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29.私の専属侍女

 次の日、朝食を終えてアレクシア様がルディオス君の剣の指導へ向かうのを見送った後、私は自室へと戻った。


 ソファに座り、背もたれにゆったりと体を預けながらぼんやりと宙を眺める。


 エマさんが私に託した手紙、話してくれた戦争の惨状、そしてアレクシア様が私に委ねた選択肢。


 昨日話した内容がぐるぐると頭の中を駆け巡り、混沌とする思考が頭を埋め尽くす。


 ――本当に……逃げてしまっていいのかしら……。


 その誘惑が、私の思考を絡めとる。

 けれど、頭を振ってそれを追い払った。


 少し気分転換がしたくなり、ソファから立ち上がって部屋を出た。


 目的もなく廊下を歩いていると、ランディ君が窓の前でぼんやりと外を眺めていた。


 ――いつもならこの時間は剣の稽古を見学に行ってるはずなのに……。


 それを不思議に思いながら、ランディ君に挨拶をする。


「ランディ君、おはよう」

「……おはようございます」


 いつもなら元気よく挨拶を返してくれるのに、今のランディ君は声も顔も沈んでいる。


「今日はルディオス君のところへ行かないの?」


 私の問いかけに、ランディ君は無言で頷くと、再び窓の外へと視線を向けた。


 昨日までは毎日のように『もうすぐお兄ちゃんになるんだ!』と張り切っていたのに。

 気の毒に思えるほど元気のない姿を見れば、さすがに放ってはおけない。


「ランディ君、何かあったの?」

「……」


 唇をしっかりと引き結び、ランディ君はぶんぶんと首を振る。

 そして何も言わないまま私に背を向け走り去ってしまった。


「反抗期でしょうかね?」


 その声に振り返ると、すぐ後ろにリディアが佇んでいた。


「反抗期……というか、落ち込んでいるように見えたのだけど」

「という事は、エマさんかマグナス君に叱られたのですかね?」


 うーん……と二人で唸り合い、やがてリディアが顔を上げた。


「ひとまずマリエーヌ様。お部屋でお茶の時間にしませんか?」

「でも、他の仕事で忙しいのでしょう?」


 リディアは私の専属侍女ではあるけれど、ここでは使用人の数が少ないため手が回らない箇所の仕事にも回っている。

 今ここで働いているのは、主が不在の間も屋敷の管理を任されていた地元の住人と、公爵邸からわざわざ来てくれた馴染みのある侍女数名。

 それとアレクシア様が雇った専属シェフも地元の住人で、毎日ここまで通いで来ている。


 人手が少ないため、自分の事は自分ですると申し出たけれど、どうしても専属侍女を外れたくないというリディアに泣きつかれ、ここでも私の身の回りの事はリディアが担当してくれている。


「私の事は後回しでいいわ」

「いえ。旦那様からマリエーヌ様のティータイムは最優先事項だと仰せつかっておりますので。むしろそれを怠った瞬間に、今度こそ私は替え玉と差し替えられてしまいますから」


 至って真面目な顔でそう言うと、リディアは「すぐに準備してお部屋へ参ります」と、使命感に駆られるように颯爽と立ち去った。


 ――替え玉って……まだそんな懸念を抱いていたの……?


 だけど、本気なのか冗談なのかも分からない彼女らしい発言に、今は少し救われた気持ちになった。

 




 私が自室に戻って間もなく、お茶の準備をしたリディアがテーブルワゴンを押して部屋を訪れた。


 ソファに座る私の前のテーブルに、手際よくティーカップとお菓子が並べられる。


「ありがとう、リディア」


 さっそくリディアが淹れてくれたお茶を飲み、ふぅ……と息を吐く。

 今日もお茶がおいしい。


 私がお茶を満喫していると、落ち着き払った声でリディアが私に訊ねた。


「少しはご気分が晴れましたか?」

「……!」


 ――リディア……気付いていたのね。


 沈む気持ちを表に出さないよう心掛けていたけれど、いつも近くにいるリディアは勘付いたようで。

 優秀な専属侍女の心遣いをありがたく思いながら、私は手にしていたティーカップをソーサーの上に置く。


 アレクシア様から、私の好きなように選択すればいいと言われて、私なりに考えたけれど、答えはまだ出ていない。

 たとえ私に責任は生じなくとも、その選択は私の周りの人間に多大な影響を及ぼすのだから。


 当然、それはリディアだって例外じゃない。


「ねえ、リディア」

「はい」


 ピシッと姿勢を正し、リディアは愛想の良い笑みをこちらに向ける。

 話しやすい雰囲気を作ってくれているのが分かり、私は少し緊張を解く。


 それから意を決して問いかけた。


「もしも私が、全てを放り出して遠くの国へ逃げ出したいって言ったら……リディアはどうする?」

「私もお供します!」


 寸分の迷いもなく即答され、思わず呆気に取られる。

 すぐにリディアは「あ……」と零し、


「マリエーヌ様が許してくださればですが……」


 自信なさげにそう言うと、しゅん……としおらしく身を縮める。

 私の戸惑いがリディアを拒んでいるように見えたのかもしれない。

 私は咄嗟に口を開いた。


「私も、リディアが付いてきてくれたら嬉しいわ。凄く心強いし、毎日楽しく過ごせると思うの」


 私が拒絶しているわけではないと知り、リディアの表情がパァッと明るくなる。


「ただ……本当に、それでいいの? もう二度と故郷へ戻れなくなるかもしれないのよ?」

「構いません。私の親は放任主義ですし、顔を合わせたところで喧嘩ばかりしてしまうのですよ。父も嘘が吐けない体質なので……。その体質のせいで浮気ばかり繰り返した結果、母親とは遠い昔に離婚しております。母親も今は再婚して新しい家庭を持っていますので、私がそちらに干渉するつもりもありません。ですから、帝国へ戻れなくなったとしても何も問題ありません」


 ズバズバッと一息に言い切ったリディアの話を、私はすぐには飲み込めなかった。


 リディアの家庭事情について、これまで詳しく聞いた事はない。

 だから今の話を聞いて少しばかり驚いてしまった。


 天真爛漫な彼女の姿からはとても想像がつかない家庭背景があったなんて。


 更にリディアは紫色の瞳をキラリと煌めかせ、


「それに、私がお仕えしたいと思うのはマリエーヌ様だけですから」


 自分の胸に手を当てて堂々と言い放たれた言葉に、私は感動に打ち震えた。


 リディアが私に寄せてくれている絶大な信頼に。


 いつもと変わらない屈託のない笑顔に。


 リディアという、私にとってかけがえのない友人が、この先もずっと傍に居てくれる安堵感に。


 ただただ嬉しくて堪らなくて、泣きそうになった。


「どうして……そうまで言ってくれるの?」


 もちろん、リディアを疑っているわけではない。

 信じられるからこそ生じた疑問だった。

 全身全霊で私に仕えようとしてくれるリディアに、私は何かしてあげた事があっただろうか。


 リディアは遠慮がちに笑みを浮かべると、少しだけ目を伏せ、静かに語り始めた。


「マリエーヌ様もご存じの通り、私はこういう体質ですから……。これまで上手く(あるじ)を立てる事ができなくて、どの職場も長続きしませんでした。解雇されるたび、自分は誰からも必要とされない存在なのだと思い知らされているようで……。そのうち本当に誰からも雇われなくなりましたし。私に付きまとうこの体質も、私自身も、何もかもが嫌になって自暴自棄になっていた時に、旦那様から雇われたのです。そしてマリエーヌ様と出会いました」


 憂いの滲む紫色の瞳が、顔を上げると同時にきらきらと輝き出す。

 まるで一筋の希望を見出したかのように私をジッと見つめる。


「マリエーヌ様は、こんな私でも寛大な心で受け入れてくださいました。ずっと自分が嫌いで仕方なかったのですが、私は私のままでいいのだと思えるようになりました。それは私にとってこれまでの人生を覆すほど、とても重要な事だったのです」


 自分の存在を肯定してくれる人がいる事の心強さを私も知っている。

 私がリディアにとって、そういう存在になれていたのだとしたら、私も嬉しい。


「マリエーヌ様の専属侍女である事は、私にとっての誇りです。マリエーヌ様が居る場所が、私の居場所でもあるのです」

「リディア……」


 これまで知らなかったリディアの想いを知って、感動に胸が熱くなり、涙が込み上げる。

 リディアも少し涙ぐんでいたけれど、瞬きでそれを散らし言葉を続けた。


「私だけではありません。ここにいる侍女は皆、マリエーヌ様に何かしらの恩義を感じている者たちなのです。私たちが今まで公爵邸で働けていたのも、全てはマリエーヌ様のおかげですから」

「そんな事はないわ。あなたたちはよく仕えてくれているし、アレクシア様だってあなたたちを認めていると思うわ」


 さすがに誇張しすぎだと反論するも、リディアはなぜか苦い顔となり、後ろめたい事でもあるかのようにぎこちなく視線を逸らす。


「……いえ。実は私たち、結構ミスが多いのです。文字が上手く読めなかったり、計算も得意ではないので発注ミスが最初は酷くて。それと高価な調度品を壊してしまったり……とにかく色々やらかしております」

「……そうだったの?」

「はい。かくいう私も……」


 そこで言葉を止めて、リディアは周囲を警戒するように見回すと、耳打ちするようにこちらへ近付き、声を潜めた。


「あの、以前、旦那様がルビーを使ったフラワーアレンジメントを贈られたのを覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、もちろんよ」


 あれは確か、アレクシア様が私を愛するようになってからそんなに日が経っていない頃、薔薇の中にびっしりとルビーが散りばめられた花束を贈られた。

 それにかかった費用を想像して、いつもの花束の方が好きだと伝えたから、その時限りだったけれど。


 ――そういえば、散りばめられたルビーはリディアが回収してくれたのよね……。ざるでこしたって聞いた時は驚いたけれど……。


「どうやらルビーを回収しきれていなかったようで……。ルビーの量が減っていると指摘され、横領を疑われておりました」

「ええ⁉」


 ――横領なんて……リディアがそんな事するはずないわ!


 それはきっと……ざるでこした時にルビーが少し流れてしまったんだわ……。

 ……これって誰の責任になるのかしら……?


 それを深刻に考えていると、リディアが慌てた様子で口を開いた。


「あ、今はもう無実は証明されております! あの時ばかりは自分が嘘を吐けない体質でよかったと心底思いました」

「そう。それなら良かったわ」


 ホッと胸を撫でおろし、流れてしまったかもしれないルビーの事は深く考えない事にする。


 リディアは軽く肩を落とし、静かに告げた。


「私たちは、公爵邸に仕える侍女としての水準を満たしておりません。旦那様も、正式な侍女を雇うまでの繋ぎとして私たちを雇ったのです。要は使い捨ての駒だったのです」

「そんな……さすがにそれは言い過ぎだわ。現にあなたたちはこうして今まで仕えてくれていたじゃない」

「はい。それこそがマリエーヌ様のおかげなのです」


 嬉しそうに笑顔を綻ばせ、リディアは意気揚々と告げる。


「旦那様は、マリエーヌ様が大切にされている人たちを粗末に扱ったりはしません。だからこそ、私たちは今までマリエーヌ様に守られていたのです」


 私がリディアを始めとする侍女たちを大切に想っていたからこそ、アレクシア様は彼女たちを解雇しなかったのだとリディアは言う。


 今まで何も自覚はなかったけれど、私が侍女たちを守っていたのだと聞いて、驚きと誇らしい気持ちでいっぱいになる。

 同時に少し照れくさくもあり、思わず顔が綻んだ。


 それからリディアは私の前に跪くと、私を仰ぎ見た。


 窓からの日差しを受け、紫色の瞳が煌めいている。


「どうかマリエーヌ様の御心のままにお選びください。どのような選択をしようとも、私たちはどこまでも付いて行きますので」


 清々しいリディアの笑顔と、真っすぐな言葉に私の心が軽くなっていく。


 リディアは私に守られていると言ってくれたけれど、私だって彼女たちに支えられ、守られてきた。


 ふと、私がまだアレクシア様の愛を受け入れられなかった時、リディアから告げられた言葉を思い出した。


『もしも公爵様の人格が戻ってマリエーヌ様が辛い思いをするのなら、私と一緒にこのお屋敷を出ましょう!』


 その言葉に、私がどれだけ救われたか……。


 あの時から少しも変わらないリディアの優しさに、胸がいっぱいになり、涙が零れた。


「ありがとう、リディア」


 こんなにも誠実で頼もしい女性が、私の専属侍女でいてくれる。


 なんて誇らしくて、幸せな事だろう。


 私は、そんな彼女に相応しい主になりたいと、心の底から思った。

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― 新着の感想 ―
いつも楽しく読んでます! リディアさんの家庭の爆弾発言! さらに公爵様のつなぎの侍女選び発言! 嘘つけ無いのに浮気は駄目だよね~(笑) しかし、嘘がつけないのは商売人(商人)にはなれないよな、商売…
アレクシアはもちろん、今の公爵邸(別宅含)にはマリエーヌの味方ばかりですね!! ほんと、やり直し前とは大違い…… 自己肯定感があるから、皆が居るから、きっとマリエーヌは前に進める!と思いました!! ゜…
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