17.冷たい公爵様
私は気持ちを切り替える様に咳ばらいをして声を整えると、すっかり緩んでいた顔の表情を再び引き締めてスザンナに向き合った。
「とにかく、あなたにあげる物なんて何一つとしてないわ。用事が無いのなら、すぐにここから出て行きなさい」
そう告げると、スザンナは悔しそうに私を睨みつけたが、すぐに吹っ切れた様に鼻で笑うと微笑を浮かべた。
「そう……。どうやら公爵様が最近優しくなったという噂は本当の様ね。でもお姉様。何か勘違いしていませんこと? 公爵様の人格が突然変わった事に関して、その筋に詳しい人から話を聞いたの。恐らく二重人格の症状が出ている様だと。だけどそれって一時的な事が多いらしいのよね。つまり、今は優しい公爵様かもしれないけれど、もし人格が元に戻った時……公爵様は果たして今の様にお姉様を愛してくれるのかしら?」
……さすがスザンナね。
どう攻めれば私が弱くなるのかをよく把握しているわ。
最近の私は、公爵様に名前を呼ばれるだけでも、くすぐったい気持ちが沸きあがると同時に、胸の鼓動が早くなって身体が熱を帯び始める。
その理由はもう分かっている。
私が公爵様の事をどう思っているのか――この気持ちの正体を。
だけど、その思いを素直に認める事が出来ない理由――それがまさにスザンナが言った事と同じ。
もしもいつか、公爵様が元の人格に戻ってしまったら……。
またあの冷たい視線を公爵様から向けられた時、果たして私は耐えられるのだろうか。
以前の私なら耐えられた。
だけど今はもう、公爵様が私に向ける優しい眼差しを知ってしまった。
『マリエーヌ』
愛しそうに名前を呼ばれて、
『愛してる』
真っ直ぐに愛を囁いて、真っ赤な瞳が温かく和らいでなんとも嬉しそうに微笑みかける。
あの姿が見られなくなってしまうなんて――。
その事を想像するだけで、私は忘れかけていた孤独を思い出しそうになる。
この胸にまだ秘めている気持ちを認めてしまえば、公爵様への想いはもっと大きく膨れ上がるはず。
その想いを公爵様に拒絶されてしまったらと考えるだけでゾッとする。
だからまだ私は気付かないふりをするの。
後に傷付くのは自分なのだから。
すっかり気落ちして自信を無くしてしまった私を、スザンナは満足そうに気味の悪い笑みを浮かべて見つめていた。
「ふふっ……やっぱりお姉様はそういう姿がお似合いだわ」
「……!」
いけないわ。このままスザンナのペースに呑み込まれては……!
私は邪念を振り払いもう一度顔を上げるが、次の瞬間、口角を引き上げたスザンナの顔がすぐ近くまで寄ってきていた。
スザンナは私の耳元で囁くように話しかけてくる。
「ねえ、お姉様。よぉく思い出してちょうだい。以前の公爵様の事を。前の公爵様は、お姉様の事をちゃんと見てくれていたの? 無視されてはいなかった? 食事は一緒に食べてくれた? 贈り物の一つでも贈ってくれた? 使用人達からも見下されるあんたを守ってくれた?」
一つ一つ、確かめる様に問いかけてくるその言葉に、スザンナは私が今までこの屋敷でどういう扱いをされていたのかをよく知っているのだと察した。
更にスザンナは悪魔の笑みを浮かべながら、私を見下す様に口を開いた。
「公爵様は夜伽の時、お姉様に優しく相手をしてくれたの?」
その瞬間、ドクンっと心臓が大きく音を立てた。
忘れかけていた昔の公爵様の姿が鮮明に思い出される。
冷たい視線、冷たい手で、その瞳に私は少しも映っていなくて、私の声も届かない。
人を人だと思っていない様な、まるで心が無い人形を相手にする様な……あの冷たい公爵様の姿を――。
息が詰まり、呼吸が上手く出来ない。
部屋の温度は変わっていない筈なのに、カタカタと体が震える程の寒さを感じる。
少しでも温もりを得ようと自らを抱きしめる様にして身を屈めた。
寒い……寂しい……。
まるであの物置小屋に閉じ込められた時の様な恐怖に支配されて、私は耐える様にギュッと目を閉じた。
「マリエーヌ、ここに居たのか」
突然聞こえてきた公爵様の声に、目を見開いて顔を上げると、いつの間にか扉の前に公爵様が立っていた。
私の顔を見た公爵様はすぐに血相を変え、
「マリエーヌ!」
名を叫ぶと同時に、真っ直ぐ私の元へと駆けつけ、支える様に私の両肩に手を添えた。
「マリエーヌ! 大丈夫か!? 顔が真っ青じゃないか! どこか具合でも悪いのか!?」
私を見つめる公爵様の姿から、本気で心配してくれている気持ちが伝わってくる。
両肩から伝わる公爵様の手の温もりが、私の心の中に蔓延っていた不安や孤独を和らげた。
公爵様の姿に安心した私は、ゆっくりと呼吸をして息を整え、公爵様を安心させる様に笑って見せた。
「公爵様、もう大丈夫です。なんでもないですから」
そう言って、私の肩に置かれている公爵様の手にそっと触れた。
それでも、公爵様は私から手を離そうとしない。
私から視線を逸らして表情を曇らせ、
「すまない……マリエーヌ……僕は……」
「……? 公爵様?」
呟く様にそう言うと、私の肩を掴む公爵様の両手に僅かに力が入った。
その手が震えているのが肩越しに伝わってくる。
自責の念にかられる様な公爵様の姿を、私はこれまでに何度も見てきた。
まるで過去の自分を思い出し、後悔して悔しがる様な姿を――。
もしかして、公爵様はさっきのスザンナの言葉を聞いていたの……?
「え……? 公爵……さま?」
スザンナの掠れた様な声が聞こえて、視線を彼女の方に移すと、目を見開いて公爵様をジッと見つめていた。
「なんて素敵な殿方なの……!?」
スザンナは何か物凄い大発見をしたかの様に口元を手で覆い隠し、驚愕の表情を浮かべている。
そういえば、結婚式にスザンナは参列していなかったから、公爵様と会うのはこれが初めてになるのかしら。
スザンナは演技をする事も忘れてキラキラと瞳を輝かせて、うっとりする様な眼差しを公爵様に見つめている。
だけど彼女は気付いていないみたい。
ゾッとする程の怒りの色を瞳に滲ませた公爵様が、彼女を冷たく睨みつけている事に。
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