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33.私の選択

 新月の夜――。


 無数の星明りが燦燦(さんさん)と降り注ぐ平原。

 そこに降り立ち、私とアレクシア様は敷物を広げると、その上に並んで仰向けに横たわった。


 視界に映し出されるのは幾千もの星々が織りなす夜空。

 群青色の空は果てなく続き、そこに散らばる光の粒子が主張するように瞬きを繰り返す。

 星屑(ほしくず)の輝きが演出する幻想的な光景に、思わず感嘆の溜息が零れた。


 壮大で幻想的な夜空を前にしていると、この世界の広さを実感する。

 海を越えた先に大陸があり、空を越えた先に星がある。

 いったい、この世界はどこまで繋がっているのだろうか。


 ふと隣に視線を向けるとアレクシア様とすぐに目が合った。


 アレクシア様は相変わらず、嬉しそうに目を細めたまま、全く空を見ようとしない。


「アレクシア様。ちゃんと空を見ていないと、流れ星を見逃してしまいますよ」

「君の瞳に映る星々を見ているから大丈夫だ。ひとときも見逃しはしない。本当に美しい……僕のルヴィナ」


 私の忠告を軽く交わし、アレクシア様はうっとりとした眼差しで私を見つめる。

 ルヴィナとは、前にアレクシア様が私に例えた星の名前。

 アレクシア様の中ではすでに星(私)の観察が始まっているようだけれど……このままでは流れ星を一つも見る事なく終わってしまうと思う。


 恍惚とした表情で私を見つめるアレクシア様に、苦々しく笑いながら声を掛ける。


「あの……できれば同じ光景を見ながらお話したいのですが……」

「!」


 アレクシア様はハッとしたように目を大きく見開き、


「確かにそうだな。一緒に夜空を見よう」


 ようやくその視線が私から空へと向かった。

 それを見て、私も夜空へ視線を戻す。


 星空を見渡し、中でも一層強い輝きを放つ星を見つけた。

 それを指差し、アレクシア様に訊ねる。


「あれがルヴィナですよね」


 私が指し示す方向を確認するように、アレクシア様は私のすぐ横まで顔を寄せる。

 私の指先を辿った先にある星を確認し、大きく頷いた。


「ああ、そうだ」


 それからほんの少しだけ指先を動かし、


「すぐ隣にある朱色の星が、アルタスなのですよね」


 言いながら、アレクシア様に視線を移すと、思った以上に顔が近くてドキッと心臓が跳ねた。


 すぐ目の前でアレクシア様がこちらを見ると、鼻の先が微かに触れた。


「ああ。正解だ」


 すぐ目前で、アレクシア様は甘美な微笑みを浮かべる。


 星影に照らされた白銀色の髪が夜風にそよぎ、真紅の瞳が鮮やかな光彩を放った。

 幻想的な夜空にも見劣りしないアレクシア様の美貌に目を奪われながらも、視線をなんとか夜空へと戻す。


 直後、夜空に閃光が走った。


「あ!」


 声を上げると同時に飛び起きた時には、その光はすでに消失していた。

 初めて見た流れ星に感動し、興奮気味に話しかける。


「アレクシア様! 今、流れ星が! ……本当に一瞬で消えてしまったのですが……」

「ああ。流れ星を視認できるのは一瞬だけだからな」


 言いながら、アレクシア様はゆっくりと上体を起こし、背中に敷いていたショールを私の肩に掛けた。


 瞬く間に消えてしまった流れ星。

 その儚さを目の当たりにして、昂る気持ちとは裏腹に、私は軽く肩を落とした。


「……それでは、願い事ができませんね」


 ぽつりと呟くと、アレクシア様の肩がピクッと動いた。


 刹那、少し冷たくなった夜風に煽られ、私の肩に掛けていたショールがスルッと外れる。


「あっ……」


 ――飛ばされる……!


 咄嗟に手を伸ばすも、ショールには届かない。

 けれどショールは遠くまで飛ばされる事なく、すぐ近くでパタパタと風にはためいている。

 アレクシア様がショールの端をしっかりと掴んで飛ばされるのを防いでくれていた。


 ホッと安堵の息が漏れる。


「アレクシア様、ありがとうございます」


 アレクシア様は少しだけ切なげに笑い、手にしているショールに視線を落とす。


「もう二度と、君の大切な物を失わせたくはないからな」


 そう言って、アレクシア様はショールを広げて私の肩に掛け直してくれた。


 ――そういえば……前世では、お母様のショールを失くしてしまったのよね……。


 少し肌寒く感じる秋頃、公爵邸の中庭でアレクシア様と二人で過ごしていた時。

 車椅子に座るアレクシア様の膝に掛けていたお母様のショールが、風に煽られ飛ばされてしまった。

 それが高木の枝にひっかかり、どうする事もできないままに、数日後、ショールは姿を消した。


 唯一のお母様の形見を失った私は、自室で一人泣いていた。


 もう二度と、あのショールを手にする事はできない。

 お母様の温もりも全て失ってしまったのだと。

 どうしようもない喪失感と後悔に苛まれながら。


 だけどこうして今、お母様のショールは再びこの手に戻ってきた。

 今世でも、あの時と同じようにショールが風に飛ばされて高木に引っかかってしまったけれど、アレクシア様が木に登って取り戻してくれた。

 あの時、ショールを大切そうに胸に抱いて戻ってきたアレクシア様の姿がとても印象的だった。

 まるで自分にとっても、かけがえのない大事な物を取り戻したかのように。


 私は、胸元でショールの端を重ねて持ち、今度こそ飛ばされないようぎゅっと強く握りしめる。

 お母様の温もりと、アレクシア様の優しさに包まれながら、今の幸せを噛みしめた。


 その時だった。


「マリエーヌ。君の願いを聞いてもいいだろうか?」

「……」


 選択の時が訪れたのだと、静かに悟った。


 まるで空気を読んだかのように風がピタリとやみ、時が止まったかと思えるほどの静寂が訪れる。


 いつもの微笑みを消し、アレクシア様の真摯な瞳が、瞬きをするのも忘れてしまったかのように、私の言葉を待っている。

 肩に掛けたショールを、胸元で強く握りしめたまま、私は静かにアレクシア様と向き合った。


 ふいに、私を見つめていた瞳が優しく弧を描いた。


「もし決められていないなら、僕が――」

「いえ。もう答えは決めております」


 それを最後まで聞いてしまえば、また甘えてしまいそうな気がして、私は言葉を遮った。


 アレクシア様は一瞬だけ目を見張ると、再び真剣な面持ちとなり私の言葉を待つ。 


「私は、アレクシア様と共にレスティエール帝国へ戻りたいです」

「……!」


 アレクシア様は少し驚いたように目を見張った。

 もしかしたら、想像していた答えと違ったのかもしれない。


 確かに、何もかも忘れて、遠くへ逃げ出せたならどんなに楽だろう……と、考えなかったわけではない。

 見たくないものから目を逸らし、聞きたくない声に耳を塞ぎ、何も知らないふりをして生きていけたらと……。


 どこか遠くの見知らぬ土地でも、アレクシア様と一緒なら、毎日が充実していて、幸せで、一つ一つが煌めくような日々を過ごせると思う。


 だけどそれは、本来ならば私たちが決して過ごせなかった時間。


 そして今、この瞬間も……私たちはここに存在しないはずだった。


 私たちが今、ここに居る理由は奇跡以外のなにものでもない。


 もしもあの時に戻れたら――と、誰もが願ってやまない奇跡を、私たちは手にしたのだから――。


 時を回帰した事で、私たちは多くのものを得た。

 アレクシア様は自由な体を取り戻し、私との時間をやり直した。

 そうして切望していた日々を手にする事ができた。


 そして私も、ずっと望んでいた自分の居場所、かけがえのない大切な仲間、私を心の底から愛してくれる最愛の人を得た。


 私たちの身に起きた奇跡を、私たちは、自分たちのために使ってきた。


 だけど、これからは……。


 私たちの存在自体が奇跡だというのなら――私は、誰かの奇跡になりたい。


 この奇跡を、自分のためだけではなく、多くの人の願いのために使いたい。


 私の存在が、誰かの救いとなれるのなら……救われる命があるのなら、一つでも多くの命を。


 たとえ綺麗事だと罵られようとも、そんな綺麗事がアレクシア様の救いとなり、奇跡が起きたのなら……それを私は誇りたい。


 でも、私には何の力もない。


 戦う力もないし、何かを変える力も無い。

 誰かを救いたいと望んでも、それを実現する力はない。


 だけど、アレクシア様にはその力がある。

 人々を動かす力も……国を動かす力だってある。


 そして私は、そんなアレクシア様の原動力となれる。


 私は緊張に張り詰めた空気を掃うようにニコッと精一杯の笑みを浮かべ、声を弾ませた。


「アレクシア様、お願いです。私をあの大陸のあらゆる場所へ連れて行ってください。船の上からあの大陸を見た時、なんて大きな大陸に住んでいたのだろうって驚いたのです。ずっと海の向こう側ばかりに目を向けていて、自分が暮らしている場所がどんな所なのか、知ろうとすらしていなかった事に気付いたのです」


 つい数年前まで、自分の国が侵略戦争をしていた事も、それが今もまだ完全に終わったわけではないという事も。

 私は何も知らなかった。


「だから私は、もっとあの大陸を知りたいです。実際にこの目で見て、歩いて、触れて……そこに暮らす人たちとお話をして……知っていきたいのです」


 それを実現するには、あの大陸から全ての争いごとを失くさなければならない。


 それはきっと、私が考える以上に壮大で途方もない事かもしれない。

 それこそ、世界を変えなければ実現できないような、そんな無謀な願い。


 それでも……今世で私が目にしてきた世界は、いつだって美しかった。


 アレクシア様が、私の世界を変えてくれたから。


 だからこの先、私が目にする世界もきっと……眩く光り輝く世界(未来)にしてくれる。


 この世界を敵に回すのではなく、味方にして、アレクシア様と共に歩んでいきたい。


 静かに話を聞いているアレクシア様に、今一度ニッコリと笑いかける。


「いっそ大陸をぐるっと横断なんてどうでしょう? あ、でも一周するのにどれくらいかかるのでしょうか……。一ヶ月……もっとかかりますかね……? でしたら、公爵様はお仕事があるから難しいですよね。そうなると、大陸一周は公爵様が引退してからの方が……」

「……マリエーヌ。今……僕を、公爵……と……?」


 唖然とした様子でアレクシア様が目を瞬かせる。


「はい。レスティエール帝国へ戻るなら、やっぱり公爵様は公爵様でないと」


 ニコッと笑っておどけてみせると、二拍ほどしてアレクシア様は噴き出すように笑った。


「ふっ……そうだな。僕もそろそろ、君にそう呼ばれないのが恋しくなっていたところだ」


 顔を見合わせ、笑い合う。


 ふと、アレクシア様が視線を下へ向け、小さく息を呑んだ。


 気付いたのだろう。私が隠しきれなかった、手の震えに。


 私はキュッと唇を引き締め、笑みを深める。

 感情を隠す笑みを。


「マリエーヌ」

「はい」


 アレクシア様は、私の手をソッと取り、手の甲に口づけを落とす。


「君の願いは、僕が必ず叶える」


 その言葉に、私は微笑み、頷いた。


 あの日、高熱から目覚め、私のもとへ駆けつけた時、アレクシア様は言ってくれた。


 『君の願いならどんな事でも叶えてみせる』と。


 あの時と変わらない、迷いのない自信に満ちた姿。

 アレクシア様はきっと、命を懸けてでも私の願いを叶えてくれるだろう。


 だから私は、私のやり方でアレクシア様の命を守る。


「アレクシア様」


 私はポケットに入れていた四つ折りの白い布を取り出し、アレクシア様に差し出した。


「? ……これは!」


 それが何かをすぐに察したようで、アレクシア様は大きく目を見開いた。


「新しいハンカチに刺繍を入れました。受け取っていただけますか?」

「……ああ。もちろんだ」


 アレクシア様の赤い瞳が大きく揺らぐ。


 涙で潤んだ瞳を細め、震える両手をゆっくりと差し出し、まるで水面に浮かぶ花を掬い上げるかのように、私の手からハンカチを持ち上げた。


 ずっと欲しかった宝物を手にしたかのように、心底嬉しそうにそれを眺めた後、ハンカチの端を摘まんで慎重に折り目を広げていく。


 ハンカチの一角に施された刺繍。

 それを目にした瞬間、アレクシア様は大きく息を呑んだ。


 以前、アレクシア様に贈ったハンカチに刺繍したモチーフは、公爵家の家紋だった。


 だけど今回、モチーフにしたものは――。


「アレクシア様と私の刺繍を入れてみました」


 白銀色の髪に赤い瞳の男性と、亜麻色の髪に新緑色の瞳の女性。

 二頭身ほどにデフォルメされた姿の二人は、手を繋いで微笑んでいる。


 アレクシア様が持つには少し子供っぽいかもしれないけれど、この刺繍には大事な意味がある。


「今度は、絶対に傷つけないでください。ちゃんと二人を守ってくださいね」


 刺繍された二人の姿が切り裂かれてしまわないように――。


 私がアレクシア様から返してもらったハンカチは、褐色に染まり、その時の出血の多さを物語っていた。

 もう少し傷が深ければ、アレクシア様は命を落としていたかもしれない。


 そう思うと、私の胸も引き裂かれそうなほどに痛んだ。


 だから私は、もう二度とアレクシア様の命が脅かされる事がないようにと、願いを込めてこの刺繍を施した。

 アレクシア様なら、刺繍された二人を絶対に守ってくれると思ったから。


 このハンカチを守るという事は、アレクシア様の命を守るに等しい。


 何よりも強力な御守りの役割を担ってくれるはず。


 そしてもう一つ、最後におまじないを忘れずに。


 私は軽く手を握り小指を立てる。

 それをアレクシア様の胸元まで差し伸べ、告げた。


「約束、ですよ」


 アレクシア様は、懐かしむような、穏やかな笑みで私の小指をジッと見つめた後、


「……ああ、必ず守ってみせる。約束しよう」


 そう言って、ハンカチを左胸に押し当てながら、もう片方の手の小指を私の小指に絡めた。


 きゅっと互いの小指に力を込め、ここにしっかりと約束を結ぶ。


 その時、空に光が瞬いた。


「あっ……また――」


 それを指差した瞬間、視界が影に覆われ、唇に柔らかな感触が触れた。


 不意打ちの口づけは一瞬で、アレクシア様は私を抱き寄せ耳元で囁く。


「ありがとう、マリエーヌ。やはり君は、僕の女神だ」




 

 流星群の夜――その名にふさわしく、その日は本当に多くの流れ星が上空に降り注いだ。


 鮮烈な光を爆ぜながら、一つ、また一つと星が流れ、儚く消えゆく。


 人々の願いを乗せた星は、どこへ向かったのか。


 誰かの願いを叶え、散ったのか。


 そんな不確かな存在に、それでも私はたくさんの願いを捧げた。


 この世界が安寧でありますように。


 別れ人と再会できますように。


 新たな命が健やかでありますように。



 あなたの願い……皆の願いが……。


 どうか、叶いますように――。


ここまでご愛読いただき、ありがとうございました…!


マリエーヌの決意と共に、逃避行編はここで締めくくらせていただきまして、しばらく休載期間となります。

今年中には再開したいと考えておりますので、また目処が立ちましたら活動報告にて告知させていただきます。


また、今回の逃避行編が収録されたノベル4巻(電書のみ)が7/1に発売されます!

挿絵(By みてみん)

まさに、ラストの二人の姿が表紙となっております!

whimhalooo先生の美しいイラストの数々と、書き下ろしSSも2本収録されております。

ランディを説得したルディオスの、最後の言葉の意味もSSの中で書かせていただきました。

そしてマリエーヌとルディオスの初対面の様子も収録されております!


そしてそして…同日にコミックス2巻も発売されます!

こちらは紙本でもお買い求めいただけます!


挿絵(By みてみん)

風見まつり先生が作画を担当されております。

2巻はアレクシア様の前世編となっており、切なくも温かい二人の交流を描いていただいております!

こちらもぜひご覧いただけると幸いです!


宣伝告知が長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます!


また皆様とお会いできるのを楽しみにしております。


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― 新着の感想 ―
初の投稿となります。コミックシーモアで漫画版を知り、そしてこちらに原作がある事を知り、読み始めてから約一年…。ようやく最新話まで到達しました。話の本筋がとてもしっかりしていていること、ギャグとシリアス…
いつも楽しく読んでます! マリエーヌ様の決断は本人が自覚してる以上の茨の道なんだろうな〜!! まだまだどれだけの味方がいるかは僕たちは知らないけど、前回のこともあるしバレてて見逃されてる味方もいたり…
幻想的な風景の中、新婚二人は答えを出し、思いを託し、更に絆を深めたように思います✨ 400頁超のノベル4巻、お待ちしています!! ああでもやっぱり紙でも欲しいから、しつこく編集部に訴えてみようかな………
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