32.新たな生命
エマさんの部屋に戻ると、赤ちゃんが生まれるまであと一息というところまで進んでいた。
「お母さん! 頑張って!」
私より一足先に先に戻っていたランディ君が、ベッドの上でいきむエマさんに必死に呼び掛けている。
そのすぐ隣では、マグナス君も緊張の滲む顔で拳を握りしめてエマさんを見守っている。
「あと少しだからね! はい、いきんで!」
産婆さんの掛け声に合わせ、エマさんが再び力を込める。
「エマさん! 頑張ってください!」
私もランディ君たちに加わってエマさんに声を掛けた。
熱のこもるランディ君の声援と、産婆さんの威勢の良い掛け声が飛び交う中、何かしていないと落ち着かない様子のマグナス君はエマさんの顔の汗をタオルで拭う。
壁際に並ぶ侍女たちは今にも泣きそうな顔で祈りを捧げ、その間も準備しているお湯がぬるくならないよう順番にお湯を運んでいる。
そんな様子を、椅子に腰掛けているお医者様が達観した眼差しで見守る。
私もエマさんに励ましの声を掛けながら、エマさんがいきむ様子に釣られて私まで体に力が入った。
間もなくして、大きな産声が部屋中に響き渡った。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
産婆さんの言葉に、皆が顔を見合わせて喜びを分かち合う。
「エマさん! おめでとうございます!」
「ありがとうございます、マリエーヌ様」
エマさんはぐったりとしながらも、安堵の笑みを浮かべている。
マグナス君とランディ君は喜びに満ちた顔を見合わせ、「あ……」と声を漏らし、気まずげに顔を逸らし合う。
しばらくして、
「悪かったな」
マグナス君が先に謝ると、
「……僕もごめんなさい」
と、ランディ君も謝り、ぎこちなく視線を交わしながら照れくさそうに笑い合った。
そんな二人を、エマさんは微笑ましそうに見つめている。
すると、ランディ君の瞳から再び涙が零れだした。
けれど、その表情に不安そうな様子はない。
赤ちゃんが無事に生まれた事に安堵したからだろう。
あんなに怖がっていたのに、涙を堪えてエマさんを励まし続けたランディ君は、もう立派なお兄ちゃんだと思う。
そんなランディ君を、マグナス君は呆れ半分、誇らしげ半分に見つめている。
「ランディ」
エマさんが優しく呼びかけると、ランディ君は更に泣き出した。
「うっ……ぐすっ……お母さん……ごめんね……ううっ」
しゃくり上げ、肩を震わせるランディ君の頭をエマさんがそっと撫でる。
「応援してくれてありがとう。マグナスも。二人とも私の自慢の息子よ」
エマさんの言葉に、それまでずっと気丈な振る舞いを見せていたマグナス君の瞳が大きく揺らいだ。
赤ちゃんはすぐにお湯で清められ、おくるみに巻かれた状態でエマさんのもとへと運ばれた。
エマさんの腕の中で、赤ちゃんは薄く目を開けてジッとエマさんを見ている。
その様子をランディ君とマグナス君も興味津々に見つめている。
「僕の妹……こんなに小さいんだ」
「お前も産まれたばかりの時はこれくらいだったぞ」
「えぇ⁉」
マグナス君の言葉にランディ君は目を剥く。
私も産まれたばかりの赤ちゃんを見るのは初めてで、こんなに小さいだなんて思わなかった。
お義父様の手記の中で、生まれたばかりのアレクシア様を見て『小さすぎる』『皺だらけの老人』『本当に人間か?』と感想を綴っていたけれど、気持ちは分からなくもない。
最後の感想についてはさすがに酷すぎると思うけれど。
「マグナス、こっちに来て。抱き方覚えてる?」
エマさんに促され、マグナス君が赤ちゃんを抱き上げる。
さすが経験者なだけあって、赤ちゃんを抱く姿がさまになっている。
腕の中にいる赤ちゃんを見て笑うマグナス君が、ジェイクさんの姿と少し被った。
ジェイクさんにも早く赤ちゃんが生まれた事を教えてあげたい。
それから赤ちゃんはランディ君の腕の中へ。
マグナス君の補助を受けながら、少しぎこちない感じはあるけれど、ランディ君はしっかりと赤ちゃんを抱きかかえ、話しかける。
「僕がお兄ちゃんだよ。これからたくさん遊ぼうね」
ランディ君の腕の中の赤ちゃんは、なんともいえない表情でパチパチと瞬きを繰り返している。
「マリエーヌ様も、良かったら抱っこしてあげてください」
家族団欒の光景から少し離れてそれを見守っていた私に、エマさんから声が掛かった。
「え? いいのですか?」
「はい。きっと赤ちゃんもマリエーヌ様に会いたがっていたと思いますから。ランディ」
エマさんが、ランディ君に赤ちゃんを渡すよう促すも、ランディ君は赤ちゃんを抱きかかえたまま困ったように私を見上げる。
どう私に渡せばいいのかよく分からないらしい。
私も、産まれたばかりの赤ちゃんをどう抱けばいいのか分からない。
これまでの様子は見ていたけれど、実際に自分が抱っこするとなると……。
二人でオロオロしていると、マグナス君が慣れた動作でランディ君の腕から赤ちゃんを抱き上げる。
それからお手本を見せるように赤ちゃんを抱きかかえながら説明する。
「マリエーヌ様。このように手のかたちを作っていただけますか?」
「こう……でいいのかしら?」
私がマグナス君と同じように、胸元で腕を組むようなかたちを作る。
その上へマグナス君が赤ちゃんを慎重にのせた。
赤ちゃんを支えていたマグナス君の腕が離れると、ズシッと両腕に重さがのしかかる。
見た目よりもずっと重たく感じて、私はしっかりとその体を抱きかかえた。
柔らかい感触と、ほんのりと温かい。
薄目を開いてこちらをジッと見つめる姿がとても愛おしくて、それだけで胸がいっぱいになり涙が込み上げた。
「可愛い……」
それ以上の言葉が出てこない。
ここに来てから、この子もエマさんのお腹の中でずっと私たちと共に過ごしてきた。
何度もお腹の中から懸命にその存在を教えてくれていた。
私の手の平を押し上げたのはこの小さな手だろうか。
それとも足なのか。
外から見ても分かるほど、エマさんのお腹を押し上げた力が、こんなにも小さい体の中に存在していたなんて。
こんなにも幼気で儚い姿の中に、しっかりと生きようとする意志がある。
――なんて、尊いの……?
目頭が熱くなり、せっかくの愛らしい姿が滲んで見える。
けれど、体中から伝わる生命の鼓動が、ただただ愛おしくて堪らない。
守りたい。
この小さな体に宿る命を。
この子の幸せな未来を。
そう願わずにはいられない。
――だから母親という存在は、こんなにも強くなれるんだわ……。
「あら……マリエーヌ様……。ふふっ……」
私の瞳から流れる涙に気付き、エマさんが困ったように笑う。
けれど、私の姿にもらい泣きしたのか、エマさんの瞳からも涙が零れた。
そんな私とエマさんを見比べながら、ランディ君はどうしたらよいか分からないままオロオロとしている。
その横でマグナス君がポケットからハンカチを取り出し、私の涙をそっと拭ってくれた。
「マリエーヌ」
侍女の報告を聞きつけてやってきたのだろう、アレクシア様の声が聞こえた瞬間、マグナス君は素早くハンカチを引っ込め、スッと私の傍から離れていく。
流れるような一連の動きに、思わず呆気に取られる。
同時に涙も自然と止まった。
――そういえば、ジェイクさんと話している時も、アレクシア様が現れるといつの間にかジェイクさんは姿を消していたわ……。
そんな共通点を見つけ、懐かしんでいるうちにアレクシア様がこちらへやってくる。
私の顔を見て、アレクシア様は軽く目を見張った。
「泣いていたのか?」
「はい、少しだけ。あまりにも赤ちゃんが可愛くて、感動してしまって……」
私がアレクシア様に赤ちゃんの姿を見せようとすると、
「マリエーヌ様。ウィルフォード卿にもぜひ……」
ニコニコと微笑むエマさんから声を掛けられ、その意図に気付く。
「アレクシア様も、赤ちゃんを抱っこしてみませんか?」
「え?」
きょとんと目を瞬かせ、戸惑いを見せるアレクシア様の返事を待たずして、私はマグナス君に教えられた通りにして、アレクシア様に赤ちゃんの抱き方を伝える。
「いや、僕は……」と腰を引かせながらも、アレクシア様は言われるがままに私と同じような腕の形を作った。
そこへ、抱いていた赤ちゃんを慎重にのせる。
「……本当に小さいな」
アレクシア様も、産まれたばかりの赤ちゃんを見るのは初めてのようで、不思議な存在を目にするかのように、ジッと赤ちゃんを見つめている。
顔を寄せたかと思うと、少し引いて、全身を視界に収めようとするかのように、そんな動きをするアレクシア様がなんだか可愛く思えて。
笑ってしまいそうになったけれど、本人は至って真剣なので必死に笑いを堪えた。
すると、眉間に深い皺を刻みながら、アレクシア様が口を開く。
「これは本当に人――」
その瞬間、ぺちっと反射的にアレクシア様の口を両手で塞いだ。
――やっぱり、アレクシア様はお義父様似だわ……。
かつてのお義父様の失言を思い出しながら、同じ過ちを防げた事に密かに安堵する。
エマさんは、何が起きたのかと笑顔を引き攣らせながら私とアレクシア様を見比べている。
私はぎこちない笑みと空笑いで誤魔化しながら、アレクシア様の口を塞ぐ手を退いた。
それからアレクシア様の腕から赤ちゃんを抱き上げ、エマさんのもとへ運ぶ。
母親の腕の中で安心したのか、赤ちゃんは途端にうとうとし始めた。
それを見ていたランディ君の目も、トロンとして眠たそう。
気付けばすっかり夜も更けている。
エマさんたちと就寝の挨拶を交わし、私とアレクシア様は退室するため扉へと向かった。
部屋を出る前に一度振り返り、幸せそうに寄り添う家族の光景を目に焼き付ける。
さりげなく隣のアレクシア様を見上げると、すぐに目が合った。
嬉しそうに微笑むアレクシア様に、私も笑顔で応える。
――アレクシア様。私、答えが出そうな気がします。
読んで頂きありがとうございます!
次回が逃避行編、最後のお話となります。




