい。
その席にはアレクシア様だけでなく、レスティエール帝国次期皇帝になりえるルディオス君も呼ばれている。
けれど、お声が掛かっていない私はここでお留守番となった。
アレクシア様たちが王城から戻ってくるのは深夜。
早くても、日付が変わるか変わらないかの時間帯らしい。
国王様からは宿泊することも勧められたらしいけれど、それをアレクシア様が断固として拒否したのだという。
ルディオス君も王城へ泊まることは乗り気ではなかったようで、珍しく二人の意見が合致していた。
はあ……と、もはや何度目かも分からない溜息がアレクシア様の口から吐き出される。
「君と過ごす時間も限られているというのに……。やはり食事は断るか。用件だけさっさと済ませて帰ればいい。いや、用件だけならわざわざ城へ行く必要もないな」
神妙な面持ちでそんな事を言い出したので、私は慌てて口を挟んだ。
「アレクシア様。お気持ちは嬉しいのですが、もう食事の準備もされているでしょうから、ご厚意にあずかりましょう。それに私も、国王様にはとても感謝をしているのです。ここで安全に過ごせていられるのも、全ては国王様のご協力があってこそですから。感謝してもし足りません」
ですから私の分も、どうか国王様への感謝をお伝えください――そう言うと、アレクシア様の憂鬱とした表情が僅かに晴れた。
それから使命感に駆られたかのように、力強く頷く。
「分かった。君の気持ちは僕から伝えよう」
どうやらうまく気持ちは切り替えられたようで、私は密かに胸を撫でおろす。
だけど、そうは言ったものの、私もできることならアレクシア様と離れたくはない。
それを口にした瞬間、今度こそアレクシア様は国王様との予定を放り出し兼ねないので決して口にはできないけれど。
アレクシア様と見た流星群の夜から一ヶ月ほどが経ち、計画の準備はいよいよ大詰めとなった。
昨日、最後となる伝令をレスティエール帝国へ送ったらしく、向こうからの返事次第では早ければ一週間後、ここを発つことになるらしい。
アレクシア様と再会できるのは、計画が滞りなく進めば一、二ヶ月ほど先。
不測の事態が起きれば、もっと先になるという。
だから、ここにいる間は少しでも長く一緒に過ごしたいというアレクシア様の気持ちは私も同じ。
ふいに、アレクシア様の足が止まった。
気付けばいつの間にか、自室に到着していた。
途端に寂しい気持ちが一気に押し寄せ、アレクシア様の腕に添えた手に自然と力が入る。
たった数時間。
夜になれば再会できるというのに、どうしても手を離し難いのは、きっと先に待ち受ける別れを想像してしまうからだろう。
――そう。これは予行練習。だから、ちゃんと送り出さないと。
寂しい気持ちを頭の中で振り払い、私はアレクシア様を見上げた。
「アレクシア様は、今から着替えられるのですよね」
「ああ。さすがにこの恰好で行くわけにはいかないからな」
アレクシア様が普段着ている服装も、十分フォーマルな装いだと思うけれど、国王様との会食となると、もっと華やかで豪華に、かつ失礼にあたらないほどの装いが必要となる。
「では、着替えが終わるのを楽しみにお待ちしていますね」
「ああ。だが、その前に……」
私がアレクシア様の腕から手を離そうとした時、その手にアレクシア様の手が重ねられた。
「マリエーヌ。君に紹介したい人物がいる」
「え?」
唐突に話を切り出され、思わずキョトンとしてしまう。
「紹介したい人……ですか?」
そう言われて頭を過るのは、二ヶ月ほど前に来訪したグレイソンさんのことだった。
父親がレスティエール帝国で宰相を務めているというグレイソンさんは、ご自身も宰相補佐として皇宮で働いている。
けれど、皇帝が前皇帝を殺害してその座を奪ったという事実を知っており、皇帝に対して強い不信感を抱いていた。
だから正当な皇族である第五皇子を、新たな皇帝として挿げ替えようとしている私たちの計画に賛同し、協力者となってくれたのだ。
「もしかして、またレスティエール帝国からどなたかいらっしゃるのですか?」
グレイソンさんのように、私たちの計画に協力してくださる方が他にいるのなら、ぜひ歓迎したい。
そう思ったけれど、アレクシア様はなぜか渋い顔をしている。
「いや、そういうのではない。君に紹介したいのは、ウィルフォード騎士団の人間だ」
「え? あ……そういえば、騎士団の方とは、まだちゃんとしたご挨拶ができていませんでしたね」
ここに来てからすぐ、アレクシア様からウィルフォード騎士団に属する騎士様を何人か紹介された。
けれど、簡易的な紹介だけで終わってしまったから、一人一人の名前も聞けずじまいだった。
まれに廊下で鉢合わせる事はあるけれど、騎士様は私に気付くとすぐに端へ寄り、恭しく頭を下げて私が通り過ぎるのを待っている。
だから私は騎士様の足を止めてはいけないと思い、できるだけ早足で通り過ぎるようにしていた。
当然、会話をする機会もなく、騎士様のことを私はよく知らない。
だから、改めて紹介していただけるのなら私としても嬉しい。
――でも、どうしてそんなに渋い顔をしているのかしら?
そこだけが引っかかりつつも、私は静かにアレクシア様の説明を聞いた。
「僕がここを発った後も、彼らにはここに残ってもらい、これまで通り周辺の警備と港付近の警戒にあたってもらう。あとはこちらとの伝達役も担うから、僕に伝えたい事があれば彼らに言うといい。もちろん、僕への手紙も大歓迎だ」
「では、何かあれば騎士様にお願いしますね」
「……いや。何かなくても……一言だけでもいい。君から僕に向けた言葉があると嬉しいな……」
「ですが、騎士様のお手を煩わせることになりませんか?」
「そんな事はない。僕たちの手紙を届ける事は、彼らにとって最も重要な任務だ。もしも君との繋がりが絶たれてしまったら、僕は恋煩いで死んでしまうだろう」
「……それはいけませんね」
冗談を言えないアレクシア様がそう言うと、本当にそうなってしまいそうな気がする。
私が手紙を書くことを約束すると、アレクシア様も私に手紙を送ると言ってくれた。
離れ離れになることが辛い事には変わりないけれど、アレクシア様と手紙を通して繋がれると思うと、少しだけ寂しさが和らいだ。
すると、ガチャッと自室の扉が開き、リディアが姿を現した。
「あ、マリエーヌ様。おかえりなさいませ。ちょうどお部屋の掃除が終わりました」
「ありがとう、リディア」
掃除用具を抱えるようにして部屋から出てきたリディアは、アレクシア様から向けられている視線に気付くと、慌てたようにペコッと一礼して立ち去ろうとする。
「ちょうどいい。リディアも一緒に聞いてくれ」
「え?」
アレクシア様から呼び止められ、リディアはキョトンと目を見張る。
それから「あ……はい」と、戸惑いながらも手にしていた掃除用具をそっと床に置いた。
軽くエプロンを叩いて汚れを落とすと、私の斜め後ろに立ち、姿勢を正す。
リディアがいつもの定位置に着くのを見計らったように、アレクシア様が口を開いた。
「実は、ウィルフォード騎士団の中から、マリエーヌ専属の護衛騎士を任命しようと思っている」
「……え?」
「それは良いですね!」
リディアはすぐに賛同の声を上げたけれど、私はあまりピンとこなくて首を傾げる。
――専属の護衛騎士って……私に?
目を瞬かせる私に、アレクシア様はいつになく真剣な顔を向けた。
「あまり君を不安がらせたくはないが……正直言うと、ここの警備は完璧とは言い難い。港もそうだ。あの程度の防壁と警備体制では外部からの侵入者を完全には防ぎきれない。それでも、今までは僕が君の傍にいたから、何かあれば君を守ることができた。だが、この先はそれもできなくなる」
私は思わず息を呑んだ。
安全と思っていた場所が、本当はそうではなかったのだと知って、一気に緊張感が高まった。
ごくりと、リディアの喉が鳴る。
「だからこそ、僕の代わりに君を守れる人間を傍に置いておきたい。君の行動を制限するようなことは絶対にさせない。これまで通り、自由に過ごしてもらって構わない。だから、どうか君に護衛騎士を付けることを許してほしい」
そう懇願するアレクシア様に、私は慌てて手を振った。
「そんな、許すだなんて……。アレクシア様が、私のためを思って考えてくださったのですから、感謝しかございません。それよりも、私一人のために貴重な騎士様をお借りすることの方が問題ではありませんか?」
ここには私たち以外にも多くの人たちがいるというのに、自分だけが特別に守られているような気がして、申し訳なく思ってしまう。
すると、アレクシア様はジッと私を見つめたまま静かに告げた。
「マリエーヌ。ここで一番に狙われる可能性があるとしたら、それは君だ」
「……!」
アレクシア様の言葉に、ゾクッと背筋が凍る。
言われてみれば、その通りだった。
事実、アレクシア様が一刻を争うように私を連れてレスティエール帝国を脱したのも、私が皇帝から目を付けられたからだ。
――私が、アレクシア様の妻だから。
皇帝の執念深さは、お義父様の手記からもよく分かる。
だから、私のこともまだ諦めていないのだろう。
ここは安全な場所だという思い込みから、自分が狙われているという危機感まで失っていた。
ジーニアス君から言われた『危機感が足りない』の重みが再びのしかかる。
アレクシア様は、まるで私の胸の内を見定めるかのように、ただ静かに私を見つめていた。
きっと、今までのアレクシア様なら、私を怖がらせるような発言は避けていたはず。
遠回しにでも何かしらの理由を付け、それとなく守ってくれていたと思う。
だけど、あえて事実を伝えたのは、私にも自分が狙われているのだと自覚してほしいということなのだろう。
それを踏まえた上て、護衛騎士を受け入れてほしい、と。
私は意識的に息を吐き、気持ちを整える。
これまでにも、見えない不安に支配され、取り乱したことはあった。
だけど、アレクシア様の話に動揺はしたものの、今は落ち着きを取り戻している。
今までの経験が、現状を受け入れられるまでに自分を成長させてくれたのだと思うと、少し誇らしく思えた。
私はアレクシア様に微笑み、悠然と答えた。
「分かりました。私からも、ぜひお願いしたいです」
私の返答に、アレクシア様は安堵したように表情を緩める。
「それならよかった。ではさっそくだが、候補となっている人間を紹介しよう」
アレクシア様は、私たちが歩いてきた廊下へと視線を向ける。
私も視線の先を追いかけると、長い廊下の向こう側に一人の男性が佇んでいた。




